7話 昭和20年8月28日
マレビトは不死であるが、不滅ではない。男しかいない。女はいない。この世界ではそれは常識である。
登場人物初期設定
鏡子 唯一のマレビトの女、死ぬと記憶を無くす
コトブキ 刑事、自称500歳のマレビト
ハタノ 全身刺青の破滅型のマレビト
カガミ 千年の寿命を迎え、ヒトとなった美青年
カスミゴロウ 鏡子が昭和の初めに生んだ子ども
モリオ 子供の頃に鏡子助けられた。
軍団カラス カスミゴロウが組織する私設武装集
登戸研究所細菌研究室
カスミゴロウは登戸研究所で行われた「乙きのと計画」の参加者だった。
ここではあらゆる人体実験が行われていた。
この男は、昭和2年にマレビトの女が産んだ子供である。
カスミゴロウの父親は裕福な医者で、軍部にも随分顔が利いた。
戦中に成立した内閣の陸軍卿首相就任にも尽力したおかげで、神奈川県登戸村ある軍事研究所に、防疫を目的として建てられた細菌研究室の初代室長に就任した。
ここではあらゆる人体実験が行われていた。
カスミゴロウの母親は、カスミゴロウを産んで直ぐに死んだと伝えられていた。
カスミゴロウはそれを信じていた。
カスミゴロウは帝大医学部を卒業すると、登戸研究所での父親の研究を手伝うようになった。
ヒトを「丙ひのえ」マレビトを「乙きのと」、それら研究対象者を「マルタ」と呼称し、研究が行われていた。
カスミゴロウはどこからともなく連れてこられるマルタを使って、父親とともに様々な研究を行っていた。
カスミゴロウには、この研究室で気になる事が一つあった。
20畳程の研究室の北面に鉛色の鉄扉があった。そこにはカスミゴロウの父親しか入る事が出来きなかった。
一度、父親がその扉を開けた時、不意にカスミゴロウを扉のところまで呼びつけ、中を見せた。そこには棺桶のような水槽に、白い着物を着た女が沈められていた。女の生死は分からず、ただ沈んでいた。
「見たままを覚えるといい」
突然、そんなことを言って、後は何も言わず、扉を閉めた。その扉の中に入ったのはそれっきりだった。
ここではあらゆる人体実験が行われていた。
見るに耐えない人体実験もあったが、マレビトには、形而上、形而下、双方のアプローチを行い、正体を明らかにしようとしていた。
しかし原爆投下とソ連軍の急激な南下により、敗戦となり、計画は頓挫した。
多くの軍施設が進駐軍に徴収された。
軍部では、進駐軍にこの研究所を知られてはならないと、施設ごと焼き払う事になった。
カスミゴロウとその父親は、廃棄すべき研究室の資料を整理していた。
そこに慌ただしく軍部の関係者が戸を叩いた。
「進駐軍のトラックがもう直ぐ着く、急いで!」
そう言い、立ち去った。
「やむをえん」
カスミゴロウの父親は、カスミゴロウに、例の鉛色の扉の前に誘い、信じられない事を淡々としゃべり出した。
「この中にいるマレビトはこの世に存在する唯一の女のマレビトだ。過去一度もマレビトの女は存在したことはない。少なくとも一次資料に於いて、確認できたものはない。そしてあの女は私の妻で、お前の母親だ」
「はい?」
カスミゴロウはヘンテコな返事しか出来なかった。
「その事を軍部から隠す為に、ここに置いた。しかし、今、進駐軍の手に渡ってしまうと、どうなるか?我々がしてきたことを思えば、推して知るべしだろう」
父親は胸元から手りゅう弾を取り出し、カスミゴロウに見せた。
「簡素に言う、お前の母親の名は鏡子、私は鏡子を愛していた。だからお前が生まれた。戸籍元本に細工がしてある。戸籍を調べろ、お前も研究者の端くれなら、それが真実と分かるだろう」
カスミゴロウの父親はそう言い残し、鉄扉の中に消えた。カスミゴロウは是も非も言えず、ただ、立ち尽くしていた。
研究室の戸が開き、進駐軍の男達が、室内に入るなり、カスミゴロウに銃を突きつけた。カスミゴロウは特に慌てず、流暢に進駐軍の言葉を話した。
「それはT30ですか?それともT33?」
その言葉を聞いて進駐軍の1人が銃を下げた時、轟音とともに鉄扉が吹き飛び、立っている全てを者をなぎ倒した。
カスミゴロウの父親が爆弾自殺した。
カスミゴロウは床にうつ伏せながら、消え行く意識の中、忘れえぬ光景を見た。
瓦礫の中に、何かが立っていた。
その何かは最初、何かだったが、段々と形を成し、ヒトの形を成し、ヒトの形を成す頃には女だという事がわかった。裸の両腕には黒々と刺青が彫られていた。