あと、十二か月
「皇子殿下万歳! 妃殿下万歳!」
祝福の声が広場を埋め尽くし、花びらが風に乗って舞い落ちる。人々の歓声はまるで祝福の鐘のように響き渡り、ロンバルディアの宮殿は幸福な空気に包まれていた。
「ど、どうしようルイ。とても緊張してしまうわ。私、こんなにも大勢の人の前に立ったことが無いから……」
私は緊張を堪えるように手をギュッと握りしめ、隣に立つルイーズを見上げた。彼は落ち着いた様子で優しく微笑み、私を見下ろしていた。
「大丈夫、僕が傍に居るよ」
彼の甘い言葉は、私の頬を赤く染まってしまう。
私はルイーズの手をそっと握り返し、笑顔を返した。
美しいドレスに、美しいアクセサリー。自分には眩しすぎるほどの、幸福な瞬間。
私たちは今日、結婚の誓いを結んだ。
私は正式に彼の妻となり、また彼は私の夫となった。
これがただひと時の物だとしても、期間限定の結婚だとしても、私は心から幸せだった。
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ロンバルディア帝国に来てから、あっという間にひと月という時間が流れた。
「レティア!」
「び、びっくりした……。もう、びっくりさせないでよね、ルイ! 本を読んでいるときに脅かさないでって言ったじゃない」
「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか」
ふくれっ面になりながら、私は膝の上の書物を閉じた。ルイーズはそんな私の様子を見ても、悪びれた様子もなく隣に腰を下ろす。
「レティア、今日は城下町に出ないか?」
「えっ、城下町……?」
「近頃公務ばかりでゆっくりできていなかっただろう? たまには気晴らしが必要だよ」
ルイは優しく微笑み、私の手を取った。
(確かに城下町には行ってみたいけれど……)
皇族の私たちが簡単に皇宮の外へ出ることなんてできるのかしら。
「二人きりで出かけるの?」
「ああ、そうさ。変装して誰にも気づかれないようにね」
本当にそんなことをしてもいいのかと戸惑いながらも、胸の奥がとくんと鳴る。
彼の言い方からして、もしかしてルイーズは日ごろから皇宮から抜け出していたのかしら。
「……もしかしてルイ、あなたあの夜に私と街に出かけたときも?」
「ご名答!」
「ふふっ、もう、仕方がない人ですね。えぇ付き合いましょうとも!」
慣れない国で、慣れない皇子妃としての業務にいっぱいいっぱいになっていた私を気遣って、彼は提案してくれたのだろう。
そんな優しいあなたに付き合ってあげますよ。
私は、あなたの妻ですから。どこへだってあなたと一緒です。
もう、二度と離れ離れになりたくない。
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私はシンプルなドレスを身にまとい、ルイーズは護衛騎士のような青いマントを羽織った。
「この程度だったら、地方のお嬢様程度に見えるでしょう」
「ふむ。……守ってあげますよ、お嬢様?」
ルイーズは私の手を取ると、パチンとウィンクを決めた。
「あらあら、護衛の騎士にしては、随分とチャラいのではありませんか?」
私の言葉にルイーズは「そうか?」と不思議そうに首を傾げる。そんな彼に、私は「そうですよ」と笑顔で答えた。
ルイーズに案内されるがまま城にある町に繋がった裏道を通り、城下町へと向かった。
その通りには市場が広がり、焼きたてのパンの香りや、新鮮な果物を並べた露店が賑わっていた。街の子どもたちが笑い声を響かせながら駆け回り、職人たちはそれぞれの商売に精を出している。
(町に来るのは久しぶりだわ。ロンバルディアの町に来るのは初めてだけど、どこの国でも町の雰囲気は変わらず賑やかで楽しげなのね)
「とても素敵なところですね」
「そうだろう? この国の民たちは、毎日を精一杯生きているんだ」
ルイの言葉に、私は頷いた。
そう、私達は彼らのお陰でこうして生きていける。だからそんな彼らのために、私達は日々感謝を忘れることなく、国民のために誠心し、生きていかなければならない。
私には残された時間は短いけれど。それでも、その残された間だけでも感謝を忘れずに。
二人で露店を見て回っていると、ふと花屋が目に入る。そこには色とりどりの花が並べられ、甘い香りが風に乗って漂っていた。
「お嬢さん、美しい花はいかがですか」
花屋の店主が私たちに気が付き声をかけた。
「この青いお花、凄くお綺麗ですね」
「お目が高い! これは幸運をもたらすと言われている花ですよ。大切な人への贈り物にもぴったりです」
「なら、僕が買いましょう。君によく似合う」
その言葉を聞いたルイーズは、店主からその花を受け取る。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして、お嬢様」
あくまで今は、私たちはお嬢様とその護衛騎士。
彼の似合わない騎士っぷりに思わず笑いが溢れてしまう。
そんな穏やかなやり取りを交わしながら、私たちは城下町でのひとときを楽しんだ。
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城へ戻るころには、夕日が地平線に沈みかけていた。赤く染まる空の下、私はルイーズの手を握りしめた。
「今日は本当に楽しかったわ」
「それはよかった。少しは息抜きになっただろ? 僕も昔から皇族としての生活に息がつまったときには、城から抜け出して町へ来たものだよ」
ルイーズは目を細め、遠い記憶を辿るように言葉を紡いだ。
「あの時も、そうだったな……。君の国のパーティーに参加した時、それはもうめんどくさいのなんのって」
「あはは……」
「そんなとき、隅で一人泣いていた美しいお嬢さんを見つけた」
目を細めて微笑む彼の顔は、あの時私に手を差し伸べてくれた誘拐犯の彼と重なる。私の記憶の中の、あの夜の光景がよみがえった。
「レティア。君が笑ってくれることが、僕にとって何よりの幸せだ」
夕陽の光を受けたルイーズの瞳は、まるで陽だまりのように温かかった。
その言葉が、胸の奥深くにじんでいく。私はそっと寄り添い、彼の腕を優しく握りしめた。
「私も、あなたの笑顔を見ているときが一番幸せよ」
どこか切なげな声で呟くと、ルイーズは私を包み込むようにそっと手を重ねた。
この日々が、ずっと続いて欲しい。心から、そう願うけれど。
私にそれは、叶わないこと。
だからどうか今だけは。今だけは、彼の傍にいさせてください。
レティアが死ぬまで、あと十二か月。
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