幸せな時間には制限がある
差し出された手を取ると、男は満足気に微笑む。そして自分が着ていたローブを私に着せた。
ローブが外れたことによって見えた彼の姿は、思わず目を疑ってしまうくらい美しかった。銀色の髪に、サファイアをそのまま埋め込んだかのような青の瞳。その端正な顔立ちは、神殿に置かれる大理石でできた彫刻のようだ。
「レディ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
「それは良かった」
私に向かって微笑むその顔は本当にうっとりとしてしまうほど美しい。
(……って、ダメよ私! 殿方に対して容姿で判断してしまうなんて。外観で判断されることが嫌なことは、自分が一番分かっているはずでしょう)
それに、この男はただの誘拐犯なんだから。
「あの、あなたは一体誰なんでしょうか? 先ほど皇宮から抜け出した時に使われたのは移動魔法ですよね?」
「ああ、それならこの指輪の力さ」
彼はそう言うと自身の右手を私に差し出した。エメラルドが輝く指輪が、色白の長く伸びた薬指にはめられている。
「この指輪には魔法使いによって移動魔法がかけられているのさ」
「い、移動魔法? そんな高価なものどこで手に入れたのですか!」
「……ああ~、盗んだんだよ」
男は一瞬、戸惑ったような顔をしたかと思えばポリポリと頬をかきながら呟いた。
「盗んだ……?」
移動魔法がかかった魔法石の指輪、これは一体いくらするものなのか。想像は付かないけれど、恐らく屋敷が立つほどのものだ。それを、この男は盗んだというのか。
(拝啓、お父様。どうしましょう。私はとんでもない極悪人の方についてきてしまったのかもしれません……)
「はあ……今更考えたって仕方がありません。お父様ならきっと私の背中を押してくださるはずです、そうでしょう、そうであってください」
「うん?」
「いえ、こちらの話です」
ブツブツと呟く私が気になったのか、彼は私に問いかける。
誤魔化すように返事をすると、彼は「まぁいいさ」と言い私の手を取って微笑んだ。
「僕の名前はルイ。お初に、レディ」
「……レティアです。よろしくお願いいたします、ルイ」
生まれて初めて、私は自分の意思で行動している。
その背徳感に、少し気分が良いということはここだけの秘密だ。
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「ねぇルイ! これはなんという食べ物なの?」
「それは綿菓子だよレティア」
「まぁ、どうしてこんなにもふわふわとして甘いのかしら? 口に入れた途端に溶けてしまうなんて、本当に不思議だわ」
ルイからの誘拐……いいや、ルイとの逃走劇が始まってから、今日で五日が経った。
初めこそ警戒していたものの、彼の楽観的な所と優しさを知るうちに、いつしか彼を信頼し始めていた。
ルイが見せてくれるもの全てが目新しくて、楽しくて、輝いていて。私の胸をドキドキと胸を高鳴らせた。
「もう祭りが始まったようだね」
「私、街の祭りに来るのは初めてだわ」
「レティア、手を貸して?」
「え? ええ、構いませんけど……」
言われるがまま右手を差し出すと、彼は私の手を取って右薬指に指輪をはめた。
「指輪? どうしたの、これ」
「プレゼントさ」
「プレゼント?」
「ああ。君が今日、祭りを楽しめるためのお守りとでも思ってくれたらいい」
その指輪は繊細なシルバーの装飾が施され、中心には大粒のサファイアが嵌め込まれており、光を受けるたびに吸い込まれそうなほど神秘的な輝きを放っていた。
一目見ただけでそれが高価なものだと分かった。
「……まさかこれも盗んだものじゃないでしょうね?」
「ははっ、ご名答~!」
「はあ、やっぱりそうなのね? いいわ。もし持ち主が見つかれば、この価値の何倍ものお金を払って許してもらうから」
「いいのか? それだと君も同罪になってしまうが」
私をからかうかのように悪戯げな笑みを浮かべるルイ。
そんな彼に、私も負けじと笑みを返した。
「いいんです。あなたと同じ罪で裁かれるのなら、それも悪くありませんから」
(ああ。いっそのこと、このまま時が止まってしまえばいいのに)
風が吹き、私のピンク色の髪を優しく撫でる。
淡い陽射しが差し込む中、髪の一筋一筋が光を受けてきらめき、まるで春の花びらが舞うように儚く揺れていた。
(ルイ、私をあの場から連れ出してくれてありがとう。あなたのおかげで、私は今とても幸せなの)
「さぁ、そこの恋人たちもこっちに来て踊りなさいな!」
その時。賑わう町で立ち止まったいた私たちに向かってエプロンを腰に巻いた女店主が声をかけてきた。
「えっ、あ、私たちはそんな関係では……!」
恥ずかしさで顔に熱が上る。慌てて撤回しようとしたが、相手は何も聞いていない様子だった。
「踊ろうか」
楽しそうに笑いながら、ルイは私に手を差し出した。
「で、ですがルイ。私、あまりダンスは得意ではないんです。上手く踊れるかどうか分かりません、もしかしたらあなたに恥をかかせてしまうかも……」
口早に保険をかける。これは私の悪い癖だ。
私の下手なダンスのせいで、パートナーだった婚約者のロイドはいつも困った顔を浮かべていた。
(もしも、もしも、ルイも私に愛想をつかせたら……)
「大丈夫、僕に身を任せて」
腕を引かれるがまま私とルイは舞台上に上がる。
到底ダンスホールとは言えないこの舞台は、土が盛り上げられて整えられただけの場所。それでも、私は今までにないくらい胸が高鳴った。
(もしかしてこれは不整脈かしら?)
なんて、少し不謹慎なことをを考えてしまうくらいドキドキと胸が高鳴ったのだ。
ルイの踊りは完璧で、そのステップは社交界で今流行りのものだった。
どうして平民のあなたが社交界の踊りを? そう、一瞬思ったが、そんなことがどうでもよくなってしまうほど楽しくて、楽しくて、楽しくて。
「ねぇ、ルイ。どうしましょう……」
彼と手を取り合ったまま、私は必死に震える声を押えて話す。
「私、産まれて初めて、生きていることが楽しいと感じるの」
ルイの傍に居ると、何故か毎日のように私の身体に感じた痛みも苦しみも感じることは無かった。
それが環境の変化や興奮状態にあるアドレナリンの効果なのか、ただ偶然なのかは分からないけど。
たった五日間の逃走劇。それでも、私が彼に夢中になるには十分な時間だった。
私は、彼に恋をしてしまった。
「飲み物を買ってくるよ、ここで待っていてくれ」
「はい」
踊りが終わった後、私は街角の隅で一人、彼の帰りを待っていた。
ルイとの時間は、本当に楽しい。
生まれてきて良かったと心から思えるのは、初めてのことだった。
(私のこの短い命尽きる時まで、ずっとここに、ずっと彼の傍に……)
「見つけたぞ!! レティアお嬢様だ!!」
しかし、その幸せはそうは続かなかった。
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