あと、五か月
ルイーズは私に「一か月の辛抱だ」と言っていた。それはつまり、黒魔術を使うまであと一か月ということだったのだろう。
そして今日こそ、彼が私を部屋に閉じ込めてから一か月が経った。
部屋に飾られた見事な花。外に出られない分少しでも気分転換になればと、心優しい使用人が用意してくれたものだった。
私は花瓶を手に取ると、勢いよく地面に叩きつける。
砕け散った破片を掴み、震える指でそれを首元に沿わせた。
「妃殿下、何を……」
「近づかないで!」
アルベルトは小さく「血が出ています」と呟いた。
必死に握りしめた花瓶の破片。それは私の手のひらの皮膚を切り裂き、赤い雫を滴らせていた。
「それ以上近づいたら、私はこの破片で自分の首を切るから」
「……そんなもので、本当に死ねるとでもお思いですか」
「さあ、どうかしら?」
嘲るように微笑んでみせる。
だが、私の手は震えていた。
「首を切り落とすまではいかないだろうけど、今私の手のひらが切れているように、血管くらいなら切れるんじゃないかしら? 私は身体が弱いから、本当に死んじゃうかもね」
我ながら無茶な考えだとは分かっている。
アルベルトは私の護衛騎士。私がここまでしたら、彼は道を開けるしかない。
脅迫しているようで申し訳ないけど、私にはこの方法しかないの。
「分かりました……」
アルベルトはそう言うと、自身の胸ポケットから鍵を取り出した。
丁寧に鍵穴へ差し込み、回す音が静まり返った空間に響く。
そして、ギィィと鈍い音を立てて重厚な扉がゆっくりと開いた。
(まさかこんなにも簡単に出してくれるなんて)
自分で起こしたことではあるが、まさかここまで淡々と事が進むとはちっとも思っていなかった。
「ありがとうございますアルベルト卿。そして、ごめんなさい。この件は全て私の責任ですから」
そう言い残し、私は躊躇うことなく部屋を飛び出した。
「妃殿下!」
その一声が、私の足を止める。
振り返ると、アルベルトは静かに私を見つめていた。
「ルイーズ皇子殿下を、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言うと、アルベルトは私に向かって深々と頭を下げた。
アルベルトはルイーズの側近。古くからの仲で、幼馴染のような関係だったと前にルイーズから聞いたことがある。
彼もまた、ルイーズが心配なのだろう。
だからこそ、皇子が黒魔術に手を出そうとしている事実を誰かに言いふらすこともなく、私を無理に引き留めることもしなかった。
(アルベルト卿は私を信じてくれているんだ)
「任せておいてください、きっと彼を説得して見せますから」
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「はあ、はあ……る、ルイ!」
息を切らしながら、私は彼の名を呼ぶ。
ここまで来るのに使用人たちの目を搔い潜りながら走ってきたから、さっきからぜえぜえと息切れが激しい。
部屋から出るのも一か月ぶりだからか、筋肉が落ちてしまっているのだろう。
「レティア、どうして君がここに……? アルベルトは、アルベルトはどうした」
ルイーズが振り返る。驚きに目を見開き、すぐに険しい表情を浮かべた。
当然の反応だ。本来なら自室に閉じ込められているはずの私が、こうして彼の前に立っているのだから。
「レティア、すぐに部屋に戻るんだ」
「ルイ、聞いて」
「大丈夫。君は何も心配しなくていい」
「お願いだから聞いて、私の言葉を聞いてちょうだい」
「僕が必ず君を……」
「ルイーズ!!」
私が大きく名前を呼ぶと、ピタリと彼の動きが止まる。
揺れる青の瞳が、私を映した。
「私は、死ぬのよ」
私が死ぬ。それは今に始まったことでは無い。
生まれつき身体が弱かった私は、昔から二十歳まで生きられないだろうと言われていた。これは、ずっと昔から決まっていたことだ。
人はいつか死ぬ。私はそれが、他の人よりも少し早かった。ただそれだけのこと。
「……だめだ。絶対に、君を死なせたりしない」
彼は強く拳を握りしめ、そう告げる。
「私のために誰かが苦しむのは嫌なの。民も、私たちをいつも支えてくれるみんなにも……」
言葉に出した途端、胸の奥に押し込めていた感情が溢れそうになる。
けれど、ちゃんと自分の想いを伝えなければいけない。
言葉にしなければ、想いは伝わらない。
「そして何より、あなたが傷ついている姿を見たくないわ。あなたが私を苦しまないようにとしてくれるのと同じように、私もあなたには苦しんでほしくないの」
私の言葉に、ルイーズはまるで感情を押し殺すように、ギリッと歯を食いしばった。
そして、耐えきれないとでもいうように乱暴に髪をかきむしり、声を零す。
「……クソっ」
次の瞬間、ルイーズはズカズカと大股でこちらへと歩み寄る。
「頼む。僕を、僕を選べレティア!」
そう言うと、私の両肩を強く掴み必死に叫ぶ。
それはまるで、縋りつくように、必死に。
「君が望むことはなんだってする。君が欲しいものは、なんだって用意する。君の願いは何でも叶える。だから、頼む、頼むよ」
「ルイ……」
「分かっていた。君はいずれ死ぬ命だと。だが、君と一緒に居ればいるほど、君への愛が増すほどその現実に耐え切れなかったんだ。どうしても君に生きて欲しいんだ」
どうしてあなたが辛そうな顔をするのよ。
死ぬのは、私の方なのに。
そんな顔をしないで、私はあなたの笑った顔が好きなの。
「……では、私の願いを一つ叶えてください」
先ほどから私の頬を濡らす涙を拭い、私はルイーズを見上げた。
彼の瞳の奥には、わずかな希望が宿っているように見えた。
だからこそ、その希望を壊さなければならないのが辛かった。
「ああ。言ってくれ、僕に出来ることならなんだって叶えよう」
ルイーズは私の言葉にためらうことなく返事をした。
(私のたった一つの願い)
「私が死ぬその最後まで、笑顔で、笑って私の傍に居てください」
(あなたと、命尽きるそのときまで一緒に居たい)
「……レティア」
彼の声が、震える。
「黒魔術になんて手を出さないで」
私はそっと彼の手を握り、静かに言葉を紡いだ。
「国民を誰よりも愛するあなたが、私を優先しようとしてくれたこと。正義感の強いあなたが、禁じられた魔法にまで手を出して私を生かしてくれようとしたこと。私は、その気持ちが本当に嬉しかった」
涙ながらに語る私を、彼はただ黙って見つめていた。
「私の願いを、叶えてくれるんですよね?」
少し悪戯気な笑みを浮かべ、彼に問いかける。すると、ルイーズの肩がわずかに震えた。
彼は唇を噛みしめ、何かを堪えるように目を閉じる。
数秒の沈黙の後、ようやく口を開いた。
「……ああ、分かったよ。君の言う通りにしよう、レティア……」
その瞬間、耐えきれなくなったかのようにポタ、ポタ、とルイーズの目から涙が零れ落ちる。
どれほどの想いが込められた涙なのか、妻の私には分かる。
ゆっくりと手を伸ばし、彼の目元の涙を拭った。
レティアが死ぬまで、あと五か月。
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