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【完結】どうせ死ぬ命なので、誘拐犯に連れ去られてみます。  作者: にゃみ3


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あと、七か月


「こちらもお願いします」

「次はこちらです」

「お願いいたします妃殿下」


 次から次へと差し出される書類の山を前に、私は軽くめまいを覚えた。慌ただしく動く侍従たちの声に促されながら、休む暇もなく印を押していく。目の前の文字が滲んで見えてきた。


 あれからルイーズとは一ヶ月間まともに話ができていない。こんなモヤモヤとした気持ちを抱えながら会えない期間が延びるのは、不安でしかない。

 だけど、妃の私がここまで忙しいのだから、皇子であるルイーズはもっと忙しいのだろう。


「う……ケホッ、ケホ!!」


 突然こみ上げてきた咳に、口元を押さえながら前屈みになる。喉の奥が焼けるように痛む。口の中に広がる鉄錆のような味。

 咄嗟にハンカチを取り出し、口を抑えた。

 真っ白なハンカチには、赤黒い血が滲んでいた。

 こんなにも繊細に作られた美しい純白のハンカチを台無しにしたのは、これで何度目だろうか。思わずため息が零れてしまう。


「ひ、妃殿下大丈夫ですか!」


 慌てた様子のエンディミオンが私に向かって駆け寄る。


「お気になさらないでエンディミオンさん、いつものことですから」


 努めて穏やかに微笑んでみせるものの、彼の眉間の皺は深くなるばかりだった。


 仕事の間は強い薬を服用していたから珍しいが、血を吐くことくらい日常茶飯事だ。

 ずっと私の傍に居るアルベルト卿に関しては、心配げにこちらを見つめているものの、いつものことだと慌てた様子はない。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「妃殿下、少々二人で話が出来ませんか? もしかすると、妃殿下が今抱えられている悩みを解決することができるかもしれません」

「えっ?」


 悩みがあるのは確かだ。しかし、それをエンディミオンに話した覚えはないのに。


 (でも、もしこれで悩みが晴れるのなら…)


「……アルベルト卿、少し席を外して頂けますか?」

「な、なりません妃殿下。私はいつなんどき妃殿下の傍を離れないように皇子殿下より……」


 アルベルトは即座に異を唱えた。その声音は、普段の冷静さを欠いていた。


「ごめんなさい、言い方が悪かったですね」


 私は静かに息を吸い込み、

 なるべく冷たく、そして揺るぎなく言葉を紡ぐ。


「これは命令です、アルベルト卿。席を外しなさい」


 私の言葉に、アルベルトは明らかに動揺した。彼の表情がわずかに強張るのが分かる。

 しかし、忠実な騎士である彼はすぐにその感情を抑え込み、一礼した。


「……分かりました。それでは部屋の前におりますので、何かありましたらお声がけください」


 扉が静かに閉じられる。

 残されたのは、私とエンディミオンの二人だけ。


「それでエンディミオンさん、その、話とは」


 扉が閉まる音がまだ耳に残る中、私はそっと口を開いた。


「時間が限られているようですので、端的に話します」


 エンディミオンは静かに言った。


「妃殿下が今、どんな悩みを抱えられているのかは私には見当もつきません。しかしどんな悩みでも解決することができる、魔術師があると前に聞いたことがあります」

「魔術師ですか……?」


 意外な言葉に、思わず聞き返す。

 エンディミオンから提案された話は、実に意外だった。論理学などにしか興味を持たない人だと思っていたのに、まさか彼の口から魔術師なんて言葉が出るとは、少しも思っていなかった。


(あのエンディミオンが魔術?)


 突拍子もない話だが、彼の目は冗談を言っているようには見えない。


「はい。もしかすると、その魔術師の元に行けば妃殿下の抱えられている悩みも少しは晴れるかもしれません」


(……いやいや、ありえないでしょう。)


 魔術師だなんて、いくらなんでも怪しすぎる。

 私はそんな単純な噂に流される人間ではないし、そんな提案に乗ったりしない。

 

 はあ、エンディミオンさんも随分とおかしいひとなのね。

 論理的で冷静な彼から、こんな非現実的な話をされるとは思わなかった。けれど、こうして人間味のある一面を見せられると、少し親しみを感じる気もする。


 別に人の考えを否定したりはしないわ。

 私は乗らないだけ。それだけよ。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「し、失礼いたします」


(……結局、来てしまった。)


 アルベルト卿を無理に説き伏せ、時には脅し、何とか城の外までこっそり抜け出した。

 エンディミオンから「一応」と渡されていた地図を頼りにここまでやってきた。


(こんなことがばれたら、それこそ私は皇宮から追い出されるわね……)


 それなのに、足は止まらなかった。

 まるで何かに導かれるように、私は進む。


「いらっしゃいませ」


 そこに現れたのは、仮面をつけた男。


(というより、子供?)


 暗がりでも輝いていることが分かる明るい金髪に、顔立ち以外からの情報で見れば、この子は恐らく十五歳くらいの少年。


「何だか誤解されているようなので言っておくけど。俺、お客さんよりも何倍も上だからね?」


 まるで私の思考を読んだかのような言葉に、私は思わず「えっ」と声を零してしまう。


「いやいや、どうしてって言われてもね。それが魔術師ってものですから、理屈で言われても困るのよ」 

「そ、そうなんですね……」




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 ポットが空を舞い、ティーカップにお茶が注がれる。

 まるでそれが当然であるかのように、魔術師の少年は無造作に指を動かした。


「どうぞ」


 仮面越しの視線を感じながら、私は戸惑いながらもティーカップを受け取った。


「ハーブティーです」

「ありがとうございます」


 唇に触れた瞬間、ほんのりとした香りが鼻をくすぐった。

 魔術師は私の表情を観察するように一拍置くと、ゆっくりと口を開く。


「俺の名前はフレデリック。どうぞよろしく」

「よろしくお願いします、フレデリックさん。その、今回の依頼内容についてですが……」


 私にも時間はないし、彼も忙しいだろうと思い、簡単な挨拶を終えた後すぐに本題に入ろうとする。すると、彼はフッと唇を歪めて笑った。


「大丈夫ですよレディ。依頼内容についても、その相手が誰なのかも。貴女様がここへ来ることも全て、分かっています。貴女の夫……皇子殿下はどうやら、只ならぬ大きな目的があるようですね」

「……目的、ですか?」


 言葉を絞り出しながら、私は彼の表情をじっと窺う。

 私の夫が皇子であると知っているということは、私の内情もすべて把握されているということだ。魔術師なんて一体どんな冗談かと思っていたが、エンディミオンの言葉は本当だったようだ。この人は只物じゃない。魔術に詳しくない私でもすぐに分かった。


「ええ。貴女がここに来る前に一度直接皇子を見てきました。一目でわかりましたよ、彼が魔術に手を出していることが」

「ま、魔術? 待ってください、何を言っているのか全く……」

「ああ、大丈夫です。追々説明いたしますので」


 フレデリックは静かに手を振ると、私の言葉を遮って話し始めた。


「いいですか、レディ。いくら俺たちのような魔術師でも、魔術で何でも扱える訳ではありません」


 彼は悠然とティーカップを手に取ると、それを傾ける。


「例えば、命を伸ばすことは決してできません」

「命……」


 とくん、と胸が鳴る。命という大きなもの。それは私の人生において、あまりにも大きすぎたものだ。


「うちは一応、健全な魔術師としてやらせていただいていますので。……しかし、魔法にも善と悪があります」


(さっきからこの男は何を言っているの? 善? 悪? 全く意味が分からない)


「黒魔術ですよ。皇子が隠していること、それは黒魔術の使用です」


 その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気が一気に冷たくなったように感じた。

 冷えた指先で、私はそっとドレスを握りしめる。

 ルイーズが魔術に手を出している? それも、禁じられた黒魔術に。


(まさか、そんなはずがないでしょう。誰よりも正義感に満ちたあの人が、黒魔術なんて……)


 本当ならすぐに否定の言葉を出したかった。

 黒魔法はロンバルディア帝国法で厳しく禁じられている魔法。

 だけど、少し前に彼の口から出た『命』という言葉が妙に私の心に引っかかり、上手く声が出なかったのだ。


「あの方は善人でしょう。見れば分かります。国のためなら命を捨て去れるような、そんな人間だ」


 フレデリックは淡々と告げる。


「なら、どうしてそんなことを」


 震える声で問いかけると、彼は静かに肩を竦めた。


「黒魔術は使用者への罰だけではありません。その周囲の人間、国にまで被害が及ぶでしょうね。それこそ、国民にまでも」

「……国民を何よりも愛する彼がそんなことをするはずがないわ」

「はあそうですか。別にどう捉えられようが構いませんが、これが真実です。あなたは真実を求めてここにやってきたのでしょう?」


 静かに放たれたその言葉が、心臓を深く締め付ける。


「ふむ。そうですね、例えば……」


 フレデリックは顎に手を添えて考えた素振りを見せた後、ポツリと言葉を零した。


「よっぽど誰かの寿命を延ばしたかったとか」


 パリンッ。

 ティーカップが私の手から滑り落ちる。

 割れた陶器の破片が床に散らばり、ハーブティーがじわりと染み広がった。

 私は、手を口元に当てた。体がひどく冷たくなっていくのを感じながら。


「……その顔は、心当たりがあるということですね」


 フレデリックの言葉に、私は答えることができなかった。

レティアが死ぬまで、あと七か月。


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 エンディミオンさん、実はお気に入りキャラなので、今回出番が増えて嬉しいです。
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