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叔父さんの昔話

作者: 藪犬


 僕の叔父さんは年中何処か放浪している。

 叔父さんは背が高く、顎髭(あごひげ)(たくわ)えていて、一見怖そうな顔をしているが、話をしだすと一変して優しそうな顔になる。


 僕は子供の頃そんな叔父さんがとても好きだった。一年に一回は実家にお土産を持ち帰ってきて、旅の話を語って聞かせてくれた。お土産も嬉しかったけど、旅の話の方が勿論好きだった。インドやドイツ、果てにはギニアだとかその他にも様々な旅の話を語ってくれた。僕は叔父さんの話を現実味を帯びたものにしたいと思って、地図をよく読み込んだものだよ。今じゃもう碌に思い出せもしないが、一つだけよく覚えている話がある。

 しかし、これは旅の話じゃない。叔父さんの昔話なんだ。

 

 それは確か僕が十歳の頃だった。叔父さんは旅の話をし終わって疲れているようだった。僕は叔父さんの話がもっと聞きたかったけど、流石にこれ以上疲れさせるわけにはいけないと思ったから、叔父さんに寝るように勧めたよ。でも、叔父さんは僕の勧めを断わったんだ。叔父さんがグイッと酒を(あお)ると、その目は疲れが吹き飛んだように爛々(らんらん)と光り出した。そうして語り出したんだ。


 「俺が十歳ぐらいだったの時の話をしよう。そう、丁度今のお前と同じぐらいだった。今の俺はこんなに大きいが、その頃は随分小さくてな、同級の奴らによく馬鹿にされたものだった。

 まあ、そんなことはどうでもいい。あれは、何月頃だったか、そうそう八月頃だった。

 夏真っ盛りの中、この家の裏山に空き地があるだろ? あそこで俺達はサッカーをしてたんだよ。ところが俺がへまをしちまった。ボールが思いもよらないほうへすっ飛んじまって、林の中へ入っていったんだ。

 そしたらみんな、俺が蹴ったもんだから俺に取りに行けって言うんだ。その中にはお前の父さんもいたよ。ごねてみたりしたが結局俺が取りに行くことになった。

 林の中は涼しかった。そこまで強く蹴った訳じゃないから、すぐ近くにあると思ったんだが、見つからなかった。

 林のさらに奥に踏み込んでみると、小道があった。不思議なのが誰も使って居なさそうなのに、ほどよく手入れされていたことだった。

 俺は何故かは分からんが、この道を辿ればボールがあるような気がして、ずんずんとその道を進んだ。直感を頼りにしているのはこの時から変わらんようだ。

 小道を辿っていくと、段々と様相が変わってきた。先ほどよりも鬱蒼と木々が生い茂っていて、あんなにカンカンと照りつけていた太陽も何処へやら、もう辺りは夜かと見まがう程に暗くなった。暗くなったかと思うと、周囲からは鳥か何かのけたたましい鳴き声。俺はそんなことにはびびらんぞと平気な顔をしてボールを探していた。しかしその声がだんだん近づいて来ることに気がついた。それでもボールが惜しくて探していると、後ろの方の茂みからガサゴソと音がした。そうしてそこからこの世の生き物とは思えない、腹の底から恐怖が湧き立つ声が聞こえてきた。

 もうボールのことなんぞ知るものかと、夢中で走り出した。走れば背後にぴったりと、笑うような泣くようなおぞましい声。鳥肌が全身に立ち、恐怖に身を震わせながら、ここで死んでたまるもんかと手を振り足振り肺を振り絞り、一歩も千里に思いながら駆ける。うねうねと曲がりくねったり、真っ直ぐだったりする道を様々なことに神経を尖らせる。そうまでしても、後ろの声はつかず離れずの距離にいる。

 目の前に日が差している場所が見えた。なぜかは知らんが、あそこにたどり着けば救われるような気がする。希望が湧いてきたと同時に、持てる力を振り絞る。後ろからは悪臭のする吐息が吹き付けられる。もはや前後も何もない、走るというより藻掻くような格好でそこに飛び込んだ。

 久しぶりに拝んだ日は今でも目に焼き付いている。あれ程お天道様をありがたく思った日はあるまい。不気味な鳴き声は遠ざかっていき、聞こえなくなった」

 

 叔父さんはここで言葉を切ってまたごくりと酒を呷る。そしてまた悠々と語り始めた。


 「俺は安心して腰を下ろしそうになったが、まだ先のある小道に向かって歩き出した。ボールのことはすっかり諦めていたんだが、さっきの道にはもう戻りたくなかったから、仕方なく前進するしか無かった訳だ。進んでいくと、一軒の古民家があった。

 警戒をするには疲れ果てていたから、何にも考えないで古民家の前まで来た。何故こんな辺鄙な場所に家があるのかとぼんやりと思っただけだった。

 俺は引き戸を思い切って叩いてみた。すると、中から足音が聞こえてきて、すぐに戸は開けられた。

 出てきたのは若い女だった。その頃は何とも思わなかったが、今思えば大変綺麗な女で、あれほど可憐な女は金輪際見ることはかなわぬだろうな。まあ、そんなことはどうでもいい。

 その女は俺を見て、驚いたように言った。

 (まあ、あなたどうしたのこんな所まで)

 俺がボールを探しに来たと言うと、

 (そんなら私が見に行ってあげますから、家に上がっていなさいな)と、こんな風に返して、俺を畳敷きの部屋へと連れて行った。

 部屋に連れて行くと、俺の体をじろじろと眺め回して、

 (あなた擦り傷だらけじゃない。治してあげるから、あんまり動かないで待ってなさい)

 その時になって気づいたが、俺の体は確かに擦り傷だらけだった。

 女は塗り薬を持ってきた。

 (これは良く効く薬だから、塗ったときに痛いのは我慢しなさいよ)

 俺は治療を受けながら、さっき起こったことを話した。すると、気の毒そうに、

 (あなた猿共に遊ばれたんだわ。全く、おふざけばかりするんだから)

 (あれが猿なことあるもんかい。あんな声で鳴く猿なんているもんか)

 (そりゃあ、それは・・・・・・)女は言葉に詰まって誤魔化すように、ボールを取りに行きますからじっといなさいと一言。

 そんなこと言われなくてもくたくたの棒の足。何処に行く気力も無くぼんやりと寝転べば、うとうと微睡(まどろ)むうちに寝入ってしまった。

 起きたときに気づいたのは、大変良い香りが辺りを漂っていることだった。そしてコトコト鍋の蓋、うむこれは飯だと合点して、寝ぼけ眼をぱちぱちさせた。

 しかし、起き上がる元気もないのでごろごろとしていると、女が入ってきた。

 (丁度良く起きたね。飯でも食ってから帰りなさい)出てきた料理は、汁物にご飯そして沢庵。坊さんの食事かと思ったが、口に運べば大層美味しい。特に沢庵が飯に合う。がっついて食う物だから、女は微笑みながらこちらを見ている。少しきまりが悪くなった。

 食べ終わると、外に出た。

 (これボールよ。私が送ってあげるから、あなたしっかりと手を握ってなさいよ)

 女は俺にしっかりとボールを持たせて、手を引いた。女は俺の一歩前を悠然と歩き出し、さっきの小道の前まで来た。俺は恐怖し、行きたくないと言ったが、

 (駄目よ。この道以外は帰れないんだから。大丈夫、私が付いているから)

 女は柔らかい手つきで、俺の頭を撫でた。夏だというのに手は冷たかったが、それ以上の優しい熱があった。

 俺達は歩き出した。行きに聞いた声も暗さもなく、何一つ変わらない道だった。しかし、長い長い道で、俺は学校のことや身の回りのことを話し終えると、手持ち無沙汰になって黙り込んだ。

 すると、女は自分の話をしてくれた。・・・・・・この話は殆ど覚えていないが、名前がトミだとか武家の子だとかそういうことを言っていた。

 そんな話をしているうちに、道の入り口が見えた。

 トミはもう来ちゃいけませんよと言っていたが、俺は明日また来ると言った。

 俺が小道から出て後ろを振り返って、トミに手を振った。トミも静かに手を振っていた。

 そうして空き地に戻ってきたが、皆そこにいた。俺は随分時間がかかっただろうによく待ってたなと言うと、皆首をかしげ数分しか経ってないと口を揃えていった。

 俺はそんなことはないと言おうとしたが、太陽が行く前と同じ場所にいるのに気がついた。

 俺は明日また行くと約束したから、昨日と同じ場所を探したが、木々が生い茂っているだけで道なんぞは一つも見当たらなかった」

 叔父は悲しそうな顔をして語り終え、この話が済んだらすぐに寝入ってしまった。


 それから十年が経って僕は二十歳になり、裏山はすっかり開拓されてしまった。僕はこの叔父の話を思い出し、裏山を散策していると、目立たぬ小道のようなのを見つけた。

 その小道は曲がりくねったり直線だったりして、長い長い道だった。そうしてその道を辿っていくと、一つのお墓があった。

 お墓は古ぼけていていたけど、よく手入れされていて、花立に華麗な菊がお供えされていたんだ。

 お墓には篠塚トミと彫られていた。これは僕と叔父の苗字でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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