縷々巷談
『ねぇ、知ってる? あそこの家の夫婦、毎年毎年、内緒で子供を産んでるんだって。で、年に一回の最高の贅沢とかいってその産んだばかりの赤ちゃんを食べてるんだってさ』
それは私が小学生の頃に学校で流行っていた噂。三十代後半になった今の自分からすればそれは如何にも子供らしい噂話であり、今聞けば鼻で笑ってしまう程に滑稽な話。不意にしてそんな昔話を思い出したのは、年に一度の恒例行事たる実家への帰省をしたが故であろうか。
「よう、久しぶり」
「おっ、久しぶり。いつ帰省ってきたんだ?」
「さっきだよ。お前はいつ帰省ってきたんだ?」
「俺もさっき帰省ってきたばっかだよ」
それは俗にお盆休みと呼ばれる季節。私の故郷は険しい山々に囲まれた山間地にあり、娯楽といえば山登りか散歩か小川での川遊びといった何の刺激も無い田舎の村だった。そんな村に帰省する度、私の心には変化が生まれていた。私は帰省の度に村を散歩するのを恒例としているが、実家にいた頃は何の気なしに見ていた山々の緑をやけに美しく感じるようになり、山の向こうに沈んでゆく夕陽に胸が張り裂けそうな思いを感じるようになり、何がある訳でも特徴があるわけでもないそんな村が何故だか愛おしいと、それは懐古主義なのかもしれないが何故だか帰省する度に村にいた頃が愛おしくてしょうがないといった気持ちが強くなってゆくのを感じていた。そしてこれまた恒例行事のようにして旧友と出くわし同じような会話をしながらあてもなく歩いてゆくのだが、これについては何ら懐かしくも愛おしくも感じることはなかった。
「あっ、この家……」
不意に足を止めた私の眼の前には崩壊の進んだ長塀があり、その崩壊した塀の隙間からは中の様子が容易に伺えた。
「ん? ああ、この家か。しかし随分と傷んでるな。人が住んでいない家ってのは急速に荒んでゆくんだなぁ」
この村は田舎であるがゆえに隣家までの距離が数十、又は数百メートル離れていても不思議ではないが、その家は最寄りの家からも一キロメートルは離れており、かつ人通りがほぼ無い細く荒れた村道を抜けた先に建っていた。それは意図的に人を寄せ付けないようにしていると言えなくもないような場所であり、変な噂がなされても致し方ないような場所であった。そんな場所に建つ家は武家屋敷のような長塀に囲まれた中にあり、それは豪商が建てたと言われても納得出来るほどの純和風作りの豪邸であったが、今では長塀もあちこちが崩壊し広大な敷地は雑草に埋め尽くされ、主役たる家はといえばツタが絡みつき壁のあちらこちらにヒビが入り、軒は歪み屋根には枯れ葉が積もり、窓ガラスは人の手によるものか自然によるものかは不明なれどもほとんどが割れ、それは廃墟マニア垂涎の佇まいという様相を呈していた。そしてその家こそが『毎年子供を産んでは年一回の御馳走と言って産んだばかりのその子供を食べる夫婦が住んでいる』と、そう噂されていた家だった。
「それよりもここに住んでた夫婦は?」
「さぁねぇ、事件が発覚する数ヶ月前に煙のようにして消えたって噂だぜ」
「そっか……。つうかどんな事件だったっけ?」
「確か子供が数人関係しているって噂で聞いたけどな」
「赤ん坊を食べてたって話じゃなくて? そっちは結局噂だけか?」
「う~ん、よく覚えてないけど、どちらにしても複数人の命に関する事件だったような」
「どちらにしても惨劇って感じだな」
「そういう訳でさ、捕まりゃ極刑は免れないだろうからって、何処かの山の奥深くへと逃げて夫婦揃って首を括ったみたいな」
「そうなの?」
「という噂」
「何だ噂かよ。しかし複数人の命を故意にどうこうしたとすれば、確かに極刑は免れそうにないか」
とはいえその行為が猟奇的な方法をもっての行為だとすれば逆に精神状態が正常ではなかったとして無罪を主張出来る材料にもなりかねない。実際、そういった主張が正しいものとして確定してしまうこともざらにあるわけで、いったい司法とは誰が為に何の為に何を目的に存在するのだろうかと考えさせられてしまう事もざらにあるわけで。
「つうかお前さ、ここに住んでたっていう夫婦の事、知ってるか?」
「中年の男女が住んでたらしいって噂は聞いた事あるけど、実際どういった人達が住んでいたかは知らないなぁ」
その家には相当な資産家が住んでいるという噂があった。とはいえその豪邸を見れば相当な資産家であることは想像に容易く、それが噂などではなく事実であろう事は明白であった。だがその豪邸の住人に関しては近所付き合いがほぼ無かったという理由もあって年齢や容姿といった情報は一切表に出てくることはなく、そもそも何人が住んでいるのか生業は何なのかすらも分からず、ただただ『中年の男女』という至極抽象的な噂があるのみだった。
「というかお前だって昔はこの村の住人だったんだからこの家の住人に会った事ないの?」
「それなんだけどさぁ……。俺、もしかしたら会った事があるような気もするんだよなぁ」
「随分と曖昧な言い方だなぁ」
「まあ子供の時の記憶だしな。で、その時にお前も一緒だった気がするんだけど、覚えてない?」
「俺が?」
言われてみれば会った事があるような気がしなくもないが、断片的とも言えない程の曖昧な記憶というかなんというか。そんな曖昧な記憶についての話をしている内に日も暮れて、私は旧友と別れ家路へと就いた。
「あの家の事って何か知ってる?」
帰宅して早々、私は父にあの家の事を訪ねてみたが、父は新聞に目を落としたままに無言を貫いていた。それは「あの家に関する質問はするな」と言われているような気がして、私は口を噤んだ。
翌日、特に用事も無い私は又も散歩に出かけると、再びあの家の前で歩みを止めた。
「おーすっ」
不意に声をかけられ振り向けば、それは昨日会ったばかりの友達。
「何だよ、お前も来たのか。つうか何で二日続けてお前に会わなきゃならないんだよ」
「何だよその言い方、親友だろうが、ははは。つうかこんな何も無い田舎じゃ何もする事がなくて暇で暇で」
「こんな忌まわしい場所位しか来る場所が無い程に何も無い村だからな、ははは」
「そういえば昨日の話、どうだ?」
「夫婦に会った事があるかってやつ?」
「そう、思い出した?」
「確かに会ったようなというか見たようなというか、そんな気がしなくもないというかなんというか……」
「俺もそんな曖昧な感じなんだよなぁ」
「でも今無理して思い出す必要もないだろ?」
「ん?」
「どうせまた来年、還ってくるんだから。その時に思い出せば良いんじゃね?」
「そうだな。つうか毎年こんな会話してる気がするな」
「そうか? 気のせいだろ、ははは」
「そうだな、ははは」
◇
とある平日の正午過ぎ、同じ会社のロゴ入りジャンパーを羽織った二十代後半と思しき二人の男性は、ロードサイドのラーメン屋でもってカウンター席に並んで座り、ラーメンを啜っていた。
「そういえばお前、こっちに来て何年経つ?」
「五年くらいかなあ。何で?」
「◯✕△村にある屋敷の噂って知ってる?」
男性は静かに箸を置くと、勿体ぶるようにして聞いた。
「◯✕△村? 何か聞いたこと有るような……ああ! 毎年子供を産んではその子を食べてる夫婦が住んでたってやつだろ? 誰に聞いたかまでは覚えてないけど、結構有名な噂なんでしょ? というかそれは噂じゃなかったって噂を聞いたような」
もう一方の男性はラーメンを啜る手を休めること無く答えた。
「そっちの噂じゃなくてさ――――」
「ああ、子供が殺害された事件のやつか」
「そう、夏休み中の惨劇ってここいらじゃ大事件だったってやつ」
「確か犯人は捕まってなくて迷宮入りとかって聞いたような。とりあえずその屋敷に住んでた夫婦が犯人らしいって聞いたような。結局、動機は何だったんだろ。自分の子供だけじゃ食べ足りなくて他の子供まで襲ったって事?」
「いや、どうも子供達が自らその家に忍び込んで夫婦に見つかった所を襲われたって噂」
「忍び込んだ? 不法侵入っていう意味?」
「恐らくは子供を食べる夫婦がいるっていう噂を聞いた子供が好奇心に駆られて忍び込んだんだろうって」
「そうなの?」
「そういう噂」
「噂か……。まあ、子供達は亡くなり犯人も見つかってないんじゃ確かな動機は分からないか。つうか子供達もちょっと迂闊だったよな。肝試し的に廃墟に侵入ならまだしも、人が住んでいる家に忍び込むってのは、さすがにまずいよな」
「刺激的な噂だったからな」
「そうかぁ?」
「三十年も前の話だし。その時代にあんな田舎の村でそんな噂が流れたとしたら子供なんて飛びつくでしょ。それにその頃の村は他人の家に無断で上がり込むなんてよく有る事だったらしいし」
「ああ、そういうことかぁ」
「とはいえ、まさかそんな結果になるとは子供達も夢にも思わなかっただろうけど」
「そうだな」
「で、その子供達、手足だけが食べられ、胴体と首は中庭に放っておかれてたって」
「まじ?」
「そういう噂」
「噂か。っていうか食事中なんだけど……」
「それも生きたまま手足をもがれたって」
「げげげ、まじで?」
「そういう噂」
「それも噂かよ! っていうか、わざと食事中にそんな話してるなお前……」
「更にその中庭には赤ん坊の骨がそこいら中、大量に捨てられてたんだって」
「げぇ……まじで?」
「そういう噂」
食べる手を休めていた男性は、再び箸を手にラーメンをすすり始めた。
「又も噂かよ! でもその噂が赤ん坊を食べる話が実は本当だったっていう噂の元になってるのかもな。俺が聞いたのは殺された子供達が毎年お盆の季節になると還って来るっていう噂。それも成長した姿で還ってくるとかいう」
「そうそう、それそれ」
「つうかその家、まだ残ってるんだろ?」
「見た目はツタが絡まったり軒が歪んで今にも崩れそうらしいんだけど、大黒柱とか中の部材は良い材料を使っているとかで見た目に反してまだまだ持つだろうとかいう噂を聞いた」
「つうかそんな忌まわしい家、とっとと行政が壊せば良いだろうに。持ち主は行方不明の夫婦なんだろ? その状態で何十年も経ってるんだろ?」
「以前に行政代執行とかで壊そうとしたらしいよ。でも解体工事の関係者や指揮した行政職員に突然不幸が訪れて延期になったらしい」
「まじで?」
「でもそれは偶然だろうって事で再度壊そうとしたら又も関係者に不幸が訪れて、それからは解体を請け負う業者も現れず職員も関わりたくないとかで結局行政は何も出来ず今に至ると」
「そうなの?」
「そういう噂」
「またも噂かよ……。しかし毎年殺された時期に実家に現れるって、まあ『お盆』ってのはそういう意味でもあるらしいけど」
「親御さんは毎年楽しみにしてるんだって。息子が成長した姿で還ってくるってね」
「成長する幽霊ってなんだよ。つうかどうせ噂だろ? つうか噂多過ぎ」
「あの村は幽霊が溜まりやすいって噂だし、風水的にも良くないとかいう噂だし、そんなのもありなんじゃね?」
「まあ、所詮は噂だしな。つうか噂だらけだな」
「でも殺された子供が仲良く並んで歩いている姿を見たってやつがいるって噂もあるし」
「だから噂だろ? う・わ・さ」
2024年07月28日 初版
「夏のホラー2024」企画投稿作品/テーマ「うわさ」
※縷々巷談というタイトルは下記の言葉を繋げた造語です
縷々:絶えること無く長く続くさま
巷談:噂話、世間話