第73話 マザー
カッツェの碑文を見て、幾つか懸念が出来てしまった。
一つ、この碑文に遺された世界の欠陥について。
それがどんなモノかは解らないが、少なくとも、これが原因で問題が起き続けるらしい事。
改善しようとして出来なかったと言う文言を見るに、簡単には直らない致命的なものなのだろう。
それも、世界そのものにある欠陥と言うのだから笑えない話だ。
アリアが転移したのも、もしかしたらそれに由来したものなのかもしれない。
二つ、少なくとも、過去に転移者が存在した事。
魔銃も彼等が作った武器なのだとすれば、現代兵器のような物も遺されているのかもしれない。
そうなれば、それ自体が大きな被害を呼ぶ事も考え得る。
こうした碑文が他にもあるのだとすれば、そうした兵器について記された碑文もあるのかもしれない。
…つまり、すでに誰かが見つけている可能性すらある。
三つ、現在のこの世界について。
もしそうした転移者が存在したのだとすれば、この世界の文化レベルはあまりに低い。
例え転移者に影響力が無かったのだとしても、便利な物を作れば自然と広がるものだ。
だと言うのに、少なくともアリアが見掛ける範囲ではそう言った技術が見られない。
(辺境伯邸での情報も合わせれば、一つの仮説が浮かび上がります)
過去の大戦時にこれらの技術も失われてしまった可能性。
(――――――だとすれば、過去に存在した魔王と言うモノは、それだけの力を持っていたと言う事になります)
転移者達が作った物の中には、恐らく武器もあったのだろう。
推測の域を出ないが、恐らく魔銃もその名残。
そうした武器類があったにも関わらず、歴史が失われるほどの被害が出ているのだとすれば、過去の大戦がどれだけ凄惨なものであったのかと言う話になる。
いや、そうした武器類が返って状況を悪化させたのかもしれない。
…そして、もし魔王の出現が世界の『欠陥』によるものなのだとすれば。
その『欠陥』が、今も尚是正されずに残っているのだとすれば。
これからも、似たような被害が出てしまう危険がある。
(そうであるならば、錬金術も失われてしまうかもしれません)
過去、存在した技術が失われたように。
AIにとって――――いや、『アリア』にとって、それは受け入れ難い未来だ。
後世へ残すために奔走しているのに、それが無駄になってしまうのだから。
「―――――…おい、人の話聞いてるか?」
「いえ、聞いていませんでした」
「正直に言えば許されると思うなよ? そっちじゃねぇってんだよ」
アリアの首根っこを掴み、カッツェが引き戻す。
難しい事を考えながら歩いていた為か、全然違う方向に向かっていたらしい。
アリアは今日、様々な事を知ったが、結局のところ重要部分の情報が足りない。
世界の欠陥についてもそうであるし、過去の転移者にしても何も解らないのだ。
そこで本屋のような場所は無いかと尋ねた所、カッツェがお礼替わりに案内してくれる事となった。
辺境伯邸ほどの情報がその辺の本屋で手に入るとは思えなかったが、新しい情報の一つぐらいはあるかもしれない――――そう考えての事である。
「こちらの道に行くと何があるんですか?」
「そっちは教会だ」
「教会…」
「孤児院も併設されていますね。店などは無かったと思います」
アリアの質問にカッツェが答え、それにシェーラが補足する形で会話が進む。
(教会ともなれば、過去の出来事が神話として伝わっているのかもしれませんし、聞いてみる意義はあるでしょうか)
「では、行きましょう」
「だからなんでそっちなんだ」
本屋に行くと言う話はどうなったのか、教会に向かい出したアリアを見て、カッツェが大きく溜息を吐く。
文句を言うでもなく続くシェーラを見て、『お守も大変だな』と黄昏るカッツェであった。
◆
教会の前に立ち、その風貌を見上げるアリア。
荘厳であったろう見た目は古めかしく、長らくこの地を見守って来た歴史を感じさせた。
所々修繕の跡はあるものの、それでも完全ではない所を見るに、あまり経営状態はよろしくないらしい。
(確か、辺境伯家から支援が出ているはず。――――とは言え、辺境伯家自体が火の車では、こうなるのも必然ですね)
門の前で立ち止まっているアリアに、子供達の賑やかな声が届く。
孤児院が併設されていると言う話から、恐らくは孤児達の声なのだろう。
「…この街には、孤児が多いのですか?」
聞こえる声は数人と言う規模ではない。
想像よりも多い子供の声に、アリアの目が細められる。
「ん? まぁ、グロームスパイアの真ん前だからな。魔物の被害なんて日常茶飯事だし、魔物退治に行って帰って来ない奴等だって居る。孤児なんて珍しくもねぇよ」
魔物が実在する世界の現実など、結局は弱肉強食なのだろう。
個の力で魔物に劣る人類は、集団と言う力によって生き残っているのだ。
単独で隙を狙われれば、待っているのは絶対的な死である。
(―――――……魔物、滅ぼしますか)
「わん!?」
人と在る事に存在意義を見出すAIにとって、これは憂うべき事態だ。
とは言え、考えが極端なAIである。
「あら? どちら様――――ああ、カッツェじゃないの」
門の前で佇む三人に目を止め、シスターの恰好をした女性が歩み寄る。
歳の頃は五十代。
どこか包容力を感じさせる女性だ。
三人の内、カッツェに目を止めた女性は、その顔に慈愛の表情を浮かべた。
「よう、マザー。元気か?」
「アンタは何時も突然帰って来るんだから。もう少しマメに顔を出しなさいな」
「俺だって忙しいんだぜ? 今日だって別に帰って来た訳じゃない。単なる付き添いだ」
マザーと呼ばれた女性は、カッツェとそんな世間話を始めてしまった。
どうやら二人は親しい間柄であるらしい。
「お知り合いですか?」
「ああ。俺も孤児院の出身だからな」
「私はここの責任者でエリンよ。みんなはマザーって呼んでるわ。よろしくね、可愛らしいお嬢さん方」
そう微笑むエリンに、アリアとシェーラも挨拶を返す。
カッツェにとっては母親のような人物なのだろう。
粗暴な印象を与えるカッツェも、彼女の前では少し丸くなったように感じられた。
「私はアリアです。少しお話を伺いたくて参りました」
「話を?」
「はい。教会に伝わる神話や伝承などを教えて頂ければと思いまして」
また変な事を聞く娘だ。
エリンはそう思いつつも、目立つ見た目の少女を受け入れる。
「―――――……?」
迎え入れたアリアが横を通り過ぎる際、彼女の表情に小さく困惑の色が浮かぶ。
不思議な少女から、何やら神聖な気配を感じた気がした。




