第72話 碑文
ある程度の情報収集を終えたアリアは、カッツェの話を聞く為に冒険者ギルドへ急いでいる。
シェーラを伴って歩きながらも、アリアは再び情報の整理を進めていた。
オード辺境伯が治めるイオニス領について。
人族の領地、大陸の北側に存在する国の一つ、ロックス王国に属する最南端の地である。
ロックス王国は大陸北西部にあり、魔族領と接しているのはグロームスパイアのみ。
そのグロームスパイアからロックス王国を守るようにして存在しているのがイオニス領なのだ。
今はグロームスパイアからの魔物に警戒して、と言う意味合いが強いのだろうが、当初この地が置かれた背景には、魔族領との関係もあったのだろうと推察された。
アリアはそんな思考をしながら街中を歩いている訳だが、人通りの多い場所をメイドが歩く様は中々に目立つ。
気を使って私服姿で来たシェーラの方が、上手く紛れていると言えるだろう。
護衛対象が目立つと言うのは、中々に頭の痛い問題だろうが。
(魔法についても学びがありました)
辺境伯邸の図書室で、魔導書を見つける事が出来た。
基礎の基礎が書かれていただけであったが、幾つか面白い記述を見つけた。
(この世界での治癒魔法、強化魔法は、あくまで自分自身に使う為のもの)
魔力の浸食現象について、ようやく学びを得たアリアである。
魔力と言うのは、個人により特色のあるもの。
他者の魔力が体内に入ると言う事は、他者の魔力によって自分が浸食されている事に他ならない。
故に、他者に掛ける回復魔法や身体強化魔法は成立しないのだ。
あるとすれば、表面上の強化を行う程度…薄くバリアを張るような魔法なら存在し得る。
(あの熊さんには悪い事をしてしまいました)
道理で苦しむ訳である。
ここに至って、ようやくその苦しみを理解したアリアであった。
同時に、モリィが言っていた『錬金術師がやらかした』件についても理解が及んだ。
錬金術師の薬には、作成者の魔力が込められる。
この魔力が使用者を侵食しないようにするのが錬金術の初歩であり、奥義。
…つまり、正しく作られなかった錬金術の薬は、使用者を侵食する恐ろしい薬となるのだ。
一番恐ろしいのは、魔物の素材を使っていた場合。
魔物の素材は、本体から切り離されていたとしてもその魔力を長く遺す。
その魔力を正しく処理していなかった場合、魔物の魔力に人が浸食される事となる。
そうなれば、人が魔物に変わってしまう事すら在り得るのだ。
ただ…とアリアは考える。
絵本のようなものではあったが、初代魔王を倒した勇者の話があった。
その中で、聖女と呼ばれる存在が勇者に魔法を掛けて強化したような描写がある。
これが他者に掛ける強化魔法なのだとすれば、未だ知られていない魔法の使い方があるのかもしれない。
(図書室で集められる情報は、この辺りが限界ですね)
もっと大きな図書館などなら可能かもしれないが、辺境の地ではあまりに情報が少ない。
自分がこの世界に転移した理由や、その原理については何も解らないままであった。
◆
冒険者ギルドに辿り着いたアリアは、受け付けにカッツェの事を尋ねる。
現在、裏手で魔物の素材を解体しているそうで、呼びに行ってくれる事となった。
その間、アリアは冒険者ギルドの中を見回す。
冒険者ギルドの中は酒場と併設されているらしく、この時間は昼食を食べながら依頼の相談をする冒険者の姿が多く見られた。
…多少こちらを気にしている気配があるものの、アリアに絡んで来るような冒険者は居ない。
テンプレートのようなイベントが起こるのではないかと警戒していたアリアであるが、何も起こらず仕舞いであった。
…すでに、自分の色々な噂が広がっており、遠巻きに見られているなどとは知らないアリアである。
「よう、アリア。碑文を見てくれるって?」
「こんにちは、カッツェさん。時間が空きましたので、お伺いしました」
そう言いながら、アリアは懐から書状を取り出す。
「それと、こちらを受け取って来ましたので、お読みください」
「ん? なんだ、ソレ?」
書状を受け取ったカッツェは、その封を見る。
溶かされた蝋にマーキングされているのは、辺境伯家の印。
どうやら、辺境伯家からカッツェに当てた手紙であるらしい。
「冒険者ギルドに行くと連絡した所、家令のハンスさんよりカッツェさんへと受け取りました」
「ふぅん…?」
訝しく思いながらも、表面上はなんとも無い様子でカッツェは封を開く。
目を通せば、ご挨拶から始まり、活躍を褒める内容が続く。
この辺りは社交辞令だと目を滑らせて行けば、ようやく本題に行き着いた。
……要は、辺境伯家へのお呼び出しである。
「…俺、何かしたっけ?」
「詳しい内容は存じません。直接お伺いください」
辺境伯家からの呼び出し。
目的は、カッツェの口封じ…もとい、味方へ引き込む為の打診である。
畑の事を知ってしまったカッツェが余計な事を言う前に、さっさと味方にしてしまおうと言う腹であった。
「……ま、いっか。で、碑文についてだったな。持って来てあるから、実際に見てくれ」
そう言って、カッツェは自らのバッグを漁る。
冒険者の中には、ギルドに設置されている宿泊施設で生活している者も多い。
カッツェもその一人で、アリアの元に来る前に、自分の部屋から碑文を持って来ていたのであった。
手渡された碑文は、変わった手触りの石に文字が掘られた石板であった。
一目見て、珍しくアリアの表情が変わった。
目を見開いて、驚きを見せたのである。
この石がどのような材質か、どうやってこんなに綺麗な文字を刻んだのかと言う疑問があるものの、アリアが注目したのはそこでは無かった。
「どうだ? 読めそうか?」
近くのカウンターに寄り掛かりながら、カッツェが飲み物を頼む。
そうして視線を戻した先では、アリアがゆっくりと口を開く所であった。
「―――――『この世界には明確な欠陥がある。改善しようとした形跡はあるが、完全に解決するには至らなかったのだろう』」
言葉の前が欠落していて読めないが、最後の方には名前の掘られていた形跡がある。
これを残した人物の名が刻まれていたのだろう。
もっとも、こちらも欠落していて解読は難しいが。
「うお、アンタすげぇな! 誰に聞いても読めなかったのに!」
「いえ、これは――――」
「でも残念だな。お宝の在処でも書いてあるかと思ったんだが、書いてあるのは詩だったか」
なんと続ければいいか迷い、アリアは口を噤む。
カッツェには告げていないが、この碑文には続きがある。
アリアは視線だけでその文章を読み、自身の予想が当たった事を確信した。
この世界には、幾つか不審な点があった。
例えば、天ぷらを作った時、ナッシュは天ぷらの事を知っていた。
銃を作った時、似たような武器があるのだと知らされた。
それらの経験から、もしかしたら……自分以外にも転移者が居るのではないかとは思っていたのだ。
その答えがこの碑文であった。
書かれていた内容はともかく、問題はその文字。
日本語で書かれていたそれは、ご丁寧に英訳された文章まで付け足されていた。
(そして、最後の文章――――)
その文字を撫でるように触れ、アリアは目を細める。
この碑文は―――――。
『この欠陥の所為で、この世界には問題が起き続ける。協力者を見つけ、問題解決を目指せ。願わくば、この文章が俺達のような転移者の目に止まる事を祈って』
同じ転移者が遺した、アリアのような者に向けた碑文であった。




