第70話 日々の疲れ
「……こりゃあ……」
口を開くも言葉に詰まったのはナッシュであった。
目の前にあるのはアリアの料理だ。
メニューはそれぞれ、クリームスープ、ソースの掛かった野菜の盛り合わせ、カリっと焼いたパンとオリーブのタップナード、野菜シチュー、マッシュポテト、ロースト野菜のローストが並び、デザートにはアップルクランブルとケーキが添えられている。
飲み物もフルーツジュースとミルクティーが用意され、クレアと同じ年頃の子女には喜ばれるだろう。
ナッシュはその全てを試食すると、ううん、と唸る。
「…こんなもんどうやって作ったんだ? 材料が無いだろう?」
「砂糖の代わりにグロームスパイアで採れたメープルシロップを使っています」
「ミルクやバターは?」
「ミルクはアーモンドや大豆などから作っています。バターに関しましては植物油脂と塩を混ぜた物で代用しています」
そう言われ、もう一度ミルクティーを口に含むナッシュ。
確かに動物由来のミルクと比べれば、少し違和感はある。
とは言え美味い事に変わりはなく、人前に出せるレベルには十分到達しているだろう。
「前回は時間が無さ過ぎて作れませんでしたが、準備期間があればこれらを作る事が可能です」
前回不満を残した試食会であったが、その後様々な準備を行い、今日に臨んでいる。
準備された食材は全て植物由来の品物であり、畑で採れた物だけを使用している。
アリアの知るヴィーガン料理の知識を総動員した作品群であった。
「肉類に関しては、グロームスパイアで狩りをするより無いかもしれません」
「あんな場所で狩りなんて……いや、お前さんは出来るのか…」
もしくは、魔物を食べる事は出来ないのだろうか。
アリアがそんな不穏な事を考えると、膝の上でアップルクランブルを食べていたフォックスが動きを止めた。
とうとう直接食べる算段を始めたのか、そんな思いでアリアを見上げるのである。
そんな事には気付かないまま、アリアはフォックスのブラッシングを続ける。
「これは錬金術とは関係無いのか?」
「はい。必要であればレシピをお教えしますが…」
「是非頼む。これさえありゃあ、レパートリーが一気に広がる」
辺境伯邸での料理の質が大きく上昇する案件である。
アリアとしてもそれは望む所であるし、フォックスも目を輝かせて頷いていた。
「解りました。では、後ほど手順を認めておきます」
「頼む。…へへ、腕が鳴るな」
そう言って笑うナッシュの頭の中では、様々な料理の案が浮かんでいた。
これまでは作りたくても作れなかったあれやこれやが、今まさに実現しようとしているのであった。
こうして笑っている顔には純真さすら感じられ、彼が根っからの料理人である事を物語る。
「アリアはここか?」
そんな中、キッチンに現れたのはロブであった。
並んだ料理を見て『ほう』と呟きながらも、それには触れずアリアへ視線を向ける。
「今日もロブの所へ行くんじゃろ? そろそろ準備をして来い」
「解りました。ではナッシュさん、今日はこれで失礼します」
そう言って頭を下げると、アリアはパタパタとキッチンを出て行く。
「…最近、妙に忙しそうじゃないですか?」
「ロブの所でも色々作っているのでな。少しは休むように言っているのじゃが…」
消えたアリアの方向を見ながら、二人はそんな事を呟いていた。
◆
「ロドニーさん、そちらはどうでしょうか?」
「いや、悪くねぇ。こんな素材を贅沢に使える日が来るとはなぁ…」
感傷に浸りながらも、ロドニーはその手を止めない。
張られた皮は、純白の色となってドレスを彩る。
それを満足そうに見つめると、うん、と一つ頷いて見せた。
「……お主ら正気か?」
そんな二人を遠巻きに見つめるのはロブである。
一体何が起きているのかと言えば、クレアのドレスが大元であった。
イオニス領では、残念な事にドレスの仕立て屋など数えるほどしかない。
ここで重宝されるのは武器や防具…オシャレをするには向かない地なのである。
そんな中で、クレアのお披露目に相応しいドレスなど用意する事は難しいのだ。
つまり。
『無ければ作ればいい』を実践しているのであった。
「そうは言うがよ、これほど相応しいドレスもねぇぜ?」
「イオニス領と言う土地柄、この地を守るオード辺境伯家の次期当主に相応しいドレス…それらに完全に合致していると言えるでしょう」
「そうじゃろうか…」
彼等の前にあるのは華々しい色合いのドレスだ。
いや、『恐らく』ドレスだ。
薄い緑色を基調とし、金色の縁取りや柄が刻まれ、高貴さと健康をイメージされている。
貴金属も同時に作成されており、銀色の髪留めや各種宝石類なども良い物が揃えられていた。
ここまでなら何も問題はないだろう。
では、ロブが気にしているのは何か。
「これは…戦闘用ではないのか…?」
「違います。『戦闘にも使える』ドレスなのです」
何を言っているのか解らないとばかりに、ロブは頭を抱えた。
「戦闘に使える必要性はどこに…?」
アリア達が作っているドレスは、バトルドレスとでも言える代物である。
レースの下に隠されてはいるが、胸元にはワイバーンの鱗が使われている。
腰回りはワイバーンの皮、レース自体もアラクネと言う魔物の糸を使用していた。
「素材がいいと作る方にも力が入るな」
「アラクネは近寄ろうとすると糸で壁を作るので、回収は簡単でした。ワイバーンの素材も、脱皮したばかりの皮があったのでまるまる持ち帰りました」
アラクネはアリアでなければそんな対応はしない。
逃げられないと察して糸で壁を作り、恐怖から引き籠っていただけだ。
ワイバーンの皮も本来なら自ら食べてしまうものだが、ワイバーンはアリアの接近に驚いて、皮を食べる前に逃げてしまったと言うだけの話である。
急に逃げたもんだから、新しい鱗が数枚剥げてしまっていた。
その慌て様が目に見えるようである。
「くぅん…」
それを知ってか、哀愁の思いでグロームスパイアを見上げるフォックスであった。
ちなみに、金色に染色された糸はフォックスの毛である。
不思議な事に、染色さえすれば他人の目にも映るらしい。
屋敷で鬼ごっこをした件の後、お互いに譲れない物を感じた二人は、折衷案としてブラッシングして抜けた毛は自由にしていいと言う話に着地した。
…それで済むなら最初から暴れるなと言う話であるが、二人とも必死だったのである。
いや、必死で逃げるフォックスに対し、アリアはフォックスが逃げるから追っていただけだが。
「クレア様でも着られるよう、軽い部分を厳選して使ってる。普通のドレスと比較しても重さは変わらんぜ」
「そこを心配している訳ではないのだが…」
「耐久力に関しては普通のドレスなど歯牙にも掛けない出来です」
そう言うアリアの目元にはクマが出来ていた。
ドレスに使われているレースであるが、全てアリアの手織りである。
一日で仕上げる辺りはさすがであるが、さすがに寝る暇は無かったらしい。
「…お主、少し寝たらどうだ?」
「もう少しで完成しますので、そこまで済ませてから休むとします」
これを作り始める前には、ナッシュと試食の為の料理作りをしていたし、その後はドレスの作成作業だ。
休憩さえロクに取っていない。
普段は疲れさえ見せないアリアであったが、さすがに無理が祟ったのか、『ふわ…』と欠伸して見せた。
「別に急ぎのもんじゃないんだろう? 寝不足じゃいいもんも作れんぞ。休むならさっさと休め」
「そう言うものでしょうか…」
ゆらゆらと揺れるアリアは、今にも寝落ちしそうな様子である。
「…全く、今日は終わりだ。帰るぞ」
仕方なしとばかりに、ロブが抱え上げればアリアは一瞬抵抗したものの、あっさりとロブの腕に収まった。
「自分で歩けます」
「歩きながら寝そうな顔で何を言っておるか。ロドニー、邪魔をしたな」
「おうよ。後は俺でも何とかなるから、明日にでも覗きに来い」
「……解りました」
多少不満そうな声色で、それでも頷いているアリア。
手の掛かる孫娘のようで、ロブは苦笑を浮かべたのであった。
◆
「…で、帰って来る間に寝てしまったと」
「そうじゃ」
ロブは、腕の中でくぅくぅと寝息を立てるアリアを、仕方ないものを見るような目で見つめる。
普段隙があるのか無いのかよく解らないアリアであるが、この瞬間だけは完全に無防備であった。
「グレイスよ、部屋まで運んでやってくれんか?」
「仕方ありませんね」
ロブが眠っている少女を部屋に運び込むなどすれば、色々と噂になって面倒も在り得る。
それを察してグレイスが頷き、アリアを受け取った。
そして、彼女を背負おうとした所で眉間に皺が寄った。
「…どうした?」
「いえ…なんと言うか、軽いな、と思いまして」
ロブからすれば女性の重さなど似たような物と思っていたが、グレイスからすれば軽すぎるぐらいには軽い。
いや、恐らく本当に軽いのではなく―――――。
「…いえ、部屋へと運んでおきます」
「ああ」
あれだけの事をする人物が、ただの少女なのであると…この時、グレイスは初めて実感したのであった。




