第59話 恋
『いえ、誰も通すなと言われていますので』
話し合いが終わった後、アリアは真っ直ぐにウリネの元へと向かった。
どうにも腑に落ちない事があったのだ。
それをウリネに確認してみよう、そう思い立っての行動。
だが、それは警備に当たっていた騎士に止められてしまった。
アリアは特に反論する事なく、その場を去った。
――――かのように思ったのだが。
「こんばんは」
「うひゃい!?」
毛布に包まっていたウリネが素っ頓狂な声を上げた。
振り向けば、そこには窓からの侵入者が。
侵入者は月明りに照らされ、その髪が銀色の輝きを反射していた。
魔の者にさえ映るその美しい姿は、しかし、ウリネの記憶にある人物を想起させる。
「ア、アリア!? アンタ―――――むぐっ!?」
「騒ぐと警備の人に聞かれてしまいます」
窓枠に座って居たはずのアリアは、ウリネが声を荒げると一瞬で間合いを詰め、ウリネの口を塞ぐ。
これが暗殺者であれば、今のでウリネの命は失われていた事だろう。
素人とは思えぬ、手際の良すぎる制圧であった。
「少し確認したい事があるのです。用が済めば退散します」
そう言いながら手を離すと、ウリネが大きく息を吸い込んだ。
そして言葉を発する事なく、アリアを横目で睨みつけた。
どうやら騒ぐ気は無いと察し、アリアは言葉を紡いだ。
「貴女の行動には疑問があります。今回の件、何故クレア様の部屋に押し入ろうとしたのでしょうか?」
「………アンタには関係ないでしょ」
「私はクレア様付きのメイドです。無関係とは言えないでしょう」
「……」
一理あるとでも思ったか、ウリネは決まりの悪そうな表情を浮かべて顔を背けた。
アリアが顔を覗き込もうとすれば、ウリネは再び顔を背ける。
そんなイタチごっこを数度繰り返すと、ウリネは大きく溜息を吐いた。
「…セーラもアンタも居ないって聞いたから、お世話しようとしただけよ」
「対応はグレイスさんに一任されていたはずですが」
「…メイド長だって暇じゃないでしょ? 手が回ってないんじゃないかと思って…」
ウリネは目を合わせようとしない。
嘘の吐けない性格のようだ。
「嘘ですね」
アリアはかつて、様々な用途で使用されて来た。
その中には、尋問中に対象が嘘を吐いているかを判断する役割もあった。
本気で見抜く気になれば、彼女を騙し切るのは難しい。
……相手が嘘を吐く可能性がある、と言う事実に気付かなければ、そもそも見抜こうとすら思わないのが問題だが。
「……別になんだっていいでしょ? これだけ騒ぎを起こしたんだもの。どうせクビだわ」
そう言ってウリネは自らの腕の中に顔を埋めた。
どこか弱々しいその態度と、アリアの記憶にあるウリネの性格とが噛み合わない。
まるで親と逸れた幼子のように思えて、アリアはそっとウリネを抱き締めた。
「な、何よ?」
「抱き締める事によりオキシトシンが分泌されます。オキシトシンには不安や心配などを緩和してくれる働きもあるそうです」
「お…きしと…? 相変わらず訳わかんない奴ね」
多少は効果があるかと思われた行動であったが、あまりウリネには意味が無さそうである。
仕方なしと更に強く抱き締めれば、ウリネが『ぐふ』と息を吹き出した。
「く、苦しい苦しい! 骨! 骨がミシミシ言ってる…!! 解ったから! 話すから!!」
「おや、失礼しました」
……アリアの意図はどうあれ、ウリネから話を聞く事は出来そうである。
ごほごほ、と軽く咳き込みながら、ウリネは半開きの目でアリアを睨む。
だが、アリアはウリネを抱き締めたままで、抵抗したところで無意味なのは目に見えていた。
「別に大した話じゃないわ。…本当に聞きたいの?」
「はい」
即答するアリアを見て、ウリネは渋々諦めたようだった。
ここに来て一番の溜息を吐いて、ウリネはアリアから目を反らす。
「……お役に立ちたかったのよ」
「お役に? …クレア様のですか?」
そう問い返せば、ウリネは小さく首を振る。
「アンタが知ってるか知らないけど、私の親は魔物に殺されたの。…私もはっきりとは覚えてないんだけどね」
確か騎士団に救われたとロブが言っていたはずだ。
そう思い頷くアリア。
「覚えてるのは、赤く血走った大きな目。両親の最期がどうだったかすら思い出せないわ」
目の前で両親を亡くしたのだ。
思い出せないほどのショックを受けたとしても不思議はない。
アリアは何も言わず、ただウリネを抱き締める。
「…でもね、一つだけはっきりと覚えてるの」
「それは?」
「もう駄目だって思った時、騎士団がやって来て助けてくれた事」
それはウリネの記憶に深く刻み込まれた。
魔物の爪が振り下ろされる間際、横合いから現れた騎士がそれを防いでくれた事。
騎士団を率いていた人物が自分を守るよう指示を出し、自らを盾として立ちはだかってくれた事。
…そして、その大きな背中と、魔物と渡り合う勇姿を。
「――――……あれが、ずっと目に焼き付いて離れないの」
それは憧れ。
物語に語られる英雄譚のような、熱い衝撃。
「…あの時、魔物の攻撃を防いでくださったのがハンス様。騎士達に指示を出して、私を庇ってくださったのがライオネル様」
「……つまり、ハンスさんやオード辺境伯の役に立ちたかったと?」
ウリネは視線を下げ、小さく頷く。
「…自分がメイドに向いてないなんて知ってるのよ。孤児院出の平民が何かしようなんて烏滸がましいって事も」
恩とは、時に大きな原動力となる。
それが紡いだ歴史と言うのもアリアは知っていた。
そんな事に思いを馳せていた所為か、この後の台詞で一瞬思考がフリーズした。
「ハンス様は独身だし、ライオネル様の奥様も早くに亡くなられているし……夢ぐらい見たっていいじゃない」
「――――……はい?」
「その為に少しでも顔を覚えて欲しかったのに……」
アリアと、二人を見守っていたフォックスが顔を見合わせる。
話の流れが、想定していた方向から外れだした。
「ええと……」
「無謀だって言いたいんでしょ? 解ってるわよそんなの。ライオネル様なんて現辺境伯家当主。ハンス様だって貴族家の出だもの。平民…それも、孤児院出の私なんて釣り合わないわ」
そこじゃない、とフォックスが首を振る。
見た所、ウリネは十代中盤…アリアと同年代だ。
対して、今名前の出た二人は五十代。
正確な歳までは解らないが、平均寿命を考えればこちらの世界で老人に分類される。
「それはもしかして、お二人に発情していると言う事でしょうか?」
「発…言い方を考えてよ!」
「…生殖本能、いえ……欲情?」
「恋よ!」
「恋……異性に愛情を向けている状態と言う事ですか?」
「他に何があるのよ!?」
そんな事より歳の差に驚け、と言う思いでフォックスが見つめるが、アリアとウリネの会話はそこに着地しなさそうである。
元々、歳の差婚なども見て来たアリアなのだ。
今更そんな事で動揺などしない。
異世界人としての感覚が、そこに疑問を感じさせなかった。
恋と言う感覚が理解出来ない事により、そちらへの興味が勝ってしまっている。
「こちらでは一妻多夫も許されているのでしょうか?」
「出来るわけないでしょ。っていうか、そもそも結婚なんて出来る相手だと思う?」
ウリネとて常々相手が悪いとは思っていた。
所詮は憧れ。
だが、そこで止まれないのが恋する乙女なのである。
……まぁ、それをアリアが理解出来るかと言われれば否なのであるが。
「…最近は特にお疲れのようだったし、少しぐらい支えになれれば…なんて、あれこれ空回ってさ。結局この有様よ。……きっぱり諦めるには、丁度いいのかもね…」
数秒の沈黙。
静かになった室内に、ただ月からの光が降り注いでいた。
「……本当にそうでしょうか」
「…何が?」
「少し話をして来ます」
思い立ったらすぐ行動。
相変わらずのアリアに対し、ウリネがメイド服を掴みかかる。
先ほどまでアリアが抱き締める形だったのに対し、今度はウリネが抱き締めるような形で二人は揉み合った。
「余計な事言うんじゃないでしょうね!? 止めてよ、本当に!」
「余計な事とはなんでしょうか? 私はオード辺境伯に話をするだけで――――」
「それが余計な事って言ってんでしょ!? 何を――――」
騒ぐ二人の前で、バン、とドアが開いた。
そこにはなんとも言えない表情のグレイス。
揉み合う…と言うより、アリアにウリネが引き摺られる状態を確認した後、そっと眉間を揉んだ。
「……何かウリネが騒いでると聞いて様子を見に来れば……何故ここにアリアが居るのですか?」
「確認したい事がありましたので」
「どこから侵入したの…かは聞くまでもないようですね」
開けっ放しになっている窓を見て、グレイスが一人納得する。
「…それで、何を確認したかったのですか?」
頭ごなしに叱っても無駄そうだと考えたグレイスが、その理由を問えば。
「変な事―――」
「ウリネさんの処遇についてお話があります」
口を塞ごうとしたウリネを片手で押し退け、アリアはそう答えた。




