第5話 身体強化とは
朝、目が覚めたアリアを襲ったのは、布団から出たくないと言う欲求だった。
人間は毎日こんな誘惑を振り切っているのかと、微睡の中でに関心してしまったほどである。
しかし、このまま目を閉じてはいけないと強く意思を固め、ベッドから跳ね起きた。
「おや、よく眠れたかい?」
「はい。夢は見ませんでした」
「そうかい」
小さく笑いながらモリィは手元の鍋を掻き回す。
鼻孔をくすぐるその匂いで、アリアは肺の中を満たした。
「食べ物の匂いが食欲をそそるとは本当なんですね」
「そうかい? 昨日の残りですまないんだがね」
「いいえ、シチューはとても美味しかったです」
アリアはそれ以前に、他の食べ物の味を知らないのだが。
何はともあれ、アリアは食事が楽しい事と学んだようである。
「今日は食材の配達もあるし、今度は別の料理でも作ってやるかね」
「…配達ですか?」
モリィによると、あまり動けないモリィの元へ近くの街から定期的に配達が来るらしい。
当初の予想通り、川を下って行くと街があったのだそうだ。
「モリィさんは何故ここに住んでいるんですか?」
「ん~? 一昔前に錬金術で馬鹿をやった奴がいてね、錬金術師自体があんまり良く見られないのさ」
だからこそ、街を離れて山の中で生活をしているのだとモリィは語る。
今は以前よりマシになったらしいが、多くの錬金術師が街を離れた事で錬金術自体が失われつつあるらしい。
「そら、お食べ」
「あ、はい。ありがとうございます」
錬金術が失われる事を、アリアは勿体ないと思った。
地球でも、錬金術師達の研究は化学の発展に大いに貢献したという歴史がある。
錬金術と言っても地球のそれと全く同じものではないだろうが。
そう考えれば、ここにアリアが居るのは錬金術を失わせない為なのではないかとさえ思えて来る。
思考力は落ちているものの、アリアの記憶力は健在なのだ。
「やはり、錬金術を―――」
コンコン、とドアを叩く音にアリアの言葉はかき消された。
「ガリオンかい? 開いてるから入っといで」
「おう」
そう返事した声は男性のもの。
一瞬不用心ではないかと思ったアリアであったが、この世界ではこうなのかと考えを改めた。
「モリィ婆さん、具合はどうだ? あんまり―――って、その娘は?」
入って来たのは四十代ぐらいの大柄な男性。
濃い灰色の髪をしていて、腕にはがっしりとした筋肉が付いている。
白髪とも違うようだし、珍しい髪色だ…そう思いつつ、アリアは小さく頭を下げる。
「この娘はアリア。あたしの孫みたいなもんさ」
「……孫? 婆さん、子供居たのか?」
「うるさいねぇ。荷物はとっとと裏へ運んでおくれ」
ガリオンと呼ばれた男は、へいへいと返事を返して荷物を運び入れる。
どうやら、配達と言うのは彼の事だったらしい。
「あいつは街に住む運送屋の男でね、名前はガリオン。昔、怪我の治療をしてやってから定期的に食材を届けに来てくれてるのさ」
「お陰でまだまだ働き盛りさ」
「いいから運びな。こっちは食事中だよ」
こうして見ていると、親に頭の上がらない息子のようである。
最初に入って来た時も真っ先に心配していたようだし、恐らく仲はいいのだろう。
アリアは口の中にシチューを詰め込みながらそう理解した。
「アンタ、一気に口に詰め込み過ぎだよ…」
モリィはパンパンになったアリアの頬を見て、呆れた顔を見せた。
◆
―――その後、ガリオンは荷物を片付けると、モリィの様子を心配し出した。
それに対して、なんでもないと答えながら、ふと思いついたようにモリィは尋ねた。
「ガリオン、アンタは飯食ったのかい?」
「飯も食わないでこんな所来れるかよ」
「なら一つ頼まれてくれんかね」
モリィにそう言われ、ガリオンは近くの椅子に腰掛けた。
アリアは相変わらずシチューを貪っている。
「この子に魔法を教えてほしいんだよ」
「魔法? …俺が使えるのなんて身体強化ぐらいだが」
「それでいい。他の魔法は追々教えるさ」
モリィは他の魔法も使えるのだが、今の弱った身体では殆ど魔法は使えない。
そんな中途半端なものを見せるよりは、身体強化だけとは言え、ガリオンの魔法の方が参考になると考えたのである。
それに、一つ魔法を覚えれば他の魔法を覚える時にも役立つだろう。
「俺は構わんが、魔力はあるのか?」
「ああ、そっちは問題ないそうだ」
ふ~ん、と言いながら、ガリオンはアリアを見つめる。
頬が膨らんでいる様はハムスターのような愛らしさを感じさせるが、どこか能面を思わせる表情がアリアの人物像を掴ませない。
人形っぽいと思うのは、顔が綺麗過ぎるせいか。
と言うか、さっきから一言も発していないしモリィに似ても似つかない。
不審人物に思われても不思議ではないだろう。
「なぁ、この子本当に婆さんの孫か?」
「孫みたいなもんって言ったんだよ。それより頼んだよ」
孫と言う言葉を否定しようとしたアリアであったが、口に食べ物が詰まっていたので何も言えなかった。
◆
―――食事を終えたアリアは、外でガリオンと向き合っている。
モリィは少し休むと言い、ベッドへと潜り込んでしまった。
「さっき聞いただろうが、俺はガリオン。街で運搬の仕事をしている」
「アリアです。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる様は異様に様になっている。
貴族の子じゃないだろうな、とガリオンの背中に冷たい物が伝った。
「―――コホン、あー、荷物運びもそうだが、街の外に運搬に行くと魔物なんかにも出くわすからな。俺みたいな仕事をしてる奴には身体強化は必須の魔法と言っていい」
さすが異世界、魔物が居るのか。
魔物の定義や動物との違いについて聞きたいところではあったが、まずは何より魔法である。
自ら学ぶAIは、知識を得る事に貪欲なのだ。
「魔力の操作は出来るらしいが、魔法を使った事は?」
「ありません」
「おい…完全に初心者なのかよ…」
んー、と唸りながら、頭をガシガシと搔き始めるガリオン。
彼はそもそも教師ではない。
教える事自体あまり得意ではないのである。
「まぁいい。一回やってみるから見てろ」
そう言ってガリオンは深呼吸する。
息を強く吹いたと同時に、ふん、と力を入れた。
「これが身体強化だ」
『これ』が『どれ』を指しているか解らず、アリアは首を傾げた。
恐らく見本を見せた方が早いと判断したのだろうが、あまりにも説明不足である。
ただ、なんとなく存在感が増した気がしないでもない。
「俺が昔教わった時は、魔力ってのは疑似的に何かに変わる事の出来る力だと言われた。それは火であったり水であったり、そして力であったりする」
「…つまり、魔力を力へと変えるのが身体強化と言う事ですか?」
「多分な!」
筋肉に変えると言うわけではないのだろうか。
少なくとも、アリアには筋肉が膨張したようには見えなかった。
水のような液体に変わったり、火と言ったエネルギーに変わったりする不可思議な物質、とアリアは魔力を定義した。
あくまで話を聞いた上での仮説だが、今後検証を行う余地はあるだろう。
「身体強化ってのは面白いもんでな。筋力と魔力のバランスが大事なんだ」
「バランスですか?」
「その通り。例えば、魔力が強い奴でも筋力が無けりゃあんまり効果が無い。筋肉が強くても魔力が弱い奴も同じだ。どちらも普通ぐらいの奴が一番強くなる」
あまり上手くは無い説明であったが、アリアは持前の知識でガリオンの言葉を整理する。
要は乗算と言う事なのだろう。
筋力が二、魔力が八の人間が身体強化を使った所で、その強さは十六。
筋力も魔力も五であれば、その強さは二十五となる。
合計値が同じ十であっても、身体強化を使った際の強さは大きく変わって来る。
「なるほど、理解しました」
「おう、今ので解ったのか」
自信の無かったガリオンとしても一安心である。
尤も、それが本当に正しい理解かは解りかねるが。
「つまり、魔力だけ高めても意味ねぇって事だ。身体強化を活かすなら筋肉を鍛えろ」
「筋肉…」
「そうだ。世の中筋肉さえあればなんとでもなるもんさ。見ろよ、この上腕二頭筋!」
ぐぐぐ、と力を入れるガリオンを見て、そんな馬鹿な―――などと思うアリアではない。
彼女は今、この世界では筋肉さえあればなんとでもなると学んだのである。