第50話 両手
ロブがアリアに関して知っている事はそれほど多くない。
直接関わった件と言えば、己の顔の治療のみだ。
それ以外は噂として聞いている程度である。
ただ、ロブは元騎士団長であり、現辺境伯家庭師。
その年齢も相まって、非常に顔が広い。
辺境伯家においては一番の情報通であり、諜報員としての役割も担っている。
現に、アドモンの不審な噂を仕入れたのは彼であるし、運搬ギルドで使用されていた薬が、モリィによって作成された物であると言うのも彼によって調べられた事だ。
そんなロブだからこそ、誰よりもアリアの噂に触れる機会が多い。
「――――アリアは何をしておるんじゃ?」
その上で、ロブは見誤った。
アリアが何かをやらかすだろう、そんな予想は想定内だ。
だが、それでも非情な現実は襲い掛かって来る。
「炉を改良しようと思います」
炉の中に頭を突っ込んでいたアリアがそう答える。
アリアが真っ先に取り掛かったのは炉の改良。
農具を作りに来たはずなのに、いきなり別の事を始めたのだからロブだって驚くだろう。
「いや、農具はどうした…?」
「使用されている鉄の品質が良くありませんので、高品質な鉄を作れる環境を整えようかと思います」
現在使われている炉は炭焼き炉と呼ばれる代物だ。
あまり高い温度を保つ事が出来ず、不純物が取り除ききれない。
それにより、純度の高い鉄が作れていないのだ。
農具の品質を高める為、まずは品質のいい鉄を作る。
その為に炉を改良する。
…ある種一貫しているとは言えるが、農具を作りに来たのにそこから始めるなどとは思うまい。
「まずは高温を保つ為にも炉の耐久性確保、風と燃料の効率的な供給システムを作らなくてはいけませんね」
顔に炭を付けたアリアが、炉から顔を出した。
「そりゃ余計なもんを取り除ければ鉄もいいもんになるがな。そんな事が可能か?」
「やってみましょう」
案は色々ある上、この世界は異世界だ。
アリアが考えるような改良案も、より良い素材で行えるかもしれない。
炉の改良次第では、鋼鉄や合金の作成だって可能だと考える。
この道で食べて来たロドニーからすれば、それこそ夢のような話。
より良い鉄を得る為には不純物を取り除けるだけの炉が必要。
だが、この世界の技術ではそんなものは作成されていない。
王都にあるような大きな工房でさえ、未だその域には達していないのだ。
◆
さて、そんなやり取りがあってから三日と経たず、アリアは炉を作り直した。
アドモンの私兵達に渡す薬と並行し、あっと言う間に作り上げてしまったのである。
正に仕事の早さには定評のある、アリアの本領発揮であった。
ロブとロドニーもアリアに付き添って、出来上がった炉を見上げる。
現在はすでに稼働状態にあり、試運転を行っていた。
「おいおい…鉄鉱石が一瞬でドロドロになるじゃねぇか…」
出来上がった炉は以前の面影を残していない。
構造としては、現代の高温炉に近いものが作成されている。
とは言え、設計こそ現代の物を参考にしているが、中身は全くの別物。
この炉を構成しているのは、殆どが錬金術によって作られた素材だ。
組み上げに使用されたレンガには耐火性が高い薬品を混ぜ込み、錬金術によって力技で結合させた。
耐久性に見直しの余地はあるが、無茶な扱いをしなければ壊れない程度には頑丈であるし、何よりレンガが簡単に作れる為に修復が容易だ。
これは断熱材としての効果もあり、熱効率を高める事にも貢献している。
そして何よりも特筆すべきは火力。
使用している燃料も錬金術で作られた可燃性の薬。
対魔物用として使用される攻撃用の火薬である。
その攻撃力は魔物を焼くのに十分な力があり、鉄を溶かす事なんて訳は無い。
「……クゥン……」
また、なんてものを作ったんだ…。
地面に伏したフォックスは、耳までもがペタンとなってしまった。
その様子はイタチと言うより犬と言った表現が近い。
使われた薬品は普通、ここまでの性能を持ち合わせていない。
作ったのがアリアでなければ。
耐火性の高い薬品とは、精々鍛冶師の手袋に塗り込まれる程度のものであり、直接火に掛ければ当たり前のように燃える。
耐熱性が高く、可燃性が低いと言うだけで、絶対に燃えないと言うほどの物ではないのだ。
対魔物用の火薬とて本来は相手を怯ませるのが目的であり、それ単体で魔物を倒すほどの力は無い。
あっと言う間に鉄を溶かし切るほどの火力があるのならば、今頃はこの火薬が戦闘の主役となっているだろう。
そもそも、幾ら錬金術とは言え、素材と素材を力技で結合させるなど出来る訳がない。
アリアがやったのは、以前フェルグリムに魔力を流し込んだのと同じ原理。
要は、素材を無理矢理変質させたのだ。
錬金術の薬とは、魔力の作用によって素材が本来持ちえない効果を発揮させるもの。
アリアはこれを、遺伝子、あるいは原子の組み換えに近い概念として捉えている。
魔力による干渉でそれを行えるのであれば、本来結合し得ない物同士を結合する性質に書き換える事も出来るのではないか――――――そんな予想を実践し、実際に成功させたのだ。
それを行うには、その物質がどのようなものであるかを正確に把握し、配列を組み替えるだけの精密な操作、本来動かない物を動かすだけの強烈な力、他の部分を傷付けない為の力加減―――――それらを、原子レベルの極々小さな世界で行ったのである。
元々の世界にもそう言った組み換えは行われて来たが、それを機器も使わず個人、しかも数分でやってのけると言うのは、最早人の枠組みを超えている。
正に伝説に謳われるような錬金術。
この手法で直接合金を作り出そうと言う考えも浮かんだが、想像以上に力が必要になり、極微量を作り出すに留まった。
どうやら、魔力によって組み換えを行う場合、剛性が高い物ほど力が必要になるらしい。
アリアは、ウォーターカッターのように魔力を収束させる事で組み替える力を実現しているが、魔力の量が増えた訳では無いので力にも限界がある。
…普通、これだけの事をする前に自分の限界に行き当たるものなのだが。
最終的には、魔力を高める方法を見つけ出す、あるいはもっと精密な操作を行えるようになるまで、剛性の高い物は手出し出来ないと諦める結果となった。
魔力を高める方法については今後調べねばならないが、その精密性を高める一旦を担っているのは間違いなく身体強化であり、それすなわち筋肉との対話。
肉体を鍛え上げ、より深く筋肉を理解する事が自力で合金を作り出す為の近道と考えた。
……尚、実際にこれだけの事が出来ている以上、あながち否定出来ないのが恐ろしい所である。
「……で、アリアは何をしとるんじゃ?」
目の前の炉を見ても、その凄さが理解出来なかったロブ。
実際に炉を使用した事のある人間でなければ、これがどれほどの代物かなど判断がつかないだろう。
それが原因で、アリアを止める事が出来なかった訳だが。
ロブが目を向けた先には、何やら大型のハンドルを回すアリアの姿。
ハンドルには取手が付けられ、それに両手を添えて横向きになり、オールを漕ぐようにしてグルグルと回し続けている。
「これは風を送り込む装置です。風を送り込む事で熱を均一に保つ効果があります。酸素を送る役割も持つので、火力の調節と言う意味合いもありますね」
横でなるほどと頷くロドニー。
酸素と言う存在までは知らないものの、職人にとっては納得の行く話であったらしい。
知識の無いロブにとっては、そう言うものなのかと受け入れるしかなかったが。
問題は、その方法。
ここまで色々とやっておいて、風を送り込む仕組みだけは何故か人力で行っている。
いや、理由は色々とあるのだ。
精密機械までは作れず、管制システムが作れなかった事。
それを動かす動力も確保出来なかった事。
それらが作れなかった事から、目で見て火力の調節を行う必要があり、それを為すには簡素な調節機構が無難であると考えた事。
そう言った理由が重なり、人力と言う選択肢を取った。
実際、これを目で見て判断するには、燃料となる火薬を理解する錬金術の知識や、火を見て瞬時に判断出来るだけの分析力が必要とされた。
無理矢理作った性能の低い機械を頼るより、元AIが直接調整した方が遥かに確実性が高いのである。
故に人力。
炉を動かし始めた段階から、アリアはずっとギコギコとハンドルを回し続けている。
「そ、そいつの調整は難しいのか?」
若干興奮した様子でロドニーが尋ねる。
これだけの炉を前にして、職人の血が騒ぎだしたらしい。
「使用している燃料が特殊なので、それに関する知識が求められます。また、目で見て判断するのにも知識が必要でしょう。慣れで補えるかもしれませんが、最初から上手くやるのは難しいかもしれません」
このアリアでさえ、細心の注意を払ってハンドルを回している。
常人なら集中力が続かず、今頃ダウンしているかもしれない。
…いや、もっと重大な問題もあるが。
「ちょ、ちょっとやってみてもいいだろうか?」
「構いませんよ」
炉は想定通りの性能を発揮した。
試運転としては上出来である。
確認するべき事は済み、あとはロドニーに好きにして貰って構わない。
…そんな訳で、ハンドルの操作を代わるアリア。
喜々としてハンドルを握ったロドニーであるが、動かそうとした瞬間に、その重大な問題を理解した。
「重っ!? なんだこりゃ!? ビクともしねぇぞ!?」
グググと力を込めているのは見ていても解る。
だが一切動かない。
アリアが平然と回し続けていたので、まさかこんなに重いとは思わなかった。
顔が真っ赤になるほど力を込めても、ハンドルは一ミリも動きはしない。
「そんなに重いのか?」
続いて代わったロブがハンドルを操作する。
だが、やはり動かない。
とうとう二人係で動かそうとしたが、それでも全く動く様子が見られなかった。
そう、このハンドル、馬鹿みたいに重いのだ。
アリアでないと操作が出来ないほどに。
これだけの火力に対して風を送るのだ、人力でやるには相当な力が必要となる。
力を補助する構造も考えはしたが、自分が動かせるので問題無いとしてしまったアリアである。
そのラインが、常人には到底及ばぬ領域とは考えていなかったのだ。
ぜぇ、はぁと息を吐きながら、二人はその場に屈み込む。
よほど無理をしたらしい。
「な、なんだこりゃあ…」
「一体…アリアは…どんな力をしとるんじゃ…」
予想出来た結果に、フォックスは小さく溜息を吐く。
あのアリアが『両手』で操作していた以上、軽い訳がなかったのだ。




