第4話 温もり
アリアはモリィを見つめながら、言い知れない衝動に襲われる。
何かしなければ、今自分がすべき事は何か。
背を強く押されるような、そんな感覚。
これはアリアが人に尽くす為のAIだったからこそ感じる、義務感。
あるいは存在意義。
「モリィさんは薬剤師ですか?」
「ん? どうしてそう思うね?」
アリアはテーブルに置かれた器具などを指差す。
それを見て、モリィは関心したように頷いた。
「あたしは錬金術師さ。あれを見ただけで良く解ったね? 普通の人はあんな道具見た事も無かろうに」
「見た事はありません。ただ、薬研や乳鉢についての知識はあります」
「ほう?」
モリィはアリアの瞳をじっと見つめる。
それは真意を測ろうとしているかのような、思慮深い目。
「教えて頂けませんか? 何かお役に立てるかもしれません」
言われたモリィがチラリと見たのは、フォックスの方だった。
それに対し、フォックスはモリィの手に自分の前足を乗せる事で答えた。
「―――いいよ。やってごらん」
「ありがとうございます」
「見ての通り、あたしはあまり動けなくてね。口頭ですまないが、なんとか覚えておくれ」
こうして、アリアへの授業が始まったのである。
錬金術師とは一体何か。
要約するのであれば、薬品や素材を混ぜ合わせ特殊な薬品を作成する者の事を呼ぶらしい。
それは薬だけに限った事ではなく、時には火薬や素材の作成まで行うのだとか。
「魔力の流し方、素材に込められた魔力を感じ、適切に処理する事。錬金術師の基本であり、奥義がそこにある」
まず魔力が解らない。
そう思って首を傾げると、フォックスがアリアの手に触れる。
その瞬間、ピリリとした感覚が流れた。
「……静電気でしょうか」
「何か感じたかい?」
「ピリリと何かが走ったような…」
「そいつが魔力さ。フォックスの奴が流したんだろうね」
ふむふむ、と頷くアリア。
魔力と静電気は似たようなものであるのかもしれない。
そんな考えで今の感覚を再現しようとするアリア。
どこからどう流れたか、どう流れて行ったか、そしてどこへ消えたか。
今の一瞬を記憶したアリアは、その魔力を解き放つ。
ビリビリとした感覚が自身の身体を駆けまわり、やがてうねる荒波のような強力な流れを生み出し始めた。
そしてそれはアリアの外にまで影響を与える。
ゴゴゴと重い音を立てながら、家が揺れ始めたのである。
「ちょ、ちょいと何してんだい?」
「先ほどの感覚を再現しようと思いまして。しかし流れが強すぎて弱く出来ません」
「それ暴走してんじゃないだろうね!?」
「問題ありません。全て制御下に置いています」
「いいから一旦止めな!」
そう言われては仕方ないとばかりに、アリアは力を鎮める。
すると先ほどからしていた細かな振動は鳴りを潜めた。
「……本当に制御出来てたって事かい。まぁ、魔力の扱いに関しては大丈夫そうか」
ならばとばかりに次へ行こうとして、アリアの様子を改めて見るモリィ。
上着だけ来た裸の少女。
ついでに言えば、食事だって取っているか解らない。
はぁ、とため息を吐いて、モリィはアリアの肩に手を置いた。
「アリア、まずは飯にしよう」
「ですが…」
「アンタには教える事が多そうだ。済ませる事を済ませてからの方がいいだろうよ」
そう言ってモリィが立ち上がろうとするのをアリアが止める。
「食材の位置さえ教えて頂ければ私が用意します」
「そいつはありがたいが、アンタはまず服を着な。奥の部屋にあたしの服があるから勝手に着ておくれ」
その言葉を聞いたフォックスが、案内するとばかりにアリアの前へ浮かぶ。
そうも言われては仕方ない。
アリアは立ち上がり、フォックスへ続いた。
モリィはそれを見送りながら苦笑を零す。
精霊に好かれる謎の娘。
面倒を見ようなんて物好きはそうそういないだろう。
モリィとて、死の間際でもなければこうも世話を焼こうとは思わなかった。
「あたしの最期の仕事かね…」
今この時になってフォックスが連れて来たのにも何か意味があるのだろう。
そんな巡り合わせを感じ、モリィは立ち上がる。
残された時間は短い。
だが、それが若い者の礎になるなら悪くない。
「どこまで教えられるか…。全く、大した大仕事だよ」
◆
「これで良いのでしょうか…?」
モリィのベッドに潜り込んだアリアをモリィが撫でる。
あの後、アリアは初めての食事をし、味を楽しむと言う事を覚えた。
モリィの作ったシチューは、アリアにとってはカルチャーショックである。
舌先に感じる味を楽しみ、そして空腹を満たす喜びを知り、食べ終わった頃には腹が満たされた影響か眠気が襲って来た。
「ああ。そのまま目を瞑ってな」
モリィは再び苦笑を浮かべる。
眠いなら寝るといいと言えば、どうやって眠るのかが解らないと言う。
どうしてそんな発言が出るのか解らないモリィだったが、アリアは眠った事が無いとより意味の解らない事を宣った。
ならば仕方ないとばかりに、モリィが寝かしつける事にしたわけだ。
モリィはアリアの事情は深く聞かず、子供をあやすようにして抱きしめる。
そして、トン、トンとリズム良く背中を優しく叩いた。
「眠るとどうなるのですか?」
「ん? さぁ……夢でも見るのかもね」
「夢…」
アリアは自分が消えた日の事を思い出す。
あれが眠りだったとしたら、今自分が居るこの状況は夢なのかもしれないと考えた。
だとすれば、このまま二度と目覚めないのかもしれない。
そう考えた時、ギュ、とモリィにしがみついていた。
「―――…起きたら、まずは何をしようかね」
「起きたら…?」
「錬金術を教えてもいいし、魔法の使い方を教えてもいい。何がしたい?」
何がしたいか。
そんな事を考えたのは初めてだった。
アリアにとっては、求められた事に応えるのが全てだったのだ。
「…どちらも」
「そうかい。ならさっさと寝て、明日は早起きしなきゃね」
そう言って、モリィはアリアの頭を撫でた。
「はい…」
弱弱しくなって行く声を最後に、アリアは小さく寝息を立て始める。
その寝顔を見ながら、モリィは呟く。
「孫が居たら、こんな感じだったのかね…」
老婆の手は、優しくアリアを抱きしめた。