第45話 困ったメイド
「昨日の話聞いた? あのメイドが怒ってたって…」
「そ、そうね…。誰か何かしたのかしら…」
アリアが怒っている。
その話はあっと言う間に広まって行った。
元々アリアと言う人物は注目されていた。
突如現れ、重要な役職に就いた娘。
彼女が現れるとほぼ同時に、ロブやナッシュの怪我が治っていた。
…クレアが快復したと言う情報や、本人がモリィと暮らしていたと言う情報もあり、一時は錬金術師ではないかとさえ目されていたのだ。
しかし、アリアの破天荒過ぎる行動から、彼女はクレアの護衛として雇われたのだと広まっている。
モリィと暮らしていたと言う事は、グロームスパイアで生活していたと言う事でもあるのだ。
騎士団長を倒したと言う噂もあり、その腕を買われて雇われたのだろうと言うのが殆どの者の見解であった。
「ま、まさか水を掛けようとした事、今になって怒ってるのかしら…?」
「あ、貴女が勝手にやった事でしょ? 私達を巻き込まないでよね!?」
「酷いわ! それに、あのメイドは一切濡れなかったのよ!?」
メイド達は自分の保身に手一杯だ。
彼女達の多くは他の貴族家から送り込まれたスパイである。
辺境伯家の情報を得る為、あるいは情報操作を行う為にここへ来ている。
表向きは平民の家からの奉公と言う形であっても、それを雇い、指示した貴族が裏に居るのだ。
貴族へ辿り着かないようにと平民の家から雇われた彼女達であるが、それ故に訓練などは最低限しか受けていない。
繰り返し訓練する事になれば、メイドの動向や教官役を目撃する者も出るかもしれないし、そこから貴族家へと辿られ、誰の手引きか露見する可能性もあったからだ。
現在の辺境伯家でも、その程度の情報収集能力は健在だろうと思われていた。
逆にそれが仇となり、ハンスやグレイスには素人達の不審な動きがバレバレなのであるが。
さて、問題である。
そんな何時露見してもおかしくないスパイを送り込み、自分達へと辿られないように気を配っている貴族が居たとしよう。
もし、メイド達のスパイ行為がバレたとして、彼女達を守る為に動くだろうか?
当然、否である。
そして、その事を一番理解しているのは、誰でもないメイド達自身なのだ。
いざとなれば切り捨てられる。
それが解っているからこそ、危険を見極める。
…アリアの素性を無理に探ろうとしないのは、これが理由なのである。
辺境伯側もそれを理解しているからこそ、彼女達を変に追い詰める真似はしない。
単に人手が足りないのもそうだが、やり方次第で味方に引き入れる事も可能と考えているからだ。
彼女達が動いているのは金の為。
それを超える利を提示出来れば、彼女達は簡単に寝返る。
元々、貴族家に対する忠誠などありはしないのだから。
…まぁ、そんな簡単に寝返る者を味方にして大丈夫かと言う疑問もあるが、結局は人手不足。
贅沢は言えない。
「あのメイドが来てから、落ち着ける暇が無いわ…」
そんな思惑が渦巻く中、更に引っ掻き回しているのがアリアの存在だ。
突然現れて重要な役職に就き、素性を探ろうにも全く部屋から出て来ない。
出て来たかと思えば騎士団長をぶっ飛ばし、魔物を蹂躙。
触らぬが吉と考えれば、今度は怒り狂って邸内を練り歩く。
「まぁ、悪い事ばかりでは無かったけどね…」
「どうかしら…? こんなのが今後も続くんでしょう?」
以前クレアの病気について、完治の目途が付いたとオード辺境伯は言った。
アドモン相手に言ったものであったが、その話はメイド達の耳にも届いている。
その時には、暗殺の手引きさえやらされるのではないかと身構えたものだ。
だがそれも全て、アリアと言う存在に粉砕された。
何かあると思わせる重用。
その後の暴れっぷりを経て、彼女は護衛と認識され、暗殺しようと言う動きは抑制された。
…と言うより、魔物の牙を引っこ抜いてくる相手が居るのに、暗殺の手引きなどメイド達の方が御免なのだ。
「……お金は惜しいけど、命には代えられないわ。もうメイド辞めようかしら…?」
「今まで情報を抜いてた事を知られたら、メイドを辞めても追って来るかもしれないわよ?」
「………冗談よね?」
良い事か悪い事かはさておき、メイド達の意識にもアリアと言う存在は強く印象付けられているのである。
◆
所変わって、こちらはとある男爵家。
リズモンド男爵家と言う、先代が武勲を上げ、爵位を受けたばかりの新しい貴族家であった。
その武勲から、オード辺境伯を支えるようにとイオニス領へやって来た貴族家の一つである。
リズモンド男爵家に関わらず、こう言った経緯でここを訪れた貴族家は多い。
国にとって、それだけこの地の防衛が重要視されている事の証左でもあった。
「辺境伯の様子は?」
「はっ。最近は執務室に籠りきりだと言う話です」
側近を前に、リズモンド男爵は腕を組んで考え込む。
リズモンド男爵家も、領地を持たない下級貴族だ。
あわよくば辺境伯家を乗っ取り、領地を得る。
あるいは、辺境伯家が途絶えた後、ここを納める領主になりたいと願う家の一つ。
その為の工作も行って来たし、スパイも送り込んでいる。
尤も、その工作の多くは潰され、現状で辺境伯家が途絶えたとしても、リズモンド家が治める事など叶わない状況ではあるが。
実績を作らせないと言う辺境伯の動きは、こんな所にもしっかりと現れていたのである。
「……動きが読めんな。クレア嬢が完治したのなら、何かしらの動きがありそうなものだが」
孫娘が助かったのだ、もっと大々的に喜んでもいいだろう。
しかし、内々ですらその様子が無い。
アドモンの後釜についてもまだ発表されていないし、どうにも動きが遅いように思える。
…リズモンド男爵は、この動きをどう捉えていいのか判断に迷っていた。
実際の所、アリアが次々問題を起こす所為で対応が追い付いていないと言うだけなのだが、周りから見れば奇妙にさえ映る遅さだった。
グロームスパイアの最前線を任されているオード辺境伯である。
一瞬の判断が命取りになりかねない場に長く留まり、この地を守って来たのだ。
多くの人間には『即決の人』と認識されている。
「…裏があると?」
「解らん。だが、少なくとも今までに無い動きだ。クレア嬢の完治に関しては辺境伯本人が言ったのだろう? …想定より完治が遅れているのか、それともブラフか」
考え過ぎである。
オード辺境伯とて手放しで喜びたいのだ。
引っ掻き回すメイドが居る所為で、それが叶わないと言うだけであって。
しかし、リズモンド男爵にはそんな事まで解る訳も無く。
この奇妙に映る状況は、行動を躊躇わせるには十分な効果があった。
「では、引き続き静観致しますか?」
「それしかあるまい。正体不明のメイドの件もある。今後何か大きな動きがあるやもしれん」
リズモンド男爵が思い浮かべるのは、不思議な髪色をしたメイドの姿。
彼自身、牙を運ぶアリアを目撃した一人だ。
馬車の中からそれを見た時には、貴族としての優雅さを捨て、つい二度見したぐらいである。
軽々と、自分の体重の何倍もありそうな牙を片手で運ぶ姿を見て、素の表情で『え?』と言ったのは記憶に新しい。
魔物の牙を『縦』に重ね、奇跡的なバランスを保ちながら悠然と歩く姿は超人としか表現出来ない。
あれを運べるのなら、魔物の牙ぐらい引っこ抜いてもおかしくはない。
そう思えるだけの説得力があった。
「そのメイドについてですが、何やら激怒していたと言う情報があります」
「激怒…? アレを怒らせた馬鹿がいるのか?」
リズモンド男爵自身、先代から戦闘訓練は受けている。
だからこそ、騎士団長リゲルの強さは承知しているし、それを倒したアリアがどれだけ強いかと言うのも理解していた。
いや、リゲルの強さを知っているからこそ、アリアが牙を運んでいる姿を見なければ信じられなかっただろう。
あのメイドと同一人物と聞いた事で、ようやく納得したのである。
リズモンド男爵は、辺境伯家を除けば、アリアの危険性を把握している数少ない一人と言えるだろう。
…もしこの場にフォックスが居たのなら、それでも甘いと言われただろうが。
「理由については定かではありませんが、スパイの娘が怯え切っていたと聞いています」
あんなのが怒ってたら私だって怖い。
そんな言葉をグラスの中身と共に飲み干す。
「…ともかく、今は静観だ。変に刺激をさせるな」
「かしこまりました」
去って行く側近の背を見つめながら、リズモンド男爵は小さく息を吐く。
何もかもが解らない事だらけ。
クレアが急に完治した理由、ロブやナッシュの怪我が癒えた理由、アレンと言う街医者の噂に、ポーションが再販され始めた運搬ギルド、以前から黒い噂の絶えなかったアドモンを急に断罪した辺境伯の変化や、未だ決まらぬ薬師局の長。
そこに現れたアリアが錬金術師ならば話は早かった。
現在起こっている事もある程度は説明が付くし、彼女が錬金術師である証拠を掴めば辺境伯家は終わる。
それで脅し、自分の家が後釜に収まる事も出来たかもしれない。
しかしそうはならなかった。
聞く所によると、アリアは数日しかモリィの元に滞在していない。
ガリオンと言う男を調べさせれば、やはり同じような事を言っていると確認が取れた。
錬金術を学んだとしたなら期間が短すぎる。
仮に学ぶ時間があったとしても、弟子が簡単に師匠の薬を超えるものだろうか。
出回っているポーションを直接調べた訳ではないが、今までの物よりはるかに効果が高いと報告を受けている。
であれば、全く別の錬金術師がどこかに隠れている―――そう考えた方が辻褄が合う。
(……アリアと言う娘の実力を考えれば、あくまでクレア嬢の護衛だろう。どこから現れたかは解らんが、タイミングを考えれば恐らく囮。辺境伯は本命の錬金術師をどこかに匿っているのか…?)
辺境伯家だけでなく、多くの人の思惑を引っ掻き回すアリア。
困ったメイドが居たものである。




