第43話 日課
「次は身体を横に曲げる運動です」
ここは辺境伯邸、クレアの私室である。
アリア、クレア、セーラの三人が並び、アリアの指示通りに運動をしていた。
朝っぱらから貴族の令嬢に何をさせているんだと思うかもしれないが、体力の少ないクレアに行う治療、リハビリの一環でもあるのだ。
(何故私まで…)
内心で溜息を吐くのは、巻き込まれたセーラだ。
アリアの提案に対し、クレアは乗り気であった。
生来好奇心の強い性格である。元々アリアのやっているラジオ体操に興味はあったのだ。
だからこそ、否を唱える事など無かったのだが。
(止めに入ったはずなのに、何故こんな事に…)
クレアの体力を心配し、変に運動させる事を咎めたセーラ。
しかし、クレアの今後の為と言われれば反論出来ない。
少なくとも、セーラには医学的な知識が無く、逆にアリアにはそれがあるのだ。
それでも心配するセーラに対し、アリアがこう言った。
『セーラさんもやってみれば解ります』
当然、断ろうとしたセーラであったが、クレアが乗ってしまった。
主に『やろう』と言われれば、メイドに断る術など無いのである。
そんなこんなで、動き易い服装に着替えてラジオ体操をする事になったのだった。
…この光景を他の者が見たなら、どんな感想を抱くのだろうか。
こうして、辺境伯家の一日が始まろうとしていた。
◆
「そう言えば、様々な場所から感謝状が届いているそうよ」
「感謝状?」
ラジオ体操とは言え、体力の少ないクレアにはいい運動になったらしい。
現在は椅子に腰掛け、セーラに額の汗を拭われている。
(一緒にやれば解ると言われたけど…。一切、何も解らなかったわ)
そんなセーラの不満は聞こえるはずもなく、二人は晴れやかな気持ちで会話を続けていた。
「辺境伯家当てではないけれど、運搬ギルドやアレンの所に薬のお礼が届いているとか」
運搬ギルドで売られているポーションは、以前から老人達に愛用されて来た。
この地は魔物の被害も多く、怪我も多い。
古く住んでいる者ほど、モリィの薬に助けられてきたのだ。
故に、老人達は錬金術師の薬を毛嫌いはしていない。
再びポーションが販売されたと聞いて、一番に飛びついたのは彼等であった。
そして、以前の薬より効力が高い事を実感し、今まで苦しめられて来た痛みが引いたと評判なのだ。
アレンの診療所でもそう。
アレンで治療が難しい怪我などは、ポーションを使って治している。
例の御者の後も、命の危険にあった者が救われていた。
「アリアの薬、随分と評判らしいわ」
「それは……そうですか」
あまり嬉しそうには見えないアリア。
しかし、元々表情の変化が殆どないので、クレアも気の所為かと流してしまった。
アリアが嬉しくない理由は一つ。
出荷している薬は『失敗作』なのだ。
この娘、今に至るまで普通の下級ポーション、中級ポーションを作れていない。
アリアが作りたいのは錬金術書に書かれている普通のポーションなのだ。
それが作れなければ、錬金術師の卵とも名乗れないと考えているのである。
(せめて、基礎の薬ぐらいはちゃんと作れるようにならなければ…)
「…クゥン」
そんな日は来ないとばかりにフォックスが鳴いた。
あれだけ精密な作業を行い、あれだけ大量の魔力を流し込めば嫌でも高品質なポーションが出来上がる。
しかも魔力に一切の無駄無く、素材を傷付ける事も無くだ。
それで効果の低いポーションを作ろうなど不可能である。
「…そう言えばアリアさん、工房を使いたいとハンスさんにお話ししているんでしょう? 錬金術の器具でも作る予定なんですか?」
考え込んでしまったアリアに、セーラが質問を投げる。
アリアは以前から、ハンスに工房を借りられないかと打診していた。
何かをしようとする度、道具の不足が一番に過るのである。
それらを解消すべく、自ら作ればいいと結論付けたのだ。
「錬金術に関するものもそうですが、トレーニング器具や暗器、農機具、雑用品…作りたいものが沢山あります」
「………そうなのですか」
間が空いたが、セーラはその返答をなんとか絞り出した。
錬金術に関するものだけであって欲しかった。
そう思わずにはいられない。
セーラがこの問いをしたのは、ハンスに聞いて欲しいと頼まれたからだ。
ハンスがこの打診を受けた時、何よりも先に嫌な予感が過った。
借りられる、借りられないの問題ではなく、不安から保留にしたほどだ。
オード辺境伯に判断を仰げば、案の定何をするつもりか詳細に聞き出せと命が下った。
辺境伯とハンスが思う不安は、全く同じものであっただろう。
「その…作る物によって借りる工房も変わるでしょうし、どんな物を作りたいのか説明した方が良いかと」
「なるほど。では、後程まとめておきましょう」
聞いて来いと言われたセーラである。
だが、絶対に長くなると判断し、説明を丸投げした。
セーラから見て、アリアと言うメイドは破天荒ではあるものの、それほど悪い印象は持っていない。
クレアを治療してくれた事も大きいが、仕事は真面目だし、立ち振る舞いも悪くない。
それらの印象が、アリアに対する好感となっていた。
ただ、変な噂や奇行が多いのも事実。
それによって、ハンス達は近くに居るセーラにアリアの様子を尋ねて来るのだ。
何時の間にか、アリアに関する頼まれ事をする事も増えてしまった。
…故に、正直な所、アリアには静かにしていて欲しいと言う気持ちもあるのだ。
(私が聞いても解らないでしょうし、ハンスさんに直接伝えて貰いましょう)
そうやって自己正当化し、仕事をぶん投げるセーラであった。
要は面倒臭いのだ。
「では、そろそろ柔軟体操を致しましょう」
「まだあるんですか!?」
「勿論です。筋力と健康は積み重ねの賜物なのです」
クレアの健康の為にしているはずが、さらっと筋力を混入させて来たアリアである。
「やりましょう、セーラ。筋力があれば、平和を維持する事も出来るらしいわ」
「騙されてませんか!?」
主がおかしな事を言い出した。
メイドとしての立ち振る舞いも忘れて、とっさに驚愕の表情で返してしまう。
「わん!!」
そうだ、もっと言ってやれ! そんな気持ちで、フォックスは強く吠えた。
フォックスにとって、アリアを止めるにはセーラの奮闘が必要不可欠なのである。
―――この日より、朝の体操が三人の日課となった。
何かおかしいと思いつつも、なんだかんだで身体の調子が良くなり、抵抗の意思を弱くするセーラ。
彼女はきっと、今後も振り回され続けるのだろう。




