第42話 アリアの噂話
「ハルノさん、ユラギさん、御機嫌よう」
「ごっ…ごごご御機嫌よう!」
「き、今日も良い天気ですわね! オホホホホ…」
通りすがりにお辞儀するアリアに対し、二人のメイドは深々と頭を下げた。
同じメイドに対する礼とは思えない、目上の者にする対応である。
何故そんなに畏まるのだろうと首を傾げつつ、アリアはその場を通り過ぎて行った。
さて、残された二人はと言えば、アリアの背を見送り、その姿が見えなくなった事を確認した所で盛大に溜息を吐いた。
「な、なんであの子は私達の名前を知ってるのよ?」
「私、自己紹介なんてしてないわ」
ハルノとユラギは辺境伯家に勤める双子のメイドである。
元々は農家の娘であるが、この地では農業で食べて行くのは至難の業だ。
故に、メイドとして働き、家計を支えているのが二人なのだ。
辺境伯家の情報を流せば大金が手に入るかもしれない。
そんな邪な思いも無い訳ではない。
だが、彼女達は平民であるし、貴族から送り込まれたメイドとは違って貴族達に伝手が無い。
…そんな理由から、積極的に辺境伯家の情報を仕入れようとはしていない。
今のまま、決まった給料を得られる方が重要であり、万が一クビになるような事になればその後の生活が立ちいかなくなるのだ。
そう言った意味では、この屋敷の中でも一番の保守派と言えるだろう。
「ユラギも知ってるわよね? あの子の噂」
「騎士団と魔物を相手に大立ち回りしたんでしょ? 最後に立っていたのはあの子だけだったとか…」
かなり誇張されているが、似たようなものと言われればそうかもしれない。
しかしそうなると、まるで騎士団が全滅しているかのような言い草である。
…メンタル的な意味合いでなら、それも間違ってはいないかもしれないが。
「ま、まさかハルノ。アンタ、あの子をイジメた事とか無いわよね? 他のメイドに混ざって嫌がらせとか…」
「してないわよ!」
「じゃあなんで私達の名前を知ってるのよ!?」
彼女達はどちらかと言えば目立たないメイドである。
二人揃っているとこの調子ではあるが、他のメイド達の前では大人しい性格なのだ。
目を付けられては困るので、良くも悪くも目立つ事を嫌う。
ただひたすらに、今の職を失う事を恐れているのである。
そんな彼女達の名前と顔を把握しているとなれば、自分達の事を調べたのだと誤解しても致し方ないだろう。
特に二人は双子であり、一目見ただけではどちらが誰か解らない程度には似ている。
なのに、アリアは二人の名を正確に呼んだのだから、余計にそう感じてしまうのも無理はない。
「あの子、私の目を見ながらハルノって呼んだわ。ちゃんと私達を見分けてるのよ」
「どっ、どうしてよ? 目の敵にされるような事はしてないわよ!?」
あれでもアリアはハンスの補佐である。
もしかしたら、メイド全員を調べているのかもしれない。
そんな考えから、やましい事はしていなかったかと改めて思い返す。
「……わ、私、お客様に出すクッキーをつまみ食いした事があるわ…」
「私もよ…」
イオニス領において、クッキーは高級品だ。
一般市民がお目に掛かる事もない。
辺境伯家ですら来客用に出すぐらいで、平時から食べられるものではないのである。
…そんな食べ物を前に、ちょっとだけ魔が差してしまったのだ。
「私達、死ぬのかしら…」
「あの子、グロームスパイアの魔物の首を引っこ抜いて来たらしいじゃない…。きっと、まともな死に方は望めないわ…」
言うまでもなく誤解である。
アリアが引っこ抜いて来たのは牙だけであり、首は健在だ。
魔物達にとって、それが幸か不幸かは置いておくとしても。
「ど、どうしよう、ハルノ…。私達が死んだら弟達が飢えてしまうわ…」
涙目で訴えるユラギ。
彼女達は基本的にネガティブな思考をしており、更に言うならば想像力が豊かだ。
今、彼女達の頭の中では、アリアによって実家が焼き討ちにされている。
「諦めては駄目よ、ユラギ。父さんや母さん、弟達を守る為にメイドになったんでしょう? こんな所で死ねないわ」
「そう、だけど…。一体どうしたら…」
勘違いとは言え、彼女達は今死地に立たされている。
上手く立ち回るか、もしくはアリアに殺されるか―――そんな二択を迫られているのだ。
「…と、友達になったら、見逃して貰えないかしら…?」
「ほ、本気で言ってるの!?」
「だって他に手が――――」
「アンタだって見たでしょ!? あの子ピクリとも笑わないのよ!? きっと人の心なんかとっくに捨てて来たんだわ!」
クッキーのつまみ食いより、その言い分の方が酷いのではないか。
幸いにして、この場で聞いている者はいなかったが。
「他のメイドだって関わりたくなくて避けてるじゃない! 嫌がらせしようとした子なんか近付きもしないわ!」
メイド達が掴んだ情報として、団長との訓練がある。
それに対しては目撃者が三人と言う事で疑問視する声は多く、その段階ではアリアの素性を探る事を諦めてはいなかった。
しかし、畳みかけるようにして魔物の牙を運んでいるアリアが目撃されている。
街で聞き込みをすれば、大勢から見たと言う証言も得られた。
こんな地であるからこそ、魔物に対しての恐怖は人一倍強い者が多い。
中でも、ワイバーンやフェルグリムと言えば誰もが恐れる魔物なのだ。
そんな魔物の牙が売られていれば噂にならない訳がない。
なのにそんな噂は無く、少なくともアリアが運んでいた牙は買った物ではないと言う裏付けになってしまった。
しかも、辺境伯邸の窓から騎士団の訓練場を覗けば、牙らしき物が立て掛けてあるのだ。
…ちょっと聞き込めば、運んで来たのはアリアであり、騎士団が処理に困っていると言う噂にも行き着いた。
そんな事は有り得ないと、噂を調べれば調べるほどに真実性を帯びてしまう。
結果、メイド達はアリアを遠巻きに見る程度で、深く探るのを諦めたのである。
…その矛先が自分に向かないように。
「…そうよ。あの子はクレア様のメイドで、ハンスさんの補佐なのよ」
「それがどうしたって言うのよ?」
「クレア様やハンスさんからの指示が無ければ、私達を処刑出来ないかもしれない」
「……そうか。あのお二人から気に入られればいいのね?」
二人は、光明を見たとばかりに頷き合った。
後日、仕事は無いかと嫌に協力的な二人の姿が目撃されている。
何か裏があるんじゃないかとハンスやグレイスに疑われつつも、二人は必死に働いた。
自分の命が掛かっているともなれば、そうもなるだろう。
思惑はどうあれ、辺境伯家の使用人事情にも変化が起き始めている。
自覚があるかはともかく、その中心に居るのはやはりアリアなのであった。




