第36話 アリアと騎士団
アリアが屋敷で働き出してから暫くが経った。
相変わらずメイド達からは目の敵にされているアリアであるが、その実態は平和なものである。
中々部屋から出て来ないアリアに対し、メイド達の方も必死になって隙を探している。
今ではアリアを見掛けたら一瞬でメイド達に広まると言う、所謂アリア包囲網が完成しているぐらいであった。
彼女達の後ろに居る貴族はバラバラであっても、その目的は一致している。
故に協力体制が築かれているのだ。
彼女達の目的、それはアリアの素性を探る事。
しかしながら、アリアと接触する機会が少な過ぎて難しいと言わざるを得ない。
弱みを握ってクレアの情報やハンスが持つ情報を抜かせると言う方針もあったが、同じ理由で断念している。
…そうして、今は三つ目の目的にシフトしている。
誰だか解らんが、今後邪魔にになりそうなので早めに出て行って貰う。
要するに、嫌がせをして辞めさせようと言う魂胆である。
先日もアリアがオード辺境伯へ薬の説明へ向かった際、廊下を歩いている所をメイドの一人が目撃、そして一瞬で周知された。
そんな中、メイドの一人がアリアへ嫌がらせをしようと行動を起こした。
廊下の角で出会い頭にぶつかり、持っていた水をぶっかける計画である。
結論から言えば失敗に終わった。
角から飛び出してみたものの、アリアはメイドとぶつかる事なくサッと回避したのである。
…あまりの反応速度に一瞬沈黙が訪れたが、メイドは強かであった。
そのまま躓いたフリをしてアリアに水が入ったバケツごとぶん投げたのである。
――――まぁ、高速でバックステップしたアリアには水滴一つ掛からなかったのだが。
挙句、辺境伯に呼ばれているので片付けを手伝えないと言われ、濡れた廊下をぴょんと飛び越えて去って行ったのである。
…残されたのは、一人寂しく廊下を片付けるメイドの姿だった。
本人に接触出来ないとなれば物にイタズラをする。
そう考えたメイドも居た。
とは言え、私物の殆どは侵入出来ないアリアの部屋の中にある。
…となれば、洗濯した私服が狙われるのは道理と言うもので。
干してあった古臭い私服を見つけたメイドが、これはいい機会だとばかりに手を伸ばした。
しかし、バチン! と言う大きな音とともに腕が弾かれた。
一体なんだとばかりにもう一度手を伸ばせば、先ほどよりも大きな音と衝撃を伴って弾かれた。
手が真っ赤になるほどの痛みを受けつつもメイドは諦めなかった。
近くの物干し竿を使ってアリアの私服を地面に落とそうとした時、それは起こった。
一瞬で物干し竿が八つ裂きにされたのである。
怪奇現象か何かだと思ったメイドは、声にならない悲鳴を上げて逃げ出したそうな。
どこぞの謎生物が、服は止めとけと警告してくれていたのかもしれない。
そんな訳であれこれと嫌がらせを企てて来たメイド達であるが、一つの成果も挙げる事が出来ないでいる。
そんな中、とんでもない情報が彼女達の元を駆け巡った。
――――アリアが外出しようとしている。
その話を聞いたメイド達の背後では、落雷の如き衝撃があったとかなかったとか。
と言う訳で、メイドの中から選ばれた精鋭が三名、アリアの後を尾けている。
他の者はグレイス達に怪しまれないよう、真面目に仕事中だ。
「…一体どこへ行くのかしら」
アリアはメイド服のまま外へと向かった。
その恰好から察するに、何か仕事を任されたのではないかと推測された。
しかし、向かった先は裏門だ。
何かやましい事かと勘ぐられても仕方ないだろう。
だが、その行先はすぐに判明する。
裏門の真正面には騎士団の寄宿舎があり、アリアはそこへと入って行ったのだ。
「騎士団に用事かしら?」
「…期待していたのと違うわ」
そんな愚痴を言いながら、寄宿舎の門の影に隠れ、アリアの動向を探る。
中では訓練中なのか、男性達の声が響いて来ていた。
アリアは真っ直ぐにある人物へと接触する。
「リゲルね」
「ハンスから何か言われて来たのかしら」
会話の内容は聞こえないものの、その様子は少し不自然であった。
最初は笑顔で受け答えしていたリゲルであったが、表情が段々と硬いものへと変わって行く。
「これは…何かあるわね」
期待大である。
何か重要な話をしているのだろうと、野太い掛け声に阻まれる会話内容を聞く為、彼女達は必死に身を乗り出した。
「…うるっさいわね! 何も聞こえやしないじゃない!」
会話内容は聞こえない。
しかし、何か情報の一つでも得られないかと二人の様子に目を凝らせば――――。
「え? 待って。…え、どういう事?」
メイドの一人が慌てだした。
何故なら―――リゲルが剣を抜き、アリアに向けたのである。
どういう事か解らないと慌てるメイド達であったが、そんなに難しい内容ではない。
単純に――――アリアは訓練に来たのである。
……メイド服で。
◆
リゲルは何時も通りの訓練メニューを団員達に課し、自らは監督に勤めていた。
ここはグロームスパイアに近い、ある種危険地帯とも言える地である。
団員達の練度が、そのままこの街の存続に関わるのだ。
「失礼します。リゲル騎士団長」
「うおう!?」
そんな中、音も無く現れたのがアリアである。
夜道だったら暗殺者か何かかと勘違いされた事だろう。
「あ、ああ。アリアか…。脅かさないでくれ」
「そのようなつもりはありませんでしたが、驚かせたなら申し訳ありません」
ペコリと頭を下げるアリアであるが、顔に反省の色は無い。
相変わらず読めない少女だ、とリゲルは苦笑した。
「メイドになったとは聞いていたが、不思議な縁もあったものだな」
「その節はお世話になりました」
世話したかな。
そんな言葉が零れそうになるリゲルであった。
彼は今でも疑問に思っているのである。
…フェルグリムが尻尾を巻いて逃げるような娘に、避難の必要はあったのだろうかと。
「それで、今日は何か用事か?」
「はい。訓練に参加したいのです」
「……訓練?」
その恰好で?
そんな言葉を飲み込みつつ、団員達へ視線を移す。
若い団員はアリアの容姿に見惚れてはいるが、それなりにキツい訓練を課しているのだ。
その実力はどうあれ、少女が参加するには厳しいと思われた。
「いえ、正確には模擬戦に混ざりたいと思いまして」
そんな考えを打ち砕くように、アリアから思わぬ言葉が飛び出て来る。
「…模擬戦?」
「はい。ロブさんから伺いましたが、体力作りの後に模擬戦が行われるのだとか。私自身でもトレーニングは行っていますが、模擬戦の相手がいないのです」
そもそも、あのフェルグリムでさえトレーニング相手にする為に捕獲した魔物である。
今まで叶わなかった願いが、ここを訪れる事でようやく叶う訳だ。
そんな事は知らないリゲルであるが、やはり気に掛かっているのはフェルグリムの事だ。
少なくとも、アリアにはフェルグリムを怯えさせる何かがある。
そう彼は考えているのである。
「そ、そうか。そうだなぁ…」
素直に頷きたくない話だ。
どうしようかと考えるリゲルに、アリアから追い打ちが入った。
「是非、リゲル騎士団長にお相手して頂きたいと思いまして」
なんと名指しである。
げっ、と言う言葉を飲み込んだのはさすがであった。
「…本気で言ってるのか?」
「勿論です」
そう言って拳を握って見せるアリアに、何故だか威圧感を感じてしまうリゲル。
この辺りの勘は、さすが騎士団長と言った所だろうか。
「…解った。そっちに模擬戦用の剣があるから持ってくるといい」
アリアの真っ直ぐな瞳に負け、リゲルは剣を抜く。
刃を丸めたものではあるが、思いきり殴れば骨ぐらい簡単に折れる。
…素人相手に使うなら普通は木で出来た剣を使うものだが、リゲルはそれを良しとしなかった。
――――なんかヤバイ気がしたのである。




