第35話 主から見たメイド
最近、クレア目覚めが早い。
理由は簡単だ。
朝特定の時間になると、隣の部屋がガタガタと騒ぎだすからだ。
原因となる人物は一人。
(また始まったわね)
そっと隣の部屋を覗けば、アリアがラジオ体操を始めているのである。
この世界にそんな物は存在しない以上、クレアには奇妙なダンスにしか見えなかったが。
隣の部屋に住み着いた住人は、クレアにとっては命の恩人とも言える人物だ。
しかしながら、短い間でもその奇行が目に付く。
アリアに対する感情は、尊敬や敬意から奇妙な生物に対する好奇心へと変わりつつある。
そもそも何故アリアが隣の部屋に居るのかと言えば、彼女の特殊性が理由となる。
彼女はメイドを謳っているが、錬金術師の見習いであるのだ。
見習いでありながら腕は確かであり、しかし経験が少ない為に失敗も多い。
師と呼べる人物からも簡単な指導しか受けていなかったそうで、まだまだ勉強中の身なのである。
だからこそ、クレアの私室からしか出入り出来ない部屋で生活し、誰の目にも届かない場所で錬金術の研究を行っていると言うのが真相である。
一応はクレアの治療の為でもあるが、クレア自身はすでに完治している事を実感している。
昔ほどの体調不良も感じなくなったし、歩き回る事で息切れするほどの体力も随分マシになった。
アリアと出会ってから、まだ十日ほどの時間しか経っていないのにである。
優秀と言う言葉では足りないだろう。
「…? 起こしてしまいましたか?」
アリアが筋トレを始めた辺りで、部屋を覗き込んでいたクレアと目が合った。
「え? ええ…」
行動も不思議であれば、見た目も不思議な少女である。
その赤い瞳は暗がりでは血のような不気味な色合いをしつつ、明るい場では夕日のようなオレンジ色を見せる。
髪は水色であるはずなのに、緑色や黄色に見える事もある。
同じ人間にこんな事が起こり得るものなのだろうか。
「それは申し訳ありませんでした。目が覚めてしまったのでしたら、寝覚めのお紅茶でも如何ですか?」
先ほどまで奇妙なダンスを踊っていた人物とは思えない、優雅な仕草で紅茶を勧めて来る。
数日前までメイド教育を受けていた人物と言って、誰が信じるだろうか。
「ええ。お願いするわね」
そう答えつつも、アリアが行っていた謎ダンスについては教えてくれないのだな、と少しだけ落胆するクレアであった。
◆
アリアが淹れた紅茶を飲みながら、少しだけ思考に耽る。
セーラの紅茶はとても美味しい。
それは淹れ方の研究などを長く行って来た結果であり、ハンスやグレイスとはまた違った味わいがあるものだ。
飲みなれているクレアからすれば、セーラの紅茶が一番口に合う。
では、アリアの紅茶はどうだろうか。
最初に紅茶を淹れた時、グレイスの紅茶に似た味の紅茶が出て来た。
その時にどんな紅茶が好みかと聞かれ、咄嗟にセーラの淹れた紅茶が一番好きだと答えた。
――――すると、次の日からセーラの淹れた紅茶と同じ物が出るようになった。
セーラの紅茶を一番飲んで来たであろうクレアでさえ、二つ並べられても解らない…全く同じ物としか思えないような出来である。
「…アリア。貴女、今日は何か予定はあるの?」
そう問い掛ければ、アリアは少しだけ首を傾げる。
どうやら考える時のクセであるようだが、その姿は子供染みていてなんだか可愛らしい。
「この部屋の掃除を致します。その後はアレンさんに渡すポーションについて説明を求められているので、その説明をオード辺境伯に。あとは錬金術の勉強をしながら薬師局の薬に関する資料を見つつ、トレーニングと…ああ、ベッドメイクもしておきましょう。それに、騎士団の寄宿舎にも一度挨拶に伺いたいと思っていました」
一度ゆっくり話してみたいと思っていたクレアであるが、アリアの予定は多いようだ。
トレーニングと言う聞き慣れない単語については錬金術に関わる何かであろうと勝手に納得しつつ、残念だとばかりに少しだけ溜息を吐いた。
「何か?」
「いえ、貴女は真面目だと思って」
メイドとしての仕事はあまり求められていないのがアリアである。
しかし、彼女は構わず出来る範囲の事はやってしまう。
クレアの容態確認の為に離れる時間は最小限にしているものの、部屋の事に関しては殆どアリアがやっている状態だ。
…セーラは楽になったと言っているが、同時に錬金術師としての勉強は大丈夫なのかと心配してもいる。
「錬金術やメイドの仕事以外に興味がある事は無いの?」
「興味…ですか」
ふむ、と暫く考え込んだアリア。
少し視線を反らしただけで、その顔は無表情そのもの。
アリアに関わった殆どの者が同じような事を言うが、動く人形と話しているかのような錯覚に陥る。
「…身体の仕組みでしょうか。特に筋肉についてです」
「それは医療行為の延長上の話でしょう?」
「いえ、医療に限定せず、世界の根幹に関わる内容です」
呆れとともに返せば、何やら壮大な話が返って来た。
命とは何かとかそう言った内容だろうか。
あるいは人間と魂の関連性とかになるのだろうか。
錬金術の中にはそう言った分野もあるのかもしれない。
……仕える主にそんな勘違いを生み出しつつ、アリアはふんすとばかりに両手で握り拳を作る。
「この国の政治にとっても大切な話となるでしょう。次期当主として、クレア様にも学んで頂きたい内容です」
ここに、アリアと言う人物が導いてしまった結果がある。
クレアとてアリアは変り者だとは思っていた。
それと同時に、アリアを天才だとも思っていた。
天才だからこそ、周りの人間には変り者に映る。
それ故の奇行、それ故の実力。
クレア達には理解の及ばない何かが彼女の中にあるのだと、そう思い込んでしまった。
だからこそ、彼女が導き出した理論には彼女なりの根拠があり、それは普通の人々が到達し得ない…ある種の最先端とも言える考え方なのかもしれない。
…そう誤解してしまったのである。
それが悲劇となる。
アリアが言うのなら一理あるのではないか…そんな誤解から、彼女はその話に聞き入ってしまったのだ。
朝っぱらから筋肉信者による布教が行われ、よりにもよって相手が次期当主と来たものだ。
唯一止められるはずのセーラはまだこの場に現れていない。
フォックスはヒーローを待つ子供のような気持ちでセーラの登場を祈る。
必死にアリアの邪魔をしようとしたが、すでに首根っこを掴まれて身動きが取れないでいるのだ。
その日、オード辺境伯家の未来に暗い――――暗いかどうかも良く解らない、謎の影が差すのであった。




