第30話 モリィとガリオン
フォックスが人には辿り着けないようにしていたモリィの家。
しかし、フォックスの先導があれば問題無く辿り着ける。
―――――なんて事を実感する事もなく、さも当然のように家へと辿り着いた二人と一匹。
少しぐらい褒めてくれてもいいんじゃないかと思うフォックスであるが、その意図する所が正確にアリアへと伝わらないのだから仕方ない。
今も、何やら不満そうにしているとしかアリアは感じていないぐらいなのだ。
「どうかしたか?」
「いえ、なんでもありません」
お腹でも空いたのだろう。
そう判断して、フォックスの事を雑に切り捨てるアリア。
これほど不憫な扱いを受ける精霊と言うのも珍しい。
「これが婆さんの墓か。……すまねぇな、ちょいと遅くなっちまった」
そう言って、ガリオンは墓の前で祈りを捧げる。
ガリオンの祈りは、胸の前で拳を合わせ俯いた状態で目を閉じると言うものだった。
これがこの世界の祈りなのかと、アリアもその様子を真似る。
数秒ほどその状態が続いたかと思えば、ガリオンはゆっくりと顔を上げた。
「…俺が婆さんに会ったのは十代の頃でな。もう二十年も前になる」
どこか遠い目でモリィの墓を見つめながら、ガリオンは独白する。
アリアは特に何も言わず、その言葉に聞き入った。
「当時はギルドに入りたての小僧でな。親父が運搬ギルドで働いてたから、手伝って楽させてやろうと思ってたんだ」
その当時を思い出せば、ガリオンの心には憧憬と後悔が押し寄せた。
「ある時、仕事でグロームスパイアの近くを通ったんだが、運悪くフェルグリムと鉢合わせてな。必死に抵抗してなんとか逃げたが、俺も親父も重症だった。…特に、親父の方は俺を庇った所為で酷い有様でな」
顔を顰め、溜息と共に首を振る。
その時の事は、今でも脳裏に焼き付いている。
「もう駄目だって思った時に、モリィ婆さんが現れたんだ」
今のガリオンを見ても、どこにも後遺症は無さそうだ。
きっとモリィが治してくれたのだろう。
アリアがそう思った時、ガリオンからは思わぬ言葉が出た。
「第一声で、親父はもう助からないってよ」
「…それでは――――」
言葉に詰まったアリアに、ガリオンは頷く。
その目線はモリィの墓に注がれたままだ。
「ああ、親父は死んじまった。……今思い返せば、あの時婆さんはやれるだけの事はやってくれていたんだ。だって言うのに、小僧だった俺には受け入れられなくてよ。『俺が救えたのに、なんで親父は救えなかったんだ』って怒鳴ってさ。……本当にガキだった」
アリアの知るモリィとガリオンは、他人ながらもお互いを気に掛ける間柄なのだと思っていた。
しかし、そこに至るまで様々な出来事があったらしい。
「当時も運搬ギルドじゃ婆さんの薬は扱ってたんだ。だから、なんでも救えるすげぇ人なんだって、勝手に期待してさ。…婆さんにはなんの落ち度もねぇのに、命の恩人であるはずの婆さんに当たり散らした。我ながら情けねぇ話だぜ」
ここまでの話を聞く限り、今こうしてガリオンがモリィの墓へ祈りを捧げているのが不思議に思えて来る。
その後二度と会う事が無かった――――そんな結末さえ有り得る内容だ。
「婆さんとはそれっきり、三年ぐらいは会わなかったな。まぁ、こんなトコに住んでるから、会いに行こうとしなきゃ会えないんだがな。……三年も経てば、少しは心の整理も付くもんでさ。頭の悪ぃ俺でも、あの時自分が言った事の理不尽さが解って来てたんだ」
モリィはたまたま二人を見つけただけ。
見つけた時には、父親の方は手遅れだっただけ。
もしモリィが見つけなかったら、ガリオンさえ生きてはいなかったかもしれない。
「…そんな時、今度はお袋が病気になってさ。難しい病気だって言うんで、街医者からは治療法が無いって言われちまった。…図々しいとは解っていても、俺には婆さんを頼る以外に何も思い付かなかった」
頼った所で追い返される事も考えた。
わざわざアリアには伝えていないが、ガリオン自身もかなり口汚く罵った自覚があるのだ。
普通、許される訳が無いとさえ思えるほどに。
「途中魔物から逃げたりして、傷だらけになってここに来た。婆さんも驚いただろうな。ドアを開けたら血だらけの男が地面に頭を擦り付けてんだからよ」
それだけ必死だったのだろうとは思う。
だが、モリィがそれをどう見るかは別の話だ。
まだまだ人間への理解が足りないアリアであっても、そう思ってしまう。
「俺が詫びとお袋の状態を説明してる間、どんな顔をしてたのかは解らねぇ。ずっと地面と睨めっこしてたからな。でも…俺が話終わった後、婆さんこんな事言ったんだぜ。『デカイ図体で出入口を塞ぐな。アンタが居る限り患者を診に行けないだろうが』ってよ。そこで初めて頭を上げたら、家を出る準備を終えた婆さんが、俺に向けてポーションぶっかける所だったよ」
モリィが言いそうな言葉である。
普段無表情なアリアの瞳が、少しだけ優しい光を灯した。
「無言なのは怒ってるからだって思ってたのに、準備してたから受け答えしなかっただけなんてよ。…俺はもう、一生この人には頭が上がらねぇって思ったね。お袋も助かって、モリィ婆さんには恩ばかり出来ちまった。……結局、返しきれなかったなぁ」
少しだけ、ガリオンの声が震えた。
不思議に思ったアリアが視線を向けたと同時、ギリ、と奥歯を噛む音がしたかと思えば、ガリオンは何時もの顔でアリアへと向き直った。
「アリア、婆さんはお前さんの事を『孫みたいなもんだ』って言ってたよな。困った事があればなんでも言えよ。婆さんに返せなかった分は、お前さんに返す事にするからよ」
「―――…いえ、私が受け取る訳には…」
「でないと俺の気が済まねぇのさ。婆さんを看取ってくれた礼も兼ねて、な」
そこまで言われては、アリアに断る術は無い。
それに、あの街で生活して行く以上、何か困る事だってあるだろう。
どの道、モリィにもガリオンを頼るように言われているのだ。
「――――…モリィさんは…」
言葉にしかけて、アリアは一度黙る。
何故自分がそれを言葉にしようと思ったのか、彼女自身も理解出来ていなかったからだ。
「なんだ?」
「モリィさんは、後の事はガリオンさんに頼むようにと言っていました。自分の最期の願いだと伝えるようにと」
「…最期の…」
ガリオンの顔が強張る。
「モリィさんにとって、ガリオンさんは最期の願いを託すに足る人だったのだと思います」
自分でも何を伝えたいのか、何故こんな事を話したのか解らないまま、アリアは口を閉ざす。
「そう…か」
ガリオンは小声でそう呟き、空を見上げる。
アリアが困惑しながら告げた言葉は、少しだけ…ほんの少しだけ、ガリオンが持っていた苦い思いを和らげてくれていた。




