第28話 辺境伯家の人々
クレアをベッドに押し込んだ直後、この部屋を訪れる人物が居た。
二十代中盤ぐらいの女性で、メガネを掛けた銀髪の女性だ。
「クレア様、お加減は如何でしょうか?」
「あら、グレイス。見ての通り元気なのよ。もう動き回りたいぐらい」
「それはそれは。どうぞベッドから出て来ないで下さい」
グレイスと言えばオード辺境伯から言われたメイド長の名である。
部屋の主にしれっとした顔で『ベッドから出て来るな』などと言う辺り、少しクセのありそうな人物であった。
グレイスはクレアと少しだけ言葉を交わすと、その視線をアリアへと向ける。
どうやら、本当に用があったのはアリアの方らしい。
「すでに聞き及んでいるかとは思いますが、私がこの家のメイド長を務めています、グレイスと申します」
「アリアです」
グレイスのカーテシーに合わせ、アリアも同じように返す。
グレイスはその様子をじっと見つめ、ハリスからの説明を思い返していた。
ハリスから聞いていた話通り、メイド教育を受けているように見受けられる。
ただし、本人は真似ただけだと言っているらしい。
素性の知れない、あるいは得体の知れない人物と言うのも頷ける話だ。
「アリア様、これよりは自分の部下、メイドとして接しますので、アリアとお呼びさせて頂きます。家令ハリスより屋敷の案内を頼まれましたので、お時間が宜しければ私に付いて来て下さい」
と言うのがグレイスの用件であるらしい。
アリアとしてはクレアの回復は確認出来たし、今すぐ家に戻ろうとは思っていない。
これと言って断る理由も無く、その提案に乗る事にした。
「問題ありません。よろしくお願いします」
そう返せば、グレイスは手でクレアを指した。
「では、まずはこの家のお嬢様から。クレア・イオニス・オード様。ご当主、ライオネル・イオニス・オード辺境伯の孫娘であり、次期当主となられる方です」
「なるほど」
無表情でそう頷きながら、オード辺境伯の名がライオネルである事を刻むアリア。
アリアの様子を見ていた他の三人も、まさか当主の名に頷いているとは夢にも思っていない。
「続けて、クレア様専属メイドのセーラです」
「セーラと申します。先ほどは中々の手際でございました。これからよろしくお願い致します」
紹介されると、セーラは頭を下げてそう言った。
先ほどの手際とはクレアをベッドに押し込んだ時の話だろう。
唯一知らないグレイスだけが首を傾げていた。
「アリアもクレア様の専属メイドと言う扱いになります。何か困った事があればセーラに相談すると良いでしょう」
「解りました。よろしくお願いします、セーラさん」
こちらこそ、と返すセーラを見て、グレイスはアリアを促す。
「では、屋敷の中の案内と主要な方々をご紹介しましょう」
そう言って連れ出されるアリアを見ながら、クレアは小さく手を振っていた。
◆
「ご当主様とハリスさん、リゲルさんにはすでにお会いしているのでしたね。…ああ、丁度良い所に」
グレイスに続いて歩いていると、廊下の先で二人の男性が話し込んでいる。
片方は背の高い大柄の老人。
もう片方は左足を引き摺ったコック帽の男性だ。
「お二人とも、今お時間よろしいでしょうか?」
「ん? グレイスか。どうした?」
「そっちの娘の挨拶じゃろう」
コック帽の男性、大柄の老人がそれぞれ返答を返す。
主要な人物と言われていたのは、あと二人。
料理長のナッシュと庭師のロブだ。
「こちら、料理長のナッシュさんと庭師のロブさんです。食事に関係する事全般はナッシュさんに相談してください。ロブさんは庭師以外にも家庭教師や剣術なども嗜んでいらっしゃいます。聞きたい事があればロブさんに聞いてみるのも良いでしょう」
ナッシュは茶髪の四十代男性。
ロブは白髪の男性で六十代後半と言った所だろうか。
特徴的なのはその目。
片目に大きな切り傷があり、強面の印象を受ける。
…とは言え、人の見た目で怯むような繊細な精神をしていないのがアリアである。
「アリアです。よろしくお願いします」
「わしはロブじゃ。よろしくのう」
「俺はナッシュ。ロブ爺さんを見て怖がらない新人なんて何時振りだ?」
大柄の身体に顔の傷、深く刻まれた皺。
どれもが偏屈な爺さんを連想させるが、ロブ自身は快活な笑顔で笑っている。
「何を言うとるか。まだ子供だったセーラでさえ怯えんかったぞ」
「それ以来、怯えなかったメイドは居ません。もう十年振りになりますね」
どうやら、グレイス、ロブ、ナッシュは気安い間柄であるらしい。
グレイスの言葉から考えても、十年以上の付き合いがあるのだろう。
「…失礼ですが、ナッシュさんは足を怪我されているのですか?」
そんな会話に割って入るのがアリアの図太い所である。
しかも、中々聞き辛い事をバッサリ聞く辺り、肝が据わっている。
あるいは、空気が読めていないと言うべきか。
「ああ、これか? 若い頃に怪我しちまってな。それ以来この有様さ」
そうナッシュが答えた時、ロブが顔の傷を抑えたのをアリアは見逃さなかった。
目線が合ったロブは少し苦笑を浮かべ、ゆっくりと頷く。
「わしもナッシュも昔は騎士団に居てな。その時の古傷じゃよ」
「――――なるほど」
ポーションは傷を塞ぐものだ。
そう聞けば便利なものであるが、根本的な問題が幾つかある。
失った血は戻らない事、深すぎて癒しきれない傷の場合、傷が塞がっても後遺症が残る場合がある事。
この国の錬金術師に対する考えを聞く限り、そもそもポーションを使っていない可能性もあるが。
「何、気にするような話じゃない。わしもナッシュもハリスも、歳を取って若い頃の無理が出たと言うだけの話じゃよ」
黙ったアリアを見て何かを察したか、ロブがそう付け加える。
しかし、今アリアの中では高速で演算が行われていた。
「…少し考えたい事が出来ました。グレイスさん、案内して頂きありがとうございました」
「え? ええ…」
そう言って頭を下げたアリアは、踵を返して速足でその場を去っていく。
様子の変わったアリアを見ても、残された三人は困惑した様子でその背を見送るしか無かった。
「…変わった娘じゃな」
ロブの呟きは、広い廊下に僅かに木霊するのだった。




