第25話 意外な断罪者
「これは一体何の真似ですかな!?」
アリアが食事を終え、ハリスと共に辺境伯とクレアの元へ向かえば、その道中で大声が響いて来た。
辺境伯家の入り口ロビーでの事である。
「貴様、ここに至って理解出来ていないのか?」
「辺境伯! 何が誤解があるのです! わたくしめがどれほどこの領に貢献して来たかを思い出して頂きたい!」
どちらも聞き覚えのある声である。
片方はオード辺境伯、片方はアドモンだ。
「何事でしょうか?」
「アリア様がお気になさる必要はありません。先にクレア様の元へ参りましょう」
ハリスにそう急かされるも、今ここで、この二人が言い争う理由を想像するのは難しくない。
アリアにすれば、自分が関わっていると疑わざるを得ないだろう。
「……なんでも、自分に逆らう者に薬を渡さぬよう通達を出したそうだな?」
「そ、それは…」
「三年前、お前が局長になった際、対抗馬として挙がっていた局員が暗殺された事があった。…お前の部下が、お前からの指示だと吐いたそうだぞ」
「な、何かの間違いです! このわたくしが、そんな事をする人間とお思いですか!」
聞こえて来る声に対し、ハリスは内心で舌打ちする。
今までも疑惑としてあったものの、ここまで泳がすしかなかった己の不甲斐なさを痛感していた。
騎士団長が捕らえた男達やアドモンの私兵達。
彼等がアドモンの悪事を洗いざらい喋った。
男達は反抗的であったものの、私兵達は仕方なく付き合わされていただけ。
彼等にアドモンに対する遠慮などありはしなかった。
むしろ、アドモンの指示に従った振りをして、被害者を減らす動きさえしていた始末である。
そんな根っからの悪人ではない私兵達に対し、悪事の片棒を担がせるような真似をしたのがアドモンであったのだ。
今まで掴み切れていなかったアドモンの動きが、今回の事でようやく尻尾を掴めたのである。
「それに、クレア様の事はどうなさるのです!? わたくしが居なければクレア様が助かる事など有り得ません!」
今まで助けられなかったのに良く言えたものである。
ハリスはうんざりとした気持ちでアリアを促そうとするも、アリアはじっとその話を聞いている。
巻き込まれたのは彼女も一緒…思う所があって当然だろう。
そう考えて、ハリスはそれ以上アリアを急かす事はしなかった。
「クレアなら回復の目途が立った」
「…!? 馬鹿な! 魔瘴病を治すなど、そう簡単には……!」
「事実だ」
アリア達が部屋を出た後、辺境伯とクレアは暫し話をしていた。
そこに瀕死だった孫娘の姿はなく、すぐに空腹を訴えたほどであった。
今までの苦労はなんだったのかと言うほどの、恐ろしいほどの回復力。
オード辺境伯は気付いている。
モリィの開発した薬が優れた物なのは確かだが、それを作ったのがアリアだったからこそ起きた奇跡だったのだろうと。
普通の錬金術師に作らせた所で、これほど回復するなどとても思えない。
オード辺境伯が抱えた爆弾は、このイオニス領だけでなく、国全体を巻き込むほどの破壊力を持つかもしれない。
「今まで貴様がやって来た事、全てにケジメを付けて貰う。…連れて行け」
「わ、わたくしを捕まえて、この領が無事で済むとお思いか! オード辺境伯家が滅びても良いと言うのか!」
喚くアドモンを軽蔑の眼で見つめながら、オード辺境伯は大きく溜息を吐いた。
この男は、どこまでも見苦しい。
「思えば…クレアの事もあり、私は臆病になっていたのだな。今家を無くす訳にはいかんと、ただそればかりを考えていた。…それが、貴様のような豚を増長させる原因になってしまった。…領民達を一番裏切っていたのは、誰でもない私と言う訳だ」
地の底から響くような重い声。
懺悔とも怒りと取れる、複雑な感情を乗せた声が、ロビー内に響く。
「ぶ、豚…!? さすがに無礼ですぞ!」
「…アドモン男爵。貴様、目の前に居る相手が誰か解っているのか?」
ゾクリ、と冷たい物が這う感触を、アドモンは確かに感じた。
これまでの疲れ切った老人の目ではない、冷酷さと獰猛さを併せ持った、貴族と言う名の獣がそこに居た。
「私は辺境伯だ。男爵がどの口で無礼と言う?」
「ひぅ…」
アドモンは威圧に屈し、その場で座り込む。
助けを求めようと視線を巡らせた時、物影から覗いていたアリアが目に止まった。
「れ、錬金術師が何故こんな所に居るのですか! き、貴族としていかがなものかと思いますぞ!」
「口の減らん男だ。…アリア、こっちへ」
出て行っていいものかとハリスを見れば、ハリスの方もゆっくりと頷いた。
招かれるまま、トコトコとオード辺境伯の元へ向かえば、辺境伯は口元を緩ませアリアに微笑む。
「アリア、色々な者に何度も聞かれてうんざりしているかもしれんが、ここでもう一度聞いておこう。君は錬金術師か?」
「いいえ、違います」
答えは変わらない。
だが、この意味合いは以前と少し異なる。
アリアとしては、錬金術を学び、その知識を継承していく覚悟はある。
ただ、錬金術師として生活していくかと言われれば、特に何も考えていないのが現状だ。
モリィが存命であったなら、彼女の元で彼女の後を継ぐと言うのも有り得たし、当初はそのつもりもあった。
しかし、モリィからは多くを教わる暇もなく、彼女は旅立ってしまった。
アリアが今すべき事は、モリィの技術を再現し、失わせない事。
その間の生活を安定させる事。
モリィの技術を再現した後でなら、錬金術師としての道もあるだろう。
だが、今のアリアに選べる選択肢は多くない。
オード辺境伯の提案に乗れば、錬金術を学びながら、仕事を得られる。
アリアにとっては渡りに船なのだ。
「メイドのアリアと申します」
そう言って、貴族であるはずのオード辺境伯、アドモンさえ目を見張るような見事なカーテシーをして見せた。
彼女がメイド教育を受けていると言われて疑う者はいないだろう。
いよいよ、素性が解らない娘だ。
オード辺境伯はその言葉を飲み込み、アドモンへと向き直る。
「そう言う事だ。今後は私の屋敷で雇う事になる」
オード辺境伯家で働くと言う話は提案止まりだったが、メイドを名乗ったと言う事は遠慮なく庇護下に置いていいと言う事だ。
オード辺境伯はその意を汲み、アドモンの前で啖呵を切る。
「そ、そんな馬鹿な話が…!」
「馬鹿な話? ―――誰に言っているのだ?」
「ひぃっ!?」
若い頃はグロームスパイアから出て来た魔物を討伐し、苦しい戦いでも最前線で指揮を執っていた人物である。
その気迫は、普通の者に耐えられるほど容易いものではなかった。
今までそれを表に出す機会が無かっただけ。
腹を括った辺境伯は、それを隠す事もしない。
そして、今日まで潜り抜けて来た苦難が、今日までの苦労が、オード辺境伯の迫力を増していた。
それは、全盛期を超えるものであっただろう。
「貴様が何故勘違いしているかは知らんが、アリアは一度足りとも錬金術師を名乗った事は無い。そうだな?」
「はい」
「しかし、そ、その娘はあの錬金術師と…」
往生際の悪い男だ。
こちらの非を突いて、辺境伯家を道連れにでもしようと言うのか。
いい加減追い出そうかとオード辺境伯が考えた所で、アリアが一歩前へ出た。
「迷っていた所を救われ、三日ほどお世話になっておりました」
「み、三日…?」
「弟子か何かだとでも思っていたか? とんだ見当違いだな」
三日と言う話はオード辺境伯も知らなったが、そんな短い間で学べる事などあまり無いだろう。
…実際に薬を作っている所を見ている分、余計に理解し難い話である。
「その見当違いの所為でかなりの迷惑を被ったと言う。…解るか? これは貴様の尻拭いでもあるのだ」
アドモンが余計な事をしたから、アリアに配慮せねばならなくなった。
配慮の結果として、仕事を斡旋すると言う形を取った。
…そんな事実はないが、この際、全てアドモンの責任にしようと言う腹である。
そうすれば、他の貴族達からアリアの事を指摘されたとしても、この理由を盾に言い逃れが可能と言う判断だった。
「言いたい事は終わりか?」
「し、しかし、その娘は薬を作っていて…!」
「では、その証拠は? 薬の実物が無いのなら貴様の妄言に過ぎんぞ。そして、その薬が錬金術によって作られたかどうか、そこまではっきりと解るのであろうな?」
アリアは確かに、自分で薬を作ったと言った。
しかし、実物が無い。
唯一アリアの手を離れた薬は、アドモンが売ってしまったからだ。
手元に残っていたとしても同じ事。
その薬が錬金術で作られたものか、判断する方法など無い。
そんな方法があったなら、そもそもクレアに飲ませる前に確認している。
そして、その薬を作ったのが誰なのか、どうやって判別すると言うのか。
薬を見ただけで、誰が制作したものかなど解るはずもない。
むしろ、錬金術によって作られた薬だと判明したなら、今度は『アドモン男爵』が何故錬金術師の薬を持っているのかと言う話になる。
アドモンは薬師局の局長であるが、薬師局では錬金術師の薬を扱ってはいない。
つまり、アドモンが私的に手に入れる以外、入手の方法は無いのだ。
錬金術師の薬を手に入れた貴族が、周りの貴族からどう見られるか……それはアドモン自身も良く知る所である。
「ぐ…うぅ…」
「反論は無いようだな。…さっさと連れて行け。もう二度と顔を見せるな」
「わん!」
脱力しきって、立ち上がる事さえ出来ないアドモンを、兵士達が引き摺って行く。
その背に向けてフォックスが吠えると、アドモンの背中に一瞬光が灯った。
「フォックスさん?」
「わんわん!」
アドモンが嫌いだと言うイメージは伝わって来るが、何をしたかまでは解らない。
アリアは少しだけ首を傾げながらも、それについて深く考える事は無かった。
――――アドモンの背中に灯ったのは、不幸の印。
精霊から見放された者に付けられる、断罪の証。
それが押された者にどんな未来が訪れるかは――――どんな書物にも記されていない。




