第24話 オード辺境伯家とは
治療が済んだ後、オード辺境伯とクレアを二人きりにしようと、側近がアリアを連れ出した。
今、アリアは来賓室でお持て成しを受けている所である。
「急でしたので間に合わせになってしまいましたが、我が家の料理長が腕を振るった料理です。是非、ご堪能下さい」
「ありがとうございます」
夕食にはいい時間だ。
味の想像が出来ない料理が並び、食事を楽しむ事を知ったAIには嬉しい時が訪れた。
顔は能面のような無表情であるが、これはこれで喜んでいるのである。
まぁ、アリアより先に、フォックスがバクバクと食べ始めているが。
「フォックスさん、テーブルの上で直接お皿から食べるのは行儀が悪いですよ」
「わん!」
傍に控えていた側近が、チラリとアリアを見る。
その目には若干、困惑の色が見えた。
「……失礼ですが、フォックス…と言うのは?」
「すみません、モリィさんの家に居たペットです。今は私がお世話しています」
……ボクってペットだったの? そんな事を思いながら、愕然とした様子でアリアを見上げるフォックス。
手に抱えていた肉がポロリと落ちた。
「……その、ペットと言うのはどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「ここにいますが…」
アリアが指す先を見ても、そこに何者も見えない。
普通の人間に、精霊を見る事など出来ないのである。
しかし、誰も手を付けていないはずの料理が減っている。
一瞬、持ち上げたかのように見えた次の瞬間に、いずこかへと消えているのだ。
「……これは……」
少なくとも、『何か居る』のは間違いないらしい。
「フォックスさんはイタチであり、犬であり、狐でもある精霊なんだそうです」
「わん!?」
違う、と言う否定の声は届かず、アリアはうんうんと頷いている。
解っていると言わんばかりの仕草であるが、何一つ伝わっていない。
「イタチ、犬、狐でもある精霊……」
彼も精霊と言う存在は聞いた事がある。
尤も、それはおとぎ話の中での存在であり、彼自身は実在を信じていなかった。
とは言え、目に見えない何かが居るのは確か。
それが精霊と言うのであれば、今まで目撃報告が無いのも納得が行く話だ。
だが、彼の頭の中には、イタチと犬と狐が混ざった化け物が暴れ回っている。
「き、危険は無いので?」
「時々唸りますが大丈夫ですよ」
…それは本当に大丈夫なのだろうか。
頭の中のイメージが唸った時点で、かなり身の危険を感じるのだが。
「……お食事中、話し掛けてしまい失礼しました」
もう少し安全性について尋ねたい所ではあったが、アリアが肉を頬張ったのを見て、側近は一礼する。
もっしゃもっしゃと咀嚼しながら、アリアはその動きを観察していた。
…長い時間を掛けてそれを飲み込むと、今度はアリアから側近に話し掛ける。
「そう言えば、お名前を伺っていませんでした。私はアリアと申します」
「…わたくし、オード辺境伯の元で家令をしております、ハリスと申します」
家令と言う事は、身の回りの世話以外に資産管理なども行っている人物と言う事だろう。
実質的に、この家を取り仕切っている責任者と言える。
「私がメイドになった場合、ハリスさんが上司になると言う事ですね」
「一応は。とは言え、あくまで表向きの話ですが」
アリアに求められているのはメイドとしての仕事ではない。
人前ではそのように振る舞うとしても、彼女は錬金術師としてオード辺境伯家に必要とされているのだ。
「ご存知とは思いますが、錬金術師は人から避けられます。貴族が囲ったとなれば、意地の悪い貴族から後ろ指を指される事になるでしょう。貴族にとって、横の繋がりとは非常に大きなものですので、最悪は衰退にさえ繋がります」
錬金術師の存在が知られれば、オード辺境伯家にとっても大打撃となり得るのだ。
「もし仕える気がお有りなのであれば、息苦しいかもしれませんが、人前ではわたくしに従って頂けますようお願い致します」
あくまでただのメイドを装えと言う事だ。
そして、それはアリアにとっても悪い話ではない。
どの道仕事は探さねばならないし、クレアの様子とてまだ目を離せない状態なのだ。
唯一気になるとすれば、モリィの墓と家の事ぐらいか。
「……オード辺境伯とのお話次第にはなりますが、前向きに考えていました。良ければ、オード辺境伯家について教えて頂けませんか?」
口に物を入れながら喋らないのは結構だが、一度に含む量が多いので発言までが長い。
行儀がいいのか悪いのかなんとも言えない所だ。
今も、話終わった途端、ハムスターのように頬を膨らませている。
「……では、相槌などは結構ですので、一通り語らせて頂きますね」
こんな形で気を遣うハリスである。
オード辺境伯家とは、かつては戦場の最前線に立つような武勇に優れた家柄であった。
その力を見込まれ、グロームスパイアからの砦としてこの領地を賜ったのである。
しかし、作物に恵まれず、魔物の被害も多い土地であり、歴代の当主が努力したにも関わらず少しずつ衰退していった。
今ではかつてほどの力など無く、金銭面でも厳しい状況に置かれている。
それでも、現辺境伯や娘婿の力もあり、なんとか保って来た領地であったが、娘の病死、娘婿の死が続き、最近は急激に力を落としていた。
後を継ぐべきクレアも、魔瘴病で伏せっている状態なのだから猶更である。
「お婿さんは何故亡くなったのですか?」
「王宮のパーティに招待された際、王の暗殺を企てた者が居りまして…。その身を挺して王を守った事で、そのまま帰らぬ人となりました」
それで勲章や褒賞なども与えられるはずであったが、オード辺境伯の直接の子ではないとして、実家の方が異議を申し立てた。
オード辺境伯もふざけるなと反論したが、辺境伯領への流通路を握っていた家でもあり、最終的にはオード辺境伯が折れる事となった。
元々、娘婿もそんな実家が嫌で婿に出たのである。
クレアの身体が弱い事は貴族達でも有名な話らしく、後の無い家と噂されている。
乗っ取りを考える者や、辺境伯家が滅んだ後、この領を賜ろうとこの領地で実績を稼いでいる貴族も居るようだ。
アドモンなんかがその筆頭である。
「こんな地に来てくれる人員などほぼ居ない中では、彼等のような邪な者であっても、利用しなければただ滅びを待つだけとなるのです」
問題が多いアドモンが放置されていたのは、そう言った背景があった。
それに、もし貴族を罰する動きを見せれば、この領を支える貴族達から反発があるだろう。
抗う力がオード辺境伯家には無いのだから、彼等も好き勝手言えるのだ。
それでも、最低限の秩序を保って来たのはオード辺境伯やハリスの頑張りがあってこそである。
「……使用人がいらっしゃらないのは、そう言った理由があるのですね」
「いえ、使用人に関しましては、アリア様の素性を知られないようにと、この場に呼んでいないのです」
この場にはハリスしかいないが、屋敷の中にはそれなりに居るらしい。
尤も、オード辺境伯家の状態を考えれば、使用人の中にどんな人間が混ざっているか知れたものではないが。
「さすがに暗殺者などはいないでしょうが、スパイぐらいは混ざっているでしょう。家で起きた事は、すぐに貴族達に知られると思った方がよろしいかと」
ハリス一人でアリアに対応する訳である。
錬金術師を家に招いたなどと知られれば、それこそオード辺境伯家にとってトドメとなる情報だ。
「……私の薬を使ったと聞きましたが、そちらは大丈夫なのですか?」
「その薬が錬金術師の薬とは知りませんでしたし、何より、アリア様自身が錬金術師を名乗っていません。言質を取られなければ、噂の域を出ない話です」
薬を使用したのは、腕は無くとも本物の医者だった。
薬のルートを辿れば、元々の持ち主は錬金術師ではないと否定した娘だ。
この件で追及するのは無理だろう。
モリィの薬に関しても、足取りを知られないよう十分に注意して手に入れていた。
病に詳しい者…アドモンなどは気付いていただろうが、証拠も無く追及出来るはずがない。
どれもこれも噂。
さすがに決定打には遠すぎるし、今すぐ辺境伯家を潰したとて、領地を乗っ取るだけの実績を持つ者が居ない。
そんな実績を積ませないよう、オード辺境伯が立ち回って来たのだから。
つまり、この領を欲しがる貴族にとっても、今の段階でオード辺境伯家が潰れては困るのだ。
「であれば、私の事が知られても、実績を積むまでは問題にならないのでは?」
「いえ、そうとも言えないのです」
乗っ取りを考えていない家からすれば、錬金術師を囲った家に関わりたいとは思わないだろう。
疎遠となり、支援してくれる家が減れば、オード辺境伯家は衰退し、滅びる事になる。
乗っ取りを考えていない以上、オード辺境伯家が何時潰れようが関係は無いのだ。
(かなりのリスクを背負った訳ですね)
オード辺境伯家は、アリアと言う毒を飲んだに等しい。
アリアが錬金術師だと言う情報は、今までの努力を無に帰すほどの猛毒なのだ。
「…不自由な思いをされるのは間違いないでしょう。ですが、せめてクレア様が完治するまではお力添え頂けますよう、わたくしからもお願い致します」
きっちりとした礼で頭を下げるハリスを見ながら、アリアは頷く事で肯定を伝える。
口の中に食べ物が詰まっていて、声が出せなかったのである。




