第23話 治療
オード辺境伯は言葉通り、必要な素材をあっと言う間に集めて見せた。
アリアは素材を確認すると手早く薬を作って見せる。
初めて作る薬であったが、作り方は頭の中にあり、その作業に非常にスムーズであった。
結果、オード辺境伯との話し合いから、物の数時間で完成品が出来上がった。
…だが。
「私自身作るのが初めての薬です。効果を確認する為にも、誰かに飲んで――――」
「私が飲もう」
横から奪い取って飲んだのはオード辺境伯である。
アリアはそれを目で追いながら、特に止める事もしない。
少なくとも、失敗したとて命に関わるような素材は入っていないのだ。
だが、慌てたのはそれを見ていた側近である。
「ご主人様! そのような真似は―――」
「構わぬ。今は一分一秒とて惜しい。何かあっても、錬金術師の薬を頼ったわし自身でツケを払うと言うだけの事だ」
これは孫娘の為であり、アリアを測る儀式でもある。
その心の底を覗き込めず、それでも信じる事にした自分の身を対価に、確証を得ようと言う訳だ。
同時に、オード辺境伯なりのケジメと言う側面もある。
アドモンを今日まで野放しにした責任と謝罪、そして、アリアと言う錬金術師をこれから匿って行くと言う決意表明だ。
「しかし、今何かあればアドモンの件も……」
「わしに何かあれば縁戚から領主が選ばれるだろう。グロームスパイアに面したここの領主だ。半端な者は送られて来るまい」
薬が出来上がるまでの数時間の間に、これからの事や貴族達への説明を兼ねた遺書を用意した。
最初から、アリアの薬を飲む第一号は自分と考えていたのだ。
「……しかし、別になんともないな」
「この薬は、一時的に身体の活性化を促す物です。魔瘴病患者の死因は衰弱死である為、活性化を行い、体調を整える事で悪い魔力を吐き出す土壌を作ります」
「……それだけなのか?」
「はい」
何かもっと凄い効果なのかと思えば、身体の活性化と言う単純な効果であった。
それだけで済むのであれば、もっと早くに薬が作られていそうなものである。
アリアは素っ気なく答えたが、実はこの薬、見る物が見れば絶句するようなとんでもない薬である。
身体の活性化と言えば簡単であるが、それは普通反動があるものなのだ。
一時的に身体の中を酷使させ、薬が切れた頃には疲弊や眠気が襲って来る。
そんな薬を衰弱させた者に飲ませれば、薬の効果によってその寿命を短くさせるだろう。
モリィの作ったこの薬は、その反動を抑え、身体への負担をほぼ無くしたもの。
健康体であれば悪い魔力を排出出来るのだから、身体を活性化して、一時的にでも健康にすれば悪い魔力は排出される。
問題は衰弱した者が、その反動に耐えられないと言う点。
そこさえクリアすれば、この病気は難しいものではない。
世の人々は、そんな単純な答えに行きつきながら、現実にそんな夢のような薬は作れぬと他の方法を模索したのである。
しかし、モリィはそれを逆と考えた。
活性化させる以外に持ち直す方法が無いのであれば、薬による負担を無くすしか無い。
夢のような薬を作らなければ、そもそも治療は不可能と結論付けたのである。
「浸食された魔力に関しては別の薬を使います」
悪い魔力が排出された所で、患者の魔力が浸食された状態なのは変わらない。
身体に見立てるなら、肉体が腐る原因を取り除いた所で、腐った所が治る訳ではないのだ。
その治療はまた別の話。
「浸食された魔力を一度に排出されると、体内の魔力が失われ、再び体調を崩して魔瘴病が再発します。なので、こちらに関しては時間を掛けて治療していく事になります」
普通の人であれば魔力が排出された所で頭痛や眩暈に襲われる程度。
しかし、すでに魔力が浸食されている者は、その僅かな体調変化が原因で再び浸食が始まってしまう。
浸食された魔力とは、原因となった悪い魔力と同じ性質を持ち、宿主の魔力を侵食し始めるのだ。
故に、患者の体調を見ながら行っていく、繊細な治療が必要とされるのである。
「それは、長く掛かるのか?」
「患者によりますが、モリィさんの試算では、死の淵に置かれた者でも一年ほどあれば完治出来るとか」
オード辺境伯に異常が無い事を確認し、アリアは作った薬をまとめる。
「問題は無いようですし、薬を飲ませてみましょう」
「ああ……解った」
オード辺境伯の顔に、緊張の色が見えた。
◆
「クレア……」
アリアと共に訪れた部屋は、シンプルな家具に囲まれた上品な部屋であった。
そこのベッドに横たわるのは、十代中盤と思われる金髪の少女。
整っていたであろう顔立ちは、頬がこけ、目が窪み、顔色も白を通り越して青くなっている。
「……」
呼吸もか細く、近くに寄らねば亡くなっていると見紛う状態だ。
オード辺境伯は、縋るようにクレアの手を握り、その様子を悲痛な顔で見つめる。
「…治療を始めても?」
側近の目が空気を読めとばかりにアリアへ向いた。
しかし、時間を掛けるほど悪化していくのも間違いではなく、この場合はむしろアリアが正しいのかとかぶりを振る。
もう少し気を使った言い方ぐらいはあっただろうと思うが。
「…ああ、頼む」
オード辺境伯は握っていた手を離し、治療の邪魔にならないよう後ろへ下がる。
それに頷くと、アリアは少女の口を僅かに開き、その口に薬を数滴垂らす。
「……そんなものでいいのか?」
「衰弱した状態からの急な活性化は、むしろ毒になる事もあります。状態を見ながら少しずつ投与しなければなりません」
さっき一気に飲んだオード辺境伯は、自身の身体を見下ろす。
「…身体はどうですか?」
心配になった側近が慌てて駆け寄り、小声で尋ねた。
「いや、特には……。ん、いや…肩こりや腰痛が無くなっているような……」
自身に起こる変化にオード辺境伯は気付いてしまった。
具合が悪くならないかにばかり気を取られ、自分の活性化状態に気付いていなかったのである。
長年付き添った肩こり、腰痛が消え、視力の衰えまでも感じさせない。
身体が若返ったような感覚に、オード辺境伯は驚くばかり。
……同時に、アリアの持つ薬がとんでもない代物なのではないかとようやく思い至った。
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
効果が高すぎる薬を前に、逆に心配になってしまうのは人の性だろうか。
しかし、オード辺境伯が改めてアリアを見た時には、アリアがグイっと薬を飲ませている瞬間であった。
瓶ごと口に突っ込んで、それは雑にも見える飲ませ方である。
「お、おい…!」
止めるべきか否かオロオロとする辺境伯を前に、アリアは相変わらずの無表情で暴挙に及ぶ。
ちゃんと飲むようにと鼻まで摘まんでいるのだ。
貴族の令嬢に対してなんて事をするのだろう。
相手は病人だぞ、と言う言葉を発する寸前、アリアは瓶を口から抜いた。
…どうやら、全て飲み切ってしまった後のようである。
「……意外と飲めるものですね」
「どういう意味だ!?」
アリアとしては、消化器官も弱っているだろうし吐かれる可能性も考えていたのだが、少女は抵抗なくスッと飲み込んでしまった。
場合によってはマウストゥマウスも辞さない構えであったアリアには、余計な手間が省けたと言った所だろうか。
いや、目の前でよく解らん奴に孫娘の唇を奪われずに済んだと言う、辺境伯にとっては朗報であったかもしれない。
「その薬は本当に――――」
「んんっ……」
不安に駆られ、大声を上げてしまったオード辺境伯に、求めていた声が聞こえて来た。
「クレア…?」
少女の口から声が漏れ、数瞬後にはその目が開かれた。
草原を思わせるような緑の瞳が、虚空を彷徨い、やがてオード辺境伯へと注がれる。
「お爺様…?」
ここ数日、殆ど話す事も出来なかった孫娘を前に、オード辺境伯は口元を抑える。
振るえる肩が、その感情の度合いを現していた。
一時は危ない状態になり、アリアの薬で持ち直したものの、薬の効果が切れれば再び意識は混濁したものへと変わってしまった。
もう限界なのかと何度も思った。
情けなく取り乱しもした。
だが、今、クレアは確かにその目を開き、声を発している。
「お加減は如何ですか?」
「…貴女は?」
「アリアと申します。貴女の治療を行わせて頂きました。異常があれば早めにお知らせください」
目の前の可憐な少女にそう言われ、困惑しながらもクレアは自分の身を確かめる。
以前は苛まれていた眩暈も、頭痛も、何も無かったかのように鳴りを潜めている。
不思議に思って身体を起こせば、クレアの意のままに身体が動いた。
「クレア…!」
「寝たきりであったのなら筋力が弱っているはずなので、ご無理はなさらないでください」
感極まったオード辺境伯の声を後目に、アリアはクレアの様子をじっと見つめる。
腕もやせ細り、骨が見えてしまっている。
筋肉信者としては痛ましい光景だ。
「活性化の影響もあり、多少の無理は効くようです。とは言え、後々に響く可能性もありますので、まだ寝たままの方が良いでしょう」
振り返ってオード辺境伯にそう言えば、オード辺境伯は震える口元をなんとか動かした。
「クレアは…大丈夫なのか…?」
「治療が完全に済むまで過信は禁物ですが、一先ず命の危機は脱したかと」
その言葉を聞いた瞬間、オード辺境伯の瞳からボロボロと涙が溢れた。




