第22話 幻の薬
「――――…すまない、今なんと言ったかね?」
「何度レシピ通りに作り直しても、想定の数十倍もの効果が出てしまい、効果を下げる事が出来ないのです。傷の治療に関しては上級ポーションを超えてしまっています。これでは下級ポーションを名乗れません。作り方に間違いがあった訳ではないので、やはり私の筋力が足りていないのが原因でしょう」
意味が理解出来ずに聞き返せば、一言一句正確に繰り返すアリア。
オード辺境伯は達観した気持ちで髭を撫でる。
想定以上の効果が出たのなら、それは失敗作ではなく、大成功と言えるのではないか。
何故、効果を下げる為に苦心するのか。
上級ポーションを超える下級ポーションとは、もはや別の薬と考えていいのではないか。
原因が何故、筋力不足に結びつくのか。
ここまで来ると、一つ一つ指摘する事すら無粋な気がして来るから不思議である。
「……その、効果が高いのは良い事ではないのかね?」
「いえ、私が作っているのは下級ポーションですので。規定の効果でなければ下級ポーションを名乗れません」
…つまりは、手作業で作った物の中に、一つだけ奇跡的な仕上がりになっては、同じ値段で売れなくなるとかそんな話だろうか。
そこまでは理屈として解らないでもない。
「…筋力…が、何か関係していると?」
「はい」
何故、関係しているのかについては答えて貰えなかった。
ただ、真っ直ぐな瞳で当然だと言わんばかりに断言されてしまった。
少なくとも、アリアの中では何かそうと言えるだけの根拠があるのだろう。
オード辺境伯はかぶりを振り、この件については先送りする事にした。
…自分の理解が及ばず諦めたとも言う。
「…君は、錬金術師を目指すのかね?」
「いえ、特にそう言った事は考えていません」
「しかし、モリィの技術を学んでいると報告を受けているが?」
「知識や技術を後世へ残す為です」
…それは、錬金術師になると言う事ではないのか。
オード辺境伯の中にある常識、あるいは理屈と言ったものがアリアには通じない。
と言うより、何か違う価値観の元に生きているのだろう。
「…残してどうする?」
「後世で使われるかもしれませんし、何か別の学問へと変わって行くかもしれません」
なるほど、とオード辺境伯は頷いた。
解らない事だらけのアリアであるが、彼女が言っているのは『可能性を残したい』と言う事……それは、オード辺境伯にも納得の行く話であった。
失われてしまえば取り戻せない。
極当たり前の事を、アリアは惜しんだのだ。
「では、君自身はどうするのかね?」
「どうするとは?」
「錬金術師になる訳でないのなら、日々の糧を得る術を探さなければなるまい?」
……ぽん、とアリアが手を叩いた。
なんだその反応はと、オード辺境伯の眉間に皺が寄る。
「…まさか、考えていなかったのかね?」
「モリィさんはどうしていたのでしょうか?」
「……君が会っているかは知らんが、ガリオンと言う男に薬を売っていたようだ。錬金術師が忌諱されているとは言え、その薬にはある程度の需要があるからな」
ふむ、とアリアは考え込む。
元々、モリィの事を伝え、その後の事を判断する為に、ガリオンから情報を集めるつもりだったのだ。
それが躓いたのはアドモンの所為。
思い返せば思い返すほど、アリアに立ち塞がる男である。
「もし当てがないのであれば、少し提案がある」
「提案ですか?」
「君はこれからも錬金術を学ぶつもりなのだね?」
「はい」
アリアと言う人物には解らない事も多い。
ただ、少なくとも悪意ある人間には思えない。
それがオード辺境伯の結論である。
…その感覚が、どこまで当てになるかさえ解らない相手ではあるが、オード辺境伯は自分の勘を信じる事にした。
少なくとも、それで孫娘が救われる可能性があると。
「…では、我が家に勤め、錬金術を学んではどうだろうか?」
「……お抱えの錬金術師、と言う認識でよろしいでしょうか?」
勤めると言う表現を使った以上、オード辺境伯家に仕える錬金術師と言いたいのだろう。
そう考えたアリアであったが、オード辺境伯は首を振って否定した。
「先ほども言った通り、錬金術師と言うのは世間で忌諱される存在だ。我が家が迎え入れたとなれば悪い噂が立つ。表向きは……そうだな、メイドとして雇うと言う事でどうだろうか」
「メイド…」
「メイドではあるが、錬金術を優先して構わない。…ただし、条件が二つ」
オード辺境伯が、そのごつごつと角ばった指を二本立てて見せる。
「一つは、制作した薬品の報告。個数と、新しい薬であればその効果も。…ああ、失敗作も、従来の物とどう違うのか報告して貰いたい」
アリアが失敗作と断じた薬は、オード辺境伯の孫娘にとっては救いとなった薬だ。
失敗作だとして報告されなければ、本来必要とされる時にその存在を知らないなんて事にもなりかねない。
「もう一つは、ある薬の研究だ」
「ある薬とは?」
オード辺境伯にとって、これが何よりもの本題である。
眉間の皺がより深くなり、口元も引き締めたものへと変わっていった。
「…魔瘴病と言う病気は知っているかね?」
「はい」
モリィの遺した本には病気に関する本も存在し、アリアもそれに目を通していた。
魔瘴病についてもそこに書かれていたのである。
「身体の弱っている人が患い易い病気であり、悪い魔力を取り込む事によって起きる症状とされています。本来抵抗力のある人であれば、体内に取り込んだとしても外へと輩出されますが、抵抗力の弱っている人は輩出しきれず、内に取り込んでしまいます。これが魔力の流れを阻害、あるいはその患者の魔力を侵食する事に繋がり、体調不良を起こします。症状としては高熱、吐き気、食欲不振、眩暈。元々身体が弱っている患者が掛かり易い事もあり、衰弱死に繋がる可能性が非常に高い。―――この認識でよろしいですか?」
「う、うむ」
想像より遥かに詳しい説明を受けて、オード辺境伯の方がたじろいでしまう。
この説明に関しては、モリィの遺した本の内容だけでなくアリアの分析も含まれる。
妙に詳しく聞こえるのはそれが理由だ。
「この病気を治す為の薬を開発してほしい」
オード辺境伯の言葉を受け、コテンと首を傾げるアリア。
何故か、と言う問いと判断したオード辺境伯は、その理由を苦々しく告げた。
「…私の孫娘…クレアがこの病気を患っているのだ。私の娘も身体が弱く、クレアを産んだ時に亡くなっている。…クレアもその体質を受け継いでしまったらしく、他の街への移動中に体調を崩してな……。どこかで悪い魔力を取り込んでしまったらしい。それ以来…床に伏せって起き上がれないままだ」
「―――そうですか」
そう答えはするものの、アリアは首を傾げたままである。
何か疑問があるのかと思い、オード辺境伯は更に詳しく続ける。
「病魔に侵されてから、すでに三年もの時が過ぎた。これまでは……モリィが作った下級ポーションを手に入れ延命させて来た。…モリィが亡くなり、薬が手に入らなくなった事で、一時は危ない状態にまでなってしまった」
「―――そうですか」
「君が作ったと言った薬だがな。巡り巡って私の元に辿り着き、孫娘の命を救う結果になったのだ。…少なくとも、君の協力があれば孫娘の延命が可能と言う事でもある」
「―――そうですか」
これまでの経緯は説明したつもりだ。
だが、相変わらずアリアは首を傾げ、何かに疑問を持っている事を伺わせる。
オード辺境伯もいまいちその理由が解らず、ついに尋ねた。
「…何か気になっているのかね?」
「いえ、事情は理解しました。ただ…魔瘴病の薬は、開発せずとも存在しますが……」
「………何!?」
アリアが首を傾げていた理由。
それは事情について首を傾げていたのではなく、さっさと薬を使えばいいのにと言う疑問だったのである。
「モリィさんの錬金術書に、魔瘴病の治療薬についても書かれています」
「馬鹿な! 魔瘴病の治療薬が存在するなど聞いた事も無いぞ!」
「そう言われましても」
詰め寄るオード辺境伯に、相変わらずの無表情で返すアリア。
二人が知らない事であるが、この治療薬はモリィのオリジナルである。
ある患者の為に作られた薬であったものの、完成前にその患者が亡くなってしまい、使用される機会の失われた薬だ。
世に出ていれば革新的な薬ではあったものの、錬金術師と言う立場から世間に追いやられていたモリィには、それを広める術が無かったのである。
もし広めようとしても、モリィの話を聞いてくれる奇特な存在が居たかも怪しい状態であったのだ。
そう言った不幸から、この薬は日の目を見ず、今の今まで知られていない幻の薬となっていたのだった。
「その薬、すぐに作る事は出来るか!? 金なら幾ら請求してくれても構わない!」
「作ろうにも素材が―――」
「すぐに集めさせる! 何が必要だ!?」
あまりの剣幕に、表情こそ変えないがアリアは驚いている。
同時に、やはり錬金術を失わせるべきではないと決意を新たにするのであった。




