第21話 AIと辺境伯
「アリアと言う娘は君か」
「はい」
アリアが通されたのはオード辺境伯の館、その来賓室である。
アンティークの数々が並べられ、如何にも貴族の館と言った空間であった。
尤も、避難しに来たはずなのに、何故そんな所へ案内されたのかは解らないままだったが。
「グロームスパイアは異変が起きていると言う話だったが、危険は無かったかね?」
「はい」
オード辺境伯は身体も大きく、アリアが見上げるほどの人物だ。
そして、撫でつけられた髪に混じる白髪や、整えられた口髭からは気品と苦労を感じさせた。
眼光こそ鋭いものの、纏う空気は落ち着いた紳士のものである。
お互いソファに座り、一対一…いや、一対一と一匹で対面するような形で話し合っている。
一体、これは何の時間なのかとアリアは思う。
少なくとも、領主が避難して来た一般人に行う対応ではないだろう。
「…家を心配しているとの報告を受けたが、それに関しては安心したまえ。君が避難して来た頃から、グロームスパイアの方も落ち着きを取り戻したようだ」
「そうですか」
グロームスパイアの魔物達は今頃、命の有難みを実感している事だろう。
端的な返事しか返さないアリアを見て、オード辺境伯は頭を悩ませる。
少し変わった様子の娘だとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
貴族としての経験がアリアには通じない。
表情の僅かな動きすら無く、声にも感情が感じられない。
美しすぎる顔の作りも合わさって、本当に人形のように映る。
「ああ、以前住んでいた錬金術師、モリィの遺品が遺されているのだったな。…それはどうするつもりなのだ?」
「ご遺族の方に渡せればと思っています」
遺族…。
口の中でそう呟いて、オード辺境伯は髭を撫でる。
モリィに遺族が居ない事は調べさせた。
アリアはそれすら知らないらしく、いよいよモリィとの関係性が見えて来なくなった。
「失礼だが…君とモリィとの関係を尋ねても良いかね?」
「あの山を彷徨っていた所を助けて頂きました」
…他人か。
オード辺境伯はモリィと直に会った事はない。
故に顔付きが似ているかどうかは解らないが、少なくとも、噂に聞くモリィの人物像とアリアとは似ても似つかない。
他人と言われても納得の行く話ではある。
…だが、そうするとアリアは何者なのかと疑問に思う訳で。
「君はどこの出身なのだ?」
「出身…?」
ここまで淡々と返事を返していたアリアが、初めて別の反応を見せた。
小さく首を傾げ、その赤い瞳を一瞬だけ彷徨わせる。
(……感情が無い訳ではなさそうだが……)
オード辺境伯は、アリアに対して聞きたい事がある。
だが、まずは信用が置けるのかどうかが重要な確認事項でもある。
…しかし、アリアは今まで見て来た誰よりも難解な相手であった。
「製造元は日本、株式会社プロスペリテックスです」
「ニホン…? かぶ……異国の産まれと言う事かね?」
「はい」
ほぼ当てずっぽうで尋ねただけだったが、アリアはそれを肯定した。
彼女の不思議な要素は、全て異国の民だからと言う事なのか。
オード辺境伯は不自然さは感じながらも、一旦はそれで納得する事とした。
彼にとっての本題はそこではないからだ。
「何か目的があってこの地を訪れたのか?」
「いえ、特には何も」
アリアが今この世界に居るのは、彼女の想定したものではない。
そもそも、この地に来たかった訳でもないのである。
オード辺境伯はアリアの事を測りかねたまま、その様子を観察する。
一挙手一投足見逃さないように。
だが、どれほど注意しようがアリアの考えが読み取れそうもない。
内心の溜息を隠しつつ、少しでも情報をとアリアとの会話を続ける。
「……モリィの遺品についてだが、彼女に遺族は居ない」
「…そうなのですね。であれば、国の方で引き取る形になるのでしょうか?」
「国? …ああ、いや。グロームスパイアはどこの国にも属していないのでな。誰の物にもならんよ。…敢えて言うなら、今の持ち主である君の物だ」
あそこはどこの管理下にも無い場所であり、国の力が及ばない場所。
アリアはそう理解し、同時に疑問が過る。
それはつまり、アリアはこの国の民と認識されていない訳で、薬師局やら何やらから指図を受ける筋合いなど無いのではないかと。
「…薬師局のアドモン・レオナレスと言う方から、錬金術師は薬師局の管理下で働くものと言われましたが、それはこの国の人間でなくとも適用されるのでしょうか?」
「…何の話だ?」
聞き返され、アリアはアドモンから言われた事をそのまま説明する。
それと同時に、グロームスパイアが国に属していないのであれば、そこに住むアリアもこの国の人間ではないのではないかと付け加えた。
言われたオード辺境伯は眉に深い皺を作る。
黙ったままではあるが、その顔には不快感が滲み出ていた。
「…誤解があるようなので訂正させて貰うと、民を管理しているのは国ではなく領主であり、この領では私が管理者に当たる。…その上で先ほどの質問に答えるなら、君はこの領の領民ではなく当然国民でもない。そして、この国の法はグロームスパイアには適用されない」
「であれば、私がこれから錬金術師になったとしても、薬師局の管理下に入る必要は無いと言う事ですね?」
「そもそも、そんな決まりは存在していない。君が錬金術師になっても、誰かの管理下に入る必要などないのだ。…尤も、曰くある職だからな。警戒対象として監視される可能性はあるが」
アドモンから聞いていた話と随分違う。
アリアはまた小さく首を傾げ、それと同時にオード辺境伯の溜息が漏れた。
(アドモンめ…。この娘を利用しようとしたか)
リゲル騎士団長から、アリアは錬金術師の卵であり、モリィの技術を学んでいると報告を受けた。
どうやら、自分で薬を試作した事もあるようで、アドモンの雇ったゴロツキはその薬を狙っていたようである、と。
アドモンはオード辺境伯の孫娘と自分の息子との縁談を望んでいた。
もし孫娘の病気を治せるのであれば、と言う条件付きで。
しかし、薬師局で作られた薬はどれも孫娘に効果が無かった。
今回こそはと持って来た薬も、死の淵にあった娘を救うには至らなかったのだ。
孫娘が長く無いと知ったアドモンが、次にどんな手を使うか。
オード辺境伯にも、今回の件が少しずつ見えて来た。
「君とアドモンの間には、どんなやり取りがあったのだ? 実際に会った事は?」
聞かれた内容を、アリアはすらすらと答える。
そこに淀みは無く、嘘を言っているようにも見えない。
「薬を魔薬と誤解されて持っていかれた、か。自分の薬を手放したのはそれだけだったのか?」
「はい」
その時のやり方もめちゃくちゃだ。
あまりにも傲慢過ぎるやり方に、苦い思いを噛み締める。
人手が無く、しがらみがあったとは言え、あんな男早くに退陣させるべきであった。
アドモンが局長になってから、たった三年でここまで腐っているとは。
オード辺境伯はベルを鳴らすと、扉から側近が入って来る。
それに向かい、怒りを抑えた声で告げる。
「アドモンを捕らえろ。貴族共への説明はわしがする。どんな手を使ってでも、今までの悪行を吐かせろ」
「…はっ」
よほどの怒りを買ったのだろう。
アドモンを捕らえる事で様々な問題が起こるだろうが、それを理解していないオード辺境伯ではない。
その問題を考慮しても、アドモンを捕らえるべきと判断したと言う訳だ。
側近はそれを汲み取り、何も言わずに従った。
「それと、例の薬の瓶が残っていたはずだな? それをここへ」
「畏まりました」
一礼して去って行く側近を見ながら、ここまでの会話を思い返すアリア。
どうも、アリアが知らない話が多くあるらしく、そして自分は関係者であるらしい。
こんな場所に呼ばれたのもそれが原因だろう。
そう思えば、この件に関して知らぬ存ぜぬではいられなかった。
「悪行とは?」
「…君の薬を持ち去った件、法的根拠の無いものだ。そして、それを理由に投獄するなど有り得ない。薬師局に従わねばならないなどと嘘を言い、領民ですら無い者を自分の意のままに操ろうとした。国民でない者の家に勝手に押し入ろうとし、それを阻めば実力行使を行った」
やっている事は詐欺師や盗賊と一緒だ。
そして、それは全て違法に当たる。
尤も、アドモンに掛かっている嫌疑は他にも存在するし、今回の一件はオード辺境伯にしても踏み切るいい切っ掛けになったとも言える。
再び入って来た側近が、トレーに置いた瓶を二人の前へ置く。
「アリア。君はこの瓶に見覚えはあるか?」
「はい。アドモンと言う方が持って行った薬の瓶です」
オード辺境伯は側近に目配せすると、彼は一礼して去って行った。
罪状の追加だ。
この薬は闇市に流れていた薬。
闇市自体が違法である上、利用も禁止されているし、そこに他人の物を売ったとなればそれも犯罪だ。
「アドモンの方は私が対処しよう。…それで、この瓶に入っていた薬は誰が作った物だ?」
「私ですが、魔物由来の素材など使ってはいません」
何か疑われていると思ったのか、アリアは身の潔白を主張する。
「君を疑っている訳ではない。この薬について聞かせて欲しいのだ。これはモリィから作り方を聞いた物なのか?」
「はい。…ただ、想定していた効果が発揮出来なかった失敗作なんです」
「失敗作…?」
オード辺境伯からすれば、今までに無い新しい薬かと考えていた。
それがまさか失敗作などとは思いもしない。
それと同時に、もし成功したものであればどんな効果になるのか。
オード辺境伯にとって、この話は大変興味深いものである。
「本来の効果は傷を治す為の薬です。活力剤としての効果もある、下級ポーションと呼ばれる薬です」
「下…級……?」
錬金術に詳しくないオード辺境伯でも、それがどんな薬なのかは知っていた。
モリィが運搬ギルドに卸していたのは、下級ポーションと中級ポーションであり、孫娘が服用していたのは下級ポーションの方だった。
中級ポーションは単に傷を治すだけであり、病人にも効果があるとされるのは下級ポーションであったからだ。
つまり、アリアの言葉を信じるならば、今までと同じ薬を飲んだだけで今まで以上の回復を見せた事になる。
どういう事かと考え込むオード辺境伯に、アリアは畳みかけるようにして起こった事を話す。
「何度レシピ通りに作り直しても、想定の数十倍もの効果が出てしまい、効果を下げる事が出来ないのです。傷の治療に関しては上級ポーションを超えてしまっています。これでは下級ポーションを名乗れません。作り方に間違いがあった訳ではないので、やはり私の筋力が足りていないのが原因でしょう」
……今度ばかりは、オード辺境伯が首を傾げる番であった。
もはや何を言っているか解らないと言うのが彼の感想である。
アリアの言葉が途切れたと同時、今まで静かにしていたフォックスが溜息を吐いた。




