第20話 胸騒ぎ
ゴロツキの一人が振り下ろした斧を蹴り上げる。
斧はぐにゃりと変形し、見るも無残な状態へと変わった。
「やっぱおかしいぞ、こいつ!」
「化け物か!?」
男達の目的はアリアを捕らえる事。
当初は手加減し、掴みかかろうとしたのだ。
だが、当のアリアは力で上回り、時には彼女の知る制圧術を駆使して相手を投げ飛ばしている。
逆に、相手が人間と言う事でアリアの方が手加減をしている有様だ。
「がはっ! げほげほ!」
背中から地面に落ちた男が、大きく咳き込む。
赤子の手を捻るとはこう言う事だろう。
「くそっ! てめぇらも見てねぇで手伝え!」
「しかし…!」
「アドモンの旦那に報告されてぇか!」
「ぐっ…」
最近よく聞く名だ、とアリアは頭の片隅で考えながらも、ちょっとした不満を感じていた。
いいトレーニングになると思ったのに…と言うのはさておいて、避難勧告が出ていると言ったのは彼等なのに、何故今無駄足を踏むのだろうと。
そうまでしてモリィの家を確認したいのは何故か。
薬に拘るのは何故か。
色々思う所はあるものの、アリアにそれを導き出すほどの情報が無いのである。
ただ一つ解るのは、アドモンと言う男が必ず絡んでいると言う事だけだ。
(アドモン・レオナレス…)
思い返せばあまりいい思い出の無い相手だ。
モリィの死を笑い、何癖を付けられて街に入れず、未だ筋肉師匠にモリィの事を報告出来ていない。
その事を考えると、アリアの身体は熱を感じて、何かがフツフツと湧き上がるのである。
「嬢ちゃん、頼むから大人しくしてくれ!」
剣は抜かず、兵士の一人が説得に掛かる。
だが、アリアは抵抗を止めない。
その赤い目を爛々と輝かせて、無表情に敵対者を叩き伏せていく。
「なんなんだコイツは!?」
腹立たしいと言う気持ちを理解出来ないまま、アリアは淡々と男達を薙ぎ倒す。
身体を動かしていれば、この謎の感情が少し和らぐような気がしたのだ。
筋肉には精神安定効果もあるのだと悟り、信仰を深めるアリアである。
「これは何の騒ぎだ!」
そんな時に現れたのは、一段と豪華な鎧を着た男。
アリアはその顔に見覚えがあった。
街から帰った後、ラジオ体操中にやって来た兵士だ。
「リゲル騎士団長…!?」
「この場は私が預かる。抵抗すれば牢屋に叩き込むぞ!」
アリア、男達、兵士達はその言葉を聞いて、それぞれ別の反応を示した。
アリアは状況が解らず、ただ首を傾げる。
兵士達は元々荒事をしに来た訳ではないので、異議を唱える事も無く大人しくしている。
問題は男達の方。
言葉を聞いた瞬間、リゲル達とは逆の方向へと逃げ出したのである。
「待て!」
「追わなくていい! グロームスパイアを彷徨えば死ぬ事になるぞ!」
リゲル騎士団長の言葉を証明するように、男達の逃げた方角には魔物が一体。
アリアに地獄を見せられたフェルグリムの姿が。
「グオオオ!?」
「うわあ!」
「フェ、フェルグリムだ!」
フェルグリムとてこんな近くに留まりたくは無かったのだ。
しかし、度重なる精神的苦痛により身動きが取れず、泥のように眠ってしまった。
何やら騒がしいと目覚めてみれば、自分の元へ人間達が走ってくるではないか。
アリアでないのは救いだが、フェルグリムからすれば人間には二度と関わりたくないのである。
「に、逃げろ! 殺されるぞ!」
男達が戻ろうとすれば、その先にはゆっくりと歩み寄ってくるアリアの姿。
前門のAI、後門の熊の図である。
「熊さん。目が覚めたのですね」
「グオオ……」
フェルグリムに刻み込まれた恐怖が蘇る。
世にその獰猛さを知らしめた魔物は今、真の恐怖を前にした子熊も同然であった。
「グオオオ!!」
ただただ恐怖から逃れる為に、フェルグリムは逃走を図る。
生き永らえるには逃げるしかないと、本能で察したのである。
…アリアに、このフェルグリムをどうこうしようと言う気は無かったのであるが。
「……森へ帰ってしまいました。やはり、別の個体でなければ駄目そうですね」
あれだけ筋肉を布教したのに、フェルグリムには通じなかったらしい。
残念に思いながらも、アリアは考えを切り替える。
トレーニングの相手はまた別に探せばいいだけなのだ。
「フェルグリムが…逃げただと…?」
目の前の光景に絶句するリゲル。
彼の知るフェルグリムとは、見かけた者を手あたり次第に襲い、食らい、人と出会えばどちらかが死ぬまで戦うしかないとまで言われた凶暴な魔物である。
なのに、アリアを見て逃げ出したように見えた。
どうやら、アリアはただの少女などではなく、得体の知れない相手かもしれない。
リゲル騎士団長はそう考え、アリアへの対応を見誤ってはならぬと考えた。
「少女よ、これは何の騒ぎだったのだ?」
自らが連れて来た兵が男達を捕まえるのを横目に見ながら、アリアに歩み寄るリゲル。
本来聞くべきは所属の知れた兵士達であっただろう。
アドモン直属の兵とは言え、嘘を吐けば一番都合が悪いのは彼等だ。
正しい情報を話す可能性が一番高い相手とも言える。
しかし、何やら無視出来ない存在感がアリアにはあったのだ。
「解りません。家を調べさせろと言われたのですが、モリィさんの遺品もあるので断っただけなのですが…」
「家…?」
リゲルが聞かされていたのは、アドモンの兵が少女を救出に向かったと言う話である。
そこに何か思惑がありそうだと聞かされ、少数精鋭で彼等の後を追ったのだ。
だが、どうやら彼等は家の中に用があったらしい。
「他には?」
「薬について聞かれました」
「薬? 残っていないのではなかったか?」
「私が作った薬です。すでに使い切ったと答えましたが、中を調べさせろと」
リゲルは以前、アリアに錬金術師かを尋ねた事がある。
だが、その時アリアは否定していたはずだ。
「君は錬金術師ではないと言っていなかったか?」
「錬金術師ではありませんが、モリィさんが遺した技術を継承しようと研究はしています」
ここでようやく、リゲルは合点が行った。
アリアは錬金術師の卵…まだ、名乗れるほどの力が無いからこそ、錬金術師ではないと答えたのだと。
…そして、アドモンが狙っているのは彼女が作った薬、あるいはその知識なのだと。
「なんにしろ、こんな場所で長話する訳にはいかんな。…すまないが、街まで同行しては貰えないか? これまでの事を聞かせて欲しいのだ」
「―――…」
「家は荒さんよ」
アリアがチラリと家を見た事に気付き、リゲルは付け加える。
それに安心したのか、アリアはコクリと頷いて見せた。
……無表情で読み難い相手ではあるが、仕草は妙に子供染みている。
なんとも言えない違和感を感じながらも、リゲルは仕事に集中する事にした。
「…ああ、私はリゲル。オード辺境伯の元で騎士団長を務めている」
「挨拶が遅れました事、お詫び致します。私は―――…アリアとお呼びください」
名乗る前に間があったような気がしたが、それには特に触れず、兵達を伴って帰還する事にしたリゲル。
……長年の勘からか、妙に胸騒ぎを感じていた。
何かが起こるような、あるいは現状が掻き回されるかのようなざわざわした緊張感。
――――それは、主にアリアからだった。




