第18話 更なる混沌
「一体、何が起きたと言うのだ…」
グロームスパイアでの異変は多くの者に認知されていた。
飛び回る複数のワイバーンは、街からでも観測出来たのだ。
それはオード辺境伯にも即座に報告され、街には厳戒態勢が敷かれていた。
「このような事、今までは一度も…」
オード辺境伯はこの街で産まれ、六十年の時を過ごした。
時折グロームスパイアから飛び出して来るワイバーンは居たものの、縄張り争いに負けたのか、重症を負ったワイバーンが現れる程度のものだった。
それぐらいであれば対処出来る兵力は確保されている。
だが、複数のワイバーン…それも、無傷の相手と戦うなど想定されていない。
いざとなれば自ら指揮を執る為、オード辺境伯は兵達と共に街の入り口付近に陣取っている。
まだ死ぬ訳にはいかないのにと内心で歯噛みしながらも、それを表情には出さない。
「辺境伯」
「……アドモンか」
彼が振り向いた先に居たのは、アドモン。
周りを自らが用意した兵で囲んでおり、オード辺境伯としては随分と用意が良いように思えた。
「…その兵は?」
「何、街の一大事となれば協力するのが貴族の義務と言うのものでしょう?」
お前がそれほど貴族的な人間なら、わしも苦労してはいないのだがな。
そんな言葉はおくびにも出さず、堂々とした態度のまま頷くにとどめる。
「しかし、グロームスパイアには錬金術師の娘が住んでいたはずですな」
「…錬金術師の娘?」
「聞いておりませんかな? モリィと言う老婆の家に、今は別の錬金術師が住んでいるらしいのです」
オード辺境伯の知る話とは少し異なる内容だった。
彼が聞いていた話では、娘が住んではいるが錬金術師ではないとの事だった。
「危険と解っていながら放置する訳にもいきますまい。我が精鋭に救出させようと思うのですが、いかがですかな?」
「自殺行為だ。認める訳にはいかんな」
「年端も行かぬ娘を見捨てると?」
オード辺境伯はこの状態で兵力を無駄に消耗するのは下策と考える。
恐らく、彼でなくても同じように思うだろう。
娘は気の毒に思うが、貴族として優先順位を間違える訳にはいかないのである。
そんな事をアドモンが理解しているはずもないとは解っていながら、しかし、アドモンが自分の兵を娘一人の為に動かすと言うのは少々違和感のある話であった。
オード辺境伯の知るアドモンは、どこまでも利己的な男なのだ。
「…救おうにも不可能だ」
「何か娘の元へ辿り着く術は無いのですかな?」
やけに食い下がるアドモン対し、疑念が増していく。
オード辺境伯は瞑目し、そして呟く。
「錬金術師に食材を届けていたガリオンと言う男が居る。彼が使っていたルートは魔物が寄り付かん。…どんな手品かは知らんがな」
「ほう? そのルートとは?」
聞き返され、オード辺境伯はアドモンと向き合う。
その目を見ながら、その真意を探る。
「本気で行くつもりか?」
「勿論です」
じっと目を見つめていたオード辺境伯であったが、やがて側近に地図を持ってくるように声を掛けた。
「この地図を持って行くといい。このルートなら魔物は寄り付かぬ。この状況でどこまで効果があるかは保障出来んぞ」
「構いません。娘の事はお任せください」
地図を手にした瞬間、アドモンの口が小さく歪む。
それを見逃すオード辺境伯ではなかった。
用は済んだとばかりに歩き去って行くアドモンの背を見つめながら、地図を持って来た側近に小声で命令を出す。
「…監視を付けろ。ロクな事は考えておらんだろう」
「このタイミングで動きますでしょうか?」
「このタイミングだからこそ動いたのだろう。尻尾ぐらいは掴めるかもしれん」
側近は頭を下げて了解の意を示すと、足早にこの場を去った。
それを見送ったオード辺境伯は、大きく溜息を吐きながら呟く。
「何もこの状況で面倒事を増やす事もあるまいに…」
内心の苛立ちを隠しながら、グロームスパイアへ鋭い視線を投げる。
ここ最近の事件は、どうにもあそこを中心として起こっている気がしてならない。
(何かの前兆で無ければ良いがな)
◆
アリアは頬に触れ、目の前の現実について思考する。
元々の計画では手頃な魔物を捕まえた後、食料を与える事で手懐け、トレーニングに付き合わせようとしたのだ。
しかし、現実はそう甘くなかったらしい。
「…何故こうなるのでしょうか」
「…クゥン…」
力ないフォックスの鳴き声が悲しく響く。
フェルグリムを捕まえて丸一日。
冒険者達に恐れられる存在は今、怯え切って自らが掘った穴に頭を突っ込んでいる。
…その大きな巨体は一切隠せていないが。
本来、フェルグリムと言えば人間が認知する魔物としては中の上ほどの力量を持つ。
特別な能力こそ持たずとも、圧倒的フィジカルで敵を薙ぎ倒す獰猛な魔物だ。
特に、グロームスパイアに居るフェルグリムと言えば通常の個体より大型であり、上の下に分類されるほどの存在であった。
それが今、とても可哀そうな事になっている。
「グオォ……」
恐れから悲し気に鳴く姿からは、世に言われる噂と全くもって結びつかない。
「…内気な個体だったのでしょうか」
違う違うとフォックスが首を振るものの、思考に耽るアリアには届きそうもない。
暫くそのまま沈黙が継続していたものの、よし、とばかりにアリアは手を打つ。
「わん?」
アリアがフェルグリムへと歩み寄る。
そして、その身体に触れた時、それは起きてしまった。
「アンギャアアアアアアア!!!!????」
想像を絶する慟哭がグロームスパイアへ響き渡る。
「わんわんわん!!!」
慟哭の主はフェルグリムであった。
一体なんだとばかりにフォックスが叫ぶものの、その事態を引き起こしているであろうアリアからは返答が無い。
ただフェルグリムに触れているだけである。
――――やがて、フェルグリムはぐったりと倒れ込んでしまった。
「…おかしいですね。気を失ってしまいました」
「わん!?」
「いえ、魔力を流して熊さんの筋肉と対話しようとしたのですが…」
口をあんぐりと開けたまま、フォックスは停止した。
アリアが行ったのは、初めて魔力を感じた時フォックスがやってくれた事だった。
…が、当然それだけではない。
アリアは他者の筋肉に魔力を流し、フェルグリムに身体強化を行う事で筋肉教を布教しようとしたのである。
しかし、アリアは知らなかった。
他者の魔力で肉体に影響を及ぼすと言う事は、一種の浸食なのだ。
フォックスの場合は精霊故、そして、あくまでも少量が身体を通り過ぎただけだったからこそ、大した影響を受けなかったのだ。
特に、魔物は淀んだ魔力を動物が取り込む事によって生まれる存在。
魔物を魔物たらしめているのは、その魔力故なのである。
その魔力を追いやり、他人の魔力で肉体を侵食するとはどういう事を指すのか。
…それは魔物を強制的に変異させる事と同義なのだ。
あとほんの少しこれを行っていたなら、フェルグリムは自身の存在を保てず、肉体が崩壊していた事だろう。
「他者への身体強化は、自分に行うよりも高度なのですね」
「わん!?」
本来、反発などと言うほど生易しいものではないのだが。
魔力で相手の身体を侵食しようとすれば、相手の魔力が逆流し自身も多大な影響を受ける。
相手が魔物であるなら余計にだ。
自分が魔物に変わってしまう可能性すらある危険な真似なのである。
…まぁ、普通はそうなる前に魔力の逆流で内部から破裂してしまうものであるが。
そうならなかったのは、一重にアリアの魔力操作が精密過ぎる故。
転移前の世界でAIだった為か、操作性、再現性、事象に対する分析能力が人間と思えぬほどにずば抜けているのである。
フォックスは常々アリアの異常性に関して考えている事があった。
魔力の量は人にしては多いものの、宮廷魔術師と呼ばれる人間と同レベルほど。
世界を見渡せばもっと魔力量が多い生物はいくらでもいる。
だと言うのに、これほどの類を見ない身体強化を行えるのは何故か。
答えは一つ。
魔力の操作が精密過ぎるから。
通常、何か魔法を使う時、使用した魔力の九割ほどは無駄に霧散させている。
その分、発動時の効果が落ちているとも言える。
しかし、アリアにはそれが無いのだ。
魔力の無駄が一切なく、望んだままの効果を完全に発揮する事が出来る。
つまり―――アリアの魔法は、同じ魔力消費でも常人の十倍ほどの効果を持つのだ。
「…いっそ他の個体を探した方がいいでしょうか」
人とあまりにかけ離れた思考を淡々と続けるアリア。
その姿を見ながら、ちょっとだけ契約した事を後悔するフォックスである。
他者に魔力を流して、その逆流を完全に押し止め、相手に一方的に干渉するなど聞いた事もない。
極論、アリアは相手に触れさえすれば、どんな存在だろうと倒し得ると言う事でもあるのだ。
フォックスは首を振り、思い直す。
彼女と契約した事は失敗ではなく――――彼女を止める為の致し方ない処置だったのだと。
この暴走娘を止める為の運命だったのだと考える事にしたのだ。
……ちなみに、止められる自信は一切無いが。
「…一先ず、回復薬を飲ませて何度か試してみましょう。薬の実験にもなりますし」
「わん!?」
拷問かよ! と叫びつつ、アリアの道を阻むフォックス。
しかし、ひょいっと持ち上げられると簡単に身動きを封じられてしまった。
様々な人間と契約をしてきたフォックスであったが、ここまで無力感を感じるのは初めてであった。
――――その日、繰り返し響く慟哭に、グロームスパイアの魔物達は半狂乱になり、グロームスパイアは更なる混沌に叩き込まれるのであった。




