第13話 アリアの知らぬ間に
「まだ見つからんのか…」
「はっ、何分出所が闇市との事ですので…」
ここはイオニス領主オード辺境伯の屋敷内。
執務室には簡素ながら品を感じさせる家具が配置されており、奥の机にはこの部屋の主であるオード辺境伯が腰掛ける。
オード辺境伯は五十過ぎの人物であり、頭髪も髭も白く、刻まれた皺は歳相応以上であった。
彼がどのような苦労を重ねて来たかがその容姿に表れていた。
「…クレアの様子は?」
「今はまだ健康であるようです。ただ…医師の話では一時的なものだと…」
オード辺境伯は部下からの報告を聞くと、顔を手で覆って俯いてしまった。
側近の男も掛ける言葉が無く、唇を噛みながらそれを見つめる。
「くそっ! せめて錬金術師が生きていれば…!」
「元々高齢でしたからな…」
「解っている! …彼女の薬が無ければ、クレアは今頃―――」
口籠り、そして大きく溜息を吐くオード辺境伯。
口にすれば現実になってしまいそうで、彼はそれ以上を語る事が出来なかった。
「…錬金術師の家へは?」
「すでに騎士団長を派遣し、確認させました。…今は少女が住んでおり、薬などは残っていないと」
「………少女?」
薬が残っていないとの言葉に落胆しそうになるも、しかし聞き逃し掛けた言葉に疑問が擡げる。
聞き返された側近も、訝しむようにしながら報告を思い返す。
「錬金術師との関連は不明です。ただ、本人は錬金術師ではないと言っているそうですが…」
「では何者だと言うのだ? モリィに肉親は居ないはずだろう?」
「報告を受けすぐに確認させましたが…彼女は生涯独身。兄弟なども居なかったようです」
当たり前だ、とオード辺境伯は内心で愚痴る。
オード辺境伯自身に錬金術師への偏見は無いものの、一般的には錬金術師は嫌われる存在だ。
わざわざそんな者と婚姻を結ぼうなんて物好きは居ない。
「…家を乗っ取ったか?」
「仮にそうだとしても、あの錬金術師は我が領の人間ではありません。その財産も我等の管轄外。グロームスパイアは誰にも統治されていませんので」
グロームスパイアとはモリィが住む山の事である。
あの山は危険が多く、未だ未開拓の地だ。
時々人が立ち入る事はあるが、そこまで深くに、しかも居を構えるなど本来は自殺行為なのだ。
「…運搬していた男が、残っていた薬を横流しした可能性は?」
「その可能性は低いでしょう。そもそも、今回見つかった薬は錬金術師の使用していた薬とは効能が違います」
彼等が追っているのは今まで存在しなかった薬。
名前さえ解らないそれは、ある医者から提供されたものだ。
「…あの藪医者は?」
「やはり製作者は解らないと供述しています。闇市で入手しただけだと。件の闇市を摘発しましたが、証拠になりそうな商品の出所など一々残している訳も無く…」
「全く…。効果があったから良いものの、良く解らん薬を孫に与えるとは…!」
「医者の免許こそ持っていましたが、まともに働いた事もないロクデナシです。治癒すれば報酬を出すとの言葉に誘われたようですね」
事の発端はモリィの死から始まる。
元々身体の弱かったオード辺境伯の孫娘は、モリィの薬により命を繋いでいた。
辺境伯と言う立場から錬金術師の薬に頼っているとの風聞が立つ事を恐れ、人を介してモリィの薬を買っていたのである。
モリィは食料を運んで貰う代わりに、ガリオンに薬を渡し、その薬は運搬ギルドで買い取られていた。
市販されている薬より効果が高い事から重宝されていたのである。
本来忌み嫌われる錬金術師ではあるが、怪我の多い運搬ギルドではガリオン以外にも救われた者が大勢居る為、そこに限っては偏見が少なかった。
運搬ギルド内で売られていた薬ではあるものの、そこで錬金術師の薬が売られている事は周知されたものであり、モリィと面識のある高齢者などを中心に買い求める者も多く、それを聞きつけたオード辺境伯が家の者に買わせていたのである。
とは言え、それでも完治までとは行かず、対処療法として使用していたに過ぎない。
直接顔を合わせる訳にも行かない為、素性は明かさずにガリオンにもっと優れた薬は無いかを尋ねさせた事もあった。
だが、『老人に無理をさせるな』と笑われてしまったと言う。
……尤も、事情を話して協力を乞うていれば、モリィは手を貸してくれたであろうが。
結局、一月ほど前からモリィが体調を崩し、薬が滞るようになってしまった。
すでにモリィが作った薬は底をつき、街には存在しない。
孫娘の体調は急激に悪化し、一時は危篤状態にまで陥った。
そんな中現れたのが、報酬目当ての藪医者である。
危機的状況の中、特別な薬があると売り込んで来た医者に縋る思いで治療を頼めば、孫娘の体調はみるみる回復した。
あの時はオード辺境伯も貴族の仮面を脱ぎ捨て、泣いて喜んだものである。
…ただし、孫娘の担当医からは完全治癒した訳ではなく、一時的に回復しただけであると告げられた。
ならばと薮医者に薬を定期的に納品させようと依頼した所、挙動不審な態度を見せ、問い詰めれば闇市で手に入れた薬を使っただけだと言う。
そして、現在の状況に繋がるのである。
「…実際に薬は存在したのだ。手に入れる術はあるはず…」
「薬師局の方にも確認させています。ただ、あの体たらくでどれほどの情報が期待出来るか…」
「アドモンの所か…」
アドモン・レオナレス。
薬師局の長であり、イオニス領の男爵でもある。
領地を持たない下級貴族ではあるものの、最近では妙に力を付けているらしい。
実態を調べさせれば大した仕事はしていないのに、何故か金が集まっており、オード辺境伯も胡散臭いとは思っていた。
「アドモン男爵は錬金術師の薬も嫌っていたようですからな」
アドモン男爵は大の錬金術師嫌いだ。
彼自身が薬師局の長であり、効果の高い薬が目の上のたんこぶだったのもあるだろう。
だが、薬の供給が追い付かず、新薬の作成もままならない。
彼が薬師局の長になってからは薬師局の悪い面ばかりが目立つ。
孫娘を治す為の薬も研究させていたが、研究の為の金をせびるばかりで成果は得られていない。
「研究用の金を使って、裏で商売をしているなんて噂もあったな」
「証拠はありませんでしたが」
男爵とは言え貴族同士の間柄である。
証拠も無く、成果が得られていないと言う理由だけで首にする訳にもいかない。
何より、他に長になり得る人材がいないのだ。
「あんな男に借りを作りたくはないのだがな…」
「以前、クレア様の病気を治したらアドモン男爵の息子と縁談をすると言うお話があったそうですが…」
「結局治せてはいないがな。命を失うよりはと条件を飲んだが、治せないのでは話にもならん」
眉間に寄った皺が、その条件に不服を訴えている。
オード辺境伯にとって、縁談の話は苦渋の思いでの決断だったのだ。
「何にせよ、クレアが再び床に伏せる前に何とかしなければ…」
苦悩に満ちた声色で、オード辺境伯は内心を吐露するのだった。
孫娘の名前が初期設定のままになっている箇所があったので、クレアに直してあります。




