第10話 筋肉の比べ合い
川を下って行った先、アリアの視界に入るのは中世を思わせる砦のような街だった。
モリィの家でも感じていたが、この世界は中世と同じような技術、価値観の世界なのかもしれない。
アリアは下って来た山の方を見上げる。
当初は謎の黒い木や赤い花に囲まれた場で気が付いた。
それが今や人の街まで辿り着いたのだ。
ちょっとした冒険である。
「食事をするタイミングを失ってしまいましたね」
「クゥン」
だが、アリアに感傷に浸ると言う概念はまだ無いようである。
どうやら思ったより近かった為、間で休憩を挟み損ねたらしくそちらの方が重要であったようだ。
「ここで食べて行きましょう」
「わん!」
保存も考え、持って来た食料は大したものではない。
パンに野菜や干し肉を挟んだだけの簡素なものだ。
とは言え、味覚を知らなかったアリアである。
手間のかかったものでなくとも、美味しいと感じられるのは得なのかもしれない。
パンを千切り、フォックスにも食べさせるアリア。
本来食事を必要としない精霊だが、味覚と言うものは存在する。
故に食べる事自体は出来るので、フォックスは喜々としてそれを咀嚼した。
ちなみに、精霊が食べなくてもいいと言う事実をアリアは知らない。
時々胃袋より大きいのではないかと思えるぐらい食べるのだが、異世界の常識と割り切ってそこで思考停止してしまっている。
「…広そうな街ですね」
アリアが見上げるのは街を囲む壁。
それなりに発展しているようで、規模としては中々のものだ。
当てもなく彷徨った所でガリオンに会うのは難しいだろう。
「わん!」
大丈夫だと元気づけるように吠えるフォックス。
それを見て、ひょっとして匂いで居場所を探れるのだろうかと明後日の事を考えるアリアであった。
◆
さて、食後にやって来たのは街の入り口である。
そこは門兵が配置されており、どうやら入る為に検査を受けねばならないようだ。
街へ入ろうとする人達が列を作り、そこにアリアも並ぶ。
多くの人間を物珍しそうに眺めるアリア。
周囲から見れば田舎者に映っただろう。
続けて、どんな検査をするのかと門兵の様子を窺えば、少し話をして許可証かお金を渡し通過すると言う簡単なものであるらしい。
(許可証が発行されていればそれで身元を確認する。無ければお金を払って通行する、と言った所でしょうか)
「おい、姉ちゃん」
門兵の対応をじっと見つめていた所為で、呼びかけの声に気付けなかった。
そもそも、アリアは『姉ちゃん』などと呼ばれた事が無い。
それを自分とを結びつけるのは土台無理な話であったのだが。
「おい、こっち向けよ!」
肩を掴まれ、強制的に振り向かされるアリア。
それを見たフォックスが『グルル』と唸っている。
「へへ、姉ちゃんここらじゃ見ない顔だな?」
「グルルルル…!」
フォックスが唸るのを不思議に思いながら、アリアは対する男達を見つめる。
相手は三人、剣や鎧で武装しており、戦いに関連する職業の者であると推察出来る。
しかし、アリアには急に話し掛けられるような覚えが無い。
「何か御用でしょうか?」
「女の一人旅か? どこから来たんだ?」
アリアの質問は無視され、相手側の男達がアリアを囲むようにして詰め寄る。
「この街は初めてか? 俺達が案内してやってもいいぜ?」
別の男がアリアの左手首を掴みながらそう言い、顔を寄せて来る。
アリアとしては案内してくれるのは望む所である。
ガリオンの居場所が解らないし、街の地理にも詳しくない以上、渡りに船とも思えた。
…ただし、フォックスが彼等を威嚇しており、彼等とフォックスが仲良く出来ないのなら別の話だ。
「お話は有難いのですが、フォックスさんが人見知りしているようですので。お気持ちだけ頂いておきます」
まるで動揺する気配もなく、バッサリと断るアリア。
しかし、その返答が気に入らなかったのか、最後の一人がアリアの顎を掴む。
「なぁ、姉ちゃん。人の好意は有難く受け取っておくもんだぜ? 訳の分からねぇ話で煙に巻くこたぁねぇだろ?」
訳の分からない話とは何か。
疑問が頭を過るが、現在、右肩、左手首、顎を男達に掴まれている状態である。
一先ずはと、この状況を分析し始めた時、最初に肩を掴んだ男が耳元で囁いた。
「随分とキレーな顔してるじゃねぇか。…服は古臭いけどな」
ピクリ、とアリアの眉が動く。
この服はモリィの遺品でもある。
擦り切れている訳でもないし、使用に耐え得る物なのも間違いない。
もしかしたらセンスや素材の年代は古いのかもしれないが、自分が着る服に関して他人から指摘を受ける筋合いはない。
そう思った時、フツフツと何かが湧き上がるのを感じた。
「…離して頂けますか?」
無意識に低い声が出る。
しかし、それすら『可愛らしい』と思った男達はアリアを嘲笑った。
「離せってさ!」
「嫌だって言ったらどうすんだい?」
ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべる男達を見て、フォックスは毛を逆立てるほどに怒り始めた。
アリアの内心と呼応するかのようである。
「無理にでも離して頂きます」
「その細腕でかい? やれるもんならやってみな!」
ガハハ、と笑う男達。
チラリと見れば、周りの者も見て見ぬフリを決め込んでしまっている。
叫んだ所で穏便に済むとは思えなかった。
であれば、筋肉を以て困難を打ち破るだけである。
「ガハハ―――――ごふっ!?」
「な…げふっ!?」
左手を掴んでいた男がグルリと回転しながら地面に叩きつけられた。
同じように肩を掴んでいた男も顔面から地面に激突する。
「な、何を―――いででででッ!?」
何をしたのかと問い掛けようとした男だったが、顎を掴んでいた腕を掴まれた。
激痛と共にミシミシと音を上げる腕に、男はただ絶叫するしかない。
一方、男の腕を掴むアリアはこれ以上無く無表情だ。
「『やれるもんならやってみな』…そう言われましたので」
腕を掴むアリアの手は、まるで万力のように凄まじい力で骨を軋ませる。
あとほんの一歩力を込めれば骨ぐらい砕けてしまうだろう。
「…この女、なめやがって!」
男の一人が立ち上がると、剣を抜いてアリアにその矛先を向けた。
遠巻きにしていた者達が一斉にどよめき、距離を取る。
「仲間を離しやがれ!」
そう叫んで剣を振り上げた男に、アリアは掴んでいた男を投げ付けた。
「ぴぎゃっ!」
「ふごっ!」
情けない声を上げつつ、二人の男は重なり合うようにして倒れ込む。
アリアはそれを一瞥だけすると、別の方向へ向き直った。
「何事だ!?」
門兵が気付き、こちらへ駆け寄って来ていたのである。
「お騒がせしました」
アリアにも何故こうなったのかは解らない。
しかし、門兵に迷惑を掛けてしまった事には謝罪すべきだろうと頭を下げる。
門兵はアリアを見、そして倒れている男達へと視線を向けた。
武装しているのは男達だが、倒れているのも男達である。
対するアリアは武器や防具すら装備しておらず、無傷で佇んでいた。
「…どう言う状況だ?」
「情報不足により、回答しかねます」
状況を知っていそうなアリアに問い掛けてもこの返答である。
そんな訳ないだろうとアリアを軽く睨めば、アリアは口元に手を当てて何事かを考え始めた。
男達が話し掛けて来た理由は不明であったものの、彼等は身体を掴んで来た。
離すように言っても断られ、実力行使を匂わせれば受けて立つとばかりに笑って見せた。
その時に出た『細腕』と言う単語も合わせれば、アリアの中で一つの結論が導き出される。
「―――つまり、筋肉の比べ合いがしたかったのかもしれません」
何がどう『つまり』なのか。
目の前の浮世離れした少女を見ながら、門兵は厄介事の気配を感じ取っていた。




