第9話 遭遇戦
家を整理し必要な物をまとめた後、アリアは家の外へと出る。
今後この家がどうなるかは解らないが、今やるべき事は済ませただろう。
このまま家を放置するのも忍びないが、モリィの事も早めに知らせなければいけない。
この世界に死亡届けのようなものがあるのかは解らないが。
その辺りの事をフォックスに尋ねてみたものの、返って来るイメージは意味の解らないものばかりだった。
結局、直接行くしかないと言う結論になった訳である。
「他にやり残した事はありませんね?」
「わん!」
フォックスに問い掛ければ、フォックスは元気よく吠えた。
アリアと契約してから、フォックスは少し活発になっている。
どうも、モリィが弱っていた為にフォックスにも影響が出ていたらしい。
肩に乗るフォックスの尻尾を撫でながら、アリアは腰に下げたバッグを見つめる。
中にはナイフと幾つかの薬品、食料や水、持ち歩けるサイズの調合器具、最後にモリィが遺していたお金だ。
勝手に貰っていいものかとフォックスに問い掛けると、構わないとばかりに頷いていた。
ただ、フォックスが法律と言う物を理解しているかは怪しく、窃盗にならないと言う保証はないのだが。
「お金の価値は解りませんが、これはガリオンさんに聞いてみましょう」
目指すは下流にあると言う街。
そして、そこでガリオンにモリィの事を伝える。
具体的に決まっているのはこれだけだ。
その後どうするかを決めるにも、今持っている情報では何も判断が出来ない。
「何かお金を稼ぐ手段を見つけないといけませんね」
「わん!」
フォックスが同意したのを確認すると、アリアは扉に鍵を閉める。
そして、モリィの墓へと向き合った。
「…行ってきます」
そこにモリィが居るかのような、そんな態度でアリアは接する。
自分自身、まだモリィの事を整理しきれていないと解っていながら、そうする事をやめられない。
人間とはなんと複雑な生き物なのだろうと、ここ最近のアリアは頭を悩ませるばかりであった。
◆
「この川を下って行けば街ですね」
モリィの家には周辺を描いた地図があり、それはアリアの頭にインプットされている。
なんなら、整理しながらもモリィの家にあった書物は全て記憶していた。
錬金術について書かれた本を置いて来たのも、その全てを覚えているからだ。
同時に、何時か戻って来ると言う無意識での判断だったのかもしれない。
「グルル…!」
不意にフォックスが唸った。
視線をやれば、川辺に向かって睨み付けているようである。
何を見ているのかとそちらを向けば、大型の熊がこちらを振り返る所であった。
「…熊と出会った時は、背を見せず後退する事が重要です。追い掛けて来るようであれば、身体を大きく見せる事で相手を威嚇します」
そんな事を呟きながら、ゆっくり後退るアリア。
だが、熊はそんな様子を意に介する事なく、牙を剥き出しにして突進して来た。
「異世界では通じないようです」
咄嗟に身体強化を行い、その場から飛び退く。
近くの木に飛び上がり、枝の上に着地した。
「やはり地球の常識は必要ありませんね。であれば、この世界の常識で対応しましょう」
アリアが知るこの世界の常識。
つまり筋肉である。
え? と言う顔でフォックスが振り向いた。
「まだトレーニングは行えていませんが、高度からの攻撃であれば多少は補えるでしょう」
アリアの中での最重要課題、まずは生き残る事である。
モリィの為にもこんな所で死ぬ訳にはいかないのだ。
故に、障害となるなら撃滅する事に躊躇いは無い。
ダン、と激しい音と共にアリアが飛ぶ。
その衝撃に耐えられず、木が圧し折れた。
空中を舞うアリアは格闘技の知識を活用しながら、力の流れを意識する。
一切無駄の無い、打力を伝える為の挙動。
空中でそれを行うなど想定されている訳もないのだが、しかし正確にそれが行われた。
高速で降って来たアリアの足が、熊の額を捉える。
ゴキャ、と言う鈍い音と共に、その巨体が吹き飛んだ。
「……」
まだ動くかと警戒していたアリアだったが、ピクリとも動かない熊を見てそっと近づく。
覗き込めば首がおかしな方に曲がっており、額は陥没してしまっている。
明らかに致命傷だ。
生き物を初めて殺したアリアであるが、そこに感傷は無い。
アリアが第一に考えるのは人間。
今は自分の命である。
「…随分と大きな熊ですね」
五メートルぐらいはあるだろうか。
牙も爪も鋭く、地球上に存在したどんな生物よりも危険に見える。
「わん!」
「熊ではないのですか?」
流れ込んで来たイメージから察するに、これは熊ではないらしい。
なるほどと、アリアは頷き、納得する。
イタチが犬だったり狐だったり精霊だったりする世界だ。
見た目で判断してはいけないのである。
フォックスが必死に首を振るが、アリアの視界に入っていない。
「何にせよ、筋肉の有用性が実証されました。今後は積極的に鍛えるとしましょう」
すでに恐ろしいまでの力を発揮しているのだが、この世界の事を知らないアリアはそれに思い至らない。
魔力を完全制御し、無駄なく筋力を強化する力。
そして、身体を正確に操作し、攻撃力を最大限に発揮する体術。
そのどちらもが、アリアに強靭な戦闘力を与えていた。
「では急ぎましょう。日が暮れると道を見失ってしまうかもしれません」
「クゥン…」
熊の屍を放置し、アリアは川を下り始める。
フォックスは熊を振り返りながらもアリアに続いた。
その目は同情の念さえ感じるものであった。
「トレーニングを行うには器具の生成も必要となりますね…」
これだけの強さを持ちながら、アリアは更に高みを目指すようである。
「わう…」
もういらねぇよと言う気持ちを込めて、フォックスはアリアの頭に手を乗せる。
だが、アリアにその気持ちが届くことは無かった。




