病弱令嬢、怒る
「な、んで……旦那さま……動かな……ぃ」
身体から血の気が引いていく。
ふらふらと揺れるマリーの身体を、令嬢が咄嗟に支えた。
おかしいな。
膝は復活したと思ったのだけれど……
令嬢の肩を借りて、何とか顔を上げる。
会場にいる人達の視線を集めていたが、今のマリーは気にならなかった。
と、いうより、マリーの視界にはフィリクスしか映っていない。まるでスポットライトを当てられているかのように、そこから目が離せなくなっていた。
「ぇ……ちょっと、あなた大丈夫?顔が真っ青よ?……て、えっ、何、何事?!誰か倒れてるの?!やだっ!まさかタッセル公爵が?!」
令嬢も混乱していた。
倒れているフィリクスが血を流していることに気付くと「ひっ」と、小さく悲鳴を上げる。
「……旦那様」
「ちょ、ちょっと危ないわよ!ていうか……旦那様?」
マリーはフィリクスのところへ行こうとふらふらと歩き出したが令嬢に止められた。
「やだ……倒れているのって……まさか、クリスフォード公爵……?」
令嬢は「死んでるの?」という言葉を必死に飲み込み、倒れているフィリクスとマリーを交互に見やる。
「ん?待って。旦那様って……あなた、侍女?では、ないわよね……ぇ、え?まさか……まさか、あなたが……あの噂の公爵夫人だったの?!……です……か?」
あわわわ。と、消え入りそうな声で、令嬢が後退りする。それでもマリーのことは支えたままなので、なんだかおかしな格好になった。
言ってなかったかしら?
マリーは、ゆっくりと令嬢に視線を向けた。
その瞳はじっと令嬢を見つめているようで見ていない。
冷静に状況を判断しようとする自分と、受け入れられない自分とが綯い交ぜになっていた。
「また……突然なの……?」
近しい者が突然消えてしまう恐怖に震える。
慌てた様子で令嬢が何事か言っているようだが、マリーの耳には入ってこなかった。まるで時間が止まったかのように全てがゆっくりと映る。
何かしら。
ゆっくりと振り返るマリーの眼前に白い巨体が迫っていた。ぶるぶると腹の脂肪を震わせているくせに、その動きは不自然なほど軽やかであった。
「あ」と、思った時には、マリーはその白い巨体に突き飛ばされていた。強い力ではなかったが、タッセルの不意の攻撃にマリーはよろけた。
「ふぉっふぉ」
タッセルが笑いながら逃げて行く。突き飛ばす瞬間に浮かべた不敵な笑みに、かっとマリーの頭に血が上った。
この男が、旦那様をっ!!
制止している令嬢の手を無意識に振り払っていた。
マリーの瞳には、走り去る巨体の後ろ姿しか映っていない。
逃がすものかっ!!
気付けば、マリーはタッセルを追って走り出していた。
「……なんて速いの」
廊下の先にいたタッセルの姿は直ぐに見えなくなってしまった。
贅肉しか付いてなさそうな身体なのに、実は鍛えているのかしら。
ここに来る前に、随分と走らされている。対するマリーの体力は、既に限界に近かった。
それでもタッセルが曲がった廊下の角まで辿り着く。
もうタッセルの姿はないだろうと半ば諦めていたが、廊下の先の方の部屋に巨体が飛び込むのが見えた。
「あそこね!」
最後の力を振り絞り、マリーは走った。最早走るというスピードではなかったが、それでも頑張ったのである。
ぜぃ、はぁ。と、息も絶え絶えに、タッセルが入って行った部屋まで辿り着くと、その扉に手を掛けた。そして、そこで我に返ったのである。
私じゃ捕まえられなくない??
と。
怒りに任せて追い掛けて来てしまったが、どう考えてもマリーに大の男を捕まえるなど不可能であった。しかも刃物を持っている。
あれだけの騒ぎだったのだ。きっと直ぐに衛兵が捕らえてくれるはず。
それならフィリクスの許に行けば良かった。
マリーの脳裏に倒れたフィリクスの姿が蘇る。
「大丈夫……旦那様は、生きてる……わよね?」
マリーは呟いてぶるっと身を震わせた。
大広間に戻って、近衛騎士にタッセルの隠れた部屋を伝えればいい。
そう思いつつも、マリーは部屋の扉を見つめた。
その間に、彼が逃げてしまったら……?
もし逃げたとしても、直ぐに捕まえられるだろう。
マリーはそう結論付けたにもかかわらず、部屋の扉に耳を押し当てた。
それにしても、静かね。
逃げた者が騒ぐとも思えないが、それにしても部屋の中からは物音ひとつしない。
まさか、自殺っ?!
ふてぶてしいタッセルに限って有り得なさそうだが、可能性としてはある。
マリーは音を立てないように扉を慎重に開け、中を覗き込んだ。
「っ!!……やっぱり?!」
分厚いカーテンが引かれた薄暗い部屋の床に、巨体が横たわっていた。思わず、その巨体に駆け寄る。
近付くと、タッセルで間違いないなかった。手には血のついた刃物を持ったまま仰向けで倒れていて、その大きな腹が上下している。
「あれ?生き……てる?」
タッセルの身体には傷が付いている様子もない。では何で倒れているのであろうか、毒でも飲んだのだろうか。
死んでいて欲しかったわけではないが、規則正しく上下している腹の動きと寝息の様な呼吸音に、マリーは拍子抜けした。
まさか、寝てるの?
まさか、走り疲れて寝ているというわけでもあるまい。
どうしたのだろう。と、恐る恐るマリーが近付こうとした時、タッセルが身じろぎした。
思わず数歩後退ったマリーの背中が何かに当たり、はっ、と振り返る。するといつの間に居たのか、細く切れ長の目をした近衛騎士がひとり立っていた。どうやら彼にぶつかってしまったらしい。
細い目を更に細めてマリーを見下ろしている。
「夫人。危険ですから、離れていて下さい」
「え、えぇ」
愛想のない近衛騎士の、何とも言えない迫力に押され、マリーはすごすごと部屋を出されてしまう。
「夫人!ご無事でしたか!!」
他の近衛騎士も来てくれていたようで、マリーと入れ替わるように、ばたばたと数人の騎士が部屋へと入って行った。
「ぅうっ……何だ、何事だ?」
タッセルが重たそうにゆっくりと身体を起こし、眩しそうな顔をして周りを見渡している。
近衛騎士たちに見下され、タッセルは不機嫌そうに顔を顰めた。しかし、何やら物申そうと口を開いた瞬間、自分が何かを握っていることに気付き、その視線を手元に落とす。
「ん?何だ、これは……?」
薄暗い中、タッセルは自分が握っている血の付いた刃物をしげしげと眺め、そして目を見開くと同時に刃物を放り投げた。
「ぅ、わっ?!な、何だ、この血は……」
「何を白々しい事を……今更、言い逃れ出来るとでもお思いですか?あなたには、既に殺人未遂容疑がかかってます!」
タッセルが武器を捨てた瞬間、騎士たちはタッセルを取り押さえた。理由が分からないといったようにタッセルは騒いでいる。
「さあさあ、夫人はこちらに。ご案内しましょう」
「え?え、と、ちょっと……!」
マリーはマリーで、何故か両腕を後ろから押さえられ、廊下をずんずんと歩かされていた。
背後に聞こえるタッセルの喚き声が遠のいて行く。
その声を聞きながら、足がもつれないように必死に歩を進めるしかなかった。
なんだか連行されてる気分なんですけど?
とても案内されているとは思えない気分だった。
マリーを連行している騎士の顔を見上げると、騎士がそれに気付き、にぃっ、と口角を上げている。
最初に部屋に来た騎士だった。
愛想のつもりなのだろうが、目が細くて笑うと糸目になる。それがまるで仮面のようで気味が悪い。
自分を助けに来てくれた騎士に対して、そんな失礼な感想を抱くのも如何なものか。と、思わなくもない。
それにしても、どこに向かっているのか。
案内すると言われて黙ってついて来てしまったが、大広間とは反対方向に連れて行かれている気がする。
自分はまた、よく分からない策略に嵌っているのではないか。と、マリーは不安になってきた。
マリーが不安を抱き始めた頃、騎士はひとつの部屋の前で止まった。
この部屋がどうかしたのかしら。と、思っていると、騎士はノックもなしにその部屋の扉を開けた。
「ここは?」
質問するも、無視された。有無を言わせず、騎士はマリーをその部屋の中に押し入れると、その後は無言で扉の前に立ち塞がる。
「あ、マリーちゃん……」
部屋の中にはジャクリーヌがいた。どうやら悪い策略に嵌まったわけではないらしいと安堵する。
部屋は先程マリーがいた部屋よりも広く、ベッドも置かれていた。その傍らにはイーサンの姿もあった。
「ここは、何の部屋……」
と、言いかけて、はっ、とマリーは息を呑む。その視線は、ベッドに横たわる人物から離せなくなっていた。
「だ、旦那様……?」
そのベッドには、青白い顔をしたフィリクスが横たわっていた。ぴくりとも動かない。
ジャクリーヌは眉間にしわを寄せて、何とも言えない表情をマリーに向けていた。
「お兄様をここまで運んで来たのだけれど……私は、外に出てる……わね」
ジャクリーヌは目を伏せ、マリーを気遣うようにそう言うと部屋を出て行った。その肩は小刻みに震えていた。
「う……嘘、でしょう?」
ジャクリーヌの様子から何かを察したマリーは、ふらふらとベッドに歩み寄った。
ベッドサイドに膝をつくと、生気のないフィリクスの顔を覗き込む。
本当に、死んでしまったの……?
呆然と傍らのイーサンを見上げる。
イーサンの感情は読めないが、マリーを見下ろし小さく首を横に振っていた。
「……や、やだ。本当に?……旦那様!死んじゃ……いやあ!!」
マリーが叫びフィリクスの枕元に突っ伏すも、フィリクスが目を開けることはなかった。
イーサンは無言でそれを、ただ見守っていた。
「私……ぐすっ……これから、旦那様と恋愛して、ふぅっ、それで……仲良くなって……ぐすっ、それで、そう思って……たのに……」
自然とマリーの目から、ぽろぽろと涙が溢れた。涙と嗚咽で、自分でも何を言っているのかわからなくなる。
フィリクスはずっとマリーの側にいるのだろうと勝手に思っていた。いて当たり前なのだと思い込んでいた。
だって、私は旦那様の番だから。
しかしそれは、生きていればこそ。誰しもに必ず明日があるわけではないことは知っていたのに。
予期せぬことへの虚無感は否めず、マリーの心はぽかっと空いたようだった。
「恋愛……仲良く……ということは……好き?」
「好き?……多分、好き」
フィリクスの枕元に突っ伏すマリーは、不意に投げかけられた問いに泣きじゃくりながら答えた。
フィリクス程の想いではないが、間違いなく好意は持っていたと思う。自信はないが好きだと言っていいだろう。
そこで、ふとマリーの涙が止まった。
今の……誰の声?
ずびっと鼻をすすり、マリーはゆっくりと顔を上げた。
「―――っ?!」
フィリクスの青白い顔はそのままだが、小刻みに震えている。「ふっ、ふっ」と、小さく息が漏れる様な音もする。
そして――――……
つつーっ、とフィリクスの鼻から赤い物が流れ出た。
「っ?!へっ……ち、血っ?!どういうことっ?!」
マリーは、ぱっ、と立ち上がる。
フィリクスが薄っすらと目を開けた。鼻血を垂らしながら、恍惚の表情を浮かべている。
「て、天使が……いや、女神が降臨した……女神が、俺に愛を囁いた……もう、死ぬ」
「死ぬって何ですか。女神が死因ということですか。死因、女神……それは最早、死神では?そんなことより、旦那様。鼻血を拭いた方がよろしいかと」
何事もなかったかのように、イーサンがハンカチをフィリクスの鼻に突っ込んでいた。
「は……はぁ??」
頭がついていかない。マリーは、フィリクスとイーサンを交互に見やった。
フィリクスはぴんぴんしていた。しかし、青白い顔に鼻血の赤が映えて、まるでゾンビだ。
鼻にハンカチを突っ込んだゾンビが、恍惚の表情でマリーを見つめている。
「え?え?……生き返っ……た??」
「いえ、旦那様は、はじめから死んでませ……」
「そう!!マリーの愛の力で生き返る事が出来たんだ!これこそ、真実の愛の力だ!!」
イーサンの台詞を遮り、フィリクスが瞳を輝かせて何か言っているが、流石のマリーも騙されなかった。
「……酷い。からかったのですね?しかも、こんな……質の悪い冗談で……」
「何を言っているのです。私は『旦那様は死んでません』と、首を振ったではないですか」
「分かりにくいわっ!あの流れで、どこの誰がそう思うのっ?!」
いけしゃあしゃあと宣うイーサンに、マリーは声を荒げた。
可愛さ余って憎さ百倍とはこのことか。
ひどくショックを受けた分、マリーの怒りは倍増していた。
マリーが何でこんなに怒っているのか分からないとでも言いたげに、フィリクスはきょとんとしている。
そんなところへ、申し訳なさそうにジャクリーヌが顔を見せた。
「あの……もう、大丈夫?」
マリーが、きっ、と振り返った。マリーのその顔を見て、ジャクリーヌは、ひっ、と肩を竦めた。
「ジャクリーヌさまもグルだったんですねっ?!」
「ごめんね、マリーちゃん!でも、私は、やめた方がいいって言ったのよ!」
ジャクリーヌは必死にマリーを宥めようとしているが、マリーの怒りは収まらない。
「もう……みんな、酷い!みんな……みんなの事なんか……きらい、大嫌いよっ!!」
つい、勢い余ったマリーの口から、心にもない言葉が飛び出した。
「え……」
大嫌い、きらい、らい……
マリーの言葉が脳内で木霊する。
フィリクスが、ぴしりと固まった。メイクで青白くしていたのだが、今はそれがメイクなのか素なのか分からない。
「な、なんでじゃ……」
マリーの言葉に何故か扉の前に立つ近衛騎士が、フィリクスと同じくらいショックを受けた様子で固まっていた。
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