病弱令嬢、騎士を出し抜く
何が起きているのかよく分からないまま、マリーは客室に押し込められていた。
よく分からないままにジャクリーヌに手を取られ、王妃のサロンからここまで走らされたのである。淑女としては如何なものか。
「マリーちゃんは、ここで待ってて」
ジャクリーヌもマリーと同じように走って来たはずなのに涼しい顔をしている。
ここで待っていろと言うことは、ジャクリーヌはマリーを置いて再び何処かへ行こうとしているのだろうか。
「……私なら、大丈夫ですよ?」
置いていかれる。そう思ったマリーは、一度はソファーに倒れ込んだものの起き上がった。何とか呼吸を整えたが、しかし、マリーの膝は笑っていた。
「毒を盛られたんだから、念の為じっとしててよ!」
せっかく起き上がったというのに、強引にソファーに押し付けられる。
ジャクリーヌは、何かを気に掛けて焦っている様子だ。
「とにかく。マリーちゃんは、ここから出ないで!……僕は行かなくちゃ」
そう言うと、ジャクリーヌは部屋の外に待機していた近衛騎士に声を掛け、何やら打ち合わせを始めている。
……僕?
最後に聞こえた一人称に違和感を覚えたが、恐らく聞き間違いだろう。
それよりも、毒を盛られたという現実を思い出し、マリーは自分自身を抱きしめるようにして蹲った。
王妃陛下が、私に毒を盛った!
今でも、あれが現実だったとは俄に信じ難いが、あの時の苦しみ。呼吸が止まるかもしれないという恐怖は紛れもない事実だった。
「あ、あの!旦那様は……?」
ジャクリーヌと近衛騎士がマリーを振り返った。ジャクリーヌは申し訳なさそうな顔をしている。
リリーは近衛騎士に何処かに連れて行かれていた。
再び襲われる事はないだろうが、マリーは不安に駆られていた。そんなマリーの頭を過ぎったのがフィリクスだ。
何でだろう……
今、とても会いたい……
「ごめん、マリーちゃん。行くね。もう少しなんだ……ここに、兄さんも呼んで来るから、待ってて?」
フィリクスでなくともいい。少しの時間でも独りでいたくない。そんなマリーの気持ちを知ってか知らずか、ジャクリーヌはそう言うと、マリーの返事も待たずに部屋を出て行ってしまった。
「あ……」
残されたマリーは、閉じられた扉をじっと見つめた。
私の事を思っての事なんだろうけれど……
どれくらい、そうしていただろうか。
ほんの一瞬のことだったのかもしれないが、マリーは我に返る。
どうしよう……
「……お手洗いに行きたい」
どんなに不安な時であっても、皆等しく平等に生理現象とは起こるものである。マリーはそれを今、身を持って体験していた。
部屋を見渡せば、窓はないが広過ぎず狭過ぎず。休憩するのには十分な広さであった。
しかし、お手洗いはなかった。
部屋を出るなと言われたマリーは、こっそりと部屋の扉を開ける。
勝手に部屋を出たと知られれば、またジャクリーヌに怒られるだろう。
そう、罪悪感がないわけではない。しかし部屋にお手洗いがないのが悪いのだ。
マリーは誰に聞かせるでもなく、言い訳を考える。
「……あ」
扉を開けた瞬間。扉の前に立っていた近衛騎士と目が合った。
「公爵夫人、どうされましたか?ここは私が護っておりますのでご安心ください」
ジャクリーヌが近衛騎士に護衛を頼んでいったのか、もとよりここの警備をしていたのか。近衛騎士はマリーに、にこやかな笑顔を向けた。
罪悪感がある所為か、にこやかであるのに「ここを出るな」という圧を存分に感じる。
「いえ、あの……その、ちょっと、花を摘みに行きたいのですけれど……」
そう言って、そろりと廊下に出たマリーの後を近衛騎士が黙ってついて来る。
「……あの、一人で大丈夫ですよ?」
お手洗いまでそう遠くはない。迷う事もなければ、マリーには護衛をしてもらうような主要な人物ではないという自負もある。
「公爵夫人を部屋から出さないようにと言付かっておりますので」
しかし、そういうことではないようだ。
にこやかに近衛騎士が告げる。
これは……護衛という名の見張りか!
ジャクリーヌはマリーが逃げるとでも思っていたのか。部屋から出ないように見張らせるなんて、これでは罪人のようではないか。
マリーは、勝手にふらふらといなくなった己の所業を棚に上げ、気分をもやっとさせた。
近衛騎士は、当然お手洗いの中までは入って来ないが、しっかりと入口で立っている。
個室で用を足したマリーは、落ち着かずに息を吐く。
そこへ、お手洗いの扉を開ける音がして思わず耳を欹てた。女性同士の会話が聞こえる。どうやら女性二人組がお手洗いに入って来たようだ。
当たり前だが、近衛騎士が入って来たのではないことが分かり、ほっとしていると、女性の会話が耳に入り個室の扉に掛けた手が止まる。
「……とうとう白豚が狂ってしまったみたいね。あんなに怒鳴り散らして」
「まあ、あの御二方は先祖代々犬猿の仲ですし……我々は巻き込まれないように逃げるのがよいですわね」
「ぷっ!犬猿て……片方はどう見ても豚ですわね」
「あの方、『ひっひっ』て笑うんですのよ、気持ち悪い。どうせなら『ぶひぶひ』笑って下されば、まだ愛嬌があると思いませんこと?」
「確かにですわね。それに対して、あちらは眼福ですわね」
「ええ、あまり社交界にお出にならないのが残念ですけれども、目の保養になりますわ。まあ、遠目にお姿を拝見するだけに留めておきたいですけれど」
「それは言えますわね。下手に関わって命を落としたくはありませんもの」
ほほほ。と、二人組が笑う。
何故だかマリーは、彼女たちの言うところの「白豚」がタッセル公爵であると直感し、決め付けた。そして、それに対する相手がフィリクスであるということも。
だって、旦那様はお美しいもの!!
女性の会話にフィリクスの話題が上るのは複雑なものがあった。
だけど彼女たちの話の流れで、二人がフィリクスに懸想しているわけではなさそうだ。マリーは知らず安堵する。
しかし、個室を出るタイミングは完全に逃していた。
今出ると、聞き耳を立てていたと思われてしまいそうだ。いや、立てていたのだけれども。
それにしても、彼女たちは何時まで喋っているのだろうか。これでは用を足しに来たのか、お喋りをしに来たのか分からない。
「……それはそうと、私、見ちゃったのよ」
「何をですの?」
「白豚が刃物を忍ばせているのを……」
「ぇえっ?!」
急に声を落とした彼女の言葉に反応したのは、マリーであった。思わず、ばんっと個室の扉を開く。
「きゃあっ?!」
まさか自分たち以外に人がいるとは思っていなかったのだろう。お喋りに花を咲かせていた二人が、突然現れたマリーに驚き言葉を失っていた。
「刃物って……まさか、タッセル公爵が……??」
旦那様を傷付けようと……?
二人組は、マリーくらいの年頃の令嬢であった。一人は若草色のドレス。もう一人はイエローのドレスを纏っている。
彼女たちは、突然現れ話に入って来たマリーに、ぱちくりしていたが一転、さぁーっと青くなる。
「あの……白豚って……バレちゃいましたか……?」
「黙っていてもらえませんか?」
もしかしなくとも悪口である。そして、相手は公爵。
告げ口されるとでも思ったのか、令嬢たちは泣き出す勢いでマリーに縋り付いて来た。
しかし、マリーの心は別の所にある。「あら、私手を洗ったかしら」と、思わなくもなかったが、縋り付いている令嬢の手を取り握った。
「私も白豚だって思ってしまったので大丈夫です。そんなことより、今おっしゃっていた内容です!何処で何が起きているのですか?!」
何が大丈夫なのかは知らないが、マリーの勢いに押され令嬢たちが話してくれた内容は、盗み聞きした内容と変わらないものであった。しかし、場所は大広間であると判明した。
行かなきゃ!!
「でも、こう言ってはなんですが……クリスフォード公爵様は、殺しても死なないと言われているようなお方ですから、逆にタッセル公爵様が返り討ちにあうと思いますわよ?」
ふんす!と、気合いを入れるマリーに、恐る恐ると令嬢が言う。何故、わざわざ騒ぎの中に行くのか、と。
貴族とは野次馬が好きなものだと思っていたが、彼女たちはそうではなさそうだ。
タッセル公爵とすれ違った時の、彼のぽよんぽよんとした腹を思い出す。
いくら刃物を持っていたとしても、あんな体格の男にフィリクスがやられることはないだろうとは思う。
それに、マリーが行ったところで何も変わらない。それは分かっているが、そんな単純な行動に出るタッセルの動きがマリーを不安にさせた。
何かの罠……とか?
大丈夫だと思いつつ、じっとしてはいられなかった。
「気になるので、少し様子を見に行ってみようと思います」
そう言って、マリーはお手洗いから出ようとした。そして、ふと近衛騎士の存在を思い出し立ち止まる。
このまま出たら、部屋に戻されてしまうわ。
大広間に様子を見に行くだけでもお願いしようかと考えたが、それは無理な気がした。
どうしようかと、マリーはお手洗いに備え付けてある鏡を見つめた。ゴールデンイエローのドレスを纏った、不安そうな顔をしているマリーが見つめ返している。
「あ……!」
何かを思いついたマリーは、令嬢たちを振り返った。
「あの……お願いがあるのだけれど……」
お手洗いから出ると、近衛騎士がちらっとこちらを見たが直ぐに視線を逸らした。マリーだと気付いている様子はない。
上手くいったわ!!
うふふ。と、小さく笑う。
少し廊下を行った先で、一緒に出て来てくれた若草色のドレスの令嬢に声を掛ける。
「ありがとうございます。お陰で大広間に行けますわ」
これは賭けであった。
近衛騎士が、マリーの顔をしっかりと認識していたとしたら成り立たなかっただろう。
同じ様な年頃で、同じ様な髪型とドレス。まさか入れ替わるなど思いもよらないはず。
同じ色ではないが、同系色のドレスを着ていた令嬢には時間を空けてからお手洗いを出るようにお願いした。ついでに彼女と髪飾りを交換し、彼女の持っていたショールも借りている。
「本当に、よろしかったのですか?」
今更ながら、令嬢は青い顔をしていた。若干、手も震えている。
マリーから「どうしても」と、お願いされ、言う通りにしてしまったが、よく考えたら近衛騎士が付いている時点で、この女性は何者だ??と、いう話である。もしかして自分は、とんでもないことをしているのではないだろうか。令嬢は少し後悔していた。
マリーとしても、面倒事を好まなそうな令嬢なのに、そこは申し訳ないと思っていた。
「大丈夫です。様子を見に行くだけですもの!」
マリーは出来るだけ明るく言うと、令嬢と一緒に足早に大広間に向かう。もう一人の令嬢ともそこで合流する事になっていた。
様子を見て、直ぐに戻ればいい。なんなら、そのままフィリクス達と合流したっていい。
この時のマリーは、軽く考えていた。
何もしないこと。
それが今回、マリーに課せられた任務だったはずである。しかしマリーは、そのことをすっかりと忘れていた。
一種の悪戯の感覚で近衛騎士を出し抜いて、どこか浮足立った気持ちで大広間に到着する。
だから、これは天罰のようなものかもしれない―――
扉を開けると、会場内の空気が異様に張り詰めていた。そして、不自然に人垣が出来ている。
予め令嬢たちから話を聞いていて何かあるだろうとは思っていたが、マリーは自分の目を疑った。
「……え?」
距離もあるはずなのに、人垣の隙間から、まるでそこだけ立体映像かのようにマリーの目に飛び込んで来た光景。
セドリックに抱きかかえられている人物がいた。
胸元には大きく広がる赤い染み――――
「ぃ……いやぁあああーーっ!!旦那様ぁーーっ!!」
ぴくりとも動かないフィリクスに、マリーは悲鳴を上げていた。
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