トレイス王国の国王
リチャードの視点になります。
綺羅びやかな大広間では、ダンスに興ずる者も疎らであった。大半の者が噂話に花を咲かせている。それでも音楽隊は曲を奏で続けていた。
国王であるリチャードは、玉座に座ったままその様子を眺めていた。ふと、隣の席に目を向ける。
そこに、王妃リリーの姿はない。
いつから、こうなってしまったのか……
「……いや、初めからか」
リチャードは、自嘲的に呟いた。
幼い頃から政略結婚として婚約していたリリー。そこに恋慕の情などなかった。それに加えて、彼女は幼い頃から美しく聡明であった。聡明であるが故に、彼女と比べられる日々。自分の愚かさがより一層際立ち、苛立ちが募った。
だからといって、不貞を働いてよい理由にはならない。
その苛立ちを自分自身に向け切磋琢磨するのではなく、他に向け現実逃避した。
私を蔑む周囲が悪いなどと、よく言えたものだ……
男爵令嬢であったパトリシアは、確かに可愛らしかったが何も考えずに付き合える、良くも悪くも普通の娘であった。
確かに彼女に惹かれた事は事実だが、彼女に対して愛があったかと問われたら、今ではそれもよく分からない。それほど大昔の出来事となっていた。
結局、自分は楽で居心地のよいところへと、ただ逃げただけなのだ。これ以上ないほど、己の愚かさを証明しただけだった。
そんな後ろめたさもあり、リチャードはリリーの言いなりになっていた。気付けば、国政すらリチャードは蚊帳の外。
それでもまだ、昔は仲睦まじい国王夫妻を演じてくれていたのだかな……
今では、彼女が何を考え、何をしているのかさえ、把握出来ていない。会話そのものがないのだから仕方ないのだが。
この関係をどう修復すればよいのか分からない。今更だ。
そう考えることすら言い訳でしかない事に気付くと、リチャードは目を伏せ自嘲的に口角を上げた。
向き合うこともせず……
結局、いつも私は逃げているのだな……
リチャードは、何も告げず席を外したリリーを想い息を吐いた。
突然、不自然に曲が途絶える。
かつての失態に思いを馳せていたリチャードは、その不自然さに視線を広間へと戻した。
音楽隊がいる辺りが騒然としている。
次第に人垣が出来、それは広間全体へと広がった。
恐怖を孕んだざわめきに、リチャードは何事かと目を眇める。
玉座から見下ろし、そのざわめきの中心にいる人物を認めると驚愕した。思わず腰を浮かせる。
「タッセル……?」
人垣の中心には、リリーの実兄であるタッセル公爵の姿があった。
何をしているのか。
よく見ると、彼は怒鳴りながら大きな身体をぶるぶると震わせ暴れている。その手には、何か銀色に光る物が見えた。
「なっ!ナイフ?……なぜ?」
思わず声がもれる。
入場する際には、必ず手荷物検査をするのだ。誰であろうと例外はなく凶器の類は没収される。
それなのに何故、彼が凶器を手にしているのか。
近衛は何をしているのだっ?!
気付けばリチャードは、玉座から駆け下りていた。
人垣は密集していて中の様子が窺えない。人垣の合間を縫い、タッセルの怒号だけが聞こえる。
幾人かの者がリチャードに気付き、頭を垂れながら道を開けた。
開けた先に見えた光景は、信じ難いものであった。
タッセルが手にした刃を向けているのは、自分の息子でこの国の王子であるセドリック。
そのセドリックは誰かを庇っていた。
「叔父上!おやめください!!」
「うるさい!どけっ!!」
タッセルが、制止するセドリックの手を払い除ける。
セドリックが庇っていたのがフィリクスだと気付いた時には、タッセルの手元にあったはずの刃はフィリクスの腹へと収まっていた。
タッセルが、にやりと嗤う。
刃を引き抜くと、フィリクスの腹から、ぶしゃっと血飛沫が上がった。
「き、貴様……よくも……」
フィリクスは苦しそうに呟くと、そのまま崩れるようにしてその場に倒れ込む。
「き……きゃぁぁああーっ!!!」
それを思い切り目の当たりにしてしまった令嬢たちが悲鳴が上げる。あちこちで倒れ込む令嬢が続出した。
その悲鳴により、何が起きているのか分からない者へもその恐怖は伝播し、今や大広間は大混乱。
「叔父上!何て事を!!」
セドリックの大きな声が響く。
フィリクスが小さくうめき声を上げ、身じろぎした。セドリックが徐ろにフィリクスを抱き起こすと、フィリクスは焦点の合わない視線をタッセルに向ける。
傷口を押さえているが、じわじわと白いシャツが赤く染まっていった。
「タッセル……どういうことだ。気でも触れたか?」
事の次第に全くついて行けない。先程まで穏やかな時間が流れていたはずなのに、何がどうしてこうなった?
呆然と傍観してしまっていたリチャードが、やっと声を絞り出した。
その声で初めてリチャードの存在に気付いたのか、タッセルが振り返る。その手にしたナイフからは鮮血が滴っていた。
「これはこれは、国王陛下……どうもこうもありませんよ。私はただ、いつものように邪魔者を始末しようとしているだけです」
タッセルはだぶついた頬を震わせ、至極当然の事のように言う。
「……いつものように?」
眉を顰めたリチャードは混乱していた。
タッセルは狡猾な男である。いけ好かないところはあるが、それ故に自分の立場が悪くなるような場面は綺麗にすり抜けてきた。
それが、何故……
違和感はあるこそすれ、タッセルが危害を加えた事実は覆ることはない。しかも、床に広がる血液の量を見るに、命の危険もある。
「私は何も悪くない。全てこの男が悪いのだ!こいつの所為で我が家門は王位を奪えない!!死んで当然なのだ!」
「なっ……?!」
今や大広間は、固唾を呑んで状況を見守っていた。
そこへタッセルのこの発言である。
リチャードだけでなく、この場を目撃している貴族全員が驚愕に目を見張る。
「タッセル……お前、何を……?」
タッセルが、リチャードを国王などと認めていない事は知っていた。だが、これまであからさまにリチャードを蔑む様子はなかった。寧ろ操作しやすいリチャードに取り入っていたくらいだ。
それが、まさか国の乗っ取りを目論んでいたとは……
「いい加減離しなさいっ!……何ですっ?!何ですのっ!この状況はっ?!」
騒々しく金切り声が響き、人垣が道を開けるように広がった。
今度は何だ。と、振り返ると、両腕を近衛騎士に拘束された状態で髪を振り乱しているリリーがいた。
誰が、どう見ても罪人ではないか。
どんな状況か、聞きたいのはこちらの方だ……
何時の時も、こういった場を収めていたのはリリーだった。そのリリーのあらぬ姿に、リチャードは言葉もなく立ち尽くす事しか出来ない。
先程まで恐怖でざわめいていた広間に、ひそひそと好奇の色が広がった。
「はっ?お兄様っ?!何をなさっているの!」
リリーはリチャードに目もくれず、広間を見渡して騒ぎの中心に自分の兄を見つけた。体裁を取り繕う事もせず、鬼の形相で血走った目を実の兄に向け声を荒げた。その様子に、慈悲の王妃と謳われた面影は皆無。
タッセルの手に持つ血のついた凶器と、血を流し倒れているフィリクスに状況を察したのだろう。リリーは、ギリギリと歯噛みして兄を睨み付けた。
「公衆の面前で……何て事をしてくれたの!これじゃ……誤魔化せないじゃない!どうして、いつも……少しは愚兄を持つ身にもなって頂戴!!」
「何を言う!お前こそ、その様は何だ?どうせ人殺しがバレたのだろう?お前は、気に入らなければすぐに殺しちまうからなぁ?!」
「はあっ?!人のこと言えるの?!」
「こうなったのは、お前の所為でもあるんだぞ!」
「勝手なことを言わないで!」
突然始まった兄妹喧嘩のその内容に、群衆がざわめいた。
リチャードもまた、タッセルの言葉の内容が理解出来ずに呆然とリリーの顔を見つめた。
「最近の殺しはリベールだったか?お前の自慢の庭を掘り返せば、他にも人骨がごろごろ出て来るんじゃないか?!」
群衆から小さく悲鳴が上がった。それに気を良くしたのか、タッセルが声高に笑う。
「何を言うの!リベールはお兄様の尻拭いで始末してやったんじゃない!!本当に、いつもいつも余計な事をして!!人の苦労も知らないで、お兄様は軽率過ぎるのよ!」
リリーがタッセルに掴みかかろうともがく。しかし、屈強な騎士に拘束されていては、なすすべもない。ふうふうと鼻息を荒くさせ、睨み付けるのが精々関の山。
「り、リリー……本当、なのか?」
リチャードの声が上擦る。
きっ、と、リリーがリチャードを睨み付けた。
その、別人の様な彼女の形相に、リチャードは何も言えずにたじろぐ。
リチャードのその様子に、リリーは顔を歪ませ鼻を鳴らした。
「馬鹿は楽でいいわよね。いつでも『何も分からない』の、一言で済むんだから」
リリーの言葉に、リチャードは「ぐっ」と、詰まる。
「こうなったら、もう……終わりよ」
リリーが、力なく呟いた。
そこへ、女性の甲高い悲鳴が響く。
今度は何だ……
リチャードが無気力に声のした入口の方を振り返ると、一点を見つめ顔面蒼白で立ち尽くす令嬢がいた。側にいた者に心配され、支えられている。
彼女は、セドリックに抱きかかえられているフィリクスを一点に見つめていたが、何事か呟きながら、ふらふらとこちらに歩み寄って来た。
彼女は確か、クリスフォードの……
名は、マリーと言ったか。
結婚したばかりだという彼女にとって、これは辛い場面であろう。
リチャードは、他人事としてマリーをぼんやりと見ていた。
しかしマリーに気付いたのは、リチャードだけではなかった。タッセルがマリーを見て、にやりと嗤ったのである。
それに気付いた時には、タッセルは人垣を押し退け、マリーに向かって突進していた。その身体に似つかわない俊敏な動きだった。
その場に緊張が走る。
誰もが、マリーも刺されてしまうと思った。
が、タッセルはマリーを押し退けると、そのまま廊下の方へと走り去ってしまった。
押し退けられ、ふらついたマリーは、タッセルの逃げた先を見つめている。
その場に安堵の色が広がる。
誰もが、マリーはフィリクスに駆け寄ると思った。
が、マリーはあろう事か、タッセルを追って広間を飛び出して行ってしまったのである。
誰も予想していなかった行動に、誰かが「えっ」と、微かに声を上げていた。
「こ、近衛!何をしている!追え!」
リチャードは、やっと自分の立場を思い出したかのように声を上げた。それを受け、ばたばたと近衛騎士たちがタッセルを追い掛け、広間を出て行く。
それを見届けるとリチャードは、先程の声の主を見やった。
声の主はセドリックに抱きかかえられたまま、微動だにしない。恐らく、リチャード以外にその声に気付いた者はいないだろう。セドリックはリチャードと目が合うと、気不味そうに目を伏せた。
――――トレイス王国の王は、クリスフォードの魔物が決める。
リチャードは、前王である父親の言葉を思い出していた。
言われた時は、意味が分からなかった。王は前王が決めるのではないか。実際にリチャードは国王となった。
――――認められれば、お前も力を貸してもらえるだろう。
実際に魔物がいるのか、比喩なのか。それすら知らない。しかし、真しやかなクリスフォード家の噂が真実なのだとしたら、何も知らない事が、認められていない何よりの証拠。
父は魔物の助力を得ていたのだろうか。
リチャードは、真っ直ぐにセドリックの目を見た。そこに何かを感じたのか、セドリックもリチャードの目を見つめ返す。その瞳には、何かしらの意思を感じた。
そうか。
お前は、認められているのだな……
リチャードはセドリックからリリーへと視線を移す。リリーは力なく項垂れていた。
私が、変われていたら、何か違った結果を得られていただろうか……
最悪な結末に、後悔ばかりが募る。
「蔑まれるのが嫌だ」などという、小さなプライドなど捨ててしまえば良かった。
知らなければ学べば良かったのだ。
どんなに無視されようと、蔑まれようと、リリーと会話を持つ努力をすれば良かったのだ。
向き合えば良かったのだ。
そうすれば、彼女の闇に気付く事が出来たかもしれない。
タッセルの陰謀も摘み取る事が出来たかもしれない。
パトリシアも……
その息子も……
小さなプライドが作った、小さなツケの積み重ねの代償は、あまりにも大きい。
結局、私は、お飾りの王にしかなれなかったが……
リチャードは、深く息を吐くと高らかに宣言した。
「リリー・トレイスを廃妃とする!!」
お読み頂きありがとうございました。




