病弱令嬢は溌剌令嬢?
夜。
湯浴みを済ませたネグリジェ姿のマリーは、ベッドに入る前に部屋のソファでひとり休んでいた。
「………」
色んな事が同時に起こっているようで、少し整理するために目を閉じる。
カレンの話では、どうやら怖いといわれていた公爵も前公爵も噂とは違うらしい。
だがそれは自分で確認するまでは分からないことだ。
結局カレンには「魔女の子」がどういう謂れがあるのかは聞けなかったけど……。
目を瞑ったまま、マリーは慎重に息を吐いた。
なにせ茉莉のお祖父様の話では、旦那様がマリーを殺そうと話しているのをマリーが聞いてしまったというのだから信用は出来ない。
薄っすらと目を開ける。
マリーは実家を出た辺りからずっと気になっていた事があった。
茉莉であった頃、静加から周囲にいる人間の気配を探るなどどいう訓練もさせられていた。そして、それは茉莉よりもマリーの方がその適正があったようだ。
――――――――誰かいる。
それは馬車に乗っていた時も、宿に泊まっていた時も、この屋敷に着いてからもその気配は消えることがない。今、この時も。
屋敷に着くまでの道中マリーと共にいたのは、カレンと馬車を操縦する従者だけだったが、何故かもう一人の気配をずっと感じていたのだ。
最初は馬車にフットマンが乗っているのかと思ったのだがそんなことはなかった。二週間も共にすれば必ず顔を合わせるはず。
だからその時は気の所為だと思っていたマリーだったが。
茉莉だった時は無駄な事をさせられているとしか思えなかったけど、これは感謝するところなのかしら。
マリーは部屋の天井に意識だけを向け集中する。
やっぱり、人の気配があるわ。
何のためにそんな所に隠れているのか、敵なのか味方なのか、その目的が分からない。それがマリーを不安にさせた。
茉莉だった頃はこんなに敏感に気配を探ることなんて出来なかったわ。
こんなアウェイな状況に陥ったことがなかったからかしら。
実家でメイリンの気配には全く気づけなかったのだからそういうことかもしれない。
隣の部屋にはカレンの気配がある。
マリーは小さく息を吐くとベッドにもぐりこんだ。
ここは私を守るというカレンの言葉を信じるしかありませんわね。
なるようになれ。ですわ。
◇◇◇
夜も更けた公爵邸。
その二階のマリーの部屋のバルコニーに二つの人影が降り立った。
その人影は最小限の音で窓を割ると、手慣れた様子で部屋に侵入する。
戸惑うことなくその人影はベッドに忍び寄ると、ベッドにかかる薄いカーテンを開けた。カーテンの中を確認した人影は、互いに頷き合うと一人がベッドの布団のこんもりしたところに手を伸ばす。
マリーはじっと息を潜めてその成り行きを見守っていた。
「……っんなっ?!いない?」
「この部屋の準備しかしていなかったと言っていたぞ?隠れたか?探せ」
二人の男の押し殺した声がする。
ベッドの下に隠れていたマリーは焦った。
見つかって挟み撃ちにされたら逃げ場がない。
仕方がない。こいつらがいるのとは反対側から出ましょう。
カレンたら、早く来てくれないかしら。
マリーは匍匐前進のようにしてベッド下から這い出る。あまり人には見せられない姿だ。
それにしても、さすが公爵家だわ。ベッド下まで掃除が行き届いてる。
……なんて、言っている場合ではなかった。
侵入した賊はそこまで馬鹿ではなかったらしく、あっさりとマリーは見つかってしまう。
「いた!こいつだっ!」
ベッド下から這い出し、やっと立ち上がったマリーに賊の一人が飛び掛かる。
まあ!女性に対して「こいつ」だなんて!
と、思いながらマリーは、飛び掛かってきた賊の顔を目掛けて思いきり前蹴りを繰り出した。
「ぶぎっ!!」
蹴られた賊は不思議な声を上げて鼻血を噴き出しながら後ろに倒れて蹲る。
「んなっ!こいつっ!!」
もう一人の賊が倒れた仲間を見てマリーを睨みつける。
「舐めたマネしやがって!」
「女性の寝込みを襲う方に言われたくありませんわ!」
マリーは向かってくる賊の懐に素早く飛び込むと、相手の右手首と右肩に手の平を乗せ押した。
押された賊の身体はマリーに誘われ、その視界を反転させ勢いよく床に仰向けで倒れた。
「んぇっ?ぅあっ?」
痛みはないのだろうが驚きで状況が理解出来ないのだろう。変な声を上げている。
マリーが、すっと後ろに飛び退くと、入れ替わりで黒い影が賊に飛び掛かり、あっという間に賊二人を拘束した。
「ふぅー」と、マリーは息を吐く。
賊が武器を持っていなかったのは幸いでした。
隠し持ってはいたのだろうが、マリーを連れ去るのが目的だったらしく、二人は縄は持っていたが表立って武器は持っていなかった。
それに。と、マリーは自身の足元に視線を落とす。
ピンヒールのパンプスをベッド下に隠して置いて正解でしたわね。
細い踵が運良く賊の鼻にクリーンヒットしたお陰で相手が倒れてくれたのだ。
でなければマリーの力で成人男性を倒せるはずがない。
もう一人の賊を倒した技は茉莉が静加から教わったもので、相手の力を利用するものだ。
自身の力が入ってしまうと、逆に決まらない技。
なまじ力があった茉莉では上手く出来なかったが、マリーは力が無いが故に上手くいったのだろう。
そして相手の力が強ければ強いほど、相手に返す力も強くなる。
つまり、賊は自分でひっくり返ったようなもの。
上手く出来るかは賭けでしたけど、結果は上々ではないでしょうか。
むふ。と、マリーは心の中でほくそ笑んだ。
「奥様!!」
賊が捕縛された頃、カレンが部屋に飛び込んで来た。
「あぁあっ!何ということを!!」
マリーよりもよほど怯えた様子でマリーの身体に異常がないか確認するようにべたべたと触れてくる。
「カレン。この人が助けてくれたし、私なら大丈夫だから」
それよりもその手に持っている血の付いたナイフをしまってくれ。と、マリーは思った。
カレンを宥めるように言うと、マリーは賊を捕縛してくれた黒尽くめの小柄な男に視線を向けた。
「グレン!!護衛対象から離れるってどういうことよっ?!」
「………」
カレンからグレンと呼ばれた男は黙ってマリーを見据えている。
グレンは目以外を覆う黒い頭巾を被っていて表情は分からないが、その視線からはマリーに対する警戒心が窺えた。
いや、警戒したいのは私の方なのですけど。
この男が天井裏に潜んでいた気配の正体だったのだ。
マリーがベッドに入って寝入った頃、屋敷の外と中の気配が急に騒がしくなって目が覚めた。
音が騒がしいのではなく、人が動く気配と緊迫した感情の気というのだろうか。
とにかくマリーは目を覚ました。
カレンの気配が廊下の方へと移動すると同時に微かに聞こえてくる鈍い音と呻き声。
そして複数人のうごめく気配。
屋敷に賊が侵入したのではないかとマリーは推測した。
そしてマリーの部屋のバルコニーにも何者かの気配を感じた。
その時、天井裏から音もなく部屋の中へと移動して来たのがこの男だったのだ。
グレンの視線がバルコニーに向いているのを見て、味方だと悟ったマリーは咄嗟に「カレンの加勢に行って」と、囁いていた。
どう考えても部屋の外の賊の人数の方が多かったから。
一瞬グレンは戸惑う様子を見せたが、すぐにすっと消えた。
それでも決して「一人で賊を倒してやろう」なんて自分を過信した訳ではなく、マリーも隣に続く部屋に逃げるつもりだったのだ。
ところが布団の中に枕を入れる、なんて細工をしていたら思ったよりも賊が侵入してくるのが早くて、咄嗟にベッドの下に隠れ、結果として賊と対峙してしまった。
と、いうことである。
まあ、細工なんかしてないですぐに逃げろよ。と、言いたいところだが、結果良ければ全て良し。と、いうやつである。
しかし、グレンは「良し」としていないようだった。
「あんた。何者だ?どこで本物とすり替わった?本物はどこだ?」
んん?!どういう意味でしょう??
私の偽物がいるのでしょうか??
マリーはグレンにお礼を言おうと思ったのだが、全くもってそんな雰囲気ではない。
「グレン!奥様に失礼です!!……申し訳ございません。奥様」
マリーを睨みつけているグレンに、カレンが慌ててその頭を下げさせようとその頭をぐいぐいと押している。
「だって、この女……聞いてた話と、全然違うじゃないか!俺たちが聞いてたのは、病弱で、か弱くて、気弱なご令嬢だっただろ?!」
グレンはカレンの手を払い、負けじと言い返す。
小柄だから若い少年なのかと思っていたが、その声はしっかりとした青年のものだった。
言われている内容はマリーにも思うところがあるので何とも言えない。
「この女、賊に向かっていくとか豪胆すぎるだろ!
絶対、普通の令嬢じゃない!本物とすり替わってる!これが奴らのスパイでなくて何なんだっ?!」
「馬鹿っ!!すり替わるタイミングなんて無かったのはあんただって知ってるでしょ!それに奴らのスパイなら何でこいつら倒す必要があるのよっ?!」
「旦那様や俺等を信用させる為だろ!」
何故だが言い争いが始まってしまった。
もしかして輿入れまで時間がなかったのは、替え玉を用意させないため?
でもどうしてそんな必要が??
「奴ら」が誰を指しているのか、スパイされる理由は何なのかは分からないが、グレンがマリーを警戒している理由は分かった。
だがしかし、マリーが本物か否かを問うのは今でなくていい。と、マリーは思うのだ。
「まあ、まあ。お二人とも。賊のお二人も驚いておりますからこの辺にしておいて後片付けを致しましょう?」
なぜなら、拘束した賊の二人が拘束されているにも関わらず、きょとんとした様子でカレンとグレンのやり取りを眺めているから。
「私としたことがっ!!申し訳ございません!!……グレン!こいつらを牢に連れて行って!」
カレンに睨まれたグレンは渋々と、拘束された二人を連れて部屋を出て行く。
出て行ったのを確認すると、カレンはマリーに深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした!グレンは腕は立つのですが、性格に少々難がありまして……」
そう言うとカレンは顔を上げ、マリーの両手を取ってきらきらとした眼差しでマリーを見つめた。
「ですがっ!!旦那様が奥様に惚れ込んだ理由が分かりました!」
「ほぇっ?ほれこ……?」
マリーが目を白黒させているのはお構いなしに、カレンは上機嫌で続ける。
「ええっ!誰もが守りたくなるような可憐なお姿をされておりながら、非常事態における冷静かつ沈着な対応。その胆力!しかもお強い!!
我が旦那様にマリー様以上に相応しい方がいるでしょうかっ?!いいえ、おりませんわ!!お二人は出逢うべくして出逢った。正しく運命のお二人なのですわ!!」
ただ侵入者を転ばせただけなのだが、瞳をきらきらとさせて一気にまくし立て、熱く語るカレンにマリーはたじろいだ。
この娘、大丈夫かしら。と。
私が本当にスパイだったらどうするのよ。
特にこういった事件が起こり得る屋敷に仕えているのであれば、グレンの考え方や態度の方がまともな様に感じてしまうマリーだった。
「でも……」と、カレンはマリーの両手を握ったまま神妙な表情に変わる。
「今回はグレンの馬鹿の所為ですが、危険な事はお止め下さいね。敵と戦うのは私たちの役目です」
マリーは、いや、普通の侍女は敵と戦わないと思う。という台詞は呑み込んだ。
「あの……じゃあ。私が侵入者と対峙したことは、旦那様たちには内緒にしておいてくれない?」
「あの、それは……なぜです?」
これから万が一にも旦那様に命を狙われるような事があるかもしれないのだ。
少しでも油断していて欲しい。
最初から構えて来られたらマリーでは逃げ切れる可能性がかなり低くなる。
つまり、弱っちぃ女性だと侮っていて欲しいのだ。
流石に毒耐性はないから、毒を盛られたらどうにもならないけどね。
だが、一使用人でしかないカレンには報告の義務があるのだろう。困ったように首を傾げた。
「カレン。あなたは私の一番の味方なのよね?」
父フィーノがやったように上目遣いにして―――残念ながら涙は流せなかったが―――「今にも泣きそう」な雰囲気を醸し出してマリーが言う。
「その通りです、奥様!!分かりましたわ!内緒にしておきます!!」
真っ赤な顔をしたカレンが、マリーの手を握り直してうんうんと頷いている。
……ちょろい。
カレン……少しちょろ過ぎますわよ?
マリーは自分でやっておきながら思った。
この娘、大丈夫かしら。と。
「それと、あなた達が敵と戦わなければいけない理由を教えてもらえませんか。敵とは誰のことです?」
今回は幸運だっただけで、いつも対応出来るとは限らない。こんな事が毎日のように続くのであれば、マリーも心積もりと準備が必要だ。
「……それは、私の口からはどうにも。イーサンが……家令が戻りましたら話があると思います」
カレンは気まずそうに視線を逸した。
そもそもマリーが屋敷に到着したら、内情含め色々と話をするはずだったらしい。
なるほど。それまで私のもやもやは続くのですね。
マリーは新しく準備された部屋に案内されたが、目が冴えてしまいなかなか眠ることは出来なかった。
お読み頂きありがとう御座いました。