病弱令嬢、誘われる
「はじめまして。私はジャクリーヌよ。そしてこちらは、クリスフォード公爵夫人」
不思議な空気を変えてくれたのはジャクリーヌだった。
そ、そっか……ここは、私が話し掛けなくては駄目なところだったのね。
「はじめまして。あの、お名前をうかがっても?」
二人は「待ってました」とばかりに瞳を輝かせた。
「はっ、はじめまして、公爵夫人。私はゴードン伯爵が娘、シシリィと申します。お会い出来て、光栄です」
「はじめまして、公爵夫人。私はアンダーソン伯爵が娘、ミーティアですわ。あの……公爵様と夫人のダンス、素敵でした。その……お花みたいで」
「まあ……ありがとう」
伯爵令嬢だという二人は興奮を抑えられないのか鼻息が荒い。
マリーのダンスは、ただくるくると回っていただけだ。その時広がっていたスカートが花の様に見えたのだろう。「お花みたい」というのが嫌味でない事をマリーは願った。
「私は、その……こういう場が初めてなので緊張してるんです」
「まあ!夫人もですか?私たちもデビューしたばかりなんです」
「私たち、実は夫人と同じ年なんですよ」
年は近いだろうと思っていたが、同じ年だったとは。急に親近感がわき、空気が和む。
二人は、何やら期待するような表情でマリーを見つめていた。
「あの、何か?」
「いえ、あの……不躾だとは分かっているのですが、聞いてもいいですか?」
もじもじしながらミーティアが言う。 しかし話の内容が分からなければ、許可のしようがない。マリーは頷くしかなかった。
「あの……クリスフォード公爵様の噂についてなのですけれども……」
噂といえば「魔女の子」だとか、あまり良くない噂があった。確かに初対面でそんな話は不躾かもしれない。
それなのに、目の前の二人は瞳を輝かせ、期待に胸膨らませている様子だ。二人はどういう神経をしているのか。
旦那様は悪い人ではないと、ちゃんと否定しておかないと。
マリーは、ぎゅっと、拳を握り覚悟を決めた。
「公爵様は生涯、一人の女性しか愛せないというのは本当ですか?」
「旦那様は……は、え?あ……そっち?」
奇しくもミーティアと同時に口を開いていた。
「公爵夫人。そっちとは……どちらでしょう」
ミーティアとシシリィも、きょとんとしている。
思い掛けない内容に、肩透かしを食らったマリーが、あうあうと金魚になっていると、すかさずジャクリーヌが口を挟んだ。
「うふふ。何でもないですわぁ〜。それより……そうなの!公爵は、たとえ絶世の美女が裸で目の前にいたとしても……反応しませんのよ?夫人だけですわ」
さも重大な秘密を打ち明けるかのように、ジャクリーヌは声を潜める。マリーをそっちのけに、自然と三人は膝ならぬ頭を突き合わせていた。
ご令嬢たちは、ごくりと喉を鳴らす。
「では、やはり、夫人は……公爵様の……番?」
「……ですわ」
途端に、ご令嬢たちも声を抑えて悲鳴を上げる。
「では、やはり……公爵様がドラゴンの子孫だというのも……?」
「……それは、違いますわ」
途端に、ご令嬢たちが「あぁ〜」と、残念そうに眉を下げた。が、すぐに瞳を輝かせる。
「でも……素敵ですわっ!」
「羨ましいですっ!」
ジャクリーヌを含め、三人で盛り上がっている。
素敵?
羨ましい??
マリーはついて行けていなかった。
「あの……何が、素敵で羨ましいのかしら??」
マリーが堪らず訊くと、ミーティアとシシリィが同時に勢いよく振り返った。その勢いに、マリーは一歩後退る。
「だって、公爵様は絶対に浮気しない。と、いうことではないですか!」
「そうですよ!私の婚約者なんて、ちょっと可愛らしい女性がいたら、すぐ鼻の下を伸ばしちゃって」
「男って本当、ばっかみたい!」
「「……ねー!」」
二人は、よほど仲が良いのか、最後は顔を見合わせて声を揃えている。
二人とも婚約者に不満があるのか、それともジャクリーヌが煽るのが上手いのか、それぞれの婚約者への文句が止まらない。
「……夫人も、そう思いませんこと?」
などと同意を求められても困る。マリーは適当に相槌を打っていた。
だというのに、その婚約者が姿を現せば、ころっと態度が変わる。
「では、公爵夫人。失礼いたしますわね」
二人とも、うきうきとしながら婚約者と共にダンスの輪に消えて行った。
「……あんなに文句を言っていたのに」
「うふふ。さっきのご令嬢たちは、公爵家の噂に興味があったのでしょうけど、女の子はみんな恋の話が好きなのよ。それとドレスとアクセサリーの話もね」
嵐の様だと思った。
ご令嬢たちに相槌を打ちながら、こんなことが前にもあったな。と、ぼんやりと思い出していた。
茉莉だった時だ。
どんな世界でも女の子の話題は共通らしい。
だけど、茉莉だった時も、マリーとして生きている今も、彼女たちに共感することは出来なかった。
つまらない人だと嫌われないように、相槌を打つだけ。
どうやら人生が変わって、身体が変わっても魂が同じな限り、そこは変わらないらしい。
「それに、こういうところで夫や婚約者の不満を発散させるのが、上手くいく秘訣みたいよ……て、マリーちゃん?」
ジャクリーヌがぼんやりしているマリーを心配してその顔を覗き込む。
「あ、ごめんなさい。少しびっくりして」
「……そうね。彼女たちは、少し元気が過ぎたかもね。人酔いしちゃった?私、飲み物持って来てあげる。マリーちゃん、ここから動かないでね」
ジャクリーヌが飲み物を取りに席を外した。その後ろ姿をぼんやりと見送る。
気を使わせちゃったな……
ふぅ。と、小さく息を吐く。
もしかしたら、ジャクリーヌは偶に来た王都で友人を作りたかったのかもしれない。 実際、三人は気が合っていたように見えたし、自分がいない方がもっと仲良くなれたのでは。と、マリーは思う。
ふと、視線を感じて、見るとフィリクスと同じ年代の青年と目が合った。
「ご令嬢、お一人ですか?」
「いえ、あの……」
「私も、連れとはぐれてしまいましてね。何しろ通常の舞踏会と違って人が多い」
勝手に近付いて来た青年は、マリーに話す隙を与えず喋り続ける。
「いや、でも、はぐれて良かったと言うべきかな。お陰で、あなたの様な素敵なご令嬢と巡り会えたのだから。これはもう運命の出逢いとでも呼ぶべきだよね。ははは」
「ははは」ではない。
この男は何なんだ。と、マリーは構えた。
もしかして、前に私を攫った奴らの関係者かしら……
「そんなに警戒しないで下さい。どうです、お近付きの印に一杯」
そう言って、青年は手にしていたグラスをマリーに差し出す。 はぐれたという連れの分だろうか。青年は両手にグラスを持っていた。
「申し訳ありませんけれど……他の男性から何かを頂くと、夫が嫉妬してしまいますの」
このグラスは受け取るべきではない。マリーに出来る、精一杯のあしらいだった。
「おや、これは失礼。夫人でしたか。その若さでということは、やはり政略結婚ですか?斯くいう私も政略結婚でしてね。貴族とは厄介なものですよね、愛のある結婚など、夢のまた夢だ……」
いつまでここに居座るつもりなのだろうか。男は空気も読まずに饒舌に話し続ける。
「……しかし、貴族の恋愛とは、結婚してから楽しむもの。そうは、思いませんか。夫人?」
意味有りげにマリーに流し目を送る男に、マリーはどきっとした。
いや、目の前の男にときめいたわけではない。その話の内容だ。
そう、なのよね……旦那様と、これから恋愛を楽しめば良いのよ。
お互いを認め合い、支え合って、お父様とお母様みたいに、想い合える……
目の前の男も、それを目指しているのだろう。
「恋愛を楽しむ……出来るでしょうか。私に……」
「もちろんですよ、私が教えて差し上げます」
男は鼻の下を伸ばしながら、馴れ馴れしくマリーの腰に手を回した。
突然の距離の近さにマリーの背中を、ぞわっとした不快感が走る。
「あの……夫に怒られてしまいますわ……」
「あなたを放っておく旦那の事など忘れて、今は私だけを見て下さい」
会場の方からマリーを隠すような位置に男が立ち、マリーの腰だけでなく、頬にまで触れてくる。
はぁあああーっ?!
な、何を言っているの、この人?!
さっき言ってた事と、やってる事が違うじゃないっ!!
何か言ってやりたいが、その不快感と恐怖で、マリーは固まってしまった。 上手く口が動かない。
「クリスフォード公爵夫人。その男性はどちら様ですの?」
冷ややかな声が響く。その声で、マリーの金縛りが解けた。
ばっ、と、男を突き飛ばし、声の方へと駆け寄る。
「じゃ、ジャクリーヌ様……」
思ったよりも数倍、情けない声が出た。
よしよし。と、ジャクリーヌがマリーの頭を撫でる。
「もう……動かないで。とは言いましたが、こういう時は逃げて頂かないと」
そう言うと、ジャクリーヌは、ぎろっと男を睨み付けた。
「ぁ……く、くりす……ふぉーど??」
ジャクリーヌに睨まれ、男が震え上がる。
マリーにも負けないくらい情けない声を出し、信じられないものを見る目でマリーを見つめた。
「では……こ、この方が……」
男の声が震えている。
「あなた、先日コルドー子爵家に婿入りされたフィヨルド男爵三男のジーク様ですわね?この件は公爵様に報告し、クリスフォード公爵家からコルドー子爵家へ正式に抗議させて頂きます」
「ひぃっ、申し訳ありませんでした!!そ、それだけは……まさか、この方が公爵様の番だなんて、知らなかったんです!どうか……お許し下さい!!」
「公爵様に殺されないだけ、まだ良いとお考え下さい」
「でっ、でも、私は婿で……抗議なんてされたら……」
「知りませんよ、失せなさい。二度は言いません。どうしても、と言うなら……公爵様から、いざという時は処分しても良い権限を得ています」
「ひぃぃっ、こ、殺さないでくれぇ!!」
ジークと呼ばれた男は腰が抜けたのか、へこへこしながら必死に逃げて行く。 なんとも情けない後ろ姿だ。
「ジャクリーヌ様、ありがとうございました。それにしても、殺すなんて……流石に言い過ぎでは?」
恐怖と不快感から開放され、マリーは、ほっと胸を撫で下ろした。
「言い過ぎじゃないわよ。マリーちゃんに何かあったら、私がお兄様に殺されちゃうのよ?!」
じっとりとジャクリーヌに見つめられて、マリーは、はっとする。そうだ、フィリクスは普通ではなかった。
「殺すって……ただの脅しですよね?権限を得ているなんて……」
「……ええ、嘘よ。殺しのライセンスなんて、誰も持ち合わせていませんもの。そんな事より、あの男と何の話をしていたの?」
ジャクリーヌの一瞬の間が気になったが、果実ジュースのグラスを渡され、一気に飲み干す。 気付かなかったが、喉はカラカラになっていた。
「ええと……貴族の恋愛は結婚した後から楽しむものだ。という話をしました」
そう。それを聞いてマリーは、あの男は自分の妻に誠実に向き合っているのだろう。とさえ思ったのに。
だがそれを聞いたジャクリーヌの表情は険しいものになった。
「それで?」
「ええと、私は恋愛を楽しむ事が出来るかしら。って。そしたら、あの方が恋愛の仕方を教えて下さるって」
ジャクリーヌの眉間に深くシワが寄る。
「……ちょっと、マリーちゃん?」
「だって……私も、旦那様と……私の両親のような仲の良い夫婦になりたくて……それには、やっぱり、ちゃんと旦那様と恋愛して、楽しんだ方が良いのかな。って」
「へ……ちょっと、マリーちゃん?」
ジャクリーヌの眉間のシワはそのままに、眉尻が下がる。
「ジャクリーヌ様は……表情が豊かですね」
「誰の所為だと思ってます?!」
素直でさっぱりとした性格だとジャクリーヌを褒めたつもりだった。
首を傾げるマリーに、ジャクリーヌは天を仰ぐ。
さっきの男はマリーに不倫のお誘いをしたのだと伝えるべきか否か。
「素直過ぎる……お兄様がマリーちゃんを外に出したくないのが、わかっちゃった気がするわ」
今日は、長い一日になりそうだ。
ジャクリーヌは、この時、覚悟を決めたという。
お読み頂きありがとうございました。




