病弱令嬢、回る
国王夫妻のダンスが終わると、次々と人々が前に出て軽やかに踊り始める。
「マリー。私たちも踊ろうか」
「え、でも私……踊ったことがなくて……」
フィリクスから手を差し伸べられたが、マリーはダンスを教えてもらったことさえない。
マリーが躊躇していると、フィリクスが強引にマリーの手を取り、その腰を引き寄せた。
「大丈夫。俺に合わせて動くだけでいいから」
耳元で囁かれ、どきっとしてフィリクスを見上げると、金色の目が微笑んでいる。
旦那様って、こんなに頼もしい感じだったかしら。
と、少々失礼な事を考えている内に、気付けばダンスホールの中央まで出ていた。
ここまで来てしまったら、どうにかしてでも踊るしかない。
必死にフィリクスについていく。と、いうより、フィリクスの腕にぶら下がっているような感じでマリーはホールをくるくると回る。
マリーに周りの様子を窺う余裕などなかったが、嘲笑われているような気がして余計に身体がかたくなる。
「マリー、俺を見て」
「えっ、む、むり……」
フィリクスに言われ何とか視線を上げると、やはり金色の目がマリーに微笑んでいた。
「笑って、マリー。マリーは微笑んでいるだけで、何でも許されちゃうんだよ」
そんなわけない。
そう思ったが、フィリクスにつられて微笑むと、不思議とマリーの身体から力が抜けた。
マリーの力が抜けて身体が軽くなったからなのか、フィリクスはやたらとマリーをくるくると振り回している気がする。
「だ、たんなさま……め、めがまわ……る」
気の所為ではなく本当にくるくると回され、目を回したマリーがふらふらとしたところで、フィリクスがマリーを抱きしめた。丁度そこで曲が終了する。
ダンスの輪から離れる時に聞こえたご令嬢たちの黄色い歓声が自分たちに向けられたものだと気付いた頃には次の曲が流れていた。
「ふふ。楽しかったね、マリー?」
「はい!」
踊りとしては最低だったかもしれないが、楽しかったのは本当だった。
「……私は、楽しくないわ」
恨めしそうな声を上げたのは、ジャクリーヌだった。彼女は二人が踊っている間、ひとり壁の花になっていたのである。
「ねぇ、マリーちゃん。今度は私と踊りましょう?」
「え、私……ですか?」
「ふざけるな!マリーは俺以外とは踊らない」
「どうして、それをお兄様が決めるのよ!」
「それは、マリーが俺の妻だからだ」
「ぅわっ!出た、束縛男!キモーい!」
「だから、キモいはやめろと言ってるだろ!」
最早お決まりとなった口喧嘩が周囲の注目を集めてしまう。
これ、もしかして……修羅場みたいに見えてない??
本妻と浮気相手が遭遇し、フィリクスが詰め寄られているの図。に、見えなくもない。
そう思ってしまうと、近くでひそひそとしている話し声が全て自分たちの話題なのではないかと思えてしまう。
「おや、公爵。今日は両手に花とは、羨ましいね」
勝手な妄想を膨らませ、勝手にやきもきしていたマリーは、それ見たことかと振り返る。
「で、殿下……」
声を掛けて来た人物が、まさかのセドリック殿下で慌てて膝を折って頭を下げた。
フィリクスとジャクリーヌも流石に大人しくしている。
「夫人もお久しぶりだね」
セドリックはマリーに笑顔を向けた後、ジャクリーヌを見て小首を傾げる。
「あれ?君はもしかして、ジャ……」
「ジャクリーヌですわ。殿下」
膝を折り挨拶したジャクリーヌに、殿下が「ああ」と、頷く。
「ジャクリーヌ嬢は、今日は夫人の護衛かな?」
「そうですわ」
ジャクリーヌとは面識があるのか、セドリックは訳知り顔で含み笑いしている。
「ジャクリーヌ嬢がいるなら安心かな。なあ、公爵?」
「……ある意味不安ですよ」
「お兄様ったら、ご自分で私を呼んでおいて、酷くありませんこと?」
各々不満そうなフィリクスとジャクリーヌに、セドリックが笑っている。が、不意にその表情を消した。
「公爵。少し、いいかな?」
「もうよろしいのですか?」
「ああ、一通りの挨拶は終えたからね。……夫人、申し訳ないが夫君を少し借りていくよ?」
「は、はい」
今回の何かしらの計画にはセドリックも一枚噛んでいると聞いている。
もしかしなくとも、これからその計画が実行に移されるのだろう。何もしない事が仕事であるマリーも、無駄に緊張してきた。
「ジャクリーヌ嬢。くれぐれも夫人を宜しく頼むよ」
セドリックはジャクリーヌの手を取ると、その指先に口吻を落とす。その瞬間、周囲のご令嬢たちから羨望を含んだ悲鳴が上がった。
「……言われなくともそのつもりですから、どうぞご心配なく」
ジャクリーヌ様……なんて顔をされてるのかしら。
嫉妬か羨望かの眼差しを向けられている当の本人、ジャクリーヌは、犬の糞を踏んでしまったような顔で殿下を睨むと、その手を振り払った。更には殿下が触れた指をハンカチで拭う。
なんて事をーっ?!
ひやひやとしているマリーを余所に、セドリックは声を出さずに爆笑している。とても器用だ。
「じゃあ、マリー……行ってくるね」
フィリクスはフィリクスで、マリーの手を取り、何度目かの挨拶をする。その手を一向に離す気配はない。その切なそうな表情は、まるで今生の別れかのようだった。
最終的には、セドリックがマリーからフィリクスを引き剥がす様にして連れ立って行った。
二人を見送っていると、マリー達のいる所とは反対側にマリーの両親が見えた。会いに行こうかと思ったが、誰かと話が盛り上がっているようだ。
きっと、仕事の話よね。邪魔しちゃ悪いわ。
やはり社交界。舞踏会とはいえ、会話している人たちの方が多いように思う。
「予想はしていたけれど、お兄様ったら想像以上ね。マリーちゃん、お兄様の相手なんて大変じゃない?」
フィリクスとセドリックの姿が見えなくなると、ジャクリーヌがマリーに言った。
「大変……?そんな事はない、ですけど……」
恐らくフィリクスの執着の事を指しているのだろう。恥ずかしいと思うことはあるけれど、それを大変と感じた事はない。ただ、それが悪い方向へと向いてしまったら、と思うと不安しかないのだが。
それにしてもジャクリーヌは、随分と竹を割ったような性格の持ち主のようだ。
「ジャクリーヌ様は、はっきりされていますよね。旦那様とも言い合えるし……ましてや殿下にあんな事、私には絶対に出来ません」
「あら。マリーちゃんたら、それ、嫌味?」
「いえ、とんでもない!褒めてます。気持ちが良いなと思いました。羨ましいです」
「そうよね。マリーちゃんが嫌味を言うようには思えないもの。でも、まあ……敵は多くなるかもね」
それは、そうかもしれない。先程も、セドリックを慕っているのであろう令嬢たちから物凄い目で睨まれていた。
「嫌ではないのですか?その……喧嘩とかして、嫌われたりするのは」
「嫌われる事?……マリーちゃんは、嫌われる事を気にして嫌なことを我慢しながら相手と仲良くしたいの?」
貴族であれば、家や領地の為に理不尽な事でも呑み込まなくてはならない事態はいくらでもあるし、化かし合いが普通の世界だ。
それでも、ジャクリーヌが言っているのは、個人対個人の話。
「ははーん。マリーちゃんて、ご両親にも遠慮して何も言えないタイプ?」
ジャクリーヌはマリーが会場の端にいる両親の様子を窺っているのを見ていたのだろうか。
確かにマリーは、病弱だった事もあり、出来るだけ家族に迷惑は掛けないようにと心掛けてきた。
それが遠慮といえば、遠慮なのだろうか。
「例えば、多少のやんちゃぐらいで自分の子供を嫌いになる親なんて居ないし、居たら居たでそんな奴ら後ろから蹴りをくれてやればいいのよ」
ふふん。と、ドヤ顔でジャクリーヌが言う。
黙っていたら大人しそうな女性なのに、言う事は意外と過激だ。
「でも、まあ……親子で腹の探り合いしてるなんて、貴族では珍しくないのが現実なのよねぇ」
ジャクリーヌは数秒前の自分の言葉を否定し、今度はしたり顔で頷く。
「そうだ!それなら、お兄様を使って言いたい事を言う練習したら?お兄様なら、マリーちゃんが何を言っても絶対に嫌う事はないから!……まあ、お兄様が落ち込む事はあるかもしれないけれどね」
「え……と」
それはそれで、殺されるフラグが立ちそうなので。とは、言えない。
「うーん。マリーちゃんじゃ、お兄様が落ち込む事を気にしちゃうか……じゃ、先ずはお友達を作ってみる?」
「おともだち?」
急に?と、ジャクリーヌがそっと目配せした先を見ると、こちらを窺う様子のご令嬢二人組がいる。
歳の頃は、マリーとそう変わらないように見える。
そわそわ、ちらちらとこちらを窺いながら、じりじりと微妙にこちらに近付いて来ていた。
悪意の様なものは特に感じない。
二人組と目が合ってしまったところでマリーが思わず会釈をすると、二人のご令嬢は、ぱあぁっと、顔を輝かせ、すすーっと、こちらのテーブルまでやって来た。
やって来たはいいものの、二人は互いに顔を見合わせてもじもじとしている。
そして何か言いたそうに、偶にちらっとマリーを窺う。
な、何かしら……文句を言いに来たようには見えないけれど。
もしかして、本当に私とお友達になりに来てくれたのかしら……
マリーもそわそわと視線を泳がせ始めた。
この場の全員が無言。マリーと令嬢二人に至ってはそわそわとしている。
なんとも不思議な空気がその場に流れていた。
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