病弱令嬢、謝罪する
国王夫妻のお出ましに、挨拶するための長い列が流れる様に出来ていく。
公爵家であるフィリクスとマリーは、必然的にその列の先頭になっていった。
と、二人の前に強引に割り込む者がいた。
恰幅のよい中年の男性と、その妻らしき女性。
フィリクスが庇わなければ、マリーはそのでっぷりとしたお腹に突き飛ばされていたことだろう。
「おや、失礼」
その言葉に謝罪の気持ちは全くこもっていない。
中年の男性はマリーを見下ろしてから、フィリクスに嫌らしい笑みを向け、何事もなかったかのように玉座に進んで行った。
「マリー、大丈夫か?」
「ええ、何ともないです」
「あいつ……許さん」
ぼそっと呟くフィリクス。マリーの腰に回されたフィリクスの腕に力が入る。
「本当に大丈夫ですから……」
少し驚いただけで、身体が当たったわけではない。
だが、しかし……
……か、感じ悪い!!
これが貴族というやつなのっ?!
これが貴族の洗礼なのだろうか。よくわからないが、マリー達よりも先に平然と国王夫妻に挨拶をしているということは、あの男性は、タッセル公爵かイオリア公爵ということになる。
あの方が、タッセル公爵なのね。
マリーは勝手に決めつけた。
トレイス王国のリチャード国王陛下とリリー王妃陛下は、傀儡の王に慈悲の王妃などと真しやかに囁かれていた。
それは田舎の領地で育ったマリーの耳にも届くほどに。
緊張した面持ちで、マリーはそっと国王夫妻を窺う。見た目だけでは、どの辺が傀儡なのか慈悲深いのかは分からない。
感じの悪い夫妻が挨拶を終え、その後にマリーを伴ったフィリクスが前に進み出る。
「国王陛下にご挨拶申し上げる……」
口上を述べるフィリクスに倣い、マリーも玉座の国王と王妃にカーテシーをする。
「まあ!その方が夫人ですのねぇ。話には聞いてましたけれど、可愛らしいわぁ。会えるのを今か今かと楽しみに待っておりましたのよ?」
無機質に挨拶を返すだけの国王に対して、王妃は人当たりの良い雰囲気で言葉を掛けた。
慈悲の王妃と呼ばれるだけあって、ふわふわとした柔らかい話し方をする。
「もったいないお言葉。大変光栄でございます」
「そんな、堅苦しい事をいわないでぇ?そうですわ!今度、夫人をお茶会に招待してもかまわなくて?」
自慢じゃないが、マリーがカーテシーを人前で披露するのはこれが初。
上手く出来ているかどうかもよく分からない。とにかく緊張して早くこの場から去りたいのに、慈悲の王妃はそんなマリーに構わず話し掛けてくる。
「リリー……ほら、皆さん並んでるから、次の人が待ってるから……」
「もう!リチャードったら、急かさないで」
リチャードがリリーに耳打ちするのが聞こえた。
傀儡の王という揶揄は強ち間違ってはいないのかもしれないが……
傀儡の王というより……
我儘な王妃に振り回される国王。という印象を受ける。
もちろん、この場面しか見ていないマリーには何とも言えないが。
「妻はこういう場にはまだまだ不慣れなものですから、王妃殿下におかれましては、どうぞご容赦願います」
フィリクスはそう言うと、口を開きかけたリリーを無視して玉座から下がった。そのまま、壁際まで移動する。
何かしら。一瞬、不穏な空気を感じたけれど。
フィリクスも王妃も笑顔であったが、無言の圧の様なものが互いから出ていたような気がした。
あれは何だったのかとフィリクスを見上げると、フィリクスに見つめられていた事に気付き、思わず俯く。
「な、何で、見てるんですか……」
「え?可愛いから?逆に、他にどんな理由があるというのさ」
そう言いながら、しれっとマリーのつむじに口吻を落とす。
「ひぇっ……ひ、人前でっ」
人がいない壁際とはいえ、恥ずかしさでマリーは顔を赤くした。
「はっ」
突然聞こえた失笑に、フィリクスが振り返る。そこには、先程の感じの悪い男性が嫌らしく口角を上げて立っていた。
「おや、失礼。笑うつもりはなかったのですがね。ところで、お父上はお元気ですかな、クリスフォード公爵?」
「これはこれは、タッセル公爵。先程はどうも。どこかの誰かが間抜けなお陰さまでね、とても元気にしてますよ」
庇う様にフィリクスがマリーの前に出る。
やはり、この男性がタッセル公爵だった。マリーの勘は当たっていたのだ。
タッセル公爵はフィリクスの徴発するような物言いに、ぎりっと歯噛みしたかと思うと一転、嘲るように鼻で笑う。
「はっ、そうですか。見るに……若様もお父上と同じなようですからな。せいぜい、咲き誇る花を摘み取られないよう、気を付ける事ですな」
たぷたぷとした頬を震わせてタッセル公爵が笑っている。
「……ええ、ご心配なく。もしそんな輩がいたら、地獄を見せてやります」
「ご歓談中失礼致します」
フィリクスが冷ややかな目でタッセル公爵に言い返した時、ひとりの近衛騎士がタッセル公爵に近付いて来た。
近衛騎士が何やら耳打ちすると、タッセル公爵が眉を顰める。
「……今から?……何で、そんなところに?……ああ、ではクリスフォード公爵、私は失礼しますよ」
近衛騎士に連れられ、タッセル公爵はのっしのっしと去っていった。
「ふっ、余裕でいられるのも今の内だ」
フィリクスはタッセル公爵の背中に向かって、捨て台詞のように呟くとマリーに向き直り、マリーの両腕を優しく掴む。
「マリー。今後、王妃から何か誘われても、絶対に断わるんだよ。いいね?」
「え?えぇ……」
真剣な眼差しのフィリクスに思わず頷いてしまったが、本当に誘われてしまったら断わる事なんて出来ないのではないだろうか。
まあ、私が王妃陛下に誘われるなんて事、あるわけないけれどね。
フィリクスは挨拶の時の会話の事を言っているのだろうが、あれは社交辞令以外に考えられない。マリーは、そう思っていた。
「ねぇ、ちょっと。さっきのタッセルじゃない?何からまれてたの」
そこへ息を弾ませたジャクリーヌが合流する。どうやらマリー達を探し回っていたようだ。
「ああ、花を摘み取られないよう、ぜいぜい気を付けろ。だってさ」
「はあ?何なのあいつ、性根の悪さが顔に滲み出てるわよね。カーテンに巻き付けてやろうか!」
「やめろ……悪趣味な上に、カーテンレールが壊れる」
カーテンに巻き付けられたタッセル公爵を想像して、思わず「ぷふっ」と、吹き出す。
「おやおや。やはり若者は楽しそうですね」
優しそうな声色にマリーは振り返る。
声色通り優しそうなロマンスグレーの紳士だった。エスコートしているのは、恐らくその夫人。
今度は誰かしら?
今まで実家のある領地のお祭りくらいしか経験のないマリーにとって、国中の貴族が一堂に会するこの舞踏会は人が多すぎた。
多くの人が行き交い目が回る。
「これは、ミルトン侯爵。こちらは私の妻のマリーです。マリー、こちらは私の母の兄のミルトン候爵と、その夫人だ」
「マリーです。宜しくお願いします」
「ん?ああ……そうだね。この間、紹介してもらったよね?」
はて?と、首を傾げたミルトン候爵に、マリーも小首を傾げる。
ミルトン候爵……何処かでお会いしたかしら?
「「あ」」と、マリーとフィリクスの声が重なった。
「そうでしたね。夜会で会ってましたね。私としたことが……ははは」
誤魔化すようにフィリクスが笑うと、ミルトン候爵もそれにつられるようにして笑った。
マリーは候爵とは初対面だ。ということは、夜会で挨拶したのはマリーに扮したメイメイだったのだろう。
何処かでお会いしたか。どころではなかったわ。
夜会でマリーを攫った破落戸たちに、ミルトン候爵の愛人だと勘違いさせてしまっていた事を思い出した。
破落戸たちは自分たちが攫ったメイドがマリーだとは知らなかったようだが。
「あの……ミルトン候爵。その節は大変な勘違いをさせてしまって申し訳ございませんでした」
候爵が使用人を愛人にしているだなんて。と、マリーはミルトン候爵に頭を下げた。
「ん?ああ……そうだね?しかし、夫人の方が大変だったと聞いているよ?」
「あ、いえ……そんなことは……」
ありましたけど。
と、思ったが、そんな事は言えない。
会話が何となく噛み合っていないが、何となくミルトン候爵が合わせてくれた。
フィリクスも「何のこと?」と、マリーに視線で訴えてくるが、夫人がいる手前、マリーは「後で」と、視線を返すに留めた。
しかし、このアイコンタクトで意思疎通出来たかは謎である。
暫くすると、少しざわついていた会場に一瞬の静寂が訪れた。
一通りの挨拶を終えたリチャード国王が徐ろに玉座から立ち上がり、舞踏会の開会を宣言したのである。
国王夫妻がゆっくりとフロアの中央に立つと、それに合わせ演奏が流れ、舞踏会が始まった――――。
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