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病弱な令嬢は公爵家で暴れる  作者: 珠音


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病弱令嬢、赤面する

マリーは、じっと牢屋のドアノブを見つめていた。


開けるべきか、開けざるべきか。

マリーはここに来るよう言われたわけではない。何も知らない振りをして、このまま引き返すという選択肢もある。



人って、こういう時、意外に冷静になれるものなのね。



マリーは冷静であった。

一瞬、血の気が引いたものの、直ぐに立て直す事が出来た。



そうよ。

冷静に考えたら、私が考えていた通りだっただけじゃない。


旦那様には想う人がいて、私は邪魔で――――……



そう、今更驚く事は何もないのだと、マリーは自分に言い聞かせていた。



その時、不意にドアが開いた。

心の準備が出来ていなかったマリーは、びくっと肩を揺らす。

恐る恐る顔を上げると、驚いてマリーを見つめるフィリクスが立っていた。

ちらっと視線を奥にやれば、見知らぬ女性がベッドに座って泣き濡れている。


「……マリー?」


フィリクスが一歩マリーに近付いた。

思わず、マリーは一歩後退る。


もう一度、そっとベッドに座る女性を盗み見た。

どこにでもいるような、金髪に碧眼。

それでも、可愛らしいと言えなくもない。

彼女もマリーの登場に驚いているのか、青い目を瞬かせていた。



この人が旦那様の愛人……



フィリクスはマリーの登場に驚いていたが、すぐに満面の笑みを浮かべていた。


「マリー、すぐに戻ると言っておいたのに、どうしてここへ?こんな所に君は来ちゃ駄目だよ」


地下牢の薄暗い雰囲気に反して、フィリクスの声は明るかった。



来ちゃ駄目なんて……旦那様は、私と愛人と鉢合わせさせたくなかったかだけでしょ。



自分と愛人が鉢合わせしているのに、焦った様子もない。どうしてフィリクスは余裕でいるのか。

どうして、言い訳もしないのか。と、マリーは少し悲しくなって来た。

言い訳もしない。それはつまり、マリーにどう思われてもいいという事だ。



そうか、私はもう要らなくなるから、言い訳する必要もないのね――――……



マリーの心は急速に冷えていった。それなのにフィリクスはというと、浮かれているようにも見える。


「マリー、落ち着いてからと思っていたけど、折角だから今紹介するよ」


「え……、公爵様、そんな……私、心の準備がまだ……」


フィリクスが愛人を振り返り、その手を取るとマリーに向き直った。

愛人は慌てた様子で立ち上がり、エプロンで顔を拭いている。

そんなやり取りさえ、マリーには二人がいちゃいちゃしているように映った。

フィリクスのうきうきとした声色に、マリーの心がずきりと痛む。



紹介?

……紹介ですって?!



マリーは、ぎゅっと拳を握りしめた。

微笑みを浮かべたフィリクスと、その隣に立つ愛人。

愛人はそわそわ、もじもじとしながら、フィリクスとマリーを交互に窺っている。


「……けっこうです。イーサンから聞いていますから。私……もう、休みますね」


冷静でいられるのも限界だった。

一方的に言い捨てると、マリーは踵を返しその場から逃げるようにして別棟を飛び出した。


「奥様?!危ないです。お待ち下さい!」


ランプ片手にカレンがマリーの後を追う。


牢の中には、きょとんとした顔のフィリクスと、マリーにフィリクスの愛人だと思われてしまったリリスが残された。


「マリー……?え、休む?え、お茶は……?え?え?」


困惑したフィリクスの、情けない声が別棟に響いていたが、マリーに届く事はなかった。








「奥様、お待ち下さいってば〜」


カレンの制止を無視して、マリーは走って来た勢いそのままに寝室に駆け込んだ。

寝室の扉が閉まる直前、その隙間にカレンが滑り込む。

ここまでずっと走って来たからか、足がもつれたマリーはつんのめり、一人掛けソファーに倒れ込んでいた。

カレンなりの気遣いなのか、そっと視線を逸す。


「私を締め出そうとするなんて、酷いではないですか」


何事もなかったかのように、一人掛けソファーでぐったりとしているマリーにカレンが声を掛けた。

転んだ事が恥ずかしくて、マリーは顔が上げられない。

マリーを追って走って来たカレンも息は上がっていたが、マリーとは鍛え方が違う。カレンは足をもつれさせる事なくすぐさま呼吸を整え、マリーの為にグラスに水を注いでいた。


「少し……一人に、なりたかったの」


「……本当に締め出そうとしていたのですね」


己の放った冗談が己に返って来た。この時のカレンが傷付かなかったと言えば嘘になるだろう。


カレンにグラスを渡され、マリーはのそのそと起き上がった。

そこを見計らったように、白猫がマリーの膝に飛び乗る。


「なんじゃ、急に走り出して。驚くじゃろうが」


流石にメイメイは息を乱すことなく涼しい顔をしていた。


「だって……あの場にいるのが、辛くて……」


「ん?牢屋の雰囲気が嫌なのか?確かに湿気っぽくて……」


「そうじゃなくて!旦那様に愛人を紹介するって言われたのよ?」


やはり、魔物には人間の心の機微など理解出来ないのか。マリーは深い溜め息を吐く。

メイメイとカレンが顔を見合わせている事には気付かなかった。


「ぁ……ぁあ!」


マリーはとんでもない事に気付き声を上げた。思わず立ち上がってしまい、メイメイが床に転がり落ちる。


「こ、今度は何じゃ?!」


「大変だわ……逃げて来ちゃった」


マリーは、ソファーの前を右往左往する。



そうよ。旦那様は自分の思い通りにならなかったら、すぐに私を始末しようとするのではないかしら。



従順であったなら、邪魔だと思われても殺される事は免れたかもしれない。そう思うと、やってしまった感が否めなかった。


マリーは、がくっと床に膝をつく。


「私……殺されちゃうのかしら」


「あの……奥様。先程から何を仰っているのですか?」


カレンの声が戸惑っている。

しかしカレンは、薄っすらと気付いていた。



奥様は、何かを勘違いしている!


マリーが愛人だと言っていたから、そう思っていたが果たしてそうなのだろうか。離れに住まわせる事はあるだろうが、牢屋に住まわせるなんて聞いた事もない。



と。


「カレン、あなたは私がこの屋敷に来てすぐの頃、旦那様とイーサンの話を一緒に聞いていたじゃない」


「旦那様と、イーサンの話?……そういえば、そんな事もありましたね」


カレンの頭の中では、すっかり終わっていた話だった。


「その時が来てしまったのよ。真実の愛を手に入れた旦那様に、私は殺されてしまうのだわ……」


「「………」」


メイメイとカレンは、再び顔を見合わせた。カレンは眉を顰めている。


「おい、カレン」


「何でしょう、メイメイさん」


「この娘は、さっきから何を言うておるんじゃ?」


「……それは、先程の私の台詞です。ですが、奥様はお可愛らしい独自の思考をお持ちの方ですので、恐らく何か勘違いされているのかと」


マリーは、きっと顔を上げた。


「勘違いなんかじゃないわ!」


「まさか、とは思うが……本気か、マリー、お前さん……さっきの使用人が、本当にフィリクスの愛人じゃと……?」


「そうだって言っているじゃないの」


目を見開くメイメイの声は震えている。

マリーが、やっと話が伝わったと思った瞬間、メイメイの高笑いが響いた。


「ふぉっふぉ!!何じゃ、この娘!面白過ぎるじゃろ!」


腹を抱えてメイメイが床に転がる。

脚をじたばたさせてころころと転がり、テーブルの脚に「ごんっ」と、頭をぶつけた。その反動で、反対側にころころと転がり、今度はソファーの脚に「がんっ」と、爪先をぶつける。

ひぃひぃと言っているが、それが笑っているのか、痛がっているのかは分からない。


「メイメイさん、笑うなんて酷いです。奥様は、お可愛らしいのです」


「可愛い?阿呆の間違いじゃろ。それに、お前さんだって笑っているではないか」


「これは……奥様は、こうして偶に私の腹筋を鍛えて下さっているのです」


そう言うカレンを見れば、口を真一文字にして何かに耐えているようにお腹に力を入れている。



なんだか馬鹿にされてない?



メイメイだけでなく、カレンまで話が通じないとは。しかも、笑うなんて無神経にも程がある。


メイメイからフィリクスの相手に選ばれた理由を聞いて、自分以外に気持ちが向くことはないと安心してしまっていた。

フィリクスが優しく微笑む相手は自分だけだと思い込んでしまっていた。


それが優しい声を掛け、触れる相手が他にいたなんて。


「あ―――……」


マリーの瞳から大粒の涙が零れた。



私、旦那様に殺されるよりも、愛人がいる事の方が辛いと思ってない?



どうしたらいいの。と、床に座り込んだマリーの膝頭に、メイメイの前足が置かれた。


「なんか知らんが、ひとり盛り上がっているところ、すまんがの」


「な、なによ。一人にしてよ」


メイメイの声は呆れている。

ぐすぐすと鼻を鳴らすマリーに、カレンが慌ててハンカチを手渡した。


「お前さんの常識では、愛人を牢屋に入れるんか?」


「それは、私に気付かれないように……」


「よれよれの服のままでか?あそこでは風呂にも入れんぞ?常に薄暗いしな。まあ、食事くらいは与えてやるじゃろうがな」


「………」


泣いていた女性は、メイド服を着ていた。それも少しくたびれていた気がする。

それに、マリーに気付かれないようにするなら、屋敷に連れて来なければいいだけだ。

それより何より、あの場所は牢屋。


「そもそも、牢屋に入れとる時点で愛人などではなかろうが」


「で、でも、イーサンが愛人だって……」



『旦那様が女性を一人、監禁すると仰られまして……』



……あれ?



『……監禁ではなく『囲う』でした』



……あれれ??



「……言ってない」


てしてしと膝を叩くメイメイに、マリーの涙も引っ込んだ。

今度は、じわじわとマリーの身体を熱が襲う。



私の勘違い?!



でも、でも!と、マリーは頭を振った。


「い、イーサンが悪いのよ!だって、普通……囲うとか言われたら……ねえ?!」


顔を真っ赤にしてマリーは訴えた。


「確かに紛らわしいですね。そうですとも。奥様は悪くないです。貴族に囲われている画家や歌手は愛人であることも多いですものね!」


カレンは大袈裟なほど大きく何度も頷いている。



画家!

歌手!!



カレンが助け舟を出したが、囲うという単語に対して愛人以外に思い浮かばなかったマリーは恥ずかしくてソファーに突っ伏した。


「兎も角ですね!イーサンの説明の仕方が悪いのです。間違いありません!」


イーサンの説明は分かりづらいという事は分かっていたのに、どうして深く考えなかったのだろうか。

マリーの代わりに必死に弁解するカレンに、マリーの羞恥心は増すばかり。


「も、もう、いいから……」


消え入りそうな声でマリーが止める。


「その女を牢屋に入れていたら、なんか違うと普通は気付くじゃろ」


「奥様は普通ではないのです!尋常でなくお可愛らしいのです!」


「も、もう、やめてぇ……」


最早カレンはマリーを褒めているのか、貶しているのか分からない。


「カレン。よく見ておくがよい。これが、思い込みの成れの果てというやつじゃ」


「そんな、どうしようもない。みたいな言い方しなくてもいいじゃないの」


マリーは、顔が上げられないほど赤面していたが、この上なく安堵もしていた。


「まったく。この家の男は浮気なんぞ出来んと教えてやったろうが。お前さんは何を聞いていたんじゃ」


「だって……」


そんな事を言ってもフィリクスも人間だ。今までの当主がそうだからと言って、フィリクスもそうだとは限らない。


「いや、しかし不思議じゃのぉ」


ソファーに突っ伏したままのマリーを見て、メイメイが呟いた。


「メイメイさん、不思議って、何がですか?」


感情を落ち着かせるのに忙しいマリーに代わって、カレンがメイメイに聞いた。


「この家の歴史の中では、この家の男に無理矢理連れて来られて番にさせられた娘もいる」


「それは……犯罪では?」


「最初は拒んでいても、一年もしない内に不思議とらぶらぶになるからな、犯罪ではない」


この家の当主の特性は聞き及んでいたが、ここまでとは思わず、カレンは身震いした。


「では旦那様と奥様も、もうすぐらぶらぶになるのですね」


使用人達からすると、フィリクスの好意は誰が見ても明らかだが、それに対してマリーの反応はいまいちだと感じていたのだ。



今回の騒ぎは、逆に良かったのかも。



愛人騒ぎにこれだけ動揺しているのだ。

きっとこれからは、誰が見ても仲良しな夫婦になるに違いない。



奥様!

このカレン、砂糖を吐く準備は出来ております!



カレンはによによと温かい目でマリーを見守った。

何となく悪寒を感じたマリーは、その妙な視線に気付く。


「何よ、カレン。あなたも私が阿呆だって思っているのね」


「違いますっ!!私は砂でも砂糖でも吐く準備は出来ております!いつでもどうぞ。どんとこい!です」


「……あなたが何を言っているのか分からないわ」


人体から砂や砂糖が吐き出されたら、それは未知の病である。マリーは眉を顰めた。


その時、廊下がばたばたと騒がしくなった。

誰かがこの部屋に近付いて来るようだ。


「ふぉっふぉ。マリー、お前さんの所為で、無駄に盛り上がっている奴がもう一人おるようじゃぞ」


メイメイのその言葉が合図であったかのように、突然寝室のドアが激しく叩かれた。


「マリー!違うんだ!君はイーサンに騙されている!お願いだ、話がしたい!ここを開けてくれ!」


フィリクスだった。

お読み頂きありがとうございました。

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