病弱令嬢は嫁ぐ②
公爵家からの迎えが来るまでの二日などあっと言う間に過ぎてしまい当日を迎えた。
昼頃には到着するということなので、朝からそわそわとしている。
輿入れに際して何も持たずに、ということらしいのでマリーは最低限の手回り品しか準備していなかった。
というより、二日では大したものは用意出来ない。
弟のショーンは領地に帰って来てからずっとマリーにくっついていて、時折ショーンがその瞳を不安そうに揺らしながらマリーを見つめてくる。
大好きな姉が、よくわからない家に嫁ぐのが不安なのだろう。
公爵家は持参金すらいらないという。
この婚姻が普通でないことは確かだ。どうにも裏を感じずにいられない。
マリー自身ももちろん不安はあるが自分のこれからの事よりも、これだけ怖がっているショーンの事の方が心配になってしまった。
変なトラウマとかになってしまったらどうしましょう。
「落ち着いたら、すぐお手紙を書きますからね」
ショーンは納得はしていないようだったが、そう言って宥めるのが精一杯であった。
「お嬢様。お荷物はエントランスに置いておきましたよ」
「ありがとう、ばあや」
人も連れてくるなと言われているのでメイリンとも簡単には会えなくなる。
ただでさえ家格の違う家。それも色々と怖い噂のある方へ嫁ぐのだ。いや、嫁いだのか?
もしかしたら、使用人から女主人として認められず蔑まれるかもしれない。
どちらにせよ、孤立無援の場所へ一人で赴くのは正直こわいのだ。出来ればメイリンにはついてきて欲しかった。
思わず溜め息を吐くと、メイリンがそのしわしわの手でマリーの頭を撫でた。
「お嬢様。しばらく会えなくなりますが、すぐに会えますよ」
会おうとすればすぐ会えると、メイリンはそう言っているのだろうか。マリーは鼻の奥がつんとする感覚を抑えて曖昧に微笑んだ。
◇◇◇
正午が過ぎた頃、マクシミリアン邸に一台の馬車が到着した。
「……とうとういらっしゃいましたわね」
マリーは来客を迎えるために居間のソファから立ち上がる。気持ちの上では「いざ、出陣」と、いったところか。
エントランスに立っていたのは侍女服を着た女性。
しかしその時のマリーは忘れていたのだ。
「クリスフォード公爵家より、マリー様をお迎えに上がりました。奥様専属侍女のカレンと申します。宜しくお願い致します」
「ぇえっ、カレンっ?!」
「……?はい。奥様」
ぺこりと頭を下げ挨拶をしたカレンに、思わず淑女らしからぬ声を上げてしまったマリー。
訝しげにカレンはマリーを見つめたが、そこには男爵家を蔑む様子などは感じられない。
『……儂はカレンという名で、貴族の奥様付きの侍女だったんだよ』
茉莉の祖父。剛造の言葉が頭をよぎる。
公爵家で不当な扱いを受けることはないかもしれないと感じたマリーたったが、同時に自分が『貴族の奥様』になってしまっていることを思い出した。
◇◇◇
「奥様。私の顔に何か?」
「あ、いいえ。ごめんなさい、何でもないの」
がたごとと公爵家の別邸へ向けて走る馬車の中でカレンと二人。
ちらちらと盗み見している事に気付かれマリーは俯く。
馬車に乗り込む前にフィーノとダリア、そしてショーンは今生の別れかのように涙を流し、これでもかというほどマリーは熱い抱擁をされた気がする。
もしかしたら、マリーが公爵家のタウンハウスに到着する前に倒れて儚くなってしまうとでも思っているかもしれない。
だがマリーは正直それどころではなかった。
茉莉のお祖父様の言っていた話は本当だということ?
このカレンの生まれ変わりが、あのお祖父様?
まあ、でも。実際に私が茉莉の生まれ変わりなのだから、有り得ない話ではないですわ。
では、夢で見た旦那様が私を殺そうとしているというのも……?
ああ!なんということでしょう!!
あの夢物語の結末はどうでしたっけ??
茉莉ったら、なんでもっとちゃんとお祖父様のお話を聞いておかないのよ?!
でも仕方ないじゃない。誰がこうなることを予想できてっ?!
ああ!!……これでは自ら殺されに行くようなものじゃないの!!
……もしかして、殺す為にわざわざ結婚を……?
いやいやいや!そんな面倒なことをする人がいるはずがありませんわ。
と、いうことは。殺されるにしても理由はあるはず。
これから何か粗相をしてしまう。と、いうことかしら。
起きていない問題を考えても疲れるだけだ。と、マリーは自問自答を止め顔を上げた。
結局、なるようにしかなりませんわ。と、窓の外を眺めれば、黄金の小麦畑が続いている。何の変哲もないこの田舎の風景はしばらく見納めになるのかもしれない。
あまり屋敷の外に出たことがなかったマリーは、この風景すらあまり見たことがなかった。
こうして改めてみるとマクシミリアン領って意外と広かったのね。
まるで、黄金の海原みたいで奇麗だわ。
この景色を今まで見逃していたなんて、なんて勿体無いことをしていたのかしら。
カレンは使用人らしく無言で視線を足元に落としている。
そこに嫌な緊張感はなく。マリーは心行くまで領地を眺めていた。
マリーが身体が弱いという情報は正しく伝わっていたようで、通常だと一週間で到着するはずのところを倍の二週間かけていた。
もちろんその分、宿代も二倍になる。
そもそも公爵家の馬車は男爵家のそれより遥かに豪華で、椅子などソファそのものだ。振動も少ない。
何の役にも立たない私に、こんな待遇っていいのかしら。
そんなこんなのお陰でさほど疲労がたまることもなかったが、クリスフォード公爵家の別邸に到着する頃には、マリーは申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
クリスフォード公爵家別邸。
従者にエスコートされ、マリーが馬車から下りる。
そこには公爵家の使用人の方々がずらっと並んでマリーを出迎えていた。
マリーは、はて?と、心の中で首を傾げる。
あくまでもマリーの中ではだが、公爵家といえば何十人もの使用人を抱えているイメージだったのだ。
それが、今見る限り十名程度。
でもまあ、そんなものか。と、勝手に納得していたマリーに気づいたのかカレンが囁く。
「我が公爵家は少数精鋭なのです。この人数でも必ず奥様をお守り致しますので、ご安心下さい」
「へ?え、ええ。ありがとう……?」
カレンの大袈裟な物言いに、言葉の最後に疑問符がついてしまったが、カレンとは別のメイドに案内されマリーの自室だという部屋に荷物を運ぶ。
「奥様。お荷物はこれだけですか?」
荷物といっても鞄一つなので、片付けは数分で終わってしまう。
さすがに少な過ぎたか。いくら何も持たずにと言われても、ドレスの何着かくらいは持参するべきだったか。
「ええ……。荷物は持たずにと言われてましたので……」
マリーが持参したのは普段着が数着。そもそも豪華なドレスなどは持っていない。
言い訳をしたマリーは羞恥で身体が熱くなってきたが、メイドは単に確認しただけのようで特に気にする様子はない。
「はい。旦那様が奥様の物は全て新調したいと仰ってました」
マリーと同世代に見える若いそのメイドは、幼さの残る顔を嬉しそうに綻ばせた。
それにしても全て新調したいとはどういう意味だろうか。全てとなると金額だって相当なものになるはず。それだけ自分の好みでないと気に入らないということか。
「あの、それで……その旦那様は?」
「本日中にはお帰りになる予定です」
マリーの問いに、にこにことして答えると、メイドは部屋を退室し、入れ替わるようにしてカレンが入って来た。
「奥様」
先程とは違い神妙な面持ちのカレンに、どうしたのかとその顔を見つめた。
「旦那様が仕事先で事故に合われたと、たった今連絡がありました」
「まあっ!大変!!それで、旦那様は大丈夫ですの?!」
「はい。馬車ごと崖から落ちただけですので、大事には至っていないとのことです。
ただ、事後処理などの必要があり、本日中には屋敷には戻れないと」
マリーは聞き間違えたのかと思い、「ん?」と、小首を傾げる。そのマリーの表情が思ったよりも変な顔になっていたらしく、カレンは深々と頭を下げた。
「申し訳ございません!今夜が初夜になるはずでしたのに……旦那様からはくれぐれも奥様によくするようにと言付かっております」
「しょっ……?!」
どうやらカレンが神妙な顔をしていたのは、公爵が事故に合ったということではなく。マリーが今夜を一人で過ごさなければならないことに対してらしい。
いやいやいや!
確かに夫婦になったのであれば……それも大事な事ですが。……忘れてましたけど。
そんな事では怒りませんし、そんな事より聞き捨てならない台詞があったでしょうが!!
「崖から……落ちたのですって?」
「はい。馬車ごとです」
「それは、かなりの大事だと思うのですけれど、心配ではありませんの?」
「イーサンがついておりますので、このくらいの事でしたら大丈夫です」
イーサンが誰なのかは知らないが、なんだその謎の信頼は?
崖ですよ?
崖の規模は分かりませんが、落ちたのですよ?
それを、落ちただけって……?
落ちて大事に至らないって?
これで無傷でいられたら、公爵はどんだけ頑丈なんだという話ですよ?
「心配して下さるなんて、奥様はなんてお優しいのでしょう。旦那様は幸せ者です」
マリーは言いたいことはいくつもあったが、カレンがうっとりとそんな事を言うものだから、自分の感覚が間違っているのか、とか。これは心配性の域なのか、とか。正解が分からなくなった。
まあ、馬車が横転しただけとか、そんな感じなのでしょう。と、よく分からなくなってきたマリーが、「ふぅ」と、息を吐くと、カレンが目ざとくそれを認めマリーをソファに座らせる。
「奥様は到着されたばかりでお疲れなのですから、今日この後はゆっくりお休みして下さい」
カレンはいつの間に用意していたのかお茶を淹れると、そのカップをマリーの前に置く。
リラックスを誘うお茶の香りが鼻腔をくすぐる。マリーがそれまで飲んだことのないお茶のようだったが、その香りのお陰か気持ちがだいぶ落ち着いた。
気づいていなかったけど、やっぱり私も緊張していたのだわ。
あまりにも数日の内に自分の置かれている状況が変わりすぎて気持ちが追い付いていなかった。
それまではマリーの婚姻に動揺している家族を宥めることが先行していたが、ここにきてやっと自分がその当事者なのだという実感のようなものが沸いた。
結婚が義務だとは思っていたけど、会ったこともない男性と私が結婚することになるとわね。
マリーは改めて自分に与えられた部屋を見渡す。
実家の部屋とは比べ物にならないほど広い。マホガニーの調度品は華美過ぎず適度な装飾で品があって美しい。天蓋付きのベッドはマリーであれば四人は横になれるだろう大きさだった。
「カレン。あの……私、旦那様のことを何も知らないのだけど、どんな方なのかしら?」
「まあ!」
落ち着いたところで、斜め後ろに立つカレンに声を掛けた。
そのくらい勉強しておけと嫌味くらい言われるかと思っていたが、カレンは優しく微笑んだ。
実際に公爵家の事業については調べられる範囲で頭に入れてきたつもりだ。
だが公爵本人については社交の場にもほとんど姿を見せないので、父フィーノからすると人となりすら不明だということだった。
「そうですよね。奥様からしたら、突然のことですものね。不安になるのは当たり前のことです。我々も驚きましたから」
どうやら、公爵家でもこの婚姻は突然の出来事であったらしい。
「今まで旦那様はどんな縁談にも乗り気ではなかったので、今回は一体どういう風の吹き回しかと使用人一同驚いているんですよ」
はて……?
縁談に乗り気ではなかった?
誰でもいいのではなくて?
二週間の旅の間、カレンはどことなく気を張っている雰囲気で必要以上の言葉は喋らなかったが、公爵家の別邸に着いてからはその緊張が解かれたのか、聞いていないことまでよく喋るようになった。
「大旦那様と旦那様は物凄くお優しい方です。私は戦災孤児でしたが十年前に大旦那様に拾われて侍女として教育して頂いたのです」
聞けば公爵家の使用人の半数は、カレンのように身寄りのない者だという。
公爵家といえば、その使用人の出自も貴族であるのが当たり前だと思っていた。
しかし、言われてみれば真っ直ぐなボブヘアに力のある目をしたカレンは黙っていれば凛とした佇まいだが、口を開くと言葉は丁寧な割にフランクな雰囲気である。
この雰囲気はきっと気を許したからとかではなく、元々が平民だからなのだろう。
そして今のカレンの雰囲気は、第一印象のそれよりだいぶ若く感じられた。
「まあ。大旦那様と旦那様は大変お優しいのですね」
聞いていた話とは真逆とも言える話に戸惑い、マリーの言葉は棒読みになっていた。
「お二人ばかりではありません。クリスフォード公爵家の当主は代々、素晴らしい方々ばかりです」
両手を胸の前で組み、きらきらとした瞳で生き生きと語るカレンを見るに、かなり心酔しているように思える。
孤児であった自分を拾って、更に教育までしてもらったのだから当たり前と言えば当たり前の話なのだが。
「奥様もこれはご存知だとは思いますが……何よりも、旦那様は正真正銘の魔女の子なのです!!」
これほど誇らしいことはない。と、ばかりに満面の笑みを浮かべるカレン。
……ん?
「……魔女の子」
「はい!金色っぽい瞳の方も黒髪の方も公爵家の縁者に稀にいらっしゃいますが、その両方を持ち合わせた容姿は今では旦那様だけです!魔女様の再来だなんて言われているのですよ」
「ご存知ないのですか?」とでも言いたげな視線をカレンから向けられる。
ここに来る前も、魔女の子だからなんなのだとマリーは思っていたが、色々と前評判との違いに首を傾げた。
そもそも前公爵は冷徹なのではなかったか?
魔女の子は忌み子ではなかったか?
旦那様となった公爵がどういう人間か全く分からない。
強引に婚姻を結んだ身勝手な人間かと思えば、自分の危機よりマリーに気を配る紳士的な面も見せる。
結婚相手は誰でもよかったのかと思えばそうでもないらしい。
それより何より、使用人に心から慕われている。
だけど、マリーを殺すかもしれない人間。
そういえば、最近どこかで「魔女様」という言葉を聞いた気がするのだけど……。
混乱しつつ、どこだったかしら。と、ぼんやり記憶を辿っていたマリーの傾げた首は90度になっていた。
お読み頂きありがとう御座いました。