リリスの生い立ち
屋敷の隅に造られた牢屋。
一見、それとは分からないようにカモフラージュされており、屋敷の者は別棟と呼んでいる。
昨夜セドリックに会う前から、リリスをこちらに移す予定ではいた。
牢屋に入れるのは可哀相だとも思うが、本人の言う事だけを鵜呑みにすることは当然ながら出来ない。完全に疑いが晴れるまでは仕方がなかった。本人もそこは承知の上だろう。
フィリクスは、覗き窓からリリスの様子を窺う。
リリスは離宮にいた時と同じようにベッドに腰を掛け、ただじっと一点を見つめていた。
だが、こちらの気配に気が付いたのか、リリスが扉の方へと視線を向けた。
「こ、公爵様……」
フィリクスと目が合うと、ぱっと立ち上がり扉へと駆け寄って来る。
扉越しにフィリクスを見上げ、そして、はっとした様子で視線を泳がせた。
「大丈夫だ。ここにいるのは私だけだ」
扉越しに声を掛けると、リリスは安堵したのか表情を緩めた。
「中に入らせてもらうよ」
もちろんリリスに拒否権などは存在しないのだが、声を掛けるとフィリクスは扉の鍵を開け、中に入った。
ここを使うのは何年振りだろうか。
元々、ここには何も置いてはいなかった。
ここに入れる奴は、床に転がしておくだけだったからなぁ……。
それが今は、簡素であるがベッドが置いてあり、小さな机と、それに合わせた椅子まで用意されていた。
部屋を準備したのはイーサンだ。
彼にそんな気遣いが出来るのかと、正直驚く。
「あの……公爵様……私の記憶が正しければ、私は公爵様の従者様に襲われたような気がするのですが……ここは?」
「……すまない」
やはりイーサンは、あまり穏便ではない方法を取ってリリスを運び出したらしい。
フィリクスは額に手を当て息を吐いた。
リリスは混乱しているようだが、混乱しても仕方がない。更にフィリクスが思わず謝罪してしまった事で、更に混乱した。
誰が敵で味方なのか分からなくなっているのだろう。
「ここは、クリスフォード公爵家だ。安心してくれ。まあ、牢に入れといて何なんだが……そして、ウチの家令が失礼したようだが、決して襲ったわけではなく、穏便にここへ運ぼうとしただけなんだ。許してやって欲しい」
「……はぁ……おんびん……に?」
些か言い訳がましくなってしまったが、「ここへ運ぼうとした」のは事実ではある。リリスにとって「穏便に」ではなかっただけで。でなければ、「襲われた」とは言わないだろう。
その証拠に、リリスは一応頷いてはいるが、その表情は「絶対に嘘だ」と、語っていた。
リリスをベッドに座るように促し、フィリクスは椅子に腰掛ける。
「すまないが、時間がない。単刀直入に聞こう。君があの場に居た目的は何?」
何しろマリーとの約束がある。リリスにも思うところがあるだろうが、こちらとしても早く済ませたい。
「私は、リベール元男爵を監視するよう命を受けてあの場にいました。万が一、リベール元男爵が失敗するような場合は始末するようにと」
それは、然程驚く内容ではなかった。寧ろ想定の範囲内。問題は誰が指示したか、である。
「なるほどね……セドリック殿下の話では君は、ある方の侍女みたいだけれど、その命令を下したのはその方?それとも、侍女も潜入でしていたの?」
「……やはり殿下には気付かれていましたか。仰る通り、私のご主人様はあの方です」
セドリックの記憶は正しかったようだ。
ひとつ吐き出した事で軽くなったのか、リリスの口が滑らかになった。
フィリクスに向かって、身を乗り出す。
「公爵様!公爵様は殿下と行動を共にされていましたけれど……危険です!殿下は……殿下は、公爵様を陥れようとご主人様と画策していました!」
「……え?」
リリスの想定外の告白に、思わずフィリクスの口が、ぽかんと開いた。
「本当です!私は、あのお二人の会話を聞いてしまったのです。だから……あの方を信じては危険です!」
「分かった。リリス、少し落ち着いてくれるか。先ずはリベールの件から片付けよう。彼を唆した者がいるね?それは、誰だ?あの方か?」
フィリクスはリリスを落ち着かせるように、優しく肩を叩いた。
我に返ったリリスは、ベッドに座り直す。
「申し訳ありません。取り乱しました。いえ、リベール元男爵を唆したのは……恐らく、タッセル公爵です」
「……恐らく、とは?」
「確実とは言えないからです。ご主人様が加担するとすれば、という推測の域です」
ふむ。と、フィリクスは顎を撫でた。
そうではないかと当たりはつけていたが、やはり確実な尻尾は掴ませてはくれないようだ。
しかし、一応は繋がった。
牛歩の歩みだな。と、フィリクスは自嘲気味に笑う。
「どうやってリベールを唆したのかは分かるか?」
「リベール元男爵の娘は修道院送りにされ、その後、暗殺されたのですよね?リベール元男爵は、その暗殺者はクリスフォード家の者である。と、復讐せよ。と、唆されたのです」
とんでもない濡れ衣にフィリクスは目を剥いた。
リリスが言っているのは二十年以上も昔の話だ。
公には病死と伝わっているが、リベールの娘は修道院に入って暫くして何者かに殺された。
クリスフォード公爵家が暗殺なども行っているのも事実だが、その件に関しては一切関わっていない。
「とんでもない濡れ衣だな……しかし、それだけの理由で事を起こすとも考えにくいな」
「……これは完全な憶測なのですが、もしかしたら成功報酬として爵位を与えるとか、戻すだとか仄めかしたのではないかと」
フィリクスは眉を顰めた。
それこそ考えにくい。爵位を与えるなど国王陛下であっても、そう簡単に出来る事ではない。
そもそも爵位が剥奪され二十年以上経つ上、一人娘は殺され、元男爵夫人はそれが原因で気を病み亡くなっている。親戚からも見放され、家族はいない。
今更、爵位欲しさに無茶な事をするか?
それでも、リベールが殺されてしまった今、彼が何を思っていたかは確認のしようがなかった。
「まあ、それは追々確認するとしよう。……で、君はどうして自分の主を裏切る様な真似をした?」
ここからが、肝心だった。リリスを今後どう扱うかは、ここで決まる。
「これは信じて頂くしかないのですが……私は長い間、脅されていました……」
リリスは、今は一掃されたスラム街の生まれだった。国政により、街は綺麗になったが、リリスとその両親の暮らしが変わるわけではなかった。逆に、彼らの居場所が無くなってしまったのだ。
そこを拾ってくれたのが、今のご主人様なのだという。
仕事をしてくれれば、家族の生活は保障する。
そんな甘い言葉に誘われてしまった。しかし、そうするより他に生きて行く方法がなかった。
例え人を殺すような内容が、その仕事に含まれていたとしても……
命令を拒んだ事もある。
『うふふ。アマリリスったら……ご両親はお元気かしら?』
しかし、主人のこの一言で、理解した。
両親は人質で、自分は脅されているのだと。
いつしか犯罪を犯しても、その罪の意識は薄れていき、淡々と仕事をこなす毎日。両親とは、数ヶ月に一度の手紙のやり取りだけだったが、それでもいいと思うようになっていた。両親が元気でいてくれるなら、いつか一緒に住める日が来るかもしれない。
しかし、それも甘い考えであったと、思い知ることとなる。
リリスと同じ様な境遇の仲間は何人かいて、その内の一人と主人の会話を聞いてしまったのだ。
『……では、では……母は……』
『しつこいわね、とっくに死んでいるわよ。お前たちの家族で生きている者なんていないわ。逆に、どうして生かしてもらえていると思ったのかしら?』
『っ!!だって……仕事をすれば、家族にはっ……て……』
『はぁ……、使える若い子が欲しかったのよ。年寄はいらないの。ただ生きてる事しか出来ないなら邪魔でしかないわ。ほら、害虫と一緒よ、害虫を駆除しただけなのに、そんなに怒ることかしら?』
その会話を聞いた時、リリスは震えが止まらなかった。
確かにスラム街で生活していた者は、持病がある者や身体に欠損がある者が多かった。現にリリスの父も片脚がなかった。
それを、害虫だなんて!!
その日を境に、その仲間の姿を見る事はなかった。
その後、密かに調べたところによると、両親の手紙は主人の側近が書いた物だと判明した。
とっくの昔に両親は消されていたのだと、リリスは悟った。
ならば、もう従う理由はない。
リリスは虎視眈々と、国外に逃げる機会をうかがっていた。
そんな時に、今回の命を受けた。
「ご主人様は……いえ、あいつは!慈悲の女神などと謳われていますけれど!全然違います!寧ろ真逆で……悪魔のような奴なんです!!私は、もう……もう、人を傷付けたくないんです!だから、だから今回……逃げようと思ってたのですけど、公爵夫人が可哀相で……ぅうっ……」
リリスは話しながら、またも感情が高ぶってしまったのか、最後は嗚咽混じりにフィリクスに訴える。
「私の妻の為に危険を承知で助けようとしてくれたのだな?」
リリスが、こくこくと頷いた。
それは半分嘘だな。
フィリクスは冷静にリリスを見下ろした。
多少の処世術は叩き込まれているだろうが、若い娘が国外でひとり生きて行くのは容易な事ではない。そもそも、追手から逃げ切れるかも怪しいところだ。
だからこその交換条件か。
情報を提供する代わりに、国外への出奔を手助けして欲しい。そんなところか。
「……では最後に確認だが。君の、主人というのは、王……」
「言わないで下さい!」
リリスは立ち上がりフィリクスの言葉を遮った。
顔面蒼白で、その身体はぶるぶると震えている。
名前を口に出すのも怖いのか?
フィリクスたちも、その名前は直接口にすることは避けていた。ただそれは、誰が聞いているか分からないからという理由からなのだが、リリスの場合は違うようだ。
よほど怖い思いをしたとみえる。
リックに対しても、同じ理由で怯えていたのか。
確かに、二人が繋がっていたとしたら、いくら隠れても筒抜けになってしまう。それが怖かったのだろう。
「殿下の事も、大丈夫だ」
「ですが……『クリスフォードの秘密を暴いてから潰す』とか、お二人で色々と仰っていて……」
「あー……、そうか。うん。そこも、追々確認しておくから、大丈夫だ」
フィリクスが自分の話を信じていないと感じているのか、リリスは必死の形相の中にも不満を滲ませている。
だって、リックは二重スパイだもん。とは、言えなかった。
この国唯一の王子、セドリック殿下にそのような事をさせるのは心苦しいが、そもそも本人が望んだ事であった。フィリクスは悪くない。
教えてやればリリスも安心するのだろうが、そんな企業秘密を語ってやる程には信用していなかった。
ここで、実はリックは三重スパイでした。
なんて事になったら、まあ、少しは面白いかもしれないけどね。
もし、本当にそうだったとしても、リックなんて目じゃないし。
フィリクスはそんな呑気な事を考えていたが、リリスは違った。
「公爵様に何かあったら……見捨てられたら、私は殺されるか自死するしかないのです……図々しいお願いをしているのは重々承知しております……でも、私は……ここに来て命が惜しくなってしまったのです」
リリスはフィリクスに縋るように懇願した。
もしかしたら、リリスは一人では逃げられないと諦めていたのかもしれない。殺される覚悟で今回の任に就いていたのかもしれなかった。
「大丈夫だ。君にはウチで働いてもらおうと考えている。……私の妻、マリーの侍女がいいかな。でも、今すぐは無理なんだ。状況を整えるから、それまで待ってくれ」
リリスは息を呑み、目を見張った。
リリスの全てを信用出来るかと言われたら、何とも言えない。
だが、フィリクスは己の勘を信じる男だった。
またリックに呆れられそうだなぁ〜。
苦笑を浮かべるフィリクスに、リリスは戸惑っていた。
「そんな……私は、どうであれ、奥様を危険に晒した者です。そんな危険な者を側に置くなんて、そんなこと、奥様がお許しになるか……私は、どこか遠くに逃して頂けたら、それでいいのです」
「君は妻を助けてくれたのだろう?心優しい君が来てくれる方が、マリーの為だ。君なら、きっとマリーの為に働いてくれるだろうと信じている」
マリーの側にはどんな人間を側に置いておくのが良いのか。
この娘ならば、身を挺してでもマリーを守ってくれるのではないか。
フィリクスはこの時、マリーの事だけを考えていた。
しかしそんな事は知らないリリスは、フィリクスの優しい言葉に感極まっていた。ぽろぽろと、その瞳から涙が零れ出す。
「そんなことが、実現したら……光栄なことです。精一杯……頑張らせて頂きます」
リリスは嗚咽混じりに言うと、何度も頭を下げた。
フィリクスも満足そうに頷く。
ん?イーサンか?
ふと、気配を感じて、フィリクスは牢の扉を開けた。
「……マリー?」
そこには能面の様な顔をしたマリーが立っていた。
名前を言ってはいけない、あの人……
お読み頂きありがとうございました。




