噛み合わない二人
フィリクスは家に帰る馬車の中、焦っていた。
「せめて、夕食はマリーと共にしたい」
その一心であった。
苛々しながら窓の外を見れば、日が暮れ始めている。これほど遅くなる予定ではなかった。
明け方、セドリックに軽食を用意してもらったフィリクスだったが、少なくとも午前中には帰宅するつもりでいた。
それがこんな時間になってしまったのには、当然理由がある。
セドリックの危惧した通り、あの人からお茶会に誘われてしまったのだ。正確には昼食会だが。
もちろん誘われたのはセドリックだけだが、セドリックは何を血迷ったのか、その昼食後にフィリクスと報告を兼ねた打ち合わせをしたいと言い出したのだ。
強引に一度屋敷に戻っても良かったが、離宮の衛兵たちが信用出来なかったのも事実。セドリックを待つ間、警備に勤しんでいた。
この時ほど、メイメイを連れて来れば良かったと思った事はなかったという。
そして、やっと帰路につけたのが、この時間。
苛々しても仕方がない。フィリクスは自身を落ち着かせるように息を吐く。
頑張ったよな、俺。
マリー、褒めてくれないかな。
既に暗くなり始めた街並みを眺めながら、マリーを想った。
屋敷に着いたフィリクスは、逸る気持ちを抑え馬車を下りた。本当ならエントランスに駆け込みたいくらいだったが堪える。
「マリー、ただいま。君に会えなくて寂しかったよ」
マリーの顔を見ただけで疲れが吹き飛ぶのだから不思議だ。
フィリクスはマリーを抱き寄せ、胸いっぱいにその香りを吸い込んだ。
はぁ……マリーの香りだ……幸せ……
イーサンが変態を見る視線を投げて寄越したが、そんな事を気にするフィリクスではなかった。
「……マリー?」
幸せに浸っていたフィリクスだったが、返事をしないマリーが心配になり、その顔を覗き込む。
「お、お帰り、なさいませ……」
おずおずと挨拶を返してくれたマリーは、やっと絞って出したような声をしている。
「もしかして、具合が悪いのかい?やはりどこか痛めていたのか……イーサン、医者を」
やはりマリーから離れるべきではなかったと、フィリクスは後悔した。
医者は何をしてたんだ!!
よく見れば、顔色も悪い。
フィリクスは浮かれていた自分に腹が立った。
マリーは無理してまで俺を出迎えてくれたというのに!
このまま、マリーを立たせてはおけない。
フィリクスが、ひょいっとマリーを抱き上げると、マリーが小さく声を上げた。
「大丈夫です、からっ、下ろして下さい」
上目遣いのマリーに、フィリクスは図らずも、きゅんとする。
か、かわいい……
俺の、嫁、かわいい……
フィリクスの脳内は語彙力をなくしていた。
マリーは遠慮しているのか、ふるふるとしている。そんな姿もフィリクスには愛らしく映った。
「旦那様。お医者様からは、奥様はすこぶる健康体であるとお墨付きを頂きました。昨日の今日ですから、少しお疲れになっているだけかと」
かわいいマリーの姿に惚けそうになっていたフィリクスは、カレンの報告に我に返った。
「そうか……確かに。昨日の今日だものな。精神的なものもあるだろう。よし!では私がこのまま食堂まで連れて行くことにする」
いかん、いかん!
マリーは怖い思いをしたのだ。 少しでもくつろげるようにしなければ!
歩かせるなど、以ての外。
フィリクスは、ふんす、と使命感を燃やしていた。 しかし、そこに水を差す者がいる。
「旦那様は先にお着替えをして下さい。食事はその後で……」
イーサンだ。
「固いことを言うな。これ以上、マリーを待たせたら可哀想だろう」
フィリクスが睨み付けるも、イーサンはいつもの通りにどこ吹く風だ。
何が着替えだ!
マリーが体力を消耗しているのが見て分からないのか。
全く、これだから体力オバケは困るんだ!
「そんなことより、イーサン。問題はなかったか?」
「滞りなく完了致しました」
「うむ。後で様子を見に行こう」
リリスの件を報告させる事で、話を無理矢理すり替える。
イーサンは何か言いたげだったが、フィリクスは強引に押し切った。
そもそも、湯にも入ったし着替えもしている。
……そりゃ、結局、半日は経ってしまったけど。
マリーに不愉快な思いはさせていないはずだ。……多分。
少々、不安が過ぎったフィリクスだったが、いそいそと食堂へと向かう。フィリクスにとっては、些末な事なのだ。
まさかその事が、後にマリーに小さな疑念を抱かせることになろうとは露とも思わなかった。
自分の膝の上にマリーがいる幸せに浸りながら、フィリクスは上機嫌で前菜のパテをマリーの口に合わせて掬い取る。
マリーが伏せていた目をフィリクスに向けたが、ぱちっと目が合うと、慌てたようにまた伏せた。
か、かわいい……照れてる。
あ!もしかして、別々に座りたいとか言い出す気かな。
いつもマリーが騒ぐので、結局別々に着席していたが、今日くらいは許して欲しいとフィリクスは思うのだ。
「あ、の……旦那様」
「ほら、マリー。あーんして」
「……はい」
マリーが喋る隙きを与えないよう、フィリクスが食事を口元に運ぶ。
素直に口をもぐもぐとしているマリーも、またかわいい……
フィリクスの作戦が功を奏したのか、今日のマリーは大人しくフィリクスの膝に乗っていた。
あれ?でも、少し……?
フィリクスは異変を感じていた。
マリーはフィリクスの問い掛けに対して、返事はするも心ここにあらずといった感じなのだ。
そんなにショックが大きかったのか!!
それはそうか……今までは平和な所に居たのだものな。
フィリクスは、マリーの実家が長閑で平和な領地だったことを思い出し、危険な事に少々鈍感になっていた自分を反省した。
これは……リックの言う通り、悠長に構えている場合ではないな。
……マリー、君を危険に晒した愚か者どもは、完膚なきまでに叩き潰してやるからな。
改めて静かに誓うと、フィリクスはマリーを抱く腕にほんの少し力を加えた。
くぅうっ!!
マリー、君に寂しい思いをさせてしまうのは心苦しいが、俺はもっと寂しい!!
今は……わかってくれ!
食事が終わると、後ろ髪を引かれつつフィリクスはマリーを膝から下ろした。
「実は、まだこの後に少し仕事が残っているんだ。部屋まで送れなくてすまない……」
先ずは、優先すべき事を優先しなければならない。 フィリクスは心を鬼にした。
「……でも!すぐ終わるから、その後ゆっくりとお茶をしよう」
……のだが、マリーを目の前にして、その決心はすぐに揺らいだ。
それでも、フィリクスの決意は伝わったのか、マリーは固い表情で、こくりと頷いた。
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