病弱令嬢と豪胆な侍女
青空の広がる昼下り。
マリーの寝室には刹那の静寂が訪れていた。
ぽかんと口を開けたままのカレン。
グレンは無責任な発言をするだけして、後は我関せずと言わんばかりに壁と同化している。
メイメイは部屋の空気などまるっと無視して、まるで猫の様に喉をごろごろと鳴らしながらベッドの上をごろごろしていた。自由である。
なんならマリーもメイメイと一緒にベッドの上でごろごろしたいくらいだ。
はっ!いけない。ボケてる場合ではないわ。
マリーは我に返った。
グレンが何の前置きもないままメイメイの事を告げてしまったせいで、カレンが固まったままでいる。
マリーは慌てて事の次第を説明した。
みるみるうちにカレンの顔色が悪くなっていき、実は侍女メイメイも狐が化けた姿だったと伝える頃には、すっかり紙の様な顔色になっていた。
紙の様にひらひら、ふらふらとしながら、壁を支えにするように寄り掛かったカレンは神妙な面持ちで一言も発さない。
「あのね、カレン。あの……メイメイの事、黙っていたわけではなくて、私も知ったばかりで……驚いたわよね?」
マリーとて驚かされた側の人間なのだが、それが何故この様に言い訳じみた説明をしなければならないのか。
少々納得はいかないが、こんな状態のカレンを見ると、何かしらほんの少しの罪悪感がわく。
急に魔物だとか言われても、受け入れられないわよね。
カレンは今、何を考えているのだろうか。
「カレン、あの……大丈夫?」
「メイメイさんの……猫が、狐」
やはり混乱している。言っている事が意味不明だ。
「メイメイの飼っている猫が、実は狐だった」とでも話がすり替わってしまっているのだろうか。
カレンはどこか焦点の合わない目で一点を見つめている。マリーは心配になった。
正直なところ、カレンはこういう話を楽しむ性格だと思っていた。それが、これほどショックを受けてしまうとは。
仕事を辞めるなんて、言わないわよね……。
マリーがこんなにも気を揉んでいるのに、グレンはどこ吹く風で壁に寄り掛かっている。
あなたが不用意に喋っちゃうからでしょ!
マリーは腹が立った。グレンを睨んでやったが、グレンはこちらを見ていない。
「メイメイさんは、本邸に帰ってはいない……」
「え?ああ、そうね。ここにいるわけだし、そうなるわ。でも、メイメイは人間ではなくて……」
消え入りそうなカレンの声。
やはり、上手く話が伝わっていないのだろうか。言っている事が意味をなさないようにも思う。
うわ言の様に呟き、よろよろとしているカレンをマリーが支えた。
「侍女は……侍女にはならない?」
「は、ぇ?」
カレンがマリーの二の腕を、がしっと掴んだ。先程とは違い、力のこもった目でマリーを見つめている。鬼気迫る雰囲気が少々怖い。
「……カレン?何を言っているの」
「奥様の侍女は、私ひとりだけでいいんですっ!!」
「んんっ?」
「奥様は、私とメイメイさん。どちらを取るのですかっ?!」
「んんんっ??」
「安心せぃっ!!私は侍女はやらんっ!!」
働かされてはかなわないとでも思ったのか、すかさずメイメイが一喝する。
カレンはマリーを掴んでいる力を緩めた。それでも警戒するような視線をメイメイに向けている。
「本当ですか」
「くどいっ!そもそも、なぜ私がわざわざ働かねばならんのだ」
「どういうこと?カレン……気にするところは、そこなの?」
「はい!もしかしたら、虎視眈々と奥様付きの侍女の座を狙っているのかと思ったら、気が遠くなりかけましたが……その座は魔物であっても渡せません。いえ、魔物だからこそ、渡せませんわっ!!」
「だから……頼まれても、やらんと言っておる」
メイメイは呆れを含んだ声でそう言うと、ふんっと鼻を鳴らした。
カレンは少し安心したのか、警戒しながらも安堵の表情を浮かべている。
拍子抜けとはこの事だろう。
マリーの心配とは全く別の方向でカレンは悩んでいたようだ。しかもその内容は、マリーにとってはどうでもいいと言ってもいいようなこと。
「うーん?あのね、カレン。仮にメイメイが侍女になったとしても、あなたを解雇することはないわよ?」
「分かっております。ですが、そういう事ではないのです」
きりりとした表情でカレンは言う。
ではどういう事なのかとマリーは思ったが、そこには侍女としての矜持に関わるものがあるのかもしれないと思い直し、深くは追求しなかった。
しかし、カレンがきちんとメイメイの事を理解しているのか不安が残る。
「うーん?あのね、カレン。で、メイメイは魔物なんだけど……」
「はい!もう、びっくりしました!まさか、話に聞いていた魔物に会えるなんて、夢にも思っていませんでしたから!!自叙伝にあった戦いの場面を詳しく聞かせて欲しいです!!」
そこはきちんと理解して驚いていたようだ。
打って変わってきゃっきゃとはしゃぐカレンは、やはりカレンだった。
「ふぉっふぉ。崇め奉るがよい」
はしゃぐカレンにメイメイも悪い気はしないのか、すまし顔で背筋を伸ばしている。心なしかヒゲもぴんと伸びているように見えた。
……そうか。そういえば、メイメイが本に出て来た強い侍女なのね。
この屋敷に棲まう九尾の狐メイメイに関して、マリーの方が理解していなかったようだ。
「まあ!本当ですね、これはメイメイさんです。この部屋の掃除担当になった事はなかったですし、じっくり見る機会もなかったので気付きませんでした」
昼食兼おやつを食べた後、カレンがメイメイの昔の写真を見たいというので二人で肖像画の間にやって来た。
「ぅわあ〜、この少年がイーサンですか。憎らしそうですね」
写真を見たカレンは顔を顰めている。
それにしても、順応し過ぎではないだろうか。
メイメイもイーサンも人間ではないという事実をつい先程知ったはずなのに、このはしゃぎよう。
なんというか、普通過ぎる。
「カレンは……怖くないの?」
「え?ああ……メイメイさん達の事ですか。ええ、ある程度話には聞いていましたので。ただ魔物が未だ生存しているとは思っておりませんでしたけど。ですけど……まあ、イーサンが人間ではないと聞いて、安心はしましたね」
「安心?不安ではなくて?」
「はい。だって、アレが同じ人間だなんて、到底思えませんでしたから。魔物とのハーフだと聞いて『なるほど、納得!』と、いう感じです」
腑に落ちたということなのだろう。
そういう感じ方もあるのか。
マリーはまだこの屋敷に来て数ヶ月。この屋敷の使用人は皆、気のいい人だと思ってはいるが、実際のところどうなのかは把握しきれていないのが事実。
付き合いの長いカレンが言うのだから、イーサンはよほど人間離れしているという事なのだろう。
だから、実際に人間から離れていると知って安心したということか。
「シズカ様のお顔は存じておりましたよ」
それは当たり前の事のような気もするが、カレンが得意気に言う。
「それにしても、写真に色がついているなんて不思議ですよねぇ」
「色……?」
カレンが写真に顔を近付けて、まじまじと観察している。
カレンにつられてマリーも写真に顔を近付けたが、至って普通の、家族の集合写真にしか見えない。これの何が不思議なのか、マリーにはわからなかった。
なになに?もしかして、写ってはいけないものが写っているとか??
うーん……普通よね。
普通のカラー写真。
カラー……
「えっ!!待って、これ、カラー写真じゃない?!」
マリーは思わずひったくるようにして写真を取り上げた。
茉莉の記憶とごっちゃになっていたらしく、すっかりスルーしてしまっていたが、この世界の今の時代には写真はあっても白黒なのだ。それが、この部屋に置かれている写真には、しっかりと色がついている。そもそも、この写真が撮られた時代には写真機そのものがなかったはず。
そっか……最初にこの部屋に入った時の違和感はこれだったのかも。
イーサンに連れてこられた時に、何かが変だなぁ。と、感じてはいたのだが、それが何なのかは気付かなかった。それが、きっとこれだろう。
「奥様は、本当にシズカ様と関係のある方だったのですねぇ」
「きゃあっ!!……イーサン、驚かさないでよ!」
「そこは母親ゆずりなものですからお許しください」
不意に背後から声を掛けられ、振り返ればイーサンがにこりともせずに立っている。
確かにこの登場のしかたは、マリーには覚えがあった。
「いつから、いたの?」
「今し方ですよ。そうですね……『ぅわあ〜、この少年がイーサンですか。憎らしそうですね』辺りからでしょうか」
それはもう序盤というか、始めからではないだろうか。カレンは気不味いのか、一瞬視線を泳がせた。
「ところでイーサン。さっきの話……奥様とシズカ様が、どうしたのですか?」
「カレン。もうすぐ旦那様がお戻りです。あなたは準備しに行って下さい。私は奥様とお話があります」
「……はい。わかりました」
イーサンは話を変えようとしたカレンの質問を無視するように遮った。
カレンは納得いかない様子で何か言いかけ、マリーに視線を向けたが、イーサンに睨まれ渋々と部屋から出て行く。
本当に普通ね。
何かしらの態度の変化がみられてもおかしくはないと思うのだが、カレンのイーサンに対する態度は至って普通。今まで通り過ぎて、本当は真実を知っていたのではないかと逆に驚く。
しかしイーサンがカレンの質問を躱してくれたのは、マリーとしては助かった。
メイメイの事は説明したが、マリーの前世云々の話はカレンに伝えていないのである。説明したところで信じてもらえないかもしれないという不安もあったし、何より、その前世の世界ではカレンは厳ついお爺さんなのである。流石にそれは受け入れられないのではないかと思ったのだ。
「この写真は、シズカ様が作った写真機で取った物です。これをシズカ様はカラー写真と言っていました。まあ、魔力を要する代物なので、今ではその機械を扱える人がいないと思いますけどね」
そう言いながらイーサンはマリーの手からそっと写真を取り、元の位置へと戻した。
そういえば、最近の写真は白黒で撮られている。
時代とともに白黒になっていく様は、時代を逆行しているようで不思議だ。
「母が驚かせてしまったようですね」
「はい。突然で驚きました」
話があると言っていたが、昨夜の事だろうか。
マリーの率直な感想に、イーサンが首を傾げる。
「恐らく母が何かするだろうと思ったので、前もって予習をしてもらっていたはずですけど?」
「予習?……って、何です?」
「まさか読んでないのですか。カレンに渡しておいたはずですが」
「………」
カレン経由で渡された物といえば、魔物の図鑑くらいだ。
「まさか……とは、思いますけど、あの図鑑のこと?」
イーサンが頷く。
本気で言っているのだろうか。あれだけでは、分かりづらい。いや、控え目に言って分からない。
「今後は、もう少し分かりやすく伝えてもらえるかしら」
「出来る限り善処しましょう」
ふっ、と口角を上げたイーサンに、マリーは何かしら確信犯的なものを感じた。
ともかく、この親子には油断してはならないということだろう。
お読み頂きありがとうございました。




