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病弱令嬢は嫁ぐ

マリーの両親が領地に帰ってくる予定日の一週間ほど前の午後。


マリーは自室で久しぶりに読書をしていた。

毎日が長閑なマクシミリアン男爵領。


半分ほど開けた部屋の窓から馬車の音が聞こえてきた。

長閑な領地には珍しく速度が出ているようなけたたましい車輪の音に、「おや?」と、窓の外へと視線を向けたマリーは思わず窓の外へと身を乗り出した。


「……お父様っ?!」


がらがらと威勢のいい音を立てて男爵邸の門をくぐった馬車が停まるやいなや、転がるようにして出てきたのは顔色の悪いフィーノだった。

そしてフィーノに続いてダリアも馬車から下りて来たのだが、ダリアの事は従者に任せてフィーノは慌てた様子で屋敷へと走っている。



お父様?

何でしょう、あの慌てぶり。

お母様を他人に任せるだなんて。

これは、ただ事ではございませんわ。



どちらかというとのんびりした所作のフィーノが、慌てふためいた様子で腕をばたばたさせるようにしながら屋敷に走り込んで来るのを見たマリーは、急いで部屋を出た。


「マリー!マリー!」


狭い屋敷なので部屋を出るとすぐにマリーを呼ぶフィーノの上擦った声が聞こえてくる。


屋敷に残っていたメイドは突然の主人の帰還に慌てながらも出迎えるが、それすらフィーノの視界には入っていないようだ。


「お父様。落ち着いて下さいまし」


階段の上から階下を見下ろす形でマリーが声を掛けると、顔面蒼白のフィーノがマリーを見上げた。


「ああ……マリー!……ちょっと、来なさい」


あきらかにただ事ではなさそうだが、何が起きたのかは想像もつかない。

フィーノに連れられ、執務室へと向かった。


執務室に入るとフィーノは深呼吸を何度かしてからマリーに向き直る。

少し落ち着いたのか、フィーノの顔色には肌色が戻ってきていた。


「お帰りなさいませ、お父様。予定よりも随分とお早いお帰りでしたね」


「あ、ああ……ただいま。マリー、お前に至急の報せが出来てしまってね。取るものとりあえず帰って来たのだよ」


ひとまず挨拶をしたマリーにそう言うと、フィーノは額に手を当て項垂れた。

だが、すぐに意を決して顔を上げる。


「マリー、お前の結婚が決まった」


まるで怖い話をしているかのような表情でフィーノが言う。


「あ、え?結婚?婚約ではなく……結婚ですか?」


無言でフィーノが頷く。

突然放たれたフィーノの言葉にマリーは一瞬言葉を失い目を瞬いた。それからきょとんと首を傾げる。



結婚か婚約かはさておいて、それの何がお父様をこんなに狼狽させているのでしょう?



……後妻?とか?



貴族において結婚は義務のようなもの。

相手がいないだろうと思われたマリーに、もらってくれるという者が現れたのなら、そこは喜ぶところだろう。


もし、それがだいぶ歳の離れた男の後妻だろうと、愛人だろうと。



いや、ちょっと待って。

愛人は……出来ればやめて欲しいですわね。

でもお父様は結婚とおっしゃいましたから、後妻でしょうか……。



「……お相手の方は?」


マリーの当然の問いに、フィーノは深い溜め息を吐いて俯いた。


「クリスフォード……公爵だ」


「こ……?」


マリーは自身の耳を疑った。

何度も読み返した貴族名鑑を頭の中でめくる。


クリスフォード公爵といえば、フィーノよりも歳上ではなかったか。しかも、もう何年も前に奥様を亡くされている。


「やはり、後妻ですか。でも後妻とはいえ、公爵家とは……流石に家格が合わないのでは?」


マリーの台詞にフィーノがびっくりして顔を上げた。


「何を言っている……ああ!すまない。公爵は代替わりしたのだよ。今は一人息子のフィリクス様が継いでいる。それに、家格は……今はあまり関係ない」


どうやら貴族名鑑は更新されていたらしい。フィーノの謝罪は更新された物を書斎に置いておかなかったことに対してだ。


今の時代は貴族間であれば家格は関係なく婚姻が出来るようになった。だがしかし、上級になればなるほど女主人の質も問われるので、結局のところ家格を気にする風潮は変わらないのだ。


「なるほど、代替わりですか。それにしても……なぜ私なのでしょう?」 


「分からない」


クリスフォード公爵家とマクシミリアン男爵家は何の縁もなかったはず。面識だって当然ない。


なんの変哲もない田舎の下級貴族の、それも病弱とされている娘をわざわざ嫁にしたいという上級貴族がいるだろうか。

公爵家がマリーを娶る利が見当たらない。

間違いでなければ、何か裏があるに違いない。


「お父様。何か心当たりはございませんの?身体が弱いことをご存知ないとか、若しくは人違いとか」


「いや、お前の釣書と姿絵でもって私に確認されたから間違いはない。心当たりもない」


公爵家の執事から直接に確認されたという。

フィーノは頭を抱えて盛大な溜め息を吐いた。

ここで、執務室の扉が控え目にノックされる。

遠慮がちに部屋に入って来たのは、ダリアとなんとショーンだった。


「ショーン……あなたも一緒でしたの?」


「お姉様!!お姉様が結婚してしまうなんて嫌だ!!」


入って来るなり、ショーンはマリーのお腹に体当たりするようにして抱きついた。

さすが夫婦というか、ダリアはフィーノと同じように今にも泣きそうな顔でマリーを見つめている。



何かしら。なんだか、私だけ話が見えていない気がしますわ。

ただの婚約話ではないのかしら。

確かに家格で言えば恐れ多いことは間違いないけれど。


これではまるで……今生の別れ。みたいですわ。



可愛いショーンに抱きつかれて嬉しいはずのマリーだったが、家族のこの過剰ともいえる反応が怖い。


「でもショーン。お相手が公爵様では決定ですわよ」


「だって、お姉様!!相手の方は『魔女の子』ですよっ?!学校のお友達も、みんなそう言っています!」


「……まぁっ!!」


金髪碧眼が多いこの国では黒髪に金色の瞳を持つ者は『魔女の子』と、呼ばれている。

存在するだけで災厄を呼ぶとされ、忌み嫌われているのだ。

子供が悪さをした時に「魔女の子が来るよ」なんて脅しのネタにもなるくらい。

黒髪の人間にも金色の瞳をしている人間も実際に見たことがなかったマリーは、御伽話の登場人物くらいにしか思っていなかった。マリーは「本当にそういう色彩の人がいるんだ」と、驚いた。


「お姉様は何も知らないんだよ!お父様!やっぱりこの話は断ってよ!!お姉様が殺されちゃうよっ!!」


「へっ?!」


ショーンの言った不穏な言葉に、「どういうこと?」と、フィーノを振り返る。




クリスフォード前公爵は、目的の為ならば妻をも殺す。情け容赦ない冷徹公爵。

それは社交界では周知の事実らしい。

しかしこれは前公爵のことで、現公爵のフィリクスのことではない。

だがそれは産まれた息子が魔女の子だったから気が狂って、そんな子供を産んだ奥方を殺してしまったのではないか。とさえ言われている。


だからショーンは、公爵と結婚したらマリーまでおかしくなってしまうのではないか。若しくは殺されてしまうのではないかと心配しているのだ。そして、それは両親も同じだった。


そんな馬鹿な。と、思うマリーだったが。


「実際に私はフィリクス様にも前公爵にもお会いしたことがないから何とも言えないが……出来ることなら、そんな謂われのあるところにお前を嫁がせたくないのだよ。とはいえ、既に婚姻届に署名してしまったから、もう撤回するのは難しいのだが」


「「「えっ?!」」」


苦い顔をしたフィーノの言葉に三人の声が揃った。


「あなた……どういうことですの?私はまだ婚約を受けるかどうかの段階だと思っておりましたのよ?!」


「僕もっ!!」


ダリアが震える声でフィーノに詰め寄る。ショーンも負けじとそれに倣った。


「でも本人以外の署名では無効ですわね!」


「いや、マリーはまだ未成年だ。それに王家の承認の許に署名させられたから……反故は出来ない」


この国には、未成年であっても国王と親の承認があれば婚姻が可能だ。そして、国王が承認した婚姻は離婚は出来ない。


「なんですってぇっ?!なぜ拒否なさらなかったの!!」


珍しく声を荒げるダリアに、フィーノはどんどんと小さくなっていく。


「……だって……公爵家の執事……凄い怖いんだもん」



だもん。て、お父様。

そんな上目遣いをされても可愛くありませんわよ。



ダリアもマリーと同じ気持ちなのか、あんぐりと口を開けて言葉が出ないようだ。


マリーは今年の誕生日が来れば成人する。逆に言えば、成人してしまえば本人の署名でなければ成立しないのだ。



つまり、公爵家に脅されるようにして私の婚姻は成立した。と、いうことか。


それにしても文句が言えない男爵家の令嬢をつかまえて、そこまでしないと結婚出来ないほど『魔女の子』という二つ名は怖ろしいものなのかしら。


婚約をすっ飛ばしていきなり結婚させるのは逃がさないようにする為でしょう?


私が身体が弱いと知って、それなら家族も文句言わないと思ったから、私に白羽の矢が立ったということ?


健康な女性でも出産は命懸けと聞く。子供が産めればいい?その母親は死んでもいいと?


だから相手は誰でもいいということ?


そもそも『魔女の子』の話って、どんな逸話があったかしら。



疑問はいくつも浮かぶが既に婚姻届に署名されてしまったのであれば腹をくくるしかない。

マリーは小さくなっているフィーノと、それを睨みつけているダリアとショーンに向き直った。


「お父様。お母様。それに、ショーン。私なら大丈夫ですわ」


「マリー……いいのか?」


「だって……何を言ったって、もう私は公爵家の夫人になってしまっているのでしょう?」


結婚したということは、そういうことだ。

ぅぐっと、フィーノが喉を詰まらせる。


「それで、物理的な輿入れはいつになりますの」


「一週間後に迎えに来ると五日前に言われた」


「「「はぁあっっ?!」」」


再び三人の声が揃い、フィーノは睨まれた。

五日前に一週間後。つまり、二日後に迎えが来る。


「……だって……公爵家の執事……凄い怖いんだもん」


両手の人差し指をもじもじさせているフィーノ。



……お父様。

ですから、可愛くねぇんですよ。



「あなた!だから宿にもほとんど泊まらず、馬に無理させてまで早目に帰って来ましたのねっ?!それにしたって、五日あったら説明くらい出来ましたでしょ。なんで何もおっしゃらないの!」


「いや、動揺していて……」


「そもそも長距離の移動なんて、マリーに万一のことがあったらどうするのよっ?!」


「いや、王都にある公爵家の別邸までゆっくり移動してくれるって言うから……」


マリーがだいぶ健康的な身体になっていることを知らないダリアはフィーノの襟首を掴んで揺さぶっている。


なるほど。一週間かかる道程を五日で帰って来たのね。と、その後も続く両親のやり取りを横目にマリーは息を吐いた。







◇◇◇


その夜、マリーは茉莉の夢を見た。


家の居間で小学生の茉莉に剛造が夢物語を語っている。


『おじいちゃん。またその話?』


『またとは何じゃ。お前は知っておかなければいかん。―――――マリー様が公爵家に輿入れされてな……』


『旦那様がマリーを殺そうとしている話を聞いちゃったんでしょ?』


『……そうじゃが、少し違う』


『知ってるし、もう聞き飽きたー』


『こりゃ、違うと言っておるだろ!真面目に聞かんか!』


『遊びに行ってくるー』と、居間を飛び出る茉莉の背中を剛造の声が追い掛ける。







―――――そういえば、この物語はどういう結末だったかしら。

マリーは夢を見ながらぼんやりと思った。

お読み頂きありがとう御座いました。

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