事件は会場で起こっているのではない。裏庭で起きているのだ②
フィリクスは、平伏したまま頭を上げないカレンのつむじを見下ろしていた。カレンはぷるぷると震えている。
何故カレンがここにいるのか。何故フィリクスに謝罪しているのか。
謝罪するということは、良からぬ事が起きた事を意味している。
「カレン、頭を上げろ。そして説明しろ。このままでは埒が明かない」
会場から離れた廊下とはいえ、人は行き交う。
こんなところで土下座をされたままというのもフィリクスの印象が悪くなる。
フィリクスに言われ、そろそろとカレンが青い顔を上げた。
「あの、それが……」
カレンは、言いにくそうにセドリックを上目遣いに見上げた。
「私は席を外した方が良いのかな?」
「いえ、居てくれて構いませんよ。ですが、場所を変えましょう」
はっ、とフィリクスとセドリックが振り返る。
気を利かせたセドリックに返事をしたのは、カレンではない聞き慣れた声であった。
「イーサン。急に現れるな、驚くだろう」
「旦那様、探しましたよ。どこにいらしたのですか」
「……それは、こちらの台詞だと言っておこう」
イーサンの登場にカレンは更に顔色を悪くさせた。
イーサンといえば、自分の登場に皆が驚いている事に満足している様子である。それがまた、フィリクスを苛立たせた。
四人は控え室にしていた休憩室で膝を突き合わせることとなった。
セドリックの護衛は部屋の前で待機させている。
そこでカレンは、勝手にマリーを連れ出し夜会会場に来た事、自分が離れた隙にマリーがいなくなってしまった事を涙ながらに語った。
「マリーが来ていたなんて……グレンは何をして……いや、あいつは来ないか」
茫然とフィリクスが呟く。
「―――まさか。とは、思うが……攫われた使用人というのが、夫人……だったりする?……とか?いや、でも、まさかね!」
失言だったか。と、セドリックが青いを通り越して紙のように真っ白になってしまった顔色のフィリクスを窺う。
しかし、マリーが行方不明の今、悠長なことは言っていられない。
「いえ。それは、間違いありません。何しろ奥様が攫われるところを私の母が目撃しておりますから」
淡々と告げるイーサンに、「ぅわっ!」と、カレンが泣き崩れる。
「ぅうっ!わ、わたし、私が!連れて来なければ……お側を離れなければ……お、奥様ぁー!」
「カレン、あなたが気に病むことはありませんよ。どうせ、母……いえ、メイメイに唆されたのでしょう?」
「ふぇ?」と、間抜けな声を出し、カレンが顔を上げた。
次の瞬間、茫然自失だったフィリクスが、急に立ち上がりイーサンの襟首を、がっと掴み上げる。その表情は正に鬼の形相と言えた。
「どういうことだ、貴様っ!メイメイもっ!一体なにを考えているのだっ?!まさか、態とマリーが攫われるように仕向けたのかっ?!」
フィリクスはイーサンを掴み上げるだけでは飽き足らず、そのままの勢いで放り投げた。
イーサンは、ズダーンッ!と、激しい音を立て、壁に叩きつけられる。
フィリクスが無理矢理イーサンを投げ飛ばした所為でテーブルまでひっくり返り、床に叩きつけられたティーカップが「ガシャン」と、音を立て砕け散った。
荒ぶる公爵と泣き崩れている侍女カレンに、床に倒れ込む家令イーサン。
「……カオスだな」
まるでこうなることを予見したかのように、自分のティーカップを死守したセドリックは、ひとり静かに喉を潤した。
「ふぅ。……私は頑丈には出来ていますが、痛みを感じない訳ではないのですよ?」
イーサンは「やれやれ」と、何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がり、スーツのしわを整えた。
「はっ!マリーは今頃、怖い思いをしているに違いない。それを思えば、そんな痛みなどどうとでもないだろう!」
「怖い思いだけで済めばよいのですが……」
「きっ、さまぁあーっ!!」
言うが早いか、フィリクスがイーサンの横っ面を殴り付けた。どかっ!と、鈍い音が響く。
はぁっ、はぁっ。と、呼吸を荒げるフィリクスは、それでもまだ足らないのか、拳を握り直している。
私がこの場に同席している理由はこれかな。
セドリックは手にしていたティーカップとソーサーを安全な所に置くと、嘆息と共にこめかみを揉み込む。そして、仕方ないな。とばかりに、ぱんぱんっ。と、手を叩いた。
「はい。そこまで!君たち、私の御前だということを忘れてない?不敬が過ぎるんだけれど??……はぁ。何で自分でこれを言わなければいけないのかな」
「殿下!ご無事ですかっ!!」
セドリックは部屋の扉を見やる。激しい音と怒鳴り声に、扉の前で待機している護衛が何事かと反応してしまっていた。事前に、何があっても部屋に入って来るな。と、言い含めてあるのでドアを開けることはしないのだが。
「大丈夫だ。何でもない」
そう護衛に向かって言うと、セドリックは強引にフィリクスを椅子に座らせた。
「頭を冷やせフィリクス。夫人が攫われたのが本当なら、こんな事をしている場合ではないはずだろう?それに、イーサンも無駄にフィリクスを煽るな。カレンは……取り敢えず、泣き止め」
無理矢理椅子に座らされたフィリクスは、深く息を吐く。少しは冷静になったかとセドリックは安堵した。
「……すまない。気が動転していた」
「こんなことを王族に仲裁させないでくれよ。本当に君、夫人が絡むとヤバイね」
セドリックは苦笑した。
泣き止んだカレンがテーブルを元に戻し、散らばったカップの破片を片付ける。
「……で?メイメイは何をしていたんだ?ここに呼んで来い」
落ち着きを取り戻したフィリクスがイーサンに問う。
「何を『していた』と、言いますか……『している』と、言いますか……」
歯切れ悪く小首を傾げるイーサンにフィリクスは眉を顰めた。
「彼女はどこかに消えました」
マリーが攫われた後、イーサンに「行ってくる」とだけ告げてどこかへ消えたという。
フィリクスは頭を抱えた。
はぁーっ。と、肺の空気を全て出す勢いで息を吐く。
「何が目的なんだ?お願いだから説明してくれ」
「夜会が始まってすぐに、不審な男から接触があったと報告は受けていましたが、奥様が攫われたのは不測の事態だったようですよ。母は恐らく後を追ったのだと思われます。偽者を囮にするはずが、本人が囮になってしまったようですね。ははっ」
笑い事ではない。フィリクスは、ぎりっと奥歯を噛んだ。
説明は、全てが終わってからで良いと思っていた。悪戯に不安にさせないようにと黙っていたいた事が仇になってしまった。
きちんと詳細をマリーに説明していれば、こんな事にはならなかったはず。少なくともこの場にマリーが来る事はなかった。
フィリクスは後悔したが、先に立たずだ。
「イーサン。リストを寄こせ」
どちらにしても、ここで悩んでいる暇はない。
フィリクスはイーサンが懐から出した紙を、ふんだくるように受け取った。怪しいと踏んでいる人物のリストである。
「はぁ。目星はつけてあるが……多いな」
「このリストに載っている者には現在進行形で監視をつけています。事件が起きた時も、特に不審な行動は見られなかったようです」
「実行役を手引きした様子もなし……か」
「旦那様。現場を目撃した者がいるので、その者に話を聞きますか?」
「そうだな。現場も案内してくれ」
気が動転していて、基本的な事まで忘れていた。
「旦那様」
「何だ」
部屋を出る前にイーサンがフィリクスを呼び止めた。振り返ったフィリクスの目をイーサンがじっと見つめる。
「今更だとは思いますが、我々にとって……いえ、母にとって、人間は玩具のようなものです」
「……何が言いたい。お前も私達を玩具だと思っているということか?だから、たとえマリーに何かあったとしてもどうでも良いと?玩具と違って人間は壊れても直せないのだぞ」
「……私は、半分人間です」
「だから何だ。考え方が人間寄りだと言いたいのか?」
「念の為、お伝えしたまでです」
「お前、態と行き先を聞かなかったのではあるまいな?」
イーサンが何を伝えたかったのかは分からないが、その後は無言だった。
現場は裏庭だというので行ってみたが、特段変わった発見は出来なかった。あった事といえば、カレンが自分で落とした化粧箱を拾った事くらいか。
現場を目撃したというリリスという名のメイドに事情聴取しているという部屋に行ってみると、聴取は既に終了し、彼女は仕事に戻ったという。
「この夜会の為に増員されたメイドのひとりでした。たまたま休憩しようと裏庭に出てたら、怪しい男たちが夫人に襲いかかろうとしていたところに出くわしてしまったとのことです。それを見て、驚いた彼女が騒いだことで賊は逃げたのですが……」
「逃げる際に別の使用人を攫ったというのは?」
「顔は見えなかったので誰だかは分からないが、使用人らしき女性を担いで逃げるのを見た。と、言っています。まあ、顔を見ていたところで、誰だかは分からなかったでしょうけれどね」
今夜の為だけに雇われているのであれば、他の使用人の顔など分かるはずもない。そもそも、マリーの顔など知るわけがない。
王都内にまだいるのであれば、怪しい人物の屋敷を虱潰しに当たることも吝かではないが。絞れるものであれば絞りたい。
こんな事件が起こっても、夜会は中止していない。何しろ表向きは使用人がひとり攫われただけなのだ。大っぴらにする事も出来ない。それに、ほとんどの者が事件が起きた事にすら気付いていないだろう。
ならば、メイドとして雇われた彼女は仕事に戻らなければならないのは分かる。分かるのだが。
「一応、リリス本人から話を聞きたいのだが、どこにいる?」
近くにいたメイドに声を掛けると、「リリス?」と、首を傾げた。
「あ、ほら。あの娘よ。勝手口で騒いでいた、あの訛りの酷い……」
「ああ、あの娘ね。あの娘、リリスっていうのね」
一緒にいたメイドが耳打ちすると、そのメイドは心得たとばかりに手を打ち頷く。
「あの娘でしたら、あまりに訛りが酷いので調理補佐をしているはずです……ですので、厨房かと」
「訛り?」
「はい。本来でしたら、言葉遣いも標準語が出来ないと、ここでは働くことは出来ないのですけれど……恐らく今回は急遽ということで、雇われたのだと思います」
「それに、そばかすもすごいのよね。髪も艶のない錆色だし。あれではお客様の前には出せないわ」
よっぽどその訛りが酷いのか、はたまたそばかすが酷いのか、そのメイドたちは顔を見合わせ「ぷー、くすくす」と、笑い合っている。どちらにしても、その笑いには嘲りの色が見て取れた。
本当に女性というのはこの手の話が好きなのだな。
メイドたちはフィリクスとセドリックが警備員だとでも思っているのか、何者なのか気付きもせずぺちゃくちゃお喋りを始めた。おい、仕事はどうしたんだ。
しかし、よく悪口ばかり口から出て来るものだ。
メイドなどキャップをしていたら髪の質など正直どうでも良い。そんなことよりも、人に、それも格上の人間を不快にさせていることの方が問題だ。
人を馬鹿にする前に自分の言動を省みろ。と、言ってやりたい。
ミルトン侯爵には使用人の教育をやり直すか、入れ替える事を勧めておいてやろう。
フィリクスは貴族らしい微笑みの下で、そんな事を考えていた。
大規模な夜会という事もあってか、厨房はてんてこ舞いであった。人の出入りが忙しない。
そんな中で声を掛けるのも憚られるところだが、フィリクスは躊躇などしない。
「すまないが、リリスというのはどこにいる?」
声を掛けられた料理長は不機嫌そうに振り返ったが、声を掛けたのがフィリクスとセドリックだと気付くと慌てて笑顔を取り繕った。
「殿下に公爵様!料理に何か問題でもありましたか?」
料理長には事件の事が伝わっていないのか、料理のクレームを言いに来たと思ったようだ。表情を固くさせている。
「リリスと話がしたい……調理補佐だと聞いたのだが」
「え、リリス?あー……、おーい、リリスー?」
どうやらクレームではないらしい。と、理解した料理長は表情を緩ませたが、リリスが誰なのか分かっていない様子だ。しきりに出入りしているメイドたちに向かって声を掛けている。
確かに日雇いのメイドなど覚えていなくても仕方ない。
特徴は分かっているのだから、自分で探した方が早かったか?
料理長の的を得ない探し方にフィリクスはやきもきした。
先程のメイドの話では、リリスは錆色の髪にそばかすがあるという。そして、口を開けば訛りが酷い。
厨房の中を見る限りでは、その特徴を有する者はいない。ほとんどが金髪か茶髪なのだ。
ん?待てよ。その特徴はどこかで――――?
料理長に礼を言い、自分で探しに行こうと厨房を出た時だった。グラスを洗い場に下げに来たメイドが、おずおずとフィリクスたちの前に進み出た。
「あの……」
「ん?何だ」
「公爵様がリリスに、何かご用ですか?」
フィリクスがリリスを叱りに来たとでも思っているのか、そのメイドは不安そうにちらちらとフィリクスを見上げている。
「少し聞きたいことがあってな」
「聴取でしたら終わったと聞いています。それに、夫人もご無事だったのですよね?」
「随分詳しいな。リリスとは仲が良いのか?」
横から口を挟んだセドリックに、メイドがびくっと身体を震わせた。ついでに声も震えている。
「で、殿下!……その、はい。あっ、いえ……」
どっちなんだ。
とはいえ、下級のメイドがいきなり殿下に声を掛けられたら緊張もするか。
しかし、このメイドどこかで―――――?
フィリクスは注意深くメイドを観察した。どこにでも居るような金髪に碧眼。顔立ちも平凡で、特に変わった特徴もない。
「悪かった。怯えさせるつもりはなかったのだ。ただ、ひとり連れ去られた者がいるのでな。何か手掛かりになるものはないかと思って彼女に話を聞こうとしたのだよ」
びくびくしながらちらちらとセドリックを見ているメイドを安心させるようにフィリクスは優しく言った。
「あの、彼女は、その……具合が悪くなって、帰りましたが……」
「帰った?仕事の途中でか?」
思わずフィリクスの声が大きくなる。メイドがびくっと身体を小さくしながら消え入りそうな声で「すみません」と、言いながら頷いた。
しかし、精神的に具合が悪くなるほどの衝撃を受けたと言われれば、そういうこともあるのかもしれない。
だが、しかし。
フィリクスは息を吐いて、セドリックに目配せした。
「……アマリリス」
ぼそっと呟いた名前に、メイドが目を見開く。可哀想なほど顔色を悪くさせ、俯いた。
フィリクスの言わんとしている事を察したセドリックが小刻みに震えているメイドに問う。
「会場に飾られている花は、アマリリスだったかな?」
「いえ。リリーですよ、殿下」
背後に控えていたイーサンが即座に答える。
いや、お前に聞いてないんだよ!
フィリクスとセドリックは同時に振り返り、イーサンを睨んだ。それをどう捉えたのか、イーサンは片眉だけをぴくりと上げた。
「アマリリスとリリーは似ておりますから、よく間違われるそうです」
イーサンが補足する。
「……そうか。では、アマリリスとリリーは仲間なのだな?」
「いえ、似ているだけで分類は別ものです」
「ほう。仲間ではない。……だ、そうだが。ところで、メイド。君の名はなんという?」
メイドは目に見えて震えていた。エプロンは握り締め過ぎてしわしわになっている。
「ぁ……あのっ!!」
意を決したようにメイドが顔を上げた。
フィリクス視点、まだ続きます。
お読み頂きありがとうございました。




