病弱令嬢の危機
『――――ぱぱとままは、どうしてはこのなかでねているの?』
茉莉は両親の眠る棺桶を前に、無邪気ともとれる声を上げた。その発言に、後ろの方からしていたすすり泣く声が一層高くなったように感じる。
『―――まだ、五歳ですって』
『―――可哀想に』
『―――両親の死が理解出来ないのね』
五歳になったばかりの茉莉。五歳とはいえ、子供は大人が思うほど子供ではない。
しっかりと二人の死を理解していた。
しかし、棺桶の中の二人の顔は陶器のように真っ白で、顎は落ちていて、まるで気味の悪いお人形のようで――――。
起きて動いていた頃とは別人に見えた。
だから、先程の発言だ。
もしかしたら、これは大きなお人形なんじゃないかと。
誰かがこれは両親ではなく、お人形だと言ってくれるんじゃないかと。
ほんの少しだけ、期待した。
『――――本当、止めて欲しいわ。よりによって私たちの結婚式の日に死ぬだなんて』
心底憎らしそうに茉莉は睨まれた。会ったこともない女性に睨まれ、茉莉は身体を固くする。
なんで会ったこともない人から疎まれなければならないのか。
身内と、両親と親しかった者たちだけの小さなお葬式。
両親は共通の友人の結婚式に出席する途中で事故に巻き込まれたのだ。幼かった茉莉は近所の家に預けられていた。
『おい。やめろよ、今言う事じゃないだろ』
『だって、そうでしょ?!私が主役だったのに……私たちの結婚記念日が、あの二人の命日になっちゃったのよ?!嫌じゃない!気持ち悪い!!』
『嫌って……気持ち悪いって……』
茉莉の目の前で言い争う男女。
男性は目を丸くしている。周囲から白い目で見られている事に女性は気付きもしないようだ。男性は愕然としたようだったが、女性がまた口を開こうとしたので、慌てて会場の外へ連れて行った。
喧嘩していたのは両親が出席するはずだった結婚式の新郎と新婦だろう。
『あの女、相変わらず空気読めないわね』
『あの旦那さん。アプリで知り合ったんだっけ?』
『でなきゃ結婚なんて出来ないでしょ。あいつ、性格悪過ぎだもん。自分のことしか考えられないってやつ?友達の一人もいないって……ウケる〜』
『新郎側との人数合わせの為だけに呼ばれる身にもなれっつーの』
『は〜、それにしても、早々に本性が露呈したわね。やっと結婚までこぎつけたのに、離婚されるんしゃない?』
『承知の上じゃない?』
『ドMかよっ!』
先程までしくしくとしていた友人たちは、悪口に花を咲かせて笑った。
話の流れで新婦が両親の友人なのだと茉莉はぼんやりと理解する。
喪服の大人たちに囲まれ、誰を頼ったら良いのか分からない茉莉は孤独を感じずにはいられなかった。
『―――ねぇ、茉莉ちゃん。茉莉ちゃんの面倒をみたいっていう人がいないのよ。だから茉莉ちゃんには施設に入ってもらおうと思うの。そこでは、良い子にしててね。良い子でないとそこでも捨てられちゃうわよ?』
お葬式が終わった後、こう言って来たのは母方の叔母。まるで茉莉が捨てられた子供のように言う。
『おい!』
『何よ!うちは二人の子供で手一杯よ!お義姉さんの子供まで面倒みられないわ!』
叔父が慌てて間に入ってくれたが、叔母にそう言われてしまえば、その通りなのだろう気不味そうに茉莉から視線を逸した。
『それにしたって、言い方があるだろう……』
『どう言ったって同じでしょう?それに、何を言ってもこの子が理解出来るとは思えないわ』
馬鹿にしてる。
茉莉はこの叔母が嫌いだった。同じ年頃の子供がいるからか、会えば必ず茉莉と比較した。茉莉の両親の見ていないところで。
悔しくて泣いた事もある。
「ウチの子は茉莉ちゃんと違って優秀なの」が口癖だ。
『いくら保険金があるからって、私が使えないなら意味ないわ。寧ろこの子が邪魔なだけよ』
邪魔なだけ――――……
その言葉が茉莉の胸にずしんと重くのしかかる。
ついこの間まで普通だった事は、もう普通じゃなくなった。
しぬっていうことは、もうおきなくなること。
もう、うごかなくなること。
もう、あえなくなること――――……
茉莉の事を抱きしめて「大好き」と、言ってくれていた両親は突然、目の前から消えてなくなった。
茉莉がどうなろうと、両親の遺体を前に泣かなかろうと、気にかけてくれる人は誰もいない。
茉莉はこの日、邪魔な子。要らない子になったのだ。
その後、父方の祖父に引き取られた茉莉はすくすくと成長するのだが、胸に巣食ったものは消えなかった。
良い子にしていないといけない。
良い子でない―――邪魔な子は―――……捨てられる。
「―――――――っ!!」
「―――――――っ?!」
近くで言い争うような声に、マリーの意識が浮上した。
どうやら眠っていたらしいのに、ベッドの上ではないらしい。
砂っぽい、埃っぽい臭いがすぐ近くでする。
硬く冷たい床に横たわっているのだと気付いたが
身動きが取れない。どうやらマリーは拘束されているようだ。両手両足が縛られている。
私……どうしたんだっけ?何で縛られてるんだろ。
お祖父ちゃん家で……言うこと聞いて、柔道やって……それから、柔道やめて……
そっか……言うことを聞かなかったから……良い子にしてなかったから、捨てられたんだ。
マリーはまだ夢と現実の狭間で混乱していた。
目を瞑ったまま、ぼんやりとする。
手と足が痛い……要らない子だからって、なにも縛らなくてもいいのに……。
「だから、依頼主の名前を聞かれたかもしれねぇんすよ」
「だからって、攫って来るこたぁねぇだろ!!それなら、その場で殺しとけば良いだけの話だろぅが!!馬鹿どもが!!」
言い争っていた声が怒鳴り声に変わり、どくんと心臓が跳ねる。びっくりしたマリーは思わず目を見開いた。
あ、私、あの二人に捕まったんだ。
一気にマリーとしての意識に戻る。
それにしても、なんだって茉莉だった頃の夢なんて見たのかしら。
茉莉の頃の記憶は大まかにしかなかった。それが夢を見た事で、あまり楽しくない事まで思い出してしまった。
いや、そんなことよりも。と、完全に意識が覚醒したマリーは、静かに辺りを窺う。
連れ去られてから、どれくらい経っているのだろうか。窓もなく外が見えないので時間経過も、ここがどこかも分からないが、何かの物置小屋のようだ。土嚢のような物が積まれていたり、木箱やらが部屋の半分くらいを占めている。
小さなテーブルが部屋の真ん中にあり、その奥にマリーは転がされていた。男たちにはマリーとは反対側にいる為、幸いにもマリーが目を覚ました事は気付かれていない。
思い起こすと、冷静に対処していれば、逃げる事くらいは出来たのではないかと、あの時の自分を殴ってやりたくなる。なぜ無計画に飛び出したのか。
しかし、全てはあとの祭り。
拘束されてしまった今では、ここから逃げられる気がしない。
小屋の中には屋敷で見た二人と、もう一人男がいた。このもう一人の男が怒鳴り声の主らしい。
「いいか、俺は旦那に報告しに行かなくちゃなんねぇ。帰ってくるまでに、このガキ始末しとけよ!」
「アニキィ〜……始末って、俺、血ぃ見るの嫌なんすけど……」
「馬鹿言ってんじゃねぇ!だったら川に放り込んで来い!こっちはお前らの所為で間違いなく怒られるんだ!それくらい一人で出来るだろう」
「はぁ〜、けっこう可愛い娘なのにな……もったいない」
「はっ!じゃあ、ジョイ、てめぇの女にするか?その際には逃げられねぇように、手足を切り落として喉も潰しておけよ!」
不穏な流れにマリーの背中に冷たいものが流れる。
川に放り投げられるのも嫌だが、手足を切り落とされるのも嫌だ。
「結局、血ぃ見るじゃねぇすか」
「うるせえっ!……おい、ビリーお前もついて来い。行くぞ」
返事をするように心底憂鬱そうな溜め息が聞こえると、足音が二つ遠ざかり部屋から出て行った。
「ぅへえ。なんで俺が。俺、人殺すの苦手なんだけど……」
呟いたのはジョイと呼ばれた男だろう。
殺人に得手不得手があるかは謎だが、苦手と言うからには過去に経験がある。と、いうこと。
ジョイがこちらに来る気配に、マリーは慌てて目を閉じる。
先程の話の通りならば、マリーはこのまま川に放り込まれるのだろう。
だが、会話の感じからいって、この男ならばその間に逃げるチャンスもありそうだ。
先ずは、この手足の拘束をどうするかである。このまま川に放り込まれたら、間違いなく溺れ死ぬ。
「本当に可愛い顔をしてんなぁ。起きてる顔も見てみてぇな……。血を見るのは嫌だけど、頑張って手足を切って飾っておこうかな。うーん。でもアニキは喉も潰せって言ってたよなぁ。でも、そうすると、声が聞けないからなぁ……」
ジョイはマリーを覗き込んでいるのか、間近でジョイの猟奇的な呟きが聞こえる。
至って当たり前の事を言っている。と、いった雰囲気のその呟きにマリーは戦いた。
この男ジョイには、なんとなく間の抜けた印象を持っていたから逃げ出せるかも。と、思っていたのだが、どうやら違うらしい雰囲気だ。
言っている内容に、人間味が感じられない。ある意味、一番危ない人間なのかもしれない。
「やっぱり川に投げてくるか!……でも、その前に、へへ。ちょっとくらい、いいよな。へへ……」
「ひゃうっ?!」
マリーは思わず変な声を上げ、ぱっちりと目を開いた。
「あ、起きた」
下卑た笑みを浮かべる男と目が合う。にやっと開いた男の口は前歯がなく、しかも汚い。屋敷で見た時は撫で付けていた髪も、今はぼさぼさで如何にもゴロツキといった風貌だった。
「なっ、にを?!」
「ぐひひ。寝てたままの方が良かったかもなぁ〜」
マリーは恐怖を押し殺しながら目の前の男の顔を睨み付け、その男の手元を視線で辿った。
「大人しくしてろよ。暴れると、余計に痛いらしいから。お嬢ちゃんにはこの後死んでもらうからさ、その前に少し俺に良い思いをさせてくれって話さ。分かるだろ?」
ジョイはマリーのスカートをたくしあげ、ごつごつとした汚い手で太ももを撫で上げていた。
そのいやらしい触り方に、ぞわぞわと肌が粟立つ。
その気持ち悪さに、怖いやら悔しいやらで涙が溢れてくる。
「うわっ、柔らけぇなぁ」
「止めてよ!旦那様にも触られた事がないのにっ!!」
抵抗したとて、拘束されている状態では無駄だと分かりつつ、マリーは身体を捩る。
「へぇ!お貴族様ってのは、やっぱ羨ましいなぁ!可愛い使用人を取っ替え引っ替えしてんだ」
「……へ?」
急にマリーの頭が冷静になった。
当然マリーの言う「旦那様」とは、フィリクスのことを指していた。
だが、今マリーは侍女に変装しているのである。
そして、この男と出会したのは……。
「それにしても、ミルトン侯爵。ぐひひ……いい歳してお盛んだなぁ〜。あ、触られた事がないってことは、まだお嬢ちゃんは手ぇ出されてねぇってことか」
そう。ミルトン侯爵邸。当然のことながら、ここで「旦那様」と、いえば、ミルトン侯爵のことになるのは致し方のないことだった。
「いや、ちが……」
訂正しようにも、それはそれでややこしい。
ミルトン侯爵にあらぬ疑いをかけることになってしまった。
「ぐひひ。あんな爺さんより、若い俺の方がいいだろ?」
爺さんも嫌だが、あんたも嫌だ。そう言ってやりたかったが、ジョイが手にしたナイフを見てマリーはひゅっと喉を鳴らす。
な、何、なに!!血を見るのは嫌いなんじゃなかったのっ?!
ジョイは、にやっと歯を見せて笑った。……前歯はなかったが。
「このままじゃ、縄が邪魔で股が開けねぇからな。じっとしてろよ?」
斯くして、マリーの足の拘束は解かれた。
だが、マリーの足の間にジョイが陣取っている今、別の危険が迫っていた。
いくら経験のないマリーでも、この状況が何を意味するかは察する事が出来る。
「感謝しろよ。俺は優しいんだぜ?これがアニキだったら、ビリビリにひん剥かれてるんだからな」
「や、やだ……」
ジョイがぷちぷちとマリーの胸元の釦を外し出す。マリーを再び恐怖が襲った。
「かわいー。震えてる。大丈夫、大人しくしてりゃあ、優しくしてやっから……ん?何だこれ。へー、良いもんしてんな。これは俺が貰っといてやるよ」
マリーの胸元から転がり出たのは、フィリクスから贈られた青いペンダント。いつも身につけてくれというフィリクスの言葉通り、マリーはいつも身につけていた。
それをマリーから取ろうとジョイがペンダントに手を掛ける。
「駄目!止めて!それは旦那様から頂いた大事なものなの!!」
「お嬢ちゃんは死んじゃうんだから、もう要らねぇだろ?それにしても、ふーん、そうか……侯爵が愛人に贈った物なら、結構高く売れるかもな」
だから、違うんだって!と、冷静に突っ込む余裕はなかった。
ミルトン侯爵には、重ね重ね申し訳ない。
いつか、ミルトン侯爵には謝罪をしよう。と、心に誓うマリーだったが、そんな日が訪れる日が来るのだろうか。と、いう不安の方が大きかった。
幾度となく生死の境を彷徨ったマリーだからこそ、人の手によって命を落とすなどしたくなかった。
しかも、現状では貞操の危機も迫っている。手籠めにされた挙げ句、殺されるなんて悔しいにも程がある。死んでも死にきれない。
何で、いつも命の心配をしなくてはいけないのよ!!
もちろん、命あるもの、いつ、どこで。なんてことは誰にも分からない事だ。それにしても、だ。
そもそも、旦那様だって……!!
ふつふつと腹が立ってきたマリーの脳裏に、ミルトン侯爵邸で見たマリーのそっくりさんの姿が過る。
あの人もいて、メイメイもいて!
結局、私は邪魔なんじゃないの!!
腸が煮えくり返るとはこういうことなのかもしれない。マリーの身体はふつふつと熱くなっていた。
邪魔だからって、大人しく殺されてなんてやるもんか!!
もう何も出来ない子供じゃないのよ!最後まで抵抗してやるわ!!
マリーは、覆い被さるジョイをキッと睨み上げると、その腹を足の裏で怒りに任せ勢いよく蹴り上げた。
「ぅぐほぉあっ!!」
「……ぇ?」
茉莉がどんな子だったのか書きたくて冒頭に入れましたが、無理矢理の感が否めない。
しかも現実世界で起きた事をそのまま書いたのに、なんというか……ははは。
構成力、その他諸々、無いなぁ〜。と、痛感している今日この頃です。
お読み頂きありがとうございました。




