病弱令嬢、混乱する
「何よ!夜会が明後日だなんて事も知らなかったわよ!」
自室に逃げ帰って来たマリーは、ぼんっ!と、クッションをソファに叩きつける。弾力性のあるクッションは叩きつけられた勢いで、ぽんっ!と、床に転がり落ちた。
そりゃ、貴族であれば愛人の一人や二人、囲っていたとしてもおかしくないわ。
愛のない結婚だって、少なくない。
でも、公の場に連れて行くなんて……。
しかも、あの――……
マリーは、そっと自身の胸にある申しわけ程度の膨らみに両手を当てた。
頭の片隅では、フィリクスが浮気をすることなんてないだろう。と、いう、ほんのりとした自信はあるのだが、如何せん「女性らしさ」の差が歴然としている。
男の人は幾つも愛を持っている。なんて歌があった気がする。
旦那様は、あちこちバラ撒くような人ではないと思うけれど、だけど美人に言い寄られたら悪い気はしないはず――――……
マリーは、吹けば飛びそうな自信しか持ち合わせていなかった。そして、今まさに吹き飛びそうになっている。
「奥様」
「カレン……!」
マリーを追いかけて来たカレンが、ノックもせずに部屋に入って来た。驚いたマリーは、びくっとなり、ぱっと、手を離す。
「お気持ち、お察し致します」
「あ、いや、これは!あの……別に彼女と比べていた訳では……」
「え?」
「え?」
マリーの早とちりだったようだ。きょとんとしているカレンにマリーの顔が赤くなる。
二人は顔を見合わせ、暫しの沈黙の後、マリーはこほんと咳払いをし、何かを察したカレンは床に落ちたクッションを拾い上げ、ソファに戻し整えた。
カレンの無言の心遣いが何とも言えない。
フィリクスが自分を追い掛けて来ないことに「言い訳もしないのね」と、むっとするが、言い訳もさせなかったのは自分である。しかも逃げた。
どちらにしても、むっとするのは複雑な乙女心ということで許して欲しい。
カレンが来てくれたことに少しほっとする。
気持ちも少し落ち着いた。恥ずかしい事をしてしまったとも思う。
だが、しかし。
「やっぱり、おかしいわ。そう思わない?そもそも彼女が持って行ったドレスは私の寸法よ?着られるわけないじゃない」
自信がないとはいえ、納得はしていない。
メイメイは態と黒いドレスを選んだように思える。それも、マリーを挑発するような言葉を添えて。
絶対あれは愛人としての嫌がらせだとマリーは思っている。
冷静にその時の事を思い出すと、何故ぽかんとするだけで何も言わなかったのだ。と、自分への怒りさえ沸いてくる。
「そうですよね……でも、メイメイさんなら、どうにかしてしまうのだと思います」
カレンはマリーに同意するように、うんうんと頷く。思い出し怒りをしていたマリーは、ふとカレンの様子に違和感を覚えた。
同意しているようで、していない。
カレンはメイメイと面識がないと言っていたにも拘わらず、今の言い方にはメイメイに対する信頼の様なものが感じられた。
「私も愛し合うお二人には、いつも一緒にいて欲しいと思っておりますよ」
「ぇ、えぇ……」
愛し合う。とか、言われたら、それはそれでむず痒い。
「ですので、昨日の話し合いでメイメイさんが奥様の代役をする。と、決まったとはいえ、奥様の心中は穏やかではない事は察する事が出来ます」
「え?」
「え?」
再び二人は顔を見合わせる。どことなく、カレンと話が噛み合っていないように感じるのは気の所為か。
「昨日の……話し合い?」
昨日の一件の事を言っているのであれば、あれはメイメイからの一方的なものだったはず。
「確認なのだけれど、カレン、あなた……メイメイとは面識がないと言っていたわよね?」
「奥様、何を仰って……?メイメイさんは私がこの屋敷で働き始めた頃からずっとここにおりますし、奥様がいらした時にもお出迎えしておりましたよ?」
「え?」
「え?」
二人がこの短時間で顔を見合わせるのは三度目。
マリーは、こんなにカレンを凝視したことはない。と、いうほど見つめたが、彼女が嘘を言っている様子は全くない。
それどころか、マリーを心配そうに見つめ返してくる。
徐々にカレンの言葉が浸透してくると、それと比例するように手足の血の気が引いて感覚が麻痺していく。何とも言えない恐怖がマリーを襲った。
―――――――どういうことっ?!
その時、部屋の扉が遠慮がちにノックされ、メイドがワゴンを押して入って来た。
マリーが食べそこねた朝食を運んで来てくれたらしい。
「あの……ご気分でなければ、このまま下げますが……」
食堂でのやり取りを知っているのであろうメイドは、上目遣いで遠慮がちに言う。
「いえ、いいの。ありがとう。それより、あなた。その……メイメイを知っている?」
あまり頭が回らず、おかしな問い掛けになってしまった。
メイドもきょとんとしている。
「メイメイさん、ですか……あ、今どこにいるか。ですか?そうですね……あれ、そういえば、どこでしょう」
メイドがぼんやりと天井を見上げるようにして「うーん」と、唸り、首を捻るのを見たマリーは愕然となった。
メイドは「メイメイ?それ、誰ですか?」ではなく、「メイメイは、今どこにいるか」で首を捻っているのである。
私がおかしいの?!
言葉も出ないマリーを、カレンは心底心配そうに覗き込んでいる。
「奥様。少し、お疲れなのかもしれません。それとも、私の知らないところで、頭を打ったり……」
「いいえ!私は元気だし、頭も打ってないわ!」
カレンは、マリーが何かしらの記憶の混乱を起こしているのかと思っているようだった。思わず語気が強くなる。
そんなことがあるはずない。
これは夢なのだろうか。と、カレンから見えないようにして手の甲をつねってみたが、しっかり痛い。
マリーは頭を抱えたくなった。
「旦那様と……会って来るわ」
「申し訳ございません、奥様。旦那様は先程、出仕致しました。お見送りは不要だと言われまして……その、お帰りは、夜会が終了したら。とのことです」
今フィリクスと会うのは正直気不味い。
それでもフィリクスへの謝罪のついでに、このおかしな状況がマリーだけのものなのか探りを入れようと考えた。
しかしその考えも、メイドの申し訳なさそうな発言により打ち砕かれる。
「夜会が終わるまで帰らない……ですって?!」
責めたつもりは全くないが、メイドは慌てて頭を下げてくる。申し訳なさそうな顔をしているメイドを困らせても仕方がない。
頭の中はぐるぐるとして気持ちは到底落ち着かないが、マリーはひとり静かに朝食を食べ始めた。
「ねぇ、カレン。メイメイを呼んで欲しいのだけれど」
これはもう、本人に直撃するしかない。
朝食を食べながら、マリーはずっと考えていた。
結局朝食は、ほとんど口をつけることなく下げてもらってしまったが。
どうして、自分には今までメイメイがいた記憶がないのか。
どうして、自分とカレンたちの記憶が違うのか。
本人に直撃したところでマリーの記憶はマリーの問題であって、何の解決にもならないとは分かっているのだがじっとしていられない。
だが食後のお茶を淹れていたカレンはテーブルにカップを置くと、少しぼんやりとした表情を見せる。
「どうしたの?」
「いえ、あの……あ、そうです。メイメイさんは、夜会まで隠密行動でして、屋敷にはいないのです」
ぼんやりして見えたのはマリーの気の所為だったのか、カレンはすぐにいつものカレンに戻り、答えた。
「メイメイも……いないの?いつもはどこにいるの?」
「屋敷におります」
「それは分かっているわ。屋敷の、どこで、何を?」
「え、と……そういえば、どうしてましたっけ。ああ、旦那様の仕事の補佐をしております」
マリーは眉を顰めた。一瞬だが、返事を返すカレンがぼんやりするのだ。その返事の内容も曖昧なものに思えた。
何かが、おかしい。
そう思うと目の前のカレンが、昨日までのカレンとは違って見えてきてしまう。
だけど。と、マリーはカレンをまじまじと見つめる。
今は普通なのだ。
メイメイの話の時だけおかしくなる?
そういえば、メイドもメイメイの事を聞いた時にカレンと同じようにぼんやりとしていた気がする。
「奥様?」
黙り込んだマリーを覗き込むカレンはいつも通りだ。
「ねぇ、カレン。どうしてメイメイが私の代役をすることになったの?」
どんな話をしたことになっているのか分からない。
なるべく何でもない事のようにマリーは訊いたのだったが、やはりカレンはマリーの記憶の混乱を疑っているのか心配そうに眉を顰めた。
「やっぱり!それほどまでにショックだったのですね!私だって嫌です!旦那様の隣に奥様以外の女性がいるのは!」
カレンは胸の前で手を組み、いやいやと大袈裟なほど頭を振っている。
うん。カレンだね。
……いや、そうではなく。
いや、ここはカレンの思い込みに乗っかろう。
マリーは思い直す。決してカレンの相手をするのが面倒くさかった訳ではない。
「そう、なのよ。どうして私の代わりをしてもらうことになったのか、思い出せないの。このままでは嫌な気持ちが募るばかりだわ」
「……奥様」
カレンはふるふると震える両手で口を押さえて瞳を潤ませている。
「……ぇ、泣いてるの?」
「やはり!愛する二人を切り裂く訳には参りません!!奥様!ここは入れ替わり大作戦です!」
「え?いや、だから……」
どうして、メイメイが自分の代役をするのか。と、いうマリーの疑問に、カレンが答えることはなかった。
答えることはなかったが。
「だいたい、親戚筋の侯爵家主催の夜会で、奥様が害されるなんてことあるはずないのですよ!」
作戦を企てるカレンの話から、疑問の答えが見えて来た。
どうやら、屋敷の外は危険がいっぱい。と、考えているフィリクスがマリーを外に出したくない。と、言っているらしい。
カレンの主観で語られているので本当かどうかは怪しいところだが。
そもそもこの現状に、マリーはメイメイを疑っていた。侍女だということからして疑わしい。
マリー自身が部分的に記憶を失っている可能性もないこともない。でも、もし仮に、メイメイが催眠術とか麻薬のような物で皆をおかしくさせていたらどうだろう。
今は代役と言っているが、そのうち本物の奥様としてマリーと入れ替わるつもりなのではないか。
では、その目的は?
―――――公爵夫人の地位。
そうか!だから私は殺されちゃうのねっ?!
あれ?
でも、待って。
旦那様とイーサンの話を聞いたのは、だいぶ前の事だわ。
その頃からメイメイが何かしら企んで、旦那様に接近していたとして――……
あれ?
でも、待って。
グレンは最初からメイメイの事を知っていたわよね。
「奥様、聞いてます?」
カレンに言われ、マリーは、はっと我に返る。
「大丈夫です!きっと上手く行きますから!」
ふんす。と、鼻息を荒くするカレンは操られているようには到底見えない。
考え過ぎ……かしら。
いつも通りのカレンに安堵する。
いくらなんでも人を都合良く操る麻薬なんてないだろう。
記憶がおかしいという謎は残るが、荒唐無稽な妄想をしてしまった。と、マリーは恥ずかしくなってきた。
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