病弱令嬢、キレる
―――――翌朝。
「旦那様」
「なんだい、マリー。あ、スクランブルエッグの方が良かった?」
「いえ、そういうことではなく……」
マリーは小さく息を吐きながら、フィリクスから差し出されたフォークの先を見つめた。
フォークの先には、一口サイズにカットされた厚切りベーコンがささっている。
ここ数日、マリーは食堂でフィリクスと朝食を共にするようになっていた。仕事の帰りが遅い事が多いフィリクスからの、たっての希望で「朝食くらい一緒にしたい」と、いうことだ。
それは、いいのだが。
数日前、マリーが案内された席には既にフィリクスが着席していた。と、いうか、椅子もカトラリーも一人分しか用意されていなかった。
まさかのいじめかっ?!
と、カレンを振り返ると、何とも言えない生温かい視線で頷かれたのは記憶に真新しい。
いや、いじめを肯定された訳ではない。
マリーが入室するなり顔を輝かせたフィリクスが立ち上がり、朝の挨拶もそこそこにマリーを抱き上げ膝の上に座らせた事で、椅子が一人分である理由を理解したマリーである。
フィリクスが犬であったなら、引き千切れんばかりに尻尾を振っていたに違いないであろう勢いだった。
そして羞恥で騒ぐマリーが、メイドに椅子とカトラリーを持って来るよう頼む。と、いうところまでが最近のルーティンとなっていた。
んで。
今は、そのルーティンの途中である。
つまり、フィリクスの膝の上で食事介助をされている状態。
「何度も申し上げますが、私は一人で食べられます」
「そんなことは知っている。だが、夫は妻に食べさせるものだろう?」
フィリクスはこう言って憚らないのである。
だがそれは夫の甲斐性の揶揄のことで、行為そのものを言っているのではないと思う。
「両親はこうやって食事をしていたぞ?」
いったい、どれだけらぶらぶな両親だったのだ。と、思わなくもない。
マリーとしても、これが愛情表現の一つだという事くらいは知っているし、実際にマリーの両親も「あーん」くらいはしていた。こんなに密着はしていなかったが。
それに全く憧れがなかったわけでもない。
ただ、こんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。
このやり取りを含め、ルーティンとなっていた。
だがしかし、今日のマリーは昨日の朝までとは一味違う。
フィリクスが、夫だ妻だと語る度にメイメイの姿が頭を過ぎり、胸がちくっとするのだ。恥ずかしさよりも、もやっとして、いらっとする。
「夫だから……これも、仕事のうちなのですよね」
「マリー?何を……」
思いの外、嫌味っぽい言い方をしてしまった自分にマリーは驚いた。フィリクスは何を言われたのか分からないようで、ぽかんとしている。
こんな言い方をしようなどとは思っていなかった。落ち着いて普通にメイメイの事も、夜会の事も聞こうと思っていたのだ。それなのに、まるで何事もないかのようなフィリクスの態度を目の当たりにしたことで、もやもやとした苛々とした感情の抑えが効かなくなり、コントロールが出来なくなっていた。
「もしかして、旦那様は妻ではない女性にも、こういう事がお出来になるのではないですか?」
「何を言う。俺はマリーにしか……」
「本当の事を言って頂いてよろしいのですよ?メイメイは見目麗しい女性ですものね」
「……突然どうしたんだ。メイメイが……何だって?」
フィリクスはカトラリーを皿に置き、戸惑った様子でマリーの頬に触れると、そのままマリーの顔を覗き込む。
「触らないでっ!」
ばしっとフィリクスの手を振り払う。
私の事を愛しているとか言っておきながら、夜会には愛人を連れて行こうだなんて、酷過ぎるわっ!!
一度堰を切ってしまうと、もう止められなかった。
マリーは精一杯、フィリクスを睨み上げた。
手を振り払われたフィリクスが目を見開く。
「マリー。少し落ち着こうか。その……何でメイメイが話に出てくるのかな?」
「誤魔化さないで下さい。なぜ私を夜会に連れて行って下さらないのですかっ。なぜ、妻ではなく、愛人を連れて行くなどと言うのですかっ?!」
「あ、あいっ?!いや、何で、それを……いや、違う……」
「……本当に愛人なんですね」
「違う!!愛人などいない!!そうではなくて、明後日の夜会のこと……」
「もう、いいです!!」
言い訳をしようとするフィリクスの頬がじわじわと赤く染まっていくのを認めたマリーは声を荒らげた。
どうせ、メイメイの事を思い出しているに違いない。そう思うと、どうしようもなく腹がたってきた。
しかし、大声を出したはいいが、この後どうしたら良いかマリーは困った。
マリーは今まで口喧嘩らしいものも、癇癪を起こすこともしたことがなかったのだ。
淑女らしからぬ言動に苦言を呈されるのも嫌だし、かと言ってこのままフィリクスの言い訳を聞いているのも辛い気がする。
怒りは収まらないが、居た堪れなくなったマリーはフィリクスの胸を思い切り押した。そして、その勢いを利用してその膝から飛び降りると、全速力で食堂を飛び出した。
淑女らしからぬ行為だが、許して欲しい。
「マリー、待って!!」
「旦那様!!」
マリーを追いかけようとするフィリクスを、それまで側で静観していたカレンが制した。
「私が話をしてまいります」
「だが、しかし……」
そうは言ったものの、自分が行っても事態を悪化させるだけかもしれない。と、考えたフィリクスは、ここは彼女に任せた方が良いかと思い直し、椅子に座り直した。
それに、確認したいことがある。
「―――――おい」
食堂に怒気を孕んだ低い声が響く。
カレンがマリーを追い掛けて行った今、食堂に居るのはフィリクスとイーサンの二人だけ。
自ずとその呼び掛けが自分に向けられたものだとイーサンは理解した。その声色から察するに、フィリクスは怒っているようだ。ちろりと眼球だけをフィリクスに向ける。
「……旦那様。怒るか照れるか、どちらかにして下さい」
イーサンは呆れていた。
なんて器用な男なのだ。
と。
フィリクスは怒声とは裏腹に、とんでもなく締まりの無い顔をしていたのだ。
「表情筋はどこに置いて来たのですか」
「うるさい。……少し、余韻に浸らせてくれ」
そう言うとフィリクスは、「マリーがやきもちを……」とか何とかぶつぶつ言いながら、ぐふぐふと気持ちの悪い含み笑いをしている。
「ああ、あんなに顔を赤くさせて睨まれても……あれでは可愛いだけではないか。なぁ?」
「なぁ。と、同意を求められましても……まあ、それは、良うごさいました」
「いや、良くない!何故マリーが夜会の事を知っているのだ。彼女には伝えるなと言っておいただろう!」
「私は奥様には何も伝えてはおりません」
余韻に浸ることは終了したのか、きりっと表情筋に力を入れたフィリクスがイーサンを睨んだ。
「嘘をつくな!お前が伝えなければ誰が伝えるというのだ」
「カレンではないでしょうか」
「……そのカレンには誰が伝えたのか。と、聞いている」
「私ですが」
結果的に伝わってしまえば、伝えたのと同じこと。
分かっているくせに屁理屈を言うな。と、イーサンを見れば「それが何か?」と、飄々としている。
フィリクスはテーブルに肘をつき手を組むと、その上に額を乗せて唸った。
「どうしてくれるんだ。マリーに変な誤解を与えたではないか!それにしても、愛人とは誰の事を言っている?……どこからそんな話になっているのだ?まさかとは思うが、この愛人というのは……」
「もしかしなくとも、私の事じゃろうのぉ」
二人しかいないはずの食堂に、第三者の声が響く。
フィリクスがその声に顔を上げると、イーサンの隣にメイメイが立っていた。
「お前たち親子は、なぜ湧くように現れるのだ。驚くだろ」
「なら、もっと驚いた顔をしろ。つまらんではないか」
メイメイは不満そうに口を尖らせた。
「つまるとか、つまらないとか、どうでも良い。そんな事より、メイメイがマリーの代わりをする事を何故マリーが知っているのだ?」
「どうでも良いとは、なんじゃ。どうでも良いとは。大事なことじゃぞ?!」
フィリクスはメイメイとの付き合いは浅かった。ここ十年程は会ってさえいなかったのだ。故に、彼女の価値観が謎であった。
侍女であるはずなのに、侍女の要素が皆無である。
「つまらん奴じゃ」
フィリクスがぐったりしてきているのを見たメイメイは、「ふんっ」と、鼻を鳴らした。
「お嬢様には昨日、私がしっかり宣戦布告をしておいたからな。安心しろ。きっと、面白い事になるぞぃ!」
「宣戦布告?!何だそれは?!いったい、何をしてくれてんだ!何が面白い事だ!そこに面白さは求めていないんだよ!と、いうより、これっぽっちも面白くない!」
怒りに任せ、だんっ!と、テーブルを叩いたフィリクスをメイメイは目を細めて見やる。
「私を無視するお前さんが悪いんじゃー」
そう言い残し、「ふぉっふぉ〜」と、笑いながらメイメイは部屋を出て行った。
小憎たらしい。あれは絶対に嫌がらせだ。と、フィリクスは項垂れる。この後はぴったりマリーに張り付いて、誤解を解いてからの甘やかし三昧をしたいフィリクスだったが、そうもいかない。
「……今回の作戦は延期する」
「殿下には、どう説明されるのです?」
自分でも無理だと分かっていた事だが、イーサンに諌められフィリクスはぎりぎりと歯噛みする。
「……くそっ!今更、作戦変更は出来んか!」
「だから、言ったでしょう。母の存在を奥様に伝えなかった旦那様が悪いのです。あの人は蔑ろにされることを嫌いますから」
「蔑ろになどしていないだろう!それを、まさか、勝手にマリーに接触するなど……お前もお前だ。なぜ止めなかったのだ!」
「無理です。母の暴走は止められません」
「お前……少しでも止める気があったか?」
「………」
恨めしそうに無言のイーサンを見上げる。
「ない」イーサンの表情は、そう語っていた。
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