病弱令嬢と太陽の女神と月の女神と
「え、だって……」
お怒りのフィリクスを前に、マリーは狼狽える。
このドレスは旦那様のデザイン画を元に仕立てたはず。
マリーはおろおろしながらフィリクスの後ろに控えていたイーサンに視線を向けた。自ずとその場にいる者たちの視線もイーサンへと集中する。
「イーサン。お前か!」
フィリクスが怒りの矛先をイーサンに向けるのと同時に、イーサンはどこに隠し持っていたのか件のドレスのデザイン画を、裁判の判決結果よろしく、びろーんとフィリクスの鼻先に突き付けた。
「旦那様ですが、それがなにか?」
あくまで飄々と。イーサンは三白眼の眼球だけを動かし、ちろっとフィリクスに向ける。
「あ、ぅ。まぁ、そうなのだが……」
「先ずは落ち着いて下さい。そして、見惚れる前に褒めませんと。奥様だけでなく、皆さんが怯えてます」
イーサンの言葉に、その場にいたマリー以外の人間が思った。
あれは見惚れていたのか!!
と。
見方によっては気に入らなくて睨んでいるとも思えたフィリクスの態度。全く伝わらないのも致し方なかった。
そして使用人たちの前で子供の様に叱られ、視線を泳がせ気まずそうにしているフィリクス。
使用人たちのフィリクスに向ける視線が生暖かいものへと変わると同時に部屋の温度が戻ってくる。
「クリスフォード家の当主なのに、何故そんな口下手なんですか」という溜息混じり、嫌味混じりのイーサンの呟きはフィリクスにしか聞こえていなかった。
「―――っ。マリー、このあと一緒にお茶をしよう。庭で待っている」
居たたまれなくなったフィリクスはイーサンをひと睨みすると、照れ隠しのようにマリーへ乱暴な言葉を残し、その返事を聞くことなくさっさと部屋を出て行く。その様子に、イーサンもわざとらしく肩をすくめてからその後を追って部屋を出て行った。
あ、れ?
結局、このドレスはよかったの?悪かったの?
私には……似合わない?
そうだよね。肩は全部肌が出てるし、スカート部分はドレープもあって膨らんでるけど、胸とお腹はきっちりと身体の線が出てるし……。
そういえば、元々のデザインはもっと腰の線も出ていた気がする。
部屋を出て行く時も不満そうなお顔をされてたもの。
もしかして……がっかりされた??
最近こそ肉付きも良くなってきたマリーだったが、元々が細々とした体型だ。出ているところが出ているとは言い難い。
咎められる人がいないことが分かり、ホッとしたのも束の間。がっくりと項垂れるマリーとは対照的に、カレンはまたも張り切っている。
「さて、それでは奥様。旦那様をお待たせするわけにはまいりませんから早速お着替えを致します」
「え、まさか……」
そのまさかだった。
このまま向かおうとしたマリーだったが、確かに真っ昼間に夜会ドレスはないだろう。
きっちりと施されたメイクを落とし、「せっかくですから」と、先程試着したアフタヌーンドレスに再び着替えさせられる。
試着はこれで最後だと言われていたマリーは油断していた。フィリクスとのお茶会がなかったとしても、試着が終われば普段着に着替えるのだということを失念していたのである。
しかし、待たせてはいけない。と、言いながら、何故に時間をかけるのか。
「カレン……私、このドレスはもう着たくないわ」
「えっ?何故です??」
「露出が多いから……他のドレスも露出は多いけど肩は隠れているから、これよりは良いと思うの」
「背中もぱっくり開いていたら下品になりそうですけど、このくらいの露出は普通ですよ?」
「そう、なの?でも、旦那様はあまりお気に召さなかったみたいだし……」
「……先程の流れから、何故そのように思いました?旦那様は奥様に見惚れていたんですよ。イーサンもそう言っていたではないですか。だから、お気に召さないなんてことは有りえません」
「それは、イーサンが気を使ってそう言っただけでしょ。旦那様は私を連れて歩きたくはないみたいだったわ」
「何を仰ってるのですか。そんなふうに思っているのは奥様だけですよ。現に今だってお茶に誘って頂いたではないですか」
「それだって義務として……」
「もう!何が義務ですか。奥ゆかしい奥様は素敵ですけれども少し鈍いですよ」
カレンは薄々気付き始めていた。
奥様って、鈍感なんじゃないかしら。
と。
フィリクスの「夜会には連れて行かない」宣言だって、他の男に美しく着飾ったマリーを見られたくないが故に出た言葉だということは、先程のやり取りを見ていれば十分理解出来る。……少し言葉は足りないが。
他のメイド達は二人の会話に耳をそばだて苦笑していた。恐らくはカレンと同じ心持ちだと思われる。
そのことからも、フィリクスがマリーをどう想っているかなど分かりそうなものなのだが。
肝心の奥様にはこれっぽっちも響いていないんじゃあねぇ。
まあ、奥様は奥様がいらっしゃる直前の旦那様の浮かれっぷりをご存知ないからそれも仕方ないのかしら。
カレンはフィリクスに少々の同情をしながら、さっさとドレスのボタンを留めていった。
苦笑していたメイド達も、たっぷりと時間をかけ、きっちりと結い上げた髪を下ろし、ハーフアップのゆる巻きカールに整えていく。彼女たちの動きは無駄がなく早いが、時間がかかることには変わりない。
お待たせして旦那様の気分を害さなければ良いのだけれど。
マリーは顔に白粉をはたかれながら、頑張っているメイド達に気付かれないように息を吐いた。
こうして、マリーとカレンたちの時間は噛み合わないまま過ぎて行くのであった。
淡いイエローのドレスに着替え、先程とは打って変わった雰囲気になったマリーはフィリクスの待つガーデンテーブルに向かう。
フィリクスはこちらを背に、脚を組んで椅子に座っている。
良かった。待っていて下さっているわ。
ほっとして、緊張していた顔が自然と緩む。ほわほわと胸が温かくなって足取りも軽くなる。
さくさくと音をたて芝生を踏む足音に気付いたフィリクスが弾かれたように椅子から立ち上がった。
振り返ったフィリクスの満面の笑みにマリーの胸はどきっと高鳴る。だが、マリーの姿を認めた瞬間フィリクスの表情がくもっていった。
フィリクスのその反応に、マリーの胸の高鳴りはずきずきとした痛みに変わっていく。
温かかった胸が、一瞬にして冷えていった。
「あの……この服も駄目でしたか?」
「っ!!違う!」
思わず俯いてしまったマリーに、はっとしたフィリクスが走り寄り、その手を取ると腰を抱き寄せた。図らずともフィリクスの体温が感じられるほど近付き、マリーの胸は再びどきどきと高鳴り始める。
「旦那様……ちか……」
「ごめん!違うんだ。誤解だ。その……もちろん、今の淡いイエローのドレスも君の美しさを引き立てていて、まるで太陽の女神の様に素敵だよ」
「たっ……めっ……?!」
「なんだけど、俺としては、さっきのドレス……夜を纏った月の女神のような君を、もっと愛でていたかったというか……だから、ほんの少しだけ残念に思ってしまっただけなんだよ」
「つっ……めっ……?!」
堰を切ったように言葉を紡ぐフィリクス。
しかし、褒め言葉を言われ慣れていないマリーは、恥ずかしいとか、照れるとかより先に「誰の事を言っているの?」と、いう感情がきてしまう。
そっと顔を上げれば、蕩けた表情でマリーを見つめているフィリクスの顔がある。
ぼんっと音は出なかったがその勢いで顔が熱くなり、フィリクスの熱い視線に耐えられずマリーは俯いた。
が、それをフィリクスは許さない。
マリーの顎をくいっと持ち上げ、無理矢理視線を合わせようとする。
「どんなマリーでも可愛くて綺麗だ。どんなに美しいドレスも宝石も、所詮は君の引き立て役にしかなれない」
「ぁ、ぁわゎわ……」
さすがのマリーも自分のことを言われているのだと自覚し変な声が出てしまう。
自覚したところで、マリーにはこの状況にどう対応したら良いのか分からない。いきなり百戦錬磨にはなれないのだ。
フィリクスの金色の瞳に、そんな狼狽えたマリーが映っていた。
近い。近いわ。
どうしましょう。このまま近付かれたら顔が触れてしまうわ。
……顔が?
無意識にマリーの視線がフィリクスの唇へと向いた。
はっ!!私ったら何をっ?!
我に返ったマリーは、ぼわっと赤面しこれ以上ないというほどに胸を高鳴らせた。
どうしましょうとか言いながら、何某かの期待をしたことは否めない。
が。
「―――――いやっ!!」
マリーは、どんっとフィリクスの胸を押した。
マリーのか弱い力ではフィリクスを引き離す事は出来なかったが、その顔を切ない表情にさせるのには十分であった。
「……あ」
蕩けた表情から一転、泣きそうな表情になってしまったフィリクスに気付きマリーも動転する。
「あの、ちがっ……これは。だって、旦那様のお側にいると、胸がどきどきしたりずきずきしたり……変になるというか……とにかく胸が痛くなるんです!だから……近いのは困ります」
「……ぇ」
動揺したマリーは必死に訴える。ぺらぺらと訴えた内容はフィリクスをきょとんとさせるのには十分であった。
じわじわと頬を紅潮させていくフィリクスに、伝わってないのかしら。と、マリーが両手をぎゅっと握りしめてフィリクスを見つめていると、後ろの方で「ぐふっ」と、変な声がし、マリーは思わず振り返った。
見れば、いつでもお茶が淹れられるよう待機していたカレンが片膝を芝生にめり込ませてお腹の辺りをぎゅっと両手で掴んでいる。
「カレンっ!どうしたのっ?お腹が痛いの?!」
半ば放心状態になっているフィリクスが気になったが、その手を振り払いカレンに駆け寄る。
「カレン、大丈夫?」
カレンは何かを堪えるように全身に力を入れ、肩で呼吸をしている。
マリーがその背中を擦ってやると、カレンが困ったような表情でマリーを見上げた。
「お、奥様。本気……ですか。不意打ちは、卑怯です……ふふっ、ふう、ふぅー……、はぁー……」
「へ?何、不意打ちって」
カレンの言っている意味が理解出来ない。
取り敢えず椅子に座らせてあげようとマリーが立ち上がると、いつの間にかマリーは後ろから抱きしめられる状態でフィリクスの腕の中にいた。
「え、あのっ?!」
驚いて振り仰ぐと、ほんのりと頬を染めて蕩けた顔をしたフィリクスに見下されていた。
やっぱり伝わっていないのか。と、マリーがフィリクスから離れようと試みるもフィリクスの腕は解けない。それどころかフィリクスはマリーの首筋に顔を埋めて抱きしめてくる。
「だ、旦那様っ!離れて下さい」
「やだ。ね、さっきの話。マリーも、私と同じ気持ちでいてくれているということ?」
耳元で囁かれ、マリーの胸がぞわりとする。
ぞわりとするのに、それは決して不快なものではなく、ずっとこうしていたいと思ってしまうような心地良いものだった。
「同じ……気持ち?」
フィリクスは顔を上げるとマリーの身体を反転させ、その手を取って自分の胸に当てた。手の平から、どくどくとフィリクスの心臓の脈打ちが感じられる。
真剣な表情のフィリクスに、マリーは視線を逸らす事が出来ない。
「私もマリーの側にいると、マリーの事を考えると、こうして脈が早くなる。どきどきして胸が痛い。おかしくなりそうになる」
「旦那様、も?」
「そうだよ。マリーのことが好きだから」
「す、き……?」
「……そこ、疑問形なの?」
困ったように眉を下げたフィリクスが、ふっと微笑み。マリーを横抱きに抱き上げた。
お読み頂き有難う御座いました。