病弱令嬢とやんごとなき御方
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
昨年中に更新するような事を言っておきながら新年のご挨拶もぎりぎりアウトな感じになってしまいました。
こんな感じですが、少しでも皆様のお暇つぶしになれたら幸いです。
それから一週間ほど経った、ある日の午後。
マリーは公爵家の庭園を散歩した後、庭のテーブルセットでお茶をしていた。
あの日の朝からフィリクスは一度も屋敷には帰って来ていない。
イーサンだけは毎日帰って来る。何故か花束を持って。
「旦那様から奥様へ」
そう言って差し出される花束はバラの花。
薄いピンクから濃いピンクへと不思議なグラデーションをしているこのバラは、朝早く摘み取りそのままマリーのもとへと運ばれるのか、マリーが受け取る頃まで朝露がついていて太陽の光を浴びるときらきらと宝石のように輝いていてとても綺麗だ。
そう。とても綺麗なのだ。なのだが……。
毎日二十本ほどのバラをもらっても、既に飾る場所もない。
勿体無い精神からマリーには捨てるという事が出来ない。ドライフラワーにしてみたが、それでもお腹いっぱいだ。
「豪華なバラだから、ついつい取っておいてしまうけど、これでは屋敷の中がドライフラワーとポプリだらけになってしまうわ」
花束に特にメッセージなどはない。
無愛想なイーサンに面倒くさそうに渡されるだけだ。
フィリクスのこの行動の意図が何なのか真意は分からないが、恐らくは周囲に対する『仲睦まじいアピール』なのだろう。
と、マリーは理解している。
「それにしてもバラ一択って、どうなの?」
一週間、毎日毎日同じバラ。新手の嫌がらせとも思えなくもない。
マリーは胃もたれを起こしそうになっていた。
イーサンによればフィリクスが帰って来られないのは仕事が忙しいからということだが、もしかしたらフィリクスが途中退室した晩餐が、彼との最初で最後の食事になるのではないかとモヤッとした日々をマリーは過ごしている。
帰って来る気がないのではないかしら。
旦那様は何を考えているのかしら。
考えても仕方ないわね。と、マリーは頭をふるふると振った。
「あ、そうだわ。この花弁でジャムが出来ないかしら」
マリーは名案とばかりにいそいそと厨房へ花束を持って行った。
そして、今目の前にはスコーンと、今朝もらったばかりのそのバラで作ったジャムが置かれている。
「さすが、仕事が早いわよね」
いきなり花束を渡された料理長は「いいんですか?!」と、目を白黒させていたが、目で楽しむだけで終わりにするのは勿体無い。これでいいのだ。
早速ジャムをスコーンに乗せて頬張ったマリーは、その出来栄えにひとり頷く。
鼻から抜ける香りが素晴らしい。まるで自分が吐き出す息がバラの香りにでもなった気分だ。
「カレンも食べない?美味しいわよ」
マリーは実家に居た時と同じように、侍女であるカレンにもジャムを乗せたスコーンを差し出したが、カレンは「滅相もありません」と、ふるふると頭と両手を振っている。
侍女としては正しい反応なのだが、マリーには物足りない。一人で食べて何が楽しいのか。
「奥様のものを頂くなんて、そんな――――って、こらぁっ!!」
急に声を荒げたカレンに驚いてその視線の先を辿れば、テーブルを挟んでマリーの正面にはグレンがいた。口はもごもごと動いている。
「うん。確かに上手いな。カレン、俺にも茶をくれ」
……いつの間に。
「はい、はい。お茶ね。って、違ぁーう!何、勝手に食べてんのよ!!」
「なんだよ。食べないかって言ったじゃんか。羨ましいなら、お前も食えばいいんだ」
「奥様が食べていいと言ったのは、私であって、あんたではなぁーいっ!!」
カレンが、はぁはぁと肩で呼吸をしながら「吐き出せ」と、グレンの肩を揺さぶる。
食べたものを吐き出されても困るのだけれど。と、思いながらマリーは二人のやり取りを眺める。
どうやら二人はいつもこんな感じらしい。
実に微笑ましい光景だ。と、マリーが感じてしまうのはマリーには誰かとこんなに賑やかなやり取りをした記憶がなかったからだ。まあ、そもそも、曲がりなりにも貴族の令嬢がこんなやり取りをするとは思えないが。
弟はいたがショーンは、少し笑っただけで呼吸が乱れるマリーをいつも幼いなりに気遣っていたのでこんな賑やかな感じではなかった。
それは茉莉だった頃も同じだったと思い出す。
いつもお祖父様と二人だったものね。
まあ、大きくなって学校で友達が出来てからは、そんなこともなかったけど……。
剛造は優しかったが、ふざけるのも騒ぐのも好きではなかった。特に食事中に話をするなど言語道断。
よく怒られてたわよね。
でも、あのお祖父様がカレンなのよね……?
あ、カレンがお祖父様になるのか?
突如として思い出した茉莉の記憶に、遠い目をして感傷を抱いてしまっていたマリーだったが我に返る。
「おいっ!ぎぶっ……てっ!!」
カレンがグレンの首を絞めて二人の騒ぎが大きくなっている。
「もーう!カレンっ!!仲良くしてと言ったでしょうっ?!」
おちおち感傷に浸ることも出来ない。
簡単に首を絞めるカレンもカレンだが、簡単に首を絞められるグレンもグレンだ。
グレンて、もしかして弱いの?と、思わなくもない。
「だって……」
「『だって』ではありません!」
マリーに怒られカレンがしゅんとしていると、グレンが「あ」と、小さく声を上げた。
「あいつが来たぞ」
『あいつ』とは?と、マリーが問う前に、グレンはテーブルの上のスコーンを一つ掴むと「ひゅんっ」と消えた。
後で、ひゅんっと消える方法を教えてもらおう。などどマリーが考えていると、玄関の方が俄に騒がしくなった。
グレンは『あいつ』と、言っていたが、「お客様の予定があったかしら」と、マリーは首を傾げる。
「お待ち下さい。今、お部屋を用意致しますので……」
「いや、私の事なら気にしないでいいから」
慌てるメイドの声と、それに応える爽やかな青年の声がする。
やたら優雅な歩き方で近付いて来たのは、フィリクスと同年代くらいの男性だった。その後ろではメイドがあわあわしている。
誰??
マリーには見覚えがない。カレンを見やれば、彼女もまたメイドと同じようにあわあわしていた。
「あ、あわわ……あの、今、お茶をご用意致しますので……」
カレンがじりじりと後退るようにしてその場を離れようとする。
「あわわ」って、言いながら慌てる人、初めて見たわ。
「いや、お茶はいらないよ。挨拶に来ただけだから。こちらこそ、急に来て悪かったね」
男性はにこっと微笑むと、メイドに下がるように指示する。まるで勝手知ったるといわんばかりだ。
肩に掛かる金髪をさらりと後ろへ払うと、今までグレンが座っていた椅子に優雅に腰を下ろした。
美しい人ね。
旦那様もお綺麗なお顔だけれども、この方もお綺麗だわ。
白シャツにトラウザーズといったシンプルな服装なのに、金粉でもかぶって来ました?というくらいきらきらとしたオーラを放っている。
突然の訪問者にどうしてよいか分からず、マリーは助けを求めるようにカレンに視線を向けるが、そのカレンは相変わらず警戒するような視線を男性に向けている。
「カレン。そんな警戒しないでよ。そういえば君、夫人の専任になったんだってね。また私の仕事を手伝ってもらいたかったのに残念だよ。
グレンは……逃げたみたいだね」
カレンがびくっと肩を揺らして顔を青ざめさせた。その様子に男性が「はははっ」と、小さく笑うとマリーに向き直る。
「ああ、ごめんね。私はフィリクスの友人でね。よく彼に私の仕事を手伝ってもらうんだけど、前に一度彼女にも手伝ってもらったんだよ」
「あ、ああ……まあ、そうでしたの。それは、存じ上げず申し訳ございません」
男性は長い脚をひょいっと上げて組むと満面の笑みを浮かべて恐縮するマリーを見つめる。
マリーは必死に笑顔を作って応えてはいるが、それと同時に「誰?誰なの??」と、カレンにアイコンタクトを送った。
しかし、青い顔のまま微動だにしないカレンはマリーの訴えに気付かない。
「はじめまして……ですわよね。フィリクスの妻マリーと申します」
「私はセドリックだ。リックとでも呼んでくれ」
男性はセドリックと名乗ったが、それだけでは情報が少な過ぎる。不審者ではなようだが、フィリクスとどういう繋がりがあるのか。脚を組んでいても上品にみせる所作から貴族であることは間違いないと思われるのだが、曲がりなりにもマリーは公爵夫人となった身。どう対応するのが正解なのか分からない。
セドリックとは、どちらのセドリック様ですかーっっ?!
せめて付き合いの深い家があることくらいは教えておいて欲しかった。
だがしかし、今ここでフィリクスやイーサンを頭の中で責めていても埒が明かない。
マリーは微笑みを浮かべたまま、頭の中で必死に貴族名鑑を捲り続ける。
「ふふ。病弱だと聞いていたけど、随分と元気みたいだね。玄関まで届く声が出せるなんて」
マリーの心情を知ってか知らずか、セドリックはまじまじとマリーを見つめている。
セドリックは嫌味で言ったのではないようだったが、ただでさえ初対面の男性に見つめられるという慣れない状況下、マリーの顔を赤くさせるのには十分であった。
「申し訳ございません……どなたかがいらっしゃるとは……その……思いませんでしたので……」
やんちゃな二人につられて、ついついマリーも声を張ってしまっていたらしい。
言い訳するマリーの台詞は最後は聞こえないほど小さくなっていた。
「謝る必要はないでしょ。勝手に来たのは私なのだし、元気なのは良い事だ」
「そうでしょうか。あの、それで……リック様、今日は?旦那様でしたら仕事でこちらにはおりませんが」
恥ずかしさのあまり、早く話を変えたいマリー。
「ん?知ってるよ。仕事を頼んだのは私だから。言ったでしょ。挨拶に来たって」
「え?えぇ……」
「フィリクスの奴ときたら結婚式もせず、奥方のお披露目もしてくれないんだもん。
だから、居ない隙を狙って勝手に来てみたんだ」
「は、はあ……」
美人の語尾が「だもん」だと可愛らしく感じてしまうものなのね。
思わず、きゅんとしてしまいそうだったわ。
いつかの父親と目の前の美人を比較してしまったマリーだったが、次のセドリックの台詞に更にどきっとする。
「あの男が一途に想っていた人がどんな女性か、ずっと気になっていたんだよ」
「えっ……?」
「それと、夫人の好きな花も聞いておこうと思ってね。女性には花くらい送れと言ったのは私なのだけど、こうも連日に渡ってウチのバラ園から持っていかれるとね……庭師に泣きつかれてしまったものだから」
「ええっ?」
なんということでしょう。まさか、人様の庭から摘んできたものだったとは……。
「まあ、バラが好きだと言われたら何も言えないのだけれど、あれはウチでしか栽培してはいけない事になっているから結構貴重な代物でね」
言いながらセドリックはジャムの入った器を手に取りその香りを嗅いでいる。
「因みにこのバラは、父が母の為に作らせたバラで母の名前がついていてリリーローズというんだ」
どうしましょう。そんな貴重なバラだとは露知らず……食べてしまったとは言えないわ。
いえ、これは……しっかりバレてますわね。
セドリックは興味深そうにジャムを見ていたが、徐ろにスコーンを取るとジャムを乗せて口に運んでいる。
「このバラ。王宮主催の夜会会場とかでは飾られてたりするのだけど、夫人は夜会には来たことないから知らなくても仕方ないよ」
マリーの心の中を見透かしたようにセドリックは微笑んだ。
その微笑みは全ての女性を虜にしてしまいそうだ。
マリーも思わずどきっとしてしまった。
まるで王子様みたい。
マリーにとって格好いいと王子様が同意語なのは今も変わっていなかった。
ん?ちょっと、待って。
お母様がリリーで……セドリック?
「………」
だがしかし、今のマリーには知識があった。徐々に血の気が引いてくる。
マリーは嫌な予感がした。
「ああ、でも別にケチで言っている訳ではないから勘違いしないでね。奥方の好みの一つも旦那が知っておいた方が良いんじゃないかなと思って……とわっ!!」
「きゃっ?!」
穏やかに話していたセドリックだったが、突然椅子が倒れるほど勢いよく立ち上がり、受け身を取るように芝生に転がった。それと同時に「べきっ!」と、鈍い音が響く。
マリーも驚いて立ち上がる。
「え、何?何が起きたの?」
「……いやー、話には聞いていたけど、これは相当だな」
何が起きたのか分からないが、マリーは倒れたセドリックに駆け寄る。
具合でも悪くなったのかと思ったが、セドリックは平然とした様子で立ち上がり、椅子を起こすとマリーにその椅子の背を向けた。
「なんです?……小石?」
セドリックが「見てよこれ」と、こちらに向けた椅子の背には、小石らしきものがめり込んでいる。
もしかして、これが当たったから椅子が倒れたの?
リック様が避けられなくて、もし、これが身体に当っていたら……。
でも、これ……まさか、私を狙って?
「勝手に何をしているんです」
どこから飛んで来たのか確認しようと顔を上げると、いつの間にいたのかフィリクスが鬼の形相で立っていた。
「……旦那様」
マリーは自分が怒られているのかと視線を落としたが、フィリクスが睨んでいるのはセドリックだった。
しかもマリーとセドリックの間に入って来て、こころなしかセドリックに立ちはだかっているようにも見える。
図らずもフィリクスに庇われている様に見える状況に陥ったマリーは戸惑っていた。
マリーの視界の端には、こちらを窺うように建物の陰に隠れながら顔半分だけ出しているカレンがいる。
その瞳が何かを期待するように輝いて見えるのは気の所為か。
「フィー。これ、間違いなく不敬罪なんだけど、分かってる?」
フィーとはフィリクスの愛称らしい。
一触即発の雰囲気を醸し出しているフィリクスとは対照的に戯けたようにセドリックは肩を竦める。
「何も言わず城から居なくなったと思ったら、こんな所で何をしているのです?……殿下」
「あれ、無視?護衛してくれてるはずの人間から殺されかけたのだけど、無視するの?」
で、ででで殿下ーっ?!
マリーの嫌な予感は当たってしまった。
お読み頂き有難う御座いました。